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投稿コメント一覧 (27コメント)

  • 自らは指一本動かさない






            勝ったほうがわが方






             それでは、国際社会からは受け入れられません!!







    日露戦争開戦前の緊迫した1904年(明治37年)1月、大韓帝国は突如「厳正中立」を宣言します。しかし、これは欺瞞でこの数日後に日本側は黄海で、ロシア軍の出動を旅順に要請する手紙を携行する朝鮮人を乗せた小船を拿捕したのでした。その発信者は中立宣言を声明した当の大臣でした。

    当時在韓ジャーナリスト、F・A・マッケンジーと大韓帝国の宰相・李容翊との会話

    マッケンジー「もし、朝鮮が滅亡から救われようとするなら、改革が必要である」

    李容翊「朝鮮は安全である、なぜならわれわれの独立は欧米諸国によって保証されている」

    マッケンジー「力によって裏づけられていない条約は無意味であることをあなたは理解していない。尊重されるべき条約を望むなら、それに応じた生活をしなければならない。改革がなされなければ滅亡しかない」

    李容翊「他国が何をしようと問題ではない。われわれは今中立であるから、中立の尊重を要請する声明を出した」

    マッケンジー「もしあなたが自衛しないならば、彼らは何のためにあなた方を守ってくれるだろうか」

    李容翊「われわれはアメリカと約束ができている。アメリカは、いかなる事態が発生しても、われわれの友人である」

    しかし、この中立声明は、清、フランス、ドイツ、イタリア、デンマークは承認の回答をしましたが、アメリカは無視。ソウルを占領していたロシアも当然無視というか、日本の進出を抑えようと大韓帝国に"中立声明”をさせた、というのが本当のところでしょう。

    2月に日露戦争開戦し、日本が緒戦を飾ると韓国は態度を一変させ、日韓議定書を結び日本が韓国領土を軍事使用することを認めます。日露戦争で日本が次々と勝利していくと、韓国はロシアのあいだに締結されたいっさいの条約と協定を破棄すると宣布し、同時にロシア人やロシア企業に割譲した利権もすべて取り消しました。

    自らは指一本動かさないばかりか、勝ったほうがわが方という政策では国際社会からは受け入れられません。韓国は日本の保護下におかれました。

    米国の外交史家タイラー・デンネット
    「韓国人は、その最近の歴史も駐米外交官たちも、(セオドア)ルーズベルト大統領の尊敬や称賛の念をひき起こすことができなかった。・・・大統領にとって、長い間海上に遺棄され、航海に脅威を与える船にも似た韓国が、いまや綱をつけて港にひきいられ、しっかりと固定されなければならないことは明らかだったように見える」

    英外相ランズダウン
    「韓国は日本に近きことと、一人で立ち行く能力なきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ」

    <注>第二大戦中の米国大統領は、フランクリン・ルーズベルトです。

    日露開戦の年1904年ソウル市内のロシア使節団。
    警備しているのはロシア兵 ↓

  • 今後いかなる危険が到来するのかわからない!!






            それゆえ劣等国民として保護されるよりは






               一等国民として、おなじ待遇をうけながら暮らしてみよう!!





    伊藤博文という、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。

    日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成しました。

    「韓日合邦を要求する声明書」

    日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)

    伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)

    それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の一等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
    「1909年12月4日 一進会」(百万の朝鮮人会員)

    「一進会」は、上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。

    一進会は上奏書を却下されましたが、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになりました。

    韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した日韓併合になりました。


    日韓併合により日本は、現在の試算で約20兆円もの莫大な資金を朝鮮半島に投入して、朝鮮の近代化に尽力をしました。

    朝鮮は、日本統治前とは比べられないほど、医療・教育・生活などの水準が高まりました。

    日本による朝鮮への諸政策の結果、朝鮮では1920年~30年代のGDP平均成長率は約4%(1920年代の世界経済は2%以下・日本は3%強)まで高まりました。

    朝鮮の1人当たりの国民所得は、1910年代の約40ドルから約80ドルまで倍増しました。

    耕作地は、246万町から449万町まで拡大して、米の反当り収穫量は、0.5石から1.5石までと3倍増になりました。

    朝鮮人の人口は、1300万人から2600万人に増加して、平均寿命は24歳から56歳まで延びました。

    日本は、それまで朝鮮で続いていた、階級による身分差別の撤廃、両班による搾取・虐待から農民を救い、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法を廃止するなど、人権尊重の法治国家の基礎をつくりました。

    日本は朝鮮へ学校教育制度を導入して、朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で朝鮮人に読み書きを教えました。


    日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備・普及をさせて、85%の朝鮮人に、創氏改名を許可しました。

    日本の委任統治時代、1920年代のパラオの町並みの写真の右側にある店舗には、韓国人が日韓併合により奪われたと歴史を捏造している、ハングル文字の看板があります。


    日韓併合で、日本国内で暮らす朝鮮人には参政権も被参政権も与えられました。

    2回も代議士になった「朴春琴」 や、帝国議会の貴族院にいた「朴泳孝」など、大東亜戦争末期には、なんと7人もの朝鮮人が帝国議会の議席を得ていました。

    戦前の朝鮮の小学校の教科書 ↓

  • 触らぬ神にたたりなし!!





               タブー視!!





                    そして、奇妙な沈黙!!





                          それは、死を招く沈黙・・・






    ◇日本ジャーナリズムの罪と罰




    北朝鮮関連書籍はどれも売れている。日本の庶民にとって、隣人の生活ぶりが大きな関心事となっている証拠である。しかし、そんな庶民の関心事については、論戦どころか、事実も大新聞で報道されることがめったにない。

    いまや最大の謎は、"地上の楽園"の実態から、北朝鮮の民主化・人権問題に対する大マスコミの"奇妙な沈黙"に移りつつある。報道としての"死を招く沈黙"の埋由は、二つに大別できる。

    ひとつは、差別問題と同様、北朝鮮の民主化・人権問題を、大マスコミが基本的に"タブー視"している点にある。「何か書くとゴチャゴチャと朝鮮総連がうるさいから……どこの新聞社にも、こういう"リアリスト"の記者がいる。

    とくに、取材の第一線から外れたデスクに「触らぬ神にたたりなし」の傾向が強い。実際、朝鮮総連による組織的な抗議活動はすさまじい。北朝鮮や朝鮮総連に不都合な報道をしたメディアは集中攻撃を浴ぴてきた。

    それでも第一線の記者は、勇気をだして記事を上げる。だが、デスクが「塩漬け」にしてしまう。かの有名な「RENK襲撃事件」では、その傾向が如実に現れた。同事件に関する新聞各紙の扱いは小さかった。

    大阪府警による朝鮮総連大阪府本部への家宅捜素、およぴ同事件への朝鮮総連の組織的で計画的な関与の証拠押収という「史上初、空前絶後」の出来事。これについても同様だった。

    もちろん、第一線記者は熱心に取材する。私への取材も「夜討ち朝駆け」状態だった。ところが、問題の核心に触れる記事はついに出なかった。

    このあたりの事情を某新聞社の記者はこう語る。
    『日本の警察が朝鮮総連の事務所を家宅捜索したのは、戦後初めてのことだ。それだけの大事件だった。しかし、こんな点がある。

    朝鮮総連は日本のマスコミの圧力団体だ。彼らに不利な記事が出れぱ、巧妙に圧力を掛けてくる。だから慎重になるほかない。マスコミが朝鮮総連関連の記事を載せる原則は、必ず朝鮮総連のコメントを受けてから書くということだ。したがって、朝鮮総連がコメントを拒否すれぱ、記事を書かない場合が多い』

    同記者は結局、デスクから「この事件はソフトに扱え」と注文を付けられた。十分な証拠を確保して記事化しても、デスクから「保留」の指示が下りる。

    抗議する同記者に、デスクはこう答えたという。
    『この記事を載せて、数百人の朝鮮総連が会社を取り囲んでデモでもすれば、どうするんだ』

    同記者によれば、当時、どの新聞社も似たようなものだったという。
    『困難は避けて通るのが日本人の特性だ』と同記者は付け加える。私は朝鮮人だから、よくわからないし、わかりたくもない。

    他方で、かつての冷戦構造、あるいは55年体制の"左側"にいて、いまだに社全主義幻想にすがりつく時代錯誤な編集委員がいる新聞社もある。VIP待遇で北朝鮮に招待され、行く先々は事前に準備万端のヤラセ視察。

    『北朝鮮は素晴らしい。街にゴミひとつない。完成された社会主義だ』……帰ってきて、こんな"ヨタ話"を平気でしては、若い記者をあきれさせる。いくら抗議が嫌で怖くても、重要な問題だと考えれば記事化する。それが大新聞だと私は信じたい。

    「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫より

    元朝鮮総連中核幹部  李英和 氏 ↓

  • ご存知ですか??





         当時の若者の憧れの的とは??





      当時の朝鮮の若者が大いに憧れたのは・・・





    「朝鮮人日本兵」だったのです!!




    現在の韓国人の脳裏からは完全消去されたようだが、当時の朝鮮の若者が大いに憧れた「朝鮮人日本兵」という存在があった。

    「朝鮮人日本兵」とは、大日本帝国陸海軍に所属し軍務に服した朝鮮人の軍人、及び捕虜監視員など軍人に近い任務を行った軍属などを総じてこう呼ぶ。

    朝鮮半島で、1938年に陸軍特別志願兵制度導入、続いて1943年に海軍特別志願兵制度が導入される。1944年以降徴兵制度が導入されるまで特別志願兵制度は続く。

    朝鮮人志願兵選抜条件は、(1)思想堅固ニシテ体躯強健、精神に異常ナキ者。(2)前科者殊に民族主義者、共産主義運動等に関係せし者は之を採用せず。(3)家族にして主義運動等に関与しある家庭の者は之を採用せず。となっている。

    陸海軍特別志願制度が始まった頃、朝鮮人による日本軍入隊のための血書提出がブームとなっていた。1935年には45名、1940年には168名が血書を提出した。後に韓国大統領となる朴正煕が満州国軍軍官学校の受験年齢制限特別免除を求める血書を提出しその記事が満洲新聞に掲載されている。

    特別志願兵制度の施行以前は、朝鮮人が一般の兵卒として陸海軍に入隊することは不可能。朝鮮人の日本軍人は洪思翊のように陸軍士官学校を卒業し士官に任官した者、李秉武のように旧大韓帝国軍から朝鮮軍人として日本陸軍に転籍した者に限られていた。

    日本軍への入隊は当時の朝鮮人の若者の憧れの的だったのだ。

    志願者数は以下である。
               

    1939年志願者 (12348人)  入所者数 (613人) 選抜率 (4.9%)  志願倍率 (20.2倍)

    1940年志願者 (84443人)  入所者数 (3060人) 選抜率 (3.6%) 志願倍率 (27.6倍)

    1941年志願者 (144743人) 入所者数 (3208人) 選抜率 (2.2%) 志願倍率 (45.1倍)

    1942年志願者 (254273人) 入所者数 (4077人) 選抜率 (1.6%) 志願倍率 (62.4倍)

    1943年志願者 (303394人) 入所者数 (6000人) 選抜率 (1.9%) 志願倍率 (50.6倍)


    下は、栄光に満ちた朝鮮人志願兵です。  ↓

  • 当時、欧州の一流ホテルに宿泊できる有色人種は??




             日本人だけです!!




               だったら、日本名を名乗ればいいじゃないかああーーー!!!




     創氏改名は朝鮮の伝統文化を破壊した皇民化政策だったと良く言われています。

    創氏改名は1939年に定められています。陸軍大将南次郎(みなみ じろう)が朝鮮総督となり、この頃「民族語の復活」「朝鮮語教育の推進」「創氏改名」を行っています。
    こうやって三政策セットでみると「おや?」と思う人も多いのではないでしょうか。その頃朝鮮に住んでいた私の祖父の記録には「南大将が総督になってからは融和政策をとった」と書かれています。

     1909年、大韓帝国は日本の指導に基づき民籍法を制定しています。それまでは身分制度があり、奴婢の身分の人などは戸籍を持たない人が多く居ました。その代わり「族譜」というものがあり、系図のようなもののようです。

    まず、これも文化を破壊したことになるのでしょうか。戸籍は近代国家には必須なものだと思います。この時は日本式の姓名を名乗ることは禁止されていました。

     1939年の創氏改名では「氏」の新たな創設は必須で、改名は任意です。(それまで氏はなく、姓があり、姓は変更しなくて良い)朝鮮式の姓をそのまま「氏」としても良いことになっています。氏のつけ方に制限があり、これを日本式の氏を強要したという説もあるようですが、文化破壊、同化といった面だけでしょうか。セットの民族語の復活はどうでしょう。

     当時、日本人であると支・那や満州へ行って商売をすると信用されたといいます。日韓併合後、人口の10分の1にあたる100万人の朝鮮人が日本へ職を求めてやってきます。朝鮮名で支・那や満州へ行って商売したり、日本で仕事する場合、日本名のほうがずっと有利だったと思います。欧州の一流ホテルに宿泊できる有色人種は日本人だけという時代です。

     朝鮮人で日本の軍人になった人が多く居ます。この人達は日本式の氏名にしていません。私はこのことは「日本帝国軍人」という肩書きだけでゆるぎない信用があったからだと思います。

     ちなみに台湾では改姓名があり許可制であり、改姓したの昭和18年の時点で1.6%です。日本語常用家庭に育つなどの条件を満たした上で総督府の審査に通らなければ改姓できませんでした。


    下は、韓国での日常的な公開処刑・人民裁判である親日派狩り  ↓

  • ★韓国では世界史がほとんど教えられていない。






          なぜ??






             朝鮮半島のことが全く出てこない






    出てきても全く活躍せずに負けるだけ







    韓国では、世界史を正確に知ると韓国教育の国史との矛盾が発覚してしまう。
    とにかく日本を世界一狂った侵略者として教えてる韓国国史とは相容れない。

    義務教育では中学一年の時に少しだけ世界史を習い、後はひたすら国史を叩き込まれる。ただしこの『国史』とは客観的な歴史的事実ではなく、韓民族の、韓民族による、韓民族のための ウリナラマンセー捏造韓国史である。

    また、韓国では高校で世界史を教えている学校は10校に一つである。
    学生の世界史選択率が10%ではなく、世界史を学べる学校自体が1/10で、
    その中でさらに世界史選択者は少ない。当然まともに世界史の知識がある韓国人は滅多にいなくなる。

    これには韓国が異常な学歴社会であることも関係している。
    韓国では実益が無く受験勉強に不利な学問は徹底的に軽視されるのだ。

    世界史は覚えることが多いだけでなく、朝鮮半島のことが全く出てこない。
    出てきても全く活躍せずに負けるだけ。はっきり言って世界史に朝鮮が
    出てくるのは、日本と関連した日露・日清戦争と朝鮮戦争の二つだけである。

    実はその朝鮮戦争でも韓国は日本(とアメリカ)に助けられている。
    当時から韓国は、戦前から決まっていたアメリカの統治を一方的に拒否したり、
    日本を挑発したりと、ウリナラマンセーを発揮していて、その韓国人の態度に、
    GHQ最高司令官マッカーサーが激怒して『半島からアメリカ軍を引き上げて
    日本だけを防衛圏とする』と宣言した。(これをアチソン声明という)
    要するに韓国が信用できなくなったので捨てた、ということである。

    するとアメリカがいなくなったと確認した北朝鮮軍はそのチャンスを逃さず、
    ソ連から買った最新戦車で猛攻撃をしてきたので韓国政府はボロボロに
    やられて追い詰められてしまった。

    韓国が絶体絶命のピンチに陥った時、ソ連の勢力拡大を良しとしない
    日本とアメリカが助けに来て、韓国政府はギリギリで命拾いしたのだ。
    要するに日本とアメリカが助けなければ北朝鮮が正当政府として
    朝鮮半島を統一し、今の韓国などなかったわけである。

    こんな歴史では学んでも韓国人にとって面白くないのは想像に難くない。
    「面白くない上に覚えることが多くて点数が取りにくい世界史」より
    「残っている朝鮮の資料も少なく、覚えることも少ない国史」を選択するのは
    学生にとっては当たり前のことといえよう。

    今でもあるが、戦前ソウル市内にあった独立門 ↓

  • 間違いを絶対に認めない






          自分の知識以外のものは全て






                『歪曲だ!』『捏造だ!』






    ★韓国国民全員が「政府が政府のために作った教科書」を使う

    韓国政府は、自分達で作った一種類の歴史教科書だけしか認めていない。
    これで全国民を政府の都合が良い方向に簡単に洗脳することが可能になる。

    韓国人にはたった1つの国定歴史教科書を検証する術が無いだけでなく、検証しようと考える者がいない。子供たちをとりまく環境、親や親戚や教師、テレビや新聞などのメディアからも“思想”や“理念”として『韓国の常識』を叩き込まれるからだ。

    教科書は、元より「認識の基準」となっているのである。
    それゆえ、内容が正しいか間違っているかという基本的な疑問が生じない
    。韓国人はその教科書に、内容を裏付ける資料がないという致命的欠陥すら
    気にかけようとしない。盲目的に「教科書は全て正しい」と信じているのである。

    しかも韓国は重度の学歴偏重社会ゆえ、受験期には懸命に教科書の知識を詰め込む。 その結果、韓国社会において権力や権威に近い者や強い発言権を持つ成功者ほど 教科書の内容が強く刷り込まれ、固く信じているのである。

    ちなみに歴史教科書の他にも、韓国では国語と道徳も国定教科書制である。
    ここで気付くのは「全教科が国定教科書というわけではない」ということ。
    つまり「歴史の教科書には国が関与しなければならない理由(=国家のウソ)
    がある」ということを裏付けている。

    さらに歴史に加え、国語と道徳をも国定教科書にすることで 人格の形成にまで政府が踏み込んでいるのである。

    また、韓国は憲法で思想の自由が保証されていない。
    彼らが表向き標榜している「民主主義」という言葉の意味を考えれば韓国政府の政策の矛盾は明らかだ。

    韓国の教科書は『著者名が非公開になってる』という点でも世界的に珍しい。
    他の独裁国家や経済的理由のある発展途上国などで国が教科書を 作ることがあったとしても、著者名(歴史学者の名前。内容の責任者)くらいは 公開するのが普通だ。

    たしかに歴史教科書は歴史学者が書かなければならないという法律もないし、
    “政治家が教科書を用意する”ということが違法というわけでもないが……。

    「唯一」の「国定教科書」で著者名を伏せなければならない事情とは何だろう。
    誰が書いたかわからないものなど日本だったら誰も信じないだろう。
    韓国では「教育とは、国内政治の道具」でしかないようだ。

    韓国では、教科書が選択できず、誰もが同じ教科書を使っていることから
    どこに行っても誰に聞いても同じ知識と同じ認識であることが特徴的だ。
    それ以外の歴史解釈は、受験によって除去され、 “政府の期待する思想”に染まらなかった人間は低学歴者として 社会的に抑圧されて表に出る道を閉ざされる。

    それどころか「低学歴者に低学歴用の作業服を着せる」という徹底した
    学歴差別をいまだに行っている文化後進国である。
    もし仮に「韓国の教科書に染まらなかった者」が現れて『真実』に気付いても、
    それは“低学歴者のたわごと”と笑われ、見下されて相手にされない。

    国民が自らの認識に全く疑問を抱かないのも無理からぬことかもしれない。
    そして自分の知識以外のものは全て『歪曲だ!』『捏造だ!』と否定する。
    間違いを絶対に認めないのが韓流の教養であり、その異常な教育を 当たり前のものとして受け入れているのが朝鮮民族なのである。

    国会議員を先頭に一般市民まで交えて、日本国旗を踏みつけ放題 ↓

  • 平安貴族もびっくり!!






    現代版不輸・不入の権!!







    かくて、20世紀の荘園経済は確立された!!






    国税対策で暴れる



    1967年、大阪国税局資料調査課は商工会会員の経営する遊技施設全店【パチンコ屋】に対して一斉に税務調査を強行してきた。この調査は明らかに朝鮮総連つぶしの政治目的を持っていた。

    対応をひとつ間違えると、ただちに査察へと移行する、商工会始まって以来の一大事であった。この事件には朝鮮総連本部が大衆動員をかけ、連日大阪国税局に押し寄せた。

    国税局は機動隊に要請を出し、私たちとにらみ合うこととなり、単なる税金問題が在日朝鮮人弾圧という高度な政治問題に発展していったのである。国税局員たちは、私たちの政治攻勢に色を失った。彼らはこんな一大事に発展するとは予想していなかったようだった。

    そのうえ彼らが朝銀の調査に入ろうとすると、朝銀は調査、その他帳簿類の提出を全部拒否したため、彼らの資料捕捉率は50パーセントにも及ばなかった。

    さらに国税調査の対象者たちに緘口令(かんこうれい)を敷き、国税局員が彼らと接触を図ることも私たちが拒否し、あくまで商工会が代理交渉を行うことを譲らなかった。国税局も、商工会の抵抗がこれほど激しいものとは予測していなかったであろう。

    しかし、私たちはこの調査を、生活権を根底から奪い取るもの、と解釈したのである。金銭問題をはるかに超え、まさに「生存権確保」の闘いとなっていた。

    闘いは納税を終えるまで約2年間続き、その間私は国税局に合計48回も足を運んだ。国税局との闘いは徹頭徹尾政治交渉に明け暮れ、在日朝鮮人の歴史的発生原因と差別の現状を強く主張することに終始した。

    ここで妥協してしまえば、その後の税務交渉へ重大な影響を残し、ひいては商工会の存亡にかかわる問題だったので、商工会の同胞たちもよく働いた。

    その結果、商工会、朝鮮総連の組織の団結力は強化され、私たち活動家たちは強い使命感を会員たちに与えていった。商工会は以前にましてより強力で、同胞たちに信頼される組織に変貌していったのである。

    「朝鮮総連工作員」 張龍雲 1999年 小学館文庫より

  • 身辺に気をつけてください!!






    「抗議」という名の「暴力」!!






       かくして、気に入らない人間の発言を






    テレビ界から追放することができた!!





    日本が暴力に屈した日



    朝銀をめぐって最初のトラブルが起きたのは1967(昭和42)年のことである。東京在住の総聯商工人で、のちに暴力団員に殺された具次龍氏の脱税容疑で、国税当局は氏の取引先である朝銀の前身、同和信用組合(台東区上野)に資料の提出をもとめた。

    同和信組はこれを拒否した。国税局は強制捜査をおこなうことにした。ところが同和信組はシャッターをおろし捜査を実力で阻止した。国税局は機動隊をともなって、バーナーでシャッターを焼き切り、強制捜査を実施した。

    これを契機に総聯は、全国の総聯系在日朝鮮人多住地域の税務署に「抗議行動」をかけた。各地の税務署で業務妨害が発生した。このとき日本政府は、国家公務員たる税務署員にたいする公務執行妨害でこれを取り締まろうとしなかった。国税局と具次龍氏との脱税に関する和解は1976(昭和51)年に成立した。

    その後、先に紹介した国税庁と朝鮮商工会との税金に関する「合意」なるものが交わされた。すなわち社会党の故高沢寅男衆議院議員の部屋で、氏を仲介者として国税庁と朝鮮商工会幹部の話し合いがおこなわれたのである。
    「現代コリア研究所」はそのときの出席者の名簿をもっている。

    この具次龍氏の事件以来、総聯は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。

    私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総聯の暴力に屈した恥ずべき日と記録している。ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。

    1985(昭和60)年12月、関東国税局は東京都北区在住の総聯商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。

    国税局の業務は麻痺状態に陥った。局内では「上はなにをしているのか。仕事にならない」という声がでた。警視庁からは「年末の忙しいときに国税はなにをやっているのか」という不満の声が聞かれたという。

    国税局ぱかりではない。大韓航空機を爆破した金賢姫が、ソウルで初めて記者会見したとき、私はテレビ朝日の夕方の番組に解説者として出演した。キャスターから「金賢姫は北の人間ですか」と問われたので「間違いないものと思う」と私は答えた。

    その直後からフロアがざわつきはじめた。放送が終わってフロアにおりると責任者が飛んできて「先生、大丈夫ですか」という。
    「なにがですか」
    「先生の発言にたいして抗議の電話が殺到して、局の電話線がパンクしそうです」

    まもなく私はフジテレビに出演して同様のことを話した。そのときは総聯の抗議団がテレビ局に来たという。

    まだある。当時私は、日本テレビにもよく出演していた。あるとき日本テレビの記者が総聯へ取材をしにいくと「あんな男(つまり私のこと)を使っていると総聯に出入り禁止にする」といわれたという。私はそのことを記者から直接聞いた。

    あのころは私が出演する番組には抗議の電話を集中してかけていたようだ。テレビ局は解説者のいっていることの可否ではなく、抗議に対応する煩わしさから、私のようなコメンテーターを敬遠することになる。かくして総聯は気に入らない人間の発言をテレビ界から追放することができた。

    私は公安当局者をはじめいろいろな人から「身辺に気をつけてください」といわれた。これは日本人が総聯の直接間接の「暴力」をいかに怖がっているかの証拠である。

    だが、総聯を支持する在日朝鮮人はいまや赤ん坊も含めて十万人しかいない。日本人の人口は一億二千万だ。いつまでも総聯を怖がっていれば、「暴力」をちらつかせることによって、十万人が一億二千万人の言論を支配できるということになる。これは日本にとってきわめて深刻な問題ではないか。

    「日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」 佐藤勝巳 2002年 草思社より

  •  本当に、その歴史認識は正しいんですか??






             近代化と文明開化の押しつけ!!


        



                 清国・朝鮮にとってみれば余計なお節介!!






                      日本には野心があって!!







    1876年(明治9年)の日朝修好条規をきっかけに朝鮮では開化・近代化派が勢力を伸ばし、日本の近代化路線に学ぼうと1881年(明治14年)には大規模な視察団が来日しています。李朝は軍の近代化のために、日本から堀本礼造(陸軍工兵少尉)を招いて新式軍隊の編成に着手しています。

     1882年(明治15年)、壬午事変(じんごじへん)が勃発します。李朝の軍隊の棒給米が一年以上も滞っていたことに役人の不正が発覚し、怒った兵士たちは役人に暴行を加え、捕らえられた兵士たちの指導者は死刑になってしまいます。兵士たちに庶民も加わり全国的な暴動に発展しました。

    この頃、李朝は閔妃(ミンビ、びんぴ)一族が実権を握っており、兵士たちは王宮に乱入し、閔妃の政敵である興宣大院君奉じます。この事件では日本公使館も破壊され、堀本礼造少尉や学生、巡査などの日本人が殺害されています。

     壬午事変は清国が即鎮圧に乗り出し、大院君は天津に拘留され、清国の大軍が駐留することになり、朝鮮は再び閔妃一族が支配し、清国の属国路線に戻ってしまいました。

     日本は李朝と済物浦条約(さいもっぽじょうやく)を結び、犯人の処罰と謝罪、賠償50万円を得ます。この賠償金50万円は10万円の支払いが終わったところで、40万円は近代化資金に充てるよう朝鮮政府に寄付し、小型船一隻と山砲二門も送っています。日本は朝鮮の独立を支持していたのです。
     
     李朝のエリートであった金・玉均は1882年2月から7月まで日本に遊学し、福澤諭吉の教えと協力を得ます。留学生派遣や朝鮮で初めての新聞である『漢城旬報』の発行に協力します。

    金は李朝の閉鎖的社会構造を客観的にみつめて新しい政治体系を目指すようになり、金は「開化党」の中心人物となっていきます。そして今の李朝の荒廃ぶりは李朝が貨幣鋳造権、外交権、国土防衛など国家主権の多くを宗主国清にゆだねて属国の地位に甘んじていることを原因の一つとして考えるようになります。

     このように日本が明治維新を遂げたのと同じように、朝鮮でも文明開化、近代化が芽生えたわけです。これは歴史の大きなパラダイムの変化であり、抗えるものではありません。

    歴史学者のアーノルド・トインビーは文明と文明の接触過程を「挑戦」と「応戦」と述べて、うまく応戦できた文明は生き残り、うまく応戦できなかった文明は消滅するとしています。日本は応戦できましたが、朝鮮は応戦できず、最終的に活路を日韓合邦に求めたわけです。

     私が受けてきた教育は日本には野心があって、朝鮮半島を侵略して植民地にしたというものでした。2010年のNHK「坂の上の雲」では日清戦争にいたるまでの経緯の中で「近代化と文明開化の押しつけ」「清国・朝鮮にとってみれば余計なお節介」というような自国批判調で語られていたそうで、まだまだ捏造、歪曲の歴史がメディアを支配しています。

  • 韓国側の解釈では、”日帝強占下”ゆえ、詐欺的手法でだまし就職まがいで慰安婦にされた方々も、”強制連行”にあたるとのこと。
    この論法でいけば、当時の霊感商法やマルチ商法の被害者も、国家賠償の対象に
    なりますが。


    それはさておき。
    ヒトラー率いるナチスドイツに武力で併合されたオーストリア。
    そのオーストリアから、実に500万人近くが、ドイツ軍の中核兵士として徴募され、特に東部戦線=ロシア戦線に投入されました。
    そして、実に、その半数近くが戦病死しました。


    この方々たちは、ドイツによって強制連行された被害者なのでしょうか??
    もしそうだとしたら、何ゆえに、オーストリアは戦後ヨーロッパ諸国に謝罪をしたのでしょうか??

  • 韓国はなぜ反日か 韓国はなぜ反日か?



    まず一つに、『教育のせい』である。

    では、“なぜ”韓国では反日教育をするのか?
    それは、韓国にとってそれがどうしても『必要だから』である。
       
    さて、韓国にとって、“なぜ”反日が必要なのだろうか。

    ★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』
    さらに、発展を遂げた日本からゆすりタカリで金を貰いたいからだ。
     
    世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
    記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも自ら属国であったことを認めている。
    そもそも韓国の古い国旗にまで「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。

    しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。


    韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。 まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

    朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。 そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。

    天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

    また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。

    そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

             (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)


    韓国が反日のワケ


    身分が「最も低い」のだからしかたない。 身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。

    ・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
    ・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
    ・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎え土下座をしなければならない。

    ・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
    ・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
    ・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
    ・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。

    朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。

     朝鮮国内にもその名残がある。
     現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という屈辱的な隷属の象徴の門だった。

     この迎恩門で『朝鮮の国王』が 土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。

    朝鮮はそれほどまでに国“下”にみられていたのだ。

  • 韓国はなぜ反日か 韓国はなぜ反日か?



    まず一つに、『教育のせい』である。

    では、“なぜ”韓国では反日教育をするのか?
    それは、韓国にとってそれがどうしても『必要だから』である。
       
    さて、韓国にとって、“なぜ”反日が必要なのだろうか。

    ★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』
    さらに、発展を遂げた日本からゆすりタカリで金を貰いたいからだ。
     
    世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
    記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも自ら属国であったことを認めている。
    そもそも韓国の古い国旗にまで「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。

    しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。


    韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。 まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

    朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。 そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。

    天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

    また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。

    そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

             (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)


    韓国が反日のワケ


    身分が「最も低い」のだからしかたない。 身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。

    ・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
    ・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
    ・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎え土下座をしなければならない。

    ・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
    ・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
    ・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
    ・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。

    朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。

     朝鮮国内にもその名残がある。
     現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という屈辱的な隷属の象徴の門だった。

     この迎恩門で『朝鮮の国王』が 土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。

    朝鮮はそれほどまでに国“下”にみられていたのだ。

  • まともな朝鮮人はやがていなくなる!!




    失礼!この方はまだ存命されていますが




    まともな朝鮮人もいるんですね。




    私が海外で出会った朝鮮のお年寄りもやはりまともでした





    ◆"私は88歳です。もう事実を言いたいです。" [崔基鎬行く大学客員教授]

    韓国の88歳の大学教授がハングルで書いた文章です。日本語訳します。

    "私は88才です。 もう事実を話したいと思います。
    " [チェ・キホ伽耶大学客員教授] 朝鮮末期の私は1923年の生まれです。
    もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
    それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。
    しかし、これは私の使命であると信じています。

    私はソウルに住んでいました。
    そして、時々、平壌や東京に行きました。
    その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。

    「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を
    指導者はそそのかしてきました。
    韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、
    韓国は90%が歪曲です。

    朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ
    独立ができたことのように使われています。
    韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。
    近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。

    その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
    より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」
    という主張にはコメントする気持ちもなくなります。

    民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。
    近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。
    韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。
    歴史の真実を知っているためです。

    朝鮮語でキウン「地獄」でした。それは大韓帝国時代になっても同じでした。
    1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。
    例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。
    その差額は日本が負担していました。
    1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。

    現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?

  • 圧力をかけろ!!




     

         どうせ、田舎自治体なんてひとたまりもないだろう!!






               内政干渉??







                  そんなこと知るけえーー!!






    【重要】『「新しい歴史教科書」採択しないで』 韓国市民グループ、今治市教委に要望

     愛媛県今治市では扶桑社発行の「新しい歴史教科書」っを採用していますが、今年に予定されている教科書採択に合わせて韓国人団体が今治市教育委員会に「新しい歴史教科書」の不採択を要望しました。

     この韓国人団体は、韓国が教える歴史教育を真に受けて本気で「武力で強制併合された!」とか「日帝が全てを奪いつくし朝鮮半島は悲惨を極める状態だった!」なんて信じているのか、もしくは日本への併合後の政策で朝鮮半島がどれだけ発展したかを知りつつもイチャモンつけてきているのか。

     どちらにせよ教育は国家の重要事項。教科書採択に外国人の意図が入り込むことなど許されません。この韓国人団体はこのような内政干渉にあたる要望は即刻取り下げるべきだし、今治市教育委員会は影響されてはいけません。

     おそらく裏ではこのような団体による教科書採択への圧力が強烈にかけられていることでしょう。戦後の自虐史観や中国朝鮮の捏造の歴史から一刻も早く脱却するためにも、前回の教科書採択で扶桑社の「新しい歴史教科書」を採択した今治市教育委員会に今回も期待します。

     ささやかですが、今治市教育委員会に圧力に屈せぬよう激励のメールを送信しました。愛媛県民の皆様、それ以外の方も今治市教委員会を応援してください!

    今治市役所 教育委員会 教育委員会事務局 総務課
     〒794-8511 愛媛県今治市別宮町一丁目4-1
     TEL(0898)36-1611(直通)  FAX(0898)25-1700
     Eメール kyouikus@imabari-city.jp

    今年中に予定されている中学校教科書の採択を前に、扶桑社発行の「新しい歴史教科書」を使っている今治市教委に対し、韓国の市民グループ「アジアの平和と歴史教育連帯」の梁美康(やんみがん)・共同運営委員長が市教委を訪れ、「新しい歴史教科書」を続けて採択しないよう、要望した。
     同グループは、韓国の64市民団体で構成。「韓国を強制で併合したことも正当化し、アジアとの真の友人関係をはぐくむことに反する」と主張している。
    http://mainichi.jp/area/ehime/news/20110406ddlk38040658000c.html

  • 戦前、朝鮮半島には60万人もの華僑が住んでいました!!





                 今は、3万人位かと!!





       今でも、半島では中国人排斥の排外主義は収まっていません!!





    1930年、満州には60万人の朝鮮人がおり、その多くは貧農層で、漢人の小作人となっていました。この頃は軍閥の張学良が満州を統治していましたが、日本の権益を脅かしはじめ国際法違反を含む排日攻撃を行っていました。

    その中には当時日本国民であった朝鮮人への迫害があり、1928年~1930年までシナ人と朝鮮人の間に100件を超える紛争があったといいます。

    1931年2月、国民党会議は朝鮮人の満蒙移住厳禁を決議し、「鮮人駆逐令」によって満州から朝鮮人を追放にかかります。行き場を失った朝鮮人は長春から北西約20キロにある万宝山に入植しようとしました。ところが吉林省政府の警官隊は朝鮮人農民の退去を繰り返し求め、7月にはついにシナ人農民が大挙して朝鮮人を襲撃しました。(万宝山事件) この事件と日本軍将校が殺害された中村大尉殺害事件が満州事変の直接の引き金となります。

    万宝山事件に朝鮮人は怒り、朝鮮半島全域でシナ人への襲撃が始まりました。昭和6年(1931年)7月5日大阪朝日新聞附録『朝鮮朝日』南鮮版
    「衝突、破壊、脅迫、傷人、市内の各所に頻発す シナ人街休業の姿 京城の鮮支人衝突事件」
    「【京城】(略)朝鮮人およそ二十名がシナ人を殴打(おうだ)負傷せしめさらに同時刻同所附近のシナ商店を襲い窓ガラスを破壊、九時四十分ごろには府内義州通りにおいてもシナ人一名を殴打負傷させ十時には和泉町では朝鮮人およそ60名がシナ人を襲い、同様殴打負傷せしめ同二十分府内シナ人街西小門枝芸学校前で朝鮮人五百、シナ人凡そ二百名が衝突し、各一名宛ての重傷者を出し、また・・・」
    「全市に警官隊配置。シナ人続々避難す 京城(ソウル)ますます騒然」

    朝鮮人のすさまじい怒りの様子が伝えられています。

    昭和6年(1931年)9月12日大阪朝日新聞附録『朝鮮朝日』南鮮版
    「【京城】中村大尉事件に対して鮮内における内地人側の輿論(よろん)はますます硬化しているが朝鮮人側の輿論は果たして内地人側と同一歩調をとっているか・・・(略)しかし、今なお繰り返されている鮮農圧迫事件に対し我が政府ならびに内地人はあまりにも冷淡ではなかったかとの説をなすものがあり・・・」

    朝鮮人が迫害されていることにたいして内地人は本当に怒っているのか?冷たくないか?という論調の記事がながれています。この頃の「弱腰外交」が背景にあり、それとわかる論調です。「日支懸案370件」に対して抗議するだけで何も手をうてない外交「日本政府=幣原外交恃む(たのむ)にたらず」という論調があり、関東軍に期待が集まります。

    9月12日同紙
    「平壌部隊、著しく緊張 異様の風説も飛ぶ」

    朝鮮軍に動きが出ていますね。この6日後、9月18日柳条湖事件。満州事変がはじまります。

  • 本当は、ずっと前からわかっていたことなのです!!





    韓国政府は、「在日韓国人」を「日本への密入国者」と認定しています。




    最近は、「民団」でさえ公式の場での「強制連行のうそ」は言えなくなりました。



    2013年10月の韓国「朝鮮日報」による、「在日韓国人祖国帰還への提言」に対して、「J-cast」ニュースが日本での反応を続報しています。「親韓派」の朝日や毎日がこの話題を取り上げないのは不思議ですが、「朝鮮日報」の記事には「一部捏造」があります。 それは、

    「在日韓国人・朝鮮人の3世・4世の多くは、本人が日本で暮らしたいと思ってそこに住んでいるわけではない。彼らは、植民地時代の強制連行・徴兵政策により日本に来た人たちの子孫」と書いていますが、これは韓国側の政府見解とも異なる、まったくの「捏造」であり、「使い古されたうそ」なんです。 

    実は、日本にある「民団」でさえ、この「うそ」を公式の場では発言しなくなりました。(民団の民族学級では子供向けにはやっていますが)  実際の「在日韓国人1世」は、戦争難民でありまた、経済難民なんですね。



      
         朴正煕韓国大統領


     ここに、1965年の「日韓条約」の中で、当時の朴正煕韓国大統領が「在日韓国人」に向けて発表した「談話」があります。できれば、「一字一句」をしっかり読み取り、在日韓国人の「捏造された過去」を改める資料としていただければ幸いです。

    [文書名] 日韓条約批准書交換に関する朴正煕韓国大統領談話
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19651218.S1J.html
    [年月日] 1965年12月18日
    [出 典] 日本外交主要文書・年表(2),629-630頁 及「大韓民国外交年表 附主要文献」,
    1965年629-630頁
    [備 考] 翻訳 玄大松 [全 文] 大統領談話文(韓日協定批准書交換に際して)


    親愛なる在日僑胞(キョッポ)の皆さん!

     私は,日本の空の下で韓国同胞たちが再び分裂して相剋することなく,暖い同胞愛の紐帯の中で互いに和睦して親近となり,また幸福な生活を営なむことを希望してやみません。

     これとともに私は,これまで"分別なく故国をすてて日本に密入国"しようとして抑留され祖国のあるべき国民になれなかった同胞に対しても,この機会に新しい韓国民として前非を問わないことをあわせて明らかにしておこうと思います。

     再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望しながら,今日からわれわれは新しい気持と新しい心構えで,栄えあるわが祖国を建設する働き手とならんことを,訴えてやみません。

                              1965年12月18日   大統領 朴正煕



     分別なく故国をすてて日本に密入国
     韓国民として前非を問わない
     再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望

     これが、韓国政府の「公式見解」です。 在日韓国人は韓国に帰って、「祖国を建設する働き手」になれ!は韓国の大統領が公式に発表した談話です。

    当時の、在日韓国人の状況が見えてきませんか? 「在日韓国人の出自」を、韓国の大統領自らが「日本に密入国」とはっきり述べています。しかも、韓国では、在日韓国人が犯した「前非を問わない」そうです。

    さらに、「祖国を建設する働き手とならんこと」を訴えておいでですね。その訴えに対して「在日韓国人」は応えてきましたか? 「ネット掲示板」で「チョッ・パリ」だとか「倭・猿」とかの「日本侮辱」を書き込むことが、韓国への愛国的な行動ですか? 

    私は、在日韓国人はすぐに韓国に戻って、「祖国を建設する働き手」になることこそ、「韓国人としてあるべき姿」だと思います。「人としてあるべき姿」だと思います。

  • 覚えてますか??



           「千の風に乗って」




    “私はお墓にはいません・・”という歌詞の歌が、流行りましたよね!!






    靖国神社に位牌があるって・・・??




    位牌はありません!!






    実は、A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯として処刑死した英霊の1068柱の位牌があるのは、
    靖国神社では無く、カトリック教会の総本山「サンピエトロ大聖堂」です。あのルネッサンスの大天才、ミケランジェロの荘厳な壁画に包まれた大聖堂です。

    これは、1975年に真言宗醍醐派品川寺の僧侶だった仲田順和(のちの醍醐寺第103世座主)が
    教皇パウロ6世に対し、東京裁判で戦犯になった者へのミサを行う事を依頼した事から始まります。

    教皇パウロ6世はミサ行う事を快諾します。しかし、1978年約束したミサを行う事なく他界し、
    1980年5月21日パウロ6世の遺志を引き継いだ教皇ヨハネ・パウロ2世が、
    A級戦犯B級戦犯C級戦犯として処刑された英霊へのミサをサンピエトロ大聖堂で行い
    A級戦犯B級戦犯C級戦犯として処刑された英霊1068柱の位牌が奉納される事になったのです。

    韓国や中国が、「戦犯の位牌の前に頭を下げるのは日本が戦争責任を否定する事と同じ」という理由から、靖国神社を問題視しているのでしたら、位牌があるのは靖国神社では無くサンピエトロ大聖堂ですので、サンピエトロ大聖堂を問題視すべきです。バチカン教皇庁に抗議すればよいわけです。ただし、世界のカトリック教徒10億人を、敵に回すことになりますが。

    さらに、靖国神社が存続できたのもバチカン市国の尽力おかげです
    実は1945年、日本を占領したGHQは靖国神社を、「国家神道の中枢で大東亜戦争を引き起こす事にもなった国家主義の源泉」と考え、靖国神社を焼き払い跡地にドックレース場を建設する計画を立てていました

    それに対し、バチカン市国ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父と大東亜戦争中に日本に唯一留まったアメリカ人でメリノール宣教会のパトリック・バーン神父は、「いかなる国家もその国家の為に死んだ戦士に対して敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国か敗戦国かに問わず平等の真理でなければならない。
    靖国神社を焼却する事はGHQの占領政策と相容れない犯罪行為だ!!
    靖国神社が国家神道の中枢で誤った国家主義の根源であるというなら、
    排すべきは国家神道という制度であって靖国神社ではない。
    我々は信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・基督教・ユダヤ教・イスラム教など
    いかなる宗教を信仰する者だろうと、国家の為に死んだ者は総て靖国神社にその霊を祀られる様にする事を進言する!!」

    この進言は副官のH・B・ウィラー大佐を通じダグラス・マッカーサー将軍に送達され、この答申を尊重し靖国神社焼却中止の命令を発しました。
    こうしてGHQは靖国神社を存続させる事にしました

    ところで、毎年多くの日本人観光客をはじめ、中国・韓国の観光客も含め、世界中の観光客が、バチカンのサンピエトロ大聖堂を訪れます。
    好むと好まざるとにかかわらず、中国人韓国人も含め、とにかくあまたの世界中の人々が、ここサンピエトロ大聖堂で、A級戦犯をはじめ刑死した1068人の位牌を礼拝しているのであります。知ってか知らずか。

    ローマ法王は、今でも定期的にこの1068人の位牌に対し、世界10億人のカトリック教徒を代表して、ミサ・礼拝をおこなっております。

    <注>
    ① 靖国神社では、位牌という言葉は使いません。あくまで“柱”です。位牌という言い方をするのは、仏教とキリスト教です。イスラム教には、位牌という言葉はありません。
    ② バチカンのサンピエトロ大聖堂には、なぜかナチス関係者の位牌は一切ありません。
    ③ A級戦犯を祀る事が「悪」だと云うなら、「サンピエトロ大聖堂」にも同じ事を云うべきでしょうし、仮に日本の閣僚が「サンピエトロ大聖堂」に赴いた場合には、日本のマスコミや中国や韓国のマスコミは、「戦前回帰だ!!けしからん!!」などと騒ぎ立てるのでしょうか?

  • 「独立に永遠の離別を告ぐる」




    墓泥棒ではありません!!




            史実の発掘です!!



    日韓併合の時代に国際社会は




    朝鮮半島をどのように見ていたのだろうか??





    “伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家で

    ある。 彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。

     伊藤博文公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の

    心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった。

    (李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはず

    であった。

     「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、

    両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っている

    と思う」と伊藤博文公はそう言明したのである。”


       カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー

             1906年 ロンドン・ディリーメール紙



    “韓国は多年、その自主独立の政治ができなくて、過去数世紀の間、

    支・那の宗主権を承認していた。

     日本がこれを、その境遇から救った後は、日露の係争の地であっ

    た。次いで、日本は又々、これをロシアの圧迫から脱けさせるや、

    財政に行政に日本の忠言指導を受けることになり、外交の事は、

    挙げてこれを日本に委せた。

     それ以来韓国は少なくとも、露、仏、英諸国が、その付属国民に

    対すると同様の恩恵に浴するにいたった。

     けれども近来、朝鮮は徒らに名を無実の独立国に借りて、陰謀、

    奸計を弄し、隣国の激怒を招き、威圧、否戦火を蒙った。

     これが実に日清・日露の二大戦役を実現したゆえんである。

    ここでこそ韓国の地位に、根本的な改革を加え、それによって禍根を

    除去するより以外ない。

    ゆえに我々は、日本保護下における韓国に対し、そのいわゆる韓国

    の独立に永遠の離別を告ぐるものである。”


           1910年 アメリカ・ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙

  • 国内で暴れても意味ないよお――!!




             どうせ暴れるなら、海外で騒ぎたてなくちゃあーー!!




                  騒ぎは、外でやるほど誰も手に負えなくなるのさ!!



                      それに、箔(はく)もつくことだし!!




    3月、ニュージャージー州パリセイズパーク市の慰安婦の碑を訪れたWamの渡辺美奈は、アメリカ政府や(韓国系?)市民団体と協力して日本に圧力を加える意思を表明。そして5月には、国連拷問禁止委員会にも顔を出していた。

    人民網日本語版も、渡辺(Wam)らが、国連拷問禁止委員会の専門家の前で橋下市長を批判していたことを報じていた。国際社会が日本の慰安所システムだけを「性奴隷制度と認識」するに至ったのは、彼女たちのような運動家がそう仕向けたからである。

    日本の市民団体 東京で慰安婦問題の集会開催

    「日本政府は旧日本軍の従軍慰安婦制度が国際的に『性奴隷制度』と認識されていることを知らない」

    「女たちの戦争と平和資料館」(WAM、東京都新宿区)の渡辺美奈事務局長は1日、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」などが参議院会館で主催した集会でこう訴えた。

    渡辺は5月、慰安婦問題の解決のために日本政府に行動を取るよう勧告した国連拷問禁止委員会に出席した。集会で渡辺は慰安婦被害者が移動の自由を制限された状況下で、命令に従わざるを得なかったことや慰安所が軍の管理下で運営されていたことなどが同委員会委員の見解であることを紹介した。委員は被害者の証言や軍の資料でこれらが明白になっていることを根拠に挙げている。

    渡辺は元慰安婦に対して救済措置が取られないことを「現在進行形の人権侵害」と主張した上で、人権侵害の事実や被害者らに救済される権利があること、被害者を受け入れる救済策が必要なことを日本政府は分かっていないと強調した。

    また橋下徹大阪市長が「慰安婦制度が必要だったことは誰だって分かる」などと発言した背景には、第1次安倍内閣が2007年に「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定したことがあると指摘した。

    その上で渡辺は同閣議決定を撤回し、元慰安婦が生きているうちに謝罪と補償をして適切な教育と救済措置を取るべきだと促した。

    この日の集会は、日本政府が従軍慰安婦問題に関する国連拷問禁止委員会の勧告に従う義務はないとの内容の答弁書を決定したことに問題提起する意味合いで開かれた。同委員会は慰安婦問題に関して「日本の政治家らが事実を否定し、被害者を傷つけている」という勧告をまとめている。
    聨合ニュース 2013.7.1

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