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投稿コメント一覧 (47コメント)

  • 過去の歴史を受け入れなくてはならない





             人間として立ち直るためには





        いつまでも自らのアイデンティティを・・・





            愚かであり滑稽であり、同時に惨めでしかない





    異常な反日教育によって異常な人格をもった韓国人をつくり出し、結果日本
    や世界に対して常に恩を仇で返す行為や、大嘘の主張を喚き散らす韓国人に
    日本人はそろそろ我慢の限界が近づいています。

    韓国人の主張がいかに捏造されたものであるかを証明するためには、「韓国と台湾の違い」「台湾が韓国を嫌う理由」を調べればすぐわかります。
    台湾支配は50年間、朝鮮支配は36年間です。両国に対して日本は近代化社会
    を作るために司法制度、全国土地調査,治山、治水事業、鉄道、道路建設、米
    増産計画など全く同じ事をしています。

    しかし台湾では日本時代に感謝し、今日の台湾の近代化は日本のお陰である
    という言葉が、口癖のように繰り返されています。それなのに同じ事をした
    のに、韓国では日韓併合時代とはあらゆる朝鮮人が日本人の奴隷として生き、
    搾取され、死んでいった」との大嘘をまるで狂ったように喚いています。

    しかし海外等でよく勉強している韓国人の中には「韓国政府のウソ」を見抜く
    人達がいます。たとえば呉善花,金完燮、崔基鎬,金文学、金満哲、などは
    朝鮮半島は日本によって独立し、日本によって産業の近代化,近代教育、
    近代医療を享受でき、日本がなければ今の韓国はなかったといっています。

    また黄文雄は「韓国は日本がつくった」(2002年徳間書店)とも言っています。
    シャルル・ダレ「朝鮮事情」には日本が来る前は「、驚くべき飢餓が朝鮮半島を
    襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国
    人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいたと書かれています。

    韓国人は「日韓併合時代」に日本は朝鮮で虐殺のかぎりを尽くし、何十万人も
    の朝鮮人を殺した」と主張しています。しかし日本支配が始まった1910年に
    は約800万人~1千3百万人の人口が1945年には2千5百万人までほぼ倍増
    しています。

    平均寿命も24歳から45歳まで伸びています。未開の朝鮮を日本
    のインフラ建設と農業改革によって米の増産が10数倍に膨れ上がり、日本へ
    のコメ輸出で財を成した大金持ちが続々と現れました。(金完燮氏)(現サムスン会長のおじいさんもその一人、コメ成金です。)

    それまで草の根、干し草、どんぐり、松の表皮などで食いつないでいた国民が
    白米を食べれるようになったのです。寿命が伸び人口が倍増するのは至極当然
    のことです。以上の文書だけで「日本は朝鮮人の命を奪った」の大嘘が十分に
    証明されます。

    朴殷植は「朝鮮独立運動之血史」で、李氏朝鮮時代まで続いていた地獄のような
    監獄をそのまま日韓併合時代の監獄として描くことで、日本への憎悪を煽ったのです。

    しかし実際は日本の統治によって朝鮮の残虐な刑罰は廃止されました。日本は
    近代的な司法制度を朝鮮に導入して人命と人権が尊重される安定した社会を
    作りあげたのです。このどこが7奪の中にある「命を奪った」と言えるのですか?

    韓国人が人間として立ち直るためには、過去の歴史を受け入れなくてはならない、
    歴史が今を映し出す鏡だと韓国人も考えるようになれば、本当に成熟した国に
    なりますが、いつまでも自らのアイデンティティを反日や捏造歴史に頼る姿は、
    愚かであり滑稽であり、同時に惨めでしかありません。

  • 【歴史の闇】に葬り隠し続けることは許されないと思う





    この、あまりにも悲惨な強制連行と虐殺を!!





    ■シベリア抑留、北朝鮮に2万7千人移送…
     露が資料提供
     【モスクワ=五十嵐弘一】
    モスクワの日本大使館は31日、ロシア軍事古文書館
    (モスクワ)から同大使館 にこのほど、
    第二次大戦後にシベリアで抑留された日本軍将兵らのうち、
    当時のソ連から北朝鮮に移送された人に関する資料が
    提供された、と発表した。

     シベリア抑留者が北朝鮮に移送されたことが公式に
    確認されたのは初めて。
     資料の正確な内容は現時点では不明だが、
    同軍事古文書館の説明によると、ロシア語で書かれた
    約2万7000人の名簿が含まれていた。

    移送は、船や鉄道などで、終戦翌年の1946年(昭和21年)
    春ごろから始まった可能性があるという。

     厚生労働省によると、
    シベリア抑留者は約57万5000人で、
    うち47万3000人が日本に帰還、抑留中に死亡した人が
    5万5000人、旧満州・北朝鮮に移送された人が
    4万7000人とみられている。

    旧満州・北朝鮮への移送者のうち相当数が
    行方不明となっている。
    産経新聞平成一七年四月一日

    ■北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち

    今年、ロシア国立軍事アーカイブから、日本政府に、
    シベリアから北朝鮮に移送された抑留者27,755人の名簿が
    渡された。ロシアが抑留者の名簿を公開するのは、
    1991年ゴルバチョフ訪日の際に渡された38,00 0人の
    名簿以来14年ぶりのことだ。

    この名簿によって、シベリア抑留者の一部が北朝鮮に
    移送させられていた事実が初めて明らかになった。
    さらに軍事アーカイブからはスターリンの北朝鮮への
    移送命令書が発見された。

    北朝鮮に送られた抑留者には過酷な運命が待ち受けていた。
    今まで一度もその体験を話すことはなかった
    北朝鮮からの帰還者たちも名簿公開を機に、
    初めて厳しい体験を語り始めた。

    中川清さんによれば、
    ピョンヤン郊外のサムハプニ収容所では、
    強制労働に従事する中で、6,000人のうち1,000人が死亡、
    コレラで一度に300人が亡くなったこともあったという。

    また、橋詰正雄さんがいたチョンジン収容所では、
    日本人は屋外に寝かされ毎日10人以上が死んでいった
    という。

    厚労省によれば、シベリア抑留者57万5千人にうち
    帰国した人は47万3千人、現地での死亡5万5千人で、
    残る4万7千人が消息不明だった。

    今回明らかになった北朝鮮へ移送された2万7千人は
    その消息不明者たちと推測されている。
    さらに、北朝鮮からの日本への帰還者は47年末までに
    大体終了したとされているが、その時1263人の抑留者が
    現地に残ったとされている。
    その消息はいまだ不明である。

    番組では、今回初めてロシアのアーカイブから公開される
    北朝鮮移送関連文書や、抑留者たちが語る北朝鮮での
    抑留の詳細から戦後60年間、謎とされていた抑留者の
    北朝鮮移送の真相に迫る。
    引用終わり
    NHK教育 ETV特集 平成一七年一〇月二二日
    http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/1022.html


    戦争はすでに終わっていて、
    しかも北朝鮮領土は第二次大戦中は戦場ではない。
    物資も食料も豊富に蓄えられていた
    (一部ソ連に略奪されたが)。
    本来なら応急処置を施し、
    日本へ帰還させられるべき人たちである。
    今に至るもそこから戻ってこられたのはわずかである。
    シベリアのほうがまだマシだったと思えるほどに。

    抑留者によって描かれた強制収容所のようす【吉田勇 画】 ↓

  • 訂正すべきじゃないですか!!!



          

    「東京都民の90%以上が韓国が嫌い」と




     
        “こうあるべき“、”こうあってほしい”の自身の願望を





               いくら現実とすり替えたところで・・・





     舛添・東京都知事の韓国訪問での「韓国への卑屈なまでの迎合」が波紋を呼んでいます。そもそも、日韓関係に大きな亀裂を持ち込んだのは自民党の安倍政権ではありません。

    民主党時代の野田政権時代に、「当時の韓国大統領の李明博の竹島上陸と天皇陛下への土下座要求発言」があり、その後も、現在の韓国大統領のパク・クネによる「告げ口外交」がおこなわれたのが日本国民を怒らせ、「嫌韓ブーム」を日本側に巻き起こした原因であることは間違いないでしょう。

    こういう「韓国側の非」を一切不問に付しての友好とはいったい何なんでしょう。相手の非を注意しない関係は、決して対等な関係ではありません。舛添はそういうことは「どうでもよい」と考えているのでしょうか?


     さて、舛添が韓国のソウル大学でおこなった講演の中での「90%以上の都民は韓国が好き」といった、事実に基づかない発言に批判が集中しています。この発言に対して、ネット掲示板「2ちゃんねる」がおこなった緊急アンケートでの結果は、「韓国が好き 67票(6・7%) 、韓国が嫌い 646票(64・6%)  どちらとも言えない 287票(28・7%) 」という結果になっています。

    また、読売新聞が5月23~25日におこなったアンケートでも、「韓国を信頼できない 73%」という結果になっています。ちなみに、韓国側の「日本は信用できないは83%」で、この手の調査の結果が常に80~90%になるのが韓国の平均的な対日世論です。

    このことからも、舛添の「90%以上の都民は韓国が好き」という発言は、「日本の実態から大きくかけ離れ、韓国に誤った対日印象を植え付ける危険な発言」であったと言えます。

     こういう舛添の「韓国への迎合」と「国家外交への越権行為」に対しての抗議の運動が早くも計画されています。舛添は元の奥様に暴力を振るような小心者ですから、こういう実力行使にはびびると思います。

    日本人を敵に回すとどうなるかを舛添は学ぶべきです。舛添が「韓国側につく」ならそれ相応の覚悟が必要なことを彼は学ぶべきです。日本の自治体の首長をやるのなら「日本国民に奉仕する」のが公務員の職務です。これは考えなくてもわかることです。

    カレンダーの8月10日にチェック! 「舛添都知事リコールデモ」 予定

    菊川あけみ半bot?@susanougozu 7月25日

    許せないのでやります!【(仮)舛添都知事リコールデモ 】

    2014年8月10日(日) 16時00分~17時30分の予定

  • 「慰安婦は自発的な売春婦」という韓国での署名活動のリーダーの身を案じます。しかし、同時に、こうした真実の活動が行われるようになったことに心から敬意を表したいと思います。大変な恐怖のなかで、最大のタブーに挑戦しているわけですから、当然、韓国政府当局も政府機関を使ってこの運動のリーダーの抹殺をはかる可能性があります。

    しかも、「国家の不祥事は外に言うべきではない」という世論が形成されますから、こうした「慰安婦は自発的な売春婦」と言おうものなら、まさに袋叩きにあってしまいます。

    2013年には、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こりました。http://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html?p=all

    同様に、李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学経済学教授は、「従軍慰安婦連行が強制的でないのは歴史的事実 お金のため」と発言しましたが、従軍慰安婦を自称する元売春婦の前で「土下座謝罪」させられたほどです。
    《動画》http://www.youtube.com/watch?v=KjQNeO_rxxM


    http://news.nicovideo.jp/watch/nw922352?news_ref=w_crank

    この告発をされる方々は、大変だとは思いますが、無事に頑張ってほしいと願わずにはいられません。

    なお、この問題をどうみるかということを、韓国人の心理面に通暁しておられる識者に伺いました。

    ・自分たちの劣等感を隠し、虚勢を張ったり実力以上のことをして見せたりする自国の国民性を、憎むと言うよりも心を痛めている方のようです。

    ・例えば、韓国は世界有数の整形手術件数の多さで知られている国なのですが、女性たちが(最近では男性も)自分の顔の造作を作り変えて美しく見せようとしている気持ちは、「本当は人前に出したくない自分の本当の顔」があるからです。本当はそのような辛く悲しい気持ちがあることを隠し、人よりも美しく見せることで悲しさを忘れようとしているのです。

    ・このような韓国の国民の根底にある「真実の苦しみ」にこの方は気づいているようです。

    ・また、多くの韓国人たちも知ってはいるのですが、認めることは死ぬことよりも辛いようです。

  •  韓国で「慰安婦は自発的な売春婦」という署名活動が始まる!!





    まずは、このニュースをご覧ください。重要なので記事全文を掲載します。

    韓国で「慰安婦は自発的な売春婦」署名運動・・・「虚偽だ」波紋広げる サーチナ 4月15日

    韓国の複数のメディアによると、旧日本軍の従軍慰安婦問題について、慰安婦は「自発的に売春した女性」だと主張する署名運動が同国内のインターネット上で行われていることが11日に判明し、波紋を広げている。署名運動を展開しているインターネットユーザーは、集まった署名を日本の外務省に提出する方針という。

    「これ以上、世界に向けてうそをつくのは止めましょう」と題した署名運動は、あるネットユーザーが開設した専門サイトで8日から行われている。太平洋戦争当時に米軍が作成した慰安婦報告書には、慰安婦が志願制の募集だったことや、月平均の給与が700-1500円だったことが記されていると説明した。

    また当時の京城日報や毎日新報の記事を紹介。その内容から「日本軍が慰安婦を正式に募集する広告もあった」とし、「韓国は伝統的な売春国家」などと主張した。

    12日午後5時の時点で署名数は665人。署名したユーザーらは「歴史的な事実は変えることはできない」、「慰安婦の真実を明らかにしてください」などと活動を支持するコメントを寄せていた。

    韓国メディアによると、同サイトは韓国で波紋を広げており、多くのユーザーが、「虚偽の事実を広めて(元慰安婦の)おばあさんの名誉を傷つけている。身元を特定して処罰する必要がある」などと怒りをあらわにしているという。

    「慰安婦は自発的な売春婦」という署名活動のリーダーの身を案じます。しかし、同時に、こうした真実の活動が行われるようになったことに心から感謝をしたいと思います。大変な恐怖のなかで、最大のタブーに挑戦しているわけですから、当然、韓国政府当局も政府機関を使ってこの運動のリーダーの抹殺をはかる可能性があります。

  •  韓国で「慰安婦は自発的な売春婦」という署名活動が始まる!!





    まずは、このニュースをご覧ください。重要なので記事全文を掲載します。

    韓国で「慰安婦は自発的な売春婦」署名運動・・・「虚偽だ」波紋広げる サーチナ 4月15日

    韓国の複数のメディアによると、旧日本軍の従軍慰安婦問題について、慰安婦は「自発的に売春した女性」だと主張する署名運動が同国内のインターネット上で行われていることが11日に判明し、波紋を広げている。署名運動を展開しているインターネットユーザーは、集まった署名を日本の外務省に提出する方針という。

    「これ以上、世界に向けてうそをつくのは止めましょう」と題した署名運動は、あるネットユーザーが開設した専門サイトで8日から行われている。太平洋戦争当時に米軍が作成した慰安婦報告書には、慰安婦が志願制の募集だったことや、月平均の給与が700-1500円だったことが記されていると説明した。

    また当時の京城日報や毎日新報の記事を紹介。その内容から「日本軍が慰安婦を正式に募集する広告もあった」とし、「韓国は伝統的な売春国家」などと主張した。

    12日午後5時の時点で署名数は665人。署名したユーザーらは「歴史的な事実は変えることはできない」、「慰安婦の真実を明らかにしてください」などと活動を支持するコメントを寄せていた。

    韓国メディアによると、同サイトは韓国で波紋を広げており、多くのユーザーが、「虚偽の事実を広めて(元慰安婦の)おばあさんの名誉を傷つけている。身元を特定して処罰する必要がある」などと怒りをあらわにしているという。

    「慰安婦は自発的な売春婦」という署名活動のリーダーの身を案じます。しかし、同時に、こうした真実の活動が行われるようになったことに心から感謝をしたいと思います。大変な恐怖のなかで、最大のタブーに挑戦しているわけですから、当然、韓国政府当局も政府機関を使ってこの運動のリーダーの抹殺をはかる可能性があります。

  • 「慰安婦は自発的な売春婦」という韓国での署名活動のリーダーの身を案じます。しかし、同時に、こうした真実の活動が行われるようになったことに心から敬意を表したいと思います。大変な恐怖のなかで、最大のタブーに挑戦しているわけですから、当然、韓国政府当局も政府機関を使ってこの運動のリーダーの抹殺をはかる可能性があります。

    しかも、「国家の不祥事は外に言うべきではない」という世論が形成されますから、こうした「慰安婦は自発的な売春婦」と言おうものなら、まさに袋叩きにあってしまいます。

    2013年には、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こりました。http://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html?p=all

    同様に、李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学経済学教授は、「従軍慰安婦連行が強制的でないのは歴史的事実 お金のため」と発言しましたが、従軍慰安婦を自称する元売春婦の前で「土下座謝罪」させられたほどです。
    《動画》http://www.youtube.com/watch?v=KjQNeO_rxxM

    http://news.nicovideo.jp/watch/nw922352?news_ref=w_crank

    この告発をされる方々は、大変だとは思いますが、無事に頑張ってほしいと願わずにはいられません。

    なお、この問題をどうみるかということを、韓国人の心理面に通暁しておられる識者に伺いました。

    ・自分たちの劣等感を隠し、虚勢を張ったり実力以上のことをして見せたりする自国の国民性を、憎むと言うよりも心を痛めている方のようです。

    ・例えば、韓国は世界有数の整形手術件数の多さで知られている国なのですが、女性たちが(最近では男性も)自分の顔の造作を作り変えて美しく見せようとしている気持ちは、「本当は人前に出したくない自分の本当の顔」があるからです。本当はそのような辛く悲しい気持ちがあることを隠し、人よりも美しく見せることで悲しさを忘れようとしているのです。

    ・このような韓国の国民の根底にある「真実の苦しみ」にこの方は気づいているようです。

    ・また、多くの韓国人たちも知ってはいるのですが、認めることは死ぬことよりも辛いようです。

  • この前で集会が繰り返された





             政治的利用の疑いがある





    高崎の公園「朝鮮人追悼碑」 県、設置許可取り消しも「政治的利用の疑い」 反省強いる碑文に抗議も

    2014.4.18 10:37

    遊歩道に面した朝鮮人追悼碑。この前で集会が繰り返された=17日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」

     群馬県内の平和団体などが県の施設設置許可を受けて県立公園「群馬の森」(高崎市)に建立した朝鮮人追悼碑について、定期的に集会で日本政府を批判するなど「政治的利用の疑いがある」として、県が許可取り消しも含め、対応を検討していることが17日、複数の関係者への取材で明らかになった。

     問題の碑は平成16年、「追悼碑を建てる会」(現「追悼碑を守る会」)が建てた。会の「共同代表」には民主党の角田義一元参院副議長らが名を連ねている。

     碑は戦時中、朝鮮半島から県内の工場や工事現場に徴用され、事故や過労で死亡した朝鮮人を追悼する名目で、正面に「記憶 反省 そして友好」と書かれた銘板を掲げている。

     一方、背面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明」など、過去の「反省」に重きを置いた文章が日本語とハングルで併記されている。

     16年2月、建てる会は当時の小寺弘之知事に「県立公園施設設置許可書」を申請。県は翌3月、「政治的行事および管理を行わない」などを条件に許可した。

    だが、関係者によると、同会は16~24年の毎年、碑の前で追悼集会を開催。「強制連行への謝罪が必要」など日本の過去と政府の歴史認識を批判してきた。県によると、24年5月以降、県に「碑文の内容がおかしい」など計108件の抗議があったという。

     県の設置許可は10年ごとの更新制。守る会は今年1月31日の期限を前に、昨年末、更新を県に申請。県は同会に集会内容を照会したが、「明確な回答がない」(都市計画課)として対応を保留している。

     これを受け、県内の複数の団体が3月20日、「明らかに許可条件違反だ」などとして「追悼碑の設置許可取り消しを求める請願」を県議会に提出した。

     県会与党の自民党も「追悼碑の趣旨から外れて反日活動の道具になっている」(幹部)と疑義を強める。6月16日の次の県議会最終日に請願を採択し、使用許可を更新しないよう県に求める構えだ。県が許可を取り消せば、守る会は碑を撤去し、敷地を原状回復する決まりだ。

     守る会関係者は産経新聞の取材に「県は(集会内容を更新の)判断基準にすべきではない」と話した。

    下は、朝鮮人が建てた問題の追悼碑 ↓

  • 本物の英雄であったなら・・・




             事実をありのままに伝えるだけでいい!!

        


                           それで十分!!




    独立運動家・臨時政府・独立軍の本当の姿
    仮に、独立の指導者たちが本物の英雄であったなら、こんなでっち上げはする必要がなかった。そこがアジアの他の国との違いだ。インドでは、ガンジーやボースの軌跡をわざわざでっち上げる必要はない。事実をありのままに伝えるだけでいい。それで十分、彼らは英雄であり後世の手本となる。

    アジアの各国にはミャンマーのアウンサン、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホー・チ・ミンなど、キラ星のごとく独立の英雄がいる。ところが韓国には、このような偉大な独立の指導者が一人もいなかった。日本軍を打ち破った勇猛果敢な軍事指導者も、思想的人間的に偉大な文人指導者も、ついに現れなかった。

    大韓民国臨時政府なるものを象徴するのが、中枢にいた三人の主要人物だ。一人は狂信的独裁者李承晩。王朝に繋がる家系が自慢で、それゆえに民族主義者であり、庶民を人間とは思っていなかった(だから大虐殺できた)傲岸な人物だ。

    もう一人は、強盗殺人犯で脱獄囚の金九(キム・グ)。生涯、政争を繰り返した人物だ。こんな男が“警察本部長”に就いていたのだから、いかに怪しげな団体かが分かる。

    最後の一人は朴殷植(パク・ウンシク)で、嘘つき・でっち上げの天才。『韓国独立運動之血史』という怪プロパガンダ文書を書いて、今日に至る韓国のトンデモ近代史の原型を作った人物だ。

    彼らの設立した臨時政府なるものは、いかなる国家からも承認されず、設立から26年間、一度も日本軍と戦わなかった口先だけのヘタレ集団だ。独立軍の中で同組織所属をとくに「光復軍」と呼んでいるが、日本軍と交戦したことはない。

    「人類史上最悪の植民地支配」などと糾弾するほど日帝の支配が過酷なら一度くらいは銃をとって戦っても良さそうなものだが、結局、設立から終戦までの間やっていたことといえば、内輪でのポスト争いと中国政府へのタカリ、市民社会に対する強盗略奪、政敵の同じ韓国人の暗殺くらいのもの。

    一方、独立軍とか抗日パルチザンと称する集団の正体は、要するに満州の匪賊やソ連・中国共産党軍に所属していた韓国人のことである。「愛国心はならず者のなんとやら」とはよく言ったもので、強盗略奪が生業だった匪賊であっても「独立闘争」といえば名分が立ったのだろう。

    満州国軍官学校卒で朝鮮戦争の英雄である白善燁氏は当時を直に知る人物だ。元帥は「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」と呆れている。

    もっと呆れるのは、韓国ではこの“独立軍”が日本軍に対して「青山里戦闘」なるもので大勝利したと信じられていることだ。実際には匪賊討伐の際に日本軍人に若干名の死者が出た事件だが、「日本軍に3千名以上の戦死者を出した」という嘘が定着している。

    驚くのは、この臨時政府の戦勝プロパガンダを韓国政府が未だに継承しており、毎年「戦勝記念行事」まで開催していることだ。虚しくないのかという疑問はさておき、この現実からも今の韓国政府が臨時政府の正統な後継者に他ならないことがよく分かる。

    このように、独立運動家と称する連中が「ニセモノの英雄」であり、本人たちも十分それを承知していたから、歴史をでっち上げる必要に迫られたわけである。


    <注>韓国は今でも日韓併合時代を、「人類史上最悪の植民地支配」と呼んでいる。これは、1944年の連合国側のカイロ宣言で、プロパガンダ的に日本を非難するためと、日本とともに英雄的に戦っている朝鮮人の戦意をくじくために意図的に使われた言葉である。韓国は今でもこれを後生大事に担ぎまわっている。この時同時に、アメリカのルーズヴェルト大統領は、朝鮮を40~50年間連合国=国連の信託統治とする方針を中国の蒋介石をはじめ、各国首脳に伝えている。なぜならば、誰が見ても朝鮮人自身のガバナンス=統治能力はゼロであることは、明白であったからである。

  • 開城駅で出征兵を見送った軍歌




            ある朝鮮人女性、金寿姙さんの追憶・・・




     宮様が開けし扉は又閉まり近くて遠い大和なりぬ

     日韓友好を願っておられた高円宮殿下を思って詠みました。短歌を正式に学んだわけではありませんが、形式ぐらいは学校で教わりましたからよく作りますよ。聴覚障害者の息子を抱え普通の人生ではなかったので、心を吐露する場が必要だったのかもしれません。

     〈女学校では「国語」の授業で日本語を習い、国語以外に「朝鮮語」の教科があった〉

     「朝鮮語」の授業も確か1940年代に入ると一切行われなくなりました。朝礼では必ず「皇国臣民ノ誓詞」を斉唱していました。小学校から日本の教育を受けてきたので、自分は「皇国臣民」だと思って疑わなかったです。

     父は日鮮共学の開城商業学校を出て、朝鮮総督府が作った金融組合に勤めていました。職場の同僚はみな日本人で、父は「日本人はみな親切で礼儀正しく正直だ」とよく話していました。家では「義理に背くな」「他人(ひと)さまの迷惑になるな」と日本式のしつけを受けました。

    父から日本人の良いところばかりを聞かされて育ったのですから、日本を悪く思えません。朝鮮人として差別や虐待を受けたこともないですし、何か損害を受けたこともないです。日本に対する恨みもありません。統治されたのは、自分たちの力が足りずそうなったのですから。

     〈朝鮮総督府が朝鮮人に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可した「創氏改名」には従わなかった〉

     父は知日家でしたが、朝鮮人としての誇りもあったのでしょう。「姓まで変えることはない」と創氏改名はしませんでした。それで被害に遭ったこともないですし、創氏改名をするよう強要されたこともありません。ただ便宜上、日本人名が必要なときは「金村」と名乗っておくように言われました。

     〈卒業アルバムに掲載された出征兵を見送る女学生たちの写真を見ながら、軍歌「戦友」を口ずさむ〉

     14番まですべて歌えますよ。軍歌は女学校で教わりました。当時、日中戦争の真っ最中で、日本の兵隊さんが大陸に出征するときは玄界灘を渡って、京城(現・ソウル)から満州との国境、新義州までをつないだ鉄道路線「京義線」を使っていたんです。

    女学校の生徒たちが1クラスごと交代で開城駅まで出向いて、出征兵を乗せた列車を見送りました。日の丸を振りながら、軍歌を歌ってね。

     女学校を卒業後、同郷の人と結婚しました。41年に夫が満州の「興農合作社」で働くことになり、撫順に移り住みました。翌年、生まれた長男(72)が生後6カ月ぐらいのときに髄膜炎を患い、ろうあ者になってしまいました。

    女学校時代の金寿姙さん ↓

  • 民主党&共産党関係者の「気になる発言」がたくさんあります。






    ●鳩山代表
    「A級戦犯が合祀されている状況では 靖国神社に参拝すべきではない。」
    「国立代替施設について前向きな結論を出したい。」
    「日本列島は日本人だけの所有物ではない。」
    「定住外国人に地方参政権を与えることを真剣に考えている。」
    「首相に就任しても靖国へは参拝しない。」
    「価値観の異なる社会とも共生していく。北朝鮮が困っている時に、拉致事件などの問題が解決しないと援助できないというのでは、彼らの気持ちを和らげる事はできない。」


    ●小沢代表代行
    「靖国の霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればよい。」


    ●教育について鳩山代表
    「日教組の皆様と共にこの国を担う覚悟である。」


    ●共産党の志賀義夫氏
    「何も武装闘争をする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり、指導者となる。」


    ●日政連(日教組の政治団体)会長 輿石参議院会長
    「日教組は政権交代にも手を貸す。教育の政治的中立といわれても、そんなものはありえない。政治から教育をかえていく。私も日教組と共に戦う。政治を抜きに教育はない。」

  • 大日本帝国全土を震撼させた!!!





           オウム真理教の原点はここにあった!!!





    白白教(はくはくきょう)とは、日本統治時代の朝鮮に存在したカルト教団である。信者を600人余り殺害し、朝鮮のみならず内地を含む大日本帝国全土を震撼させた。


    1902年(光武6年)、東学の信徒だった全庭云が金剛山で修行を行い、悟りを開いたと称し「白道教」の名で布教活動したのが起源である。

    全庭云は「一定の呪文を口誦し礼拝すれば、無病息災、不老長寿、神仙となり得べし」と説き、一時は一万人の信者を獲得した。全庭云はこれらの信者から金銭を寄附させて自らの生活資金に充てる一方、若い女性信者(約60人)を篭絡して妾にし、酒池肉林の贅沢三昧の生活を送った。

    しかし、このような教祖(白道教では「天父任」と称した)の姿勢に疑問を感じる信者や、全庭云の下から逃げ出そうとする妾が出始めた。全庭云は官憲への発覚を恐れて、これらの殺害を命じ、1916年(大正5年)に妾4人と信者2人を相次いで殺した。

    全庭云は1919年(大正8年)に脳梅毒で死亡した。しかし、これらの殺人事件は1930年(昭和5年)と1932年(昭和7年)に相次いで発覚し、実行犯には懲役10~15年の実刑判決が下り、西大門刑務所等に収監された。これにより白道教は壊滅したかに思われた。

    しかし全庭云の次男で二代目教祖(「第二世大元任」と称した)の全龍海は事件発覚前に逃走し、捜査の目を逃れることに成功した。この全龍海によって教団は「白白教」として復活することになった。


    全龍海は、父親の全庭云同様の酒池肉林生活を送り、大胆にも京城府桜井町(現ソウル特別市中区乙支路4街)に居を構えた。そして自分に異議を唱える信者や性的興味を失った妾を山中に連れ出して殺害、死体を埋めていった。

    白白教事件で教団が日本政府によって壊滅されるまでの間に信者を600人余り殺害するにいたる。


    1937年(昭和12年)2月16日夜、朝鮮京畿道京城府下往十里町(現大韓民国ソウル特別市城東区下往十里洞)で、宗教絡みの乱闘騒ぎが起き、所轄の京畿道警察部東大門警察署が関係者を取り調べたところ、以前に殺人事件を起こして自滅したカルト教団「白道教」が、新たに「白白教」として復活し、京城に根を下ろしている事が発覚した。2月26日、日本政府によって白白教幹部約150人が検挙された。

    東大門警察署は、翌2月17日に京城のアジトを急襲し、信者ら約80人を検挙したが、肝心の「第二世大元任」こと教祖の全龍海を取り逃がしてしまった。その後も、信者の検挙が相次いだが、全龍海は依然行方をくらませていた。

    続々と検挙された信者は教祖の居所について、何一つ話そうとせず黙秘を貫いた。教祖の秘書に至っては、検挙時に自殺を図り、京城帝国大学医学部附属病院に担ぎ込まれる始末であった。

    3月6日、信者のR兄弟が観念し、教団が起こした殺人事件について語り始めた。

    R兄弟の供述によると、「一斉検挙後の2月21日、京畿道楊平郡の自宅に全龍海が現れ、酒食の供応が命じられた。その際、全龍海は自分たち兄弟に預けられていた全龍海の妾3人を別室に呼び出して全員殺害した。その後、穴を掘らされて3人の遺体を埋めた。」という。

    そしてR兄弟の供述通りに3人の遺体が発見され検死が行われた。その結果、「殺しの手際の良さ」などから、追い詰められた挙句の刹那的犯行ではなく、常日頃から常習的に殺人を繰り返していた疑いが強くなった。他の信者を追及したところ、次々と教祖の殺人を供述し始め、捜査官を慄然とさせた。


    全龍海は火田民化した信者の家をアジトにし、各地を転々としたが、関係者が続々検挙されるに及び次第に追い詰められていった。そして3月下旬頃に京畿道楊平郡の山中で自殺し、4月7日に死体が発見された。これにより白白教は事実上壊滅した。

    信者獲得と活動

    教団は「朝鮮は近い将来、大元任(全龍海)の統率の下で独立する。独立の暁には、各々の信者の貢献度に応じて知事や警察署長などの高官に任命する。金のある者は献金し、年頃の娘を持つ者は大元任に差し出せ。」と巧みな言説で布教活動を行った。

    入信した信者は、土地家屋などの全財産を教団に寄進し、若くて美貌の娘は全龍海の妾にされた。そしてしばらくすると、「まだ独立の時機ではないので、暫くは地方で身を隠して待機してほしい」と称して、山間部に追いやって火田民とし、焼畑農業で得た収入をも献金させるなど徹底的な搾取を行った。

    そして「背教者は死をもって罰せられる」と喧伝し、実際に教団の意に背いた信者は、老若男女を問わず殺害していった。

    今の韓国のきチがイじみた親日派狩り、反日狂騒も原点はここにあるかと。

  • 誤った価値観??




           それって、誰が判断するの??





    日本の教科書への内政干渉
    歴史教科書とは外国人が反対運動したり裁判を起こすのは内政問題であり、
    外国からどうこう言われたからと言って、いちいち内容や記述を変更すべき代物では無い。

    考えてみて欲しい。日本が中国や韓国・北朝鮮に対して、
    あなた方の国の歴史教科書のここが間違っているから、直しなさい。
    と要求した所で、彼らは内容や記述に変更を加えるだろうか? 答は、端(はな)から決まっている。

    歴史教科書は我が国の主権に属すものだ。
    外国にどうこう言われる筋合いは全く無い。これは明らかに内政干渉である。

    これが当たり前であり、本来の姿なのだ。その当たり前の事さえ出来ていないのが、
    現在の日本政府や文部科学省(旧文部省)であり、教科書検定制度なのだ。

    小田原市議会が民団が陳情した
    「育鵬社と自由社の教科書を不採択」を採択!
    (朝日新聞 2011/06/17)

    小田原市議会は16日の本会議で、育鵬社と自由社の公民・歴史教科書を不採択にするよう求めた陳情を賛成多数で採択した。

    陳情は「誤った価値観を植え付ける」として、在日本大韓民国民団県湘西支部が出していた。
    市議会では「反韓国、反中国の感情をあおり立てており、採択すべきでない」という意見が大勢を占めた。

    一方、「教科書の是非はともかく議会で審議することが、教育委員会の中立性を侵すことになる」とする意見もあり、本会議での採決を棄権する議員も出た。
    民団湘西支部の白海秦団長は「教育委員会に圧力をかけるつもりの陳情ではない。
    議会に問題の認識をもってほしい」と話す。

    なぜ、参政権の無い朝鮮人団体の陳情が受け入れられるのか?
    在日本大韓民国民団滋賀県本部湖西支部(白海秦支部長=女性)が、遠く離れた神奈川県小田原市議会に「育鵬社と自由社の歴史教科書を採択しないよう求める陳情」を行い、
    これを市議会が賛成多数で採択した。

    たんに、外国人が日本人の教科書採択に介入するとういう内政干渉だけでなく、小田原と言う地域と関係ない滋賀県の外国人団体の陳情を、あっさり採択する地域性無視の矛盾に、
    小田原市議会議員は気がつかないのか、という根本問題だ。

    韓国の市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯」は
    日本の中学校社会科教科書の修正を求めて、東京都内で記者会見を開きました。
    侵略戦争を美化する育鵬社、自由社の歴史教科書をはじめ、韓国にかかわる記述の問題点を指摘しました。

    同会は7社の地理・歴史・公民教科書について計177カ所の修正を求める意見書を日本の文部科学省に提出しています。


    学問より韓国を選んだ小田原市議 ↓

  • 歴史の語り部が声を絞り出す!!





           このような話を後世に残して行かなければならない!!





       もう少し正しい歴史の話として、子供達に教えておくべきだろう!!





    ウー・ヌ或いはウ・ヌー(ビルマ語: ????, U Nu, 1907年5月25日 ? 1995年2月14日)は、20世紀のビルマにおける主要なナショナリストかつ政治家。

    なお、「ウー」は男性に対する敬称であり、彼の正しい名前は「ヌ」である。


    1907年にワケマで生まれ、1929年にラングーン大学卒業。翌年にタキン党(英語版)に加入、日本軍のビルマ占領後、1943年にバー・モウ政権下で外相・宣伝相に就任。戦後は反ファシスト人民自由連盟、通称(AFPFL)の副総裁。制憲議会議長となる。

    1946年のビルマ独立に関するイギリス・ビルマ協定に首席代表として調印。1947年7月19日にアウン・サンAFPFL総裁の暗殺事件が発生、後を引き継ぐ形でAFPFL総裁に就任。翌年の1948年1月のビルマ独立に伴い、初代首相に就任。

    1947年制定の憲法の規定に基づき、1948年1月4日~1956年6月12日、1957年2月28日~1958年10月28日、1960年4月4日~1962年3月2日にかけてビルマの首相職を歴任した。

     戦後の賠償問題を真っ先に日本と妥結し、その後の各国の交渉に良い意味で多大な影響を与えた人物である

     彼は生涯、ビルマが過酷なイギリス植民地統治から独立できたのは、日本および日本軍のおかげと、日本軍への終生の敬慕を誓っていた。

    因みに、この話はミャンマー人で知らない人が居ないくらいに有名な話なのだそうです。


    下は、来日すると必ず靖国神社を参拝していたビルマ(現ミャンマー)・ウーヌー首相

  • 戦後の日本の独立を決めた





    サンフランシスコ講和条約(1951年)をご存知の方は多いでしょう。





         では、1945年のサンフランシスコ会議をご存知ですか???





    スリランカ・ジャヤワルデネ氏

     戦後の日本の扱いを決定する重要な世界会議となった『サンフランシスコ会議』
     当時、セイロンの外相だった同氏が日本を擁護する演説をした
     各国に依る分割統治が主流であったが、この演説を機に過激な敗戦処理を防ぐ事ができた

     http://matome.naver.jp/odai/2134863009521091401

     彼の遺言で、彼の左目角膜はアイバンクを通じて、日本人に移植されたという逸話も残されている


    サンフランシスコ会議(United Nations Conference on International Organization)とは、1945年4月25日から6月26日にかけて、アメリカ合衆国サンフランシスコで開かれた連合国会議。正式には「国際機構に関する連合国会議」。


    この会議はダンバートン・オークス会議で提起された国際連合憲章を採択して国際連合設立を決定し、第二次世界大戦の戦後処理と国際平和問題について討議を行うものであった。

    この会議はアメリカ、イギリス、ソビエト連邦、中華民国によって招集され、1945年3月1日までに連合国共同宣言に署名した42カ国が招請された。


    <ある回想>
    昭和54年、私が海自練習艦隊、実習幹部としてスリランカ・コロンボに寄港したとき、生涯忘れられない大統領メッセージを越智全権大使から頂きました。

     同国は凄い親日国家で、現地中学生たちが日の丸の小旗をもって港に多数と列しており、沖縄とは対照的でした。

     当時、同国大統領ジャヤワルデネ氏は昭和天皇を拝謁するため東京に行っておりましたが、帝国海軍の後継である我々日本の青年士官に以下のことを伝え、壮途を祝福したいとのことでした。

    大統領が少年の頃、同国は英国の植民地で現地人は牛馬のごとく酷使されており、住民の心もすさんでいたそうです。

     大正10年5月、皇太子(後の昭和天皇)が乗艦された帝国海軍第三艦隊が欧州へ途次このコロンボに寄港しました。ここは英海軍の根拠地で現地人たちは一切入れませんでした。

     その時、大統領のお母様が少年ジャヤワルデネを軍港が見渡せる小高い丘に連れて行って、日本艦隊を指差しながら、「アジア人でやればできる、あれがロシア・バルチック艦隊を撃滅した日本海軍です」と諭されたそうです。少年ジャヤワルデネは、このとき満々たる闘志が湧いたそうです。

     そればかりではありません、昭和17年4月5日、インド洋に進出した南雲忠一提督指揮する第一航空艦隊艦載機戦闘機群39機はコロンボ上空で迎撃態勢にある英空軍42機と大空中戦を展開、殆どの英軍機をあっという間に撃墜したのです。

     地上では今まで威張り散らしていた英国人達が、日本軍が上陸して来るものと思い血相を変えて逃げ回っていたそうです。

     当時スリランカの住民は、肩を抱き合って泣いたそうです、「アジア人でもやればできる、あの戦闘機のパイロット達は日本人だ、今こそ植民地解放の救世主が来たのだ!」と。

     その後、日本は米英に敗れましたが、サンフランシスコ講和会議に独立間もないスリランカの閣僚として出席したジャヤワルデネ氏は、挙手して「対日賠償権の放棄」を宣言し、吉田全権を感泣せしめました。

     また大統領は昭和天皇が崩御された大喪の礼に外国要人で一番先に来日されました。
     晩年、遺言により角膜が新潟のご婦人に寄贈されました。

    因みに、この話はスリランカ人で知らない人が居ないくらいに有名な話なのだそうです。

    この人が初代スリランカ大統領のジャヤワルデネ氏です。
    日本人は決してこの人を忘れてはなりません。  ↓

  • 私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた





         爆撃機が飛んできても避難しないで





    着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した





    【ビルマ独立】



     昭和15年(1940年)11月23日タイとフランス植民地軍との国境紛争が勃発。当初攻勢だったタイ軍であったが、フランスが重火器を導入し、一転劣勢となり押し捲られる。ここで日本が仲介し、昭和16年(1941年)5月8日に東京条約を結びタイはラオスメコン川右岸及びカンボジアのバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得する。このとき日本はタイでの無害通行権を得ている。

     昭和16年(1941年)12月8日、日本は連合国へ宣戦布告(タイは翌年1月25日に連合国へ宣戦布告)。開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手する。

    12月15日ビクトリアポイント(現在のコートーン)を占領。12月28日タイのバンコクでビルマ人を集め「ビルマ独立義勇軍」を結成。年明けに日本軍はタイから国境を越えタボイ、トングーへ入りラングーンへ向けて進撃する。

    翌昭和17年3月8日には首都ラングーンを占領した。そして政治犯として刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、彼を行政府の長官に就任させた。

     ビルマ初代首相タキン・ヌー氏
    「ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した。」

     ヤンゴン大のタン・タット歴史学教授
    「神のごとく振舞ってきた英国人が青ざめ、逃げ惑うのは見ていて痛快だった。彼らの手先だったインド人がご主人様の顔色に敏感に反応して、まるで沈没する船から逃げ出すネズミのように群れを成してベンガルに逃げ出していった」

     タキン派(民族解放派)コドー・マイン氏
    「私の人生で今日ほど幸せだったことはない。わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた」

     バー・モウは昭和18年(1943年)3月に日本を初訪問し、天皇陛下に謁見し、東條首相と会談した。7月には新憲法の最終草案を正式承認して、バー・モウを満場一致で国家代表に選出。8月1日、ビルマは独立宣言した。

    「本日ビルマは50年以上にわたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間にその当然占むべき地位を回復セリ。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りをもって当然の地位を占め来り、その間、ビルマの光栄は天における月日の如く輝きたり」

     外相に就任したウー・ヌー演説
    「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」

     ビルマ婦人連盟会長キンママ・モウ女史(バー・モウ夫人)
    「私たちはこれまでビルマの女性としてやってきた。これからはアジアの女性たらねばならぬ」

     ビルマの独立はタイのピブン首相、フィリピンのラウレル大統領など、東南アジアの各国の首脳がこぞって慶祝したのをはじめ、ドイツが日本の堂々たる態度に敬意を表したほか、スペイン、アルゼンチンが共に慶賀を表し、フランスの新聞がアジアにおける日本の軍事的存在感が拡大するだろうと伝えた。

     こうした歴史は今の日本国内では意図的に抹殺されてしまっている。イギリスはビルマを戦後の1948年に独立させたなどと言っているがそうではない。

    バー・モウ「ビルマの夜明け」
    「真実のビルマの独立宣言は1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東條大将と大日本帝国であった」

     これが歴史の真実である。


    靖国神社を参拝する当時のビルマ国家元首ウー・ヌー氏 ↓

  • 知らぬ間に着々と進行していた!!






    いよいよ韓国での在日兵役が本格化する!



    在日該当者は6万4000名!



    韓国政府は在日をあきらめない!



    2014-06-08 10:00:00


    知らぬ間に着々と進行していた在日韓国人の韓国国民明確化政策!

    韓国政府は在日韓国人が「納税と兵役の義務」を果たすことを求めている


    日本国憲法上、日本で「永住権」があるのは「日本国籍者」だけです。ですから、在日などの「特別永住資格者」は永住権者ではありません。これが日本の大多数の憲法学者の見解です。が、朝鮮日報の記事上では「永住権者」となっていますのであしからず・・・  
      
            
    以下、朝鮮日報の記事から抜粋。

     国外の市民権者や永住権者などが韓国軍入りを志願し入隊する、いわゆる「永住権兵士」が年々増えている。兵務庁によると、志願し入隊した国外の永住権者は2004年には38人にすぎなかった。しかし、2007年に127人、10年に191人と増え続け、13年には328人となった。10年間で10倍近く増えたのだ。兵務庁は今年初めにこれら兵士の軍隊生活での日常を盛り込んだ手記集『大韓人が大韓に、2014』を発刊した。

     入隊を志願する国外永住権者などの2004年からの累積人数は、11年に1000人を突破し、今年2月末現在では1794人となっている。こうした状況が続けば、年内にも2000人を突破するものとみられている。陸軍関係者は「今月19日にも忠南論山陸軍訓練所に30人の国外永住権者らが追加で入所する予定」と明らかにした。

     韓国の兵役法上、国外永住権者は満37歳になる年の12月まで入隊を延期できる。この年齢を超えると、兵役が免除される。故意に体を傷つけたり賄賂を使ったりして兵役を逃れようとする国民もいる中で、国外永住権者らはなぜ自ら入隊を希望するのか。(朝鮮日報) http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/07/2014060700759.html

     
     
    「在日からもすでに100名が韓国での兵役に応召」しました。この数はおそらく今年中には200人を超えると思います。1994年以降生まれ(現在20歳)の在日韓国人男子には、すでに「条件付強制徴集」が始まっています。そのうち、在日韓国人の中でも「兵役に行こう!」がブームになるはずです。

     「2012年総務省統計」によると、日本国内に居住している兵役対象になる在日韓国人男子は

      20~24歳  13692人

     25-29歳  19045人

     30-34歳  20726人

     35-39歳  22595人(*兵役対象年齢は37歳まで)

     ですから、38・39歳を除外すれば、約6万4000人の「兵役該当者」が在日韓国人男子の中にいることがわかります。その中で「兵役参加100人」というのは、やはり「やる気が感じられない」ですね!

     この数字を見て気づくことは、「20~24歳 13692人」がいきなり減っていることです。これは、在日韓国人は基本「韓国国籍者」なんですが、夫婦どちらか(普通は女性側)が日本に帰化している場合、実質上は在日韓国人同士の結婚でも「子供は日本国籍が取れる」からでしょう。


     実際、「反日ゴリゴリなのに子供には日本国籍を取らせたい」という在日韓国人が増えています。もちろん、彼らは「韓国での兵役」をもう何年も前から見越しているんですね。「日本国籍の反日元韓国人」というのは、日本人からすれば不快なことではあります。

    でも、在日韓国人からすれば「日本への帰化は運転免許証みたいなもの」ですし、「子供を日本国籍にする」ことは、韓国からの兵役逃れもできますから、これはこれで「賢い選択」なんでしょうね。(両親ともが韓国籍の場合は子供を日本国籍にはできませんし、2012年から韓国籍男子は韓国での兵役が終わらない限り、日本への帰化はできなくなりました)

    韓国での兵役。訓練中。 ↓

  •    あなたは、知っていましたか???





            「在日韓国人には韓国での参政権がある」ことを!!





     今になっても、「在日に地方参政権を与えよ」と民団などがやっていますし、民主、公明、共産や地方議会にも「在日には地方参政権ぐらい与えてもいいじゃないか」という声があります。しかし、実は韓国政府は「その流れとは逆行する」政策を進めています。


     韓国政府は、2012年にすでに在日韓国人にも「韓国での参政権」を与えています。また韓国政府は、2016年7月1日から、在日韓国人全てに「住民登録証を配布」し、韓国での「健康保険の利用も認める」としています。

    もうお気づきだと思いますが、「住民登録」や「健康保険」には、個人を特定するための「個人識別番号」が必要になります。韓国政府はすでに「国民総背番号制」を準備しているんですね。

    このことは、韓国政府が「在日韓国人は日本に住んでいても韓国国民」だから「韓国国民としての義務も果たせ!」ということに他なりません。韓国人の義務とは、もちろん「納税と兵役」です。

    日本の国税庁もすでに「5000万円以上の国外財産調書の報告」を義務付けていますが、この制度の狙いは、在日韓国人の資産隠し(脱税)の摘発にあることは明白です。これは日韓共同で「在日の不正財産はがし」を始めているんですね。

    日韓の税務担当者は情報を共有し、金満在日韓国人の遺産などの「相続税」については日韓双方で課税しています。

     ですから、日本政府もそろそろ、「在日韓国人は韓国国籍者だから、生活保護は韓国政府に請求してね!」と、韓国国籍者の生活保護の打ち切りを考える時期です。私は、在日韓国人は韓国にお戻りになるのが最善だと思いますが、韓国軍と在日韓国人の「虐殺の歴史」を見ると、「韓国には死んでも戻りたくない」という在日韓国人がいることも知っています。

    でもそれならば、在日韓国人は「強制連行」や「創氏改名を強制された」という「うそを垂れ流す」ことはもう一切止め、「生活保護は戦後補償」という詐欺行為も止め、自立した「普通の外国人」として日本に住まれることをお勧めします。

    日本人は「分別ある外国人」に対しては敬意と寛容さを持って接する民族だと思います。

  • 同じになりたければどうぞ




               義務化されず




                        完全な申請制





    台湾・韓国人識者による「創氏改名」解説

    日本は1910年から敗戦まで、
    当時のお金で20億8千万円を持ち出しています。
    日本は朝鮮を植民地としてではなく、
    新しく拡大された日本の一部と考えていたので、
    莫大な投資をし、人口調査、
    土地調査が開始され、治山治水等の設備を整えて農業の生産性を向上させ、
    工業施設を整備し、教育を普及させ水準を向上させました。

    そんな中、中国の千年属国であった朝鮮人は、
    日本国籍を有しているにもかかわらず、満州において、
    中国人に襲われるという事件が多発しました。

    創氏改名は、そのような被害を受けた、
    満州に移住した朝鮮人達から、要請があった事がきっかけでした。

    朝鮮が長い間、中国に礼をつくす属国の位置にあった人もあって、
    中国人は朝鮮人を頭から馬鹿にして差別的に対応していました。
    昭和6年に満州の朝鮮移民と中国人との間の衝突事件、
    「万宝山事件」というのがありました。

    土地のない朝鮮農民達の満州移住が進められていましたが、
    彼らは地元の中国人からさんざん苛められ、
    ついに中国人集団から組織的な暴力攻撃を受ける事件に発展したのです。

    その時には日本の軍人達が助けましたが、
    日本の国籍をもっている以上、日本人名であれば、
    もはや支・那人にいじめられなくてもすむだろうということから、
    改名の要請が度々行われたのです。

    呉善花氏著、「生活者の日本統治時代」より



    「改名」については義務化されず、完全な申請制で、
    申請手続きには手数料も取られている。
    実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。

    朝鮮総督府への申告というのは、つまり、
    被治者が治者側と同階層になれるというものであり、
    「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、
    本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。

    当時、半年の届け出期間中、
    朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。
    創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、
    満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。

    日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、
    日鮮同祖論という親近感があり、
    創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。

    一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、
    むしろ改名は「高嶺の花」であった。

    黄文雄氏著、台湾・朝鮮・満州「日本の植民地の真実」より ↓

  • 同じになりたければどうぞ




               義務化されず




                        完全な申請制





    台湾・韓国人識者による「創氏改名」解説

    日本は1910年から敗戦まで、
    当時のお金で20億8千万円を持ち出しています。
    日本は朝鮮を植民地としてではなく、
    新しく拡大された日本の一部と考えていたので、
    莫大な投資をし、人口調査、
    土地調査が開始され、治山治水等の設備を整えて農業の生産性を向上させ、
    工業施設を整備し、教育を普及させ水準を向上させました。

    そんな中、中国の千年属国であった朝鮮人は、
    日本国籍を有しているにもかかわらず、満州において、
    中国人に襲われるという事件が多発しました。

    創氏改名は、そのような被害を受けた、
    満州に移住した朝鮮人達から、要請があった事がきっかけでした。

    朝鮮が長い間、中国に礼をつくす属国の位置にあった人もあって、
    中国人は朝鮮人を頭から馬鹿にして差別的に対応していました。
    昭和6年に満州の朝鮮移民と中国人との間の衝突事件、
    「万宝山事件」というのがありました。

    土地のない朝鮮農民達の満州移住が進められていましたが、
    彼らは地元の中国人からさんざん苛められ、
    ついに中国人集団から組織的な暴力攻撃を受ける事件に発展したのです。

    その時には日本の軍人達が助けましたが、
    日本の国籍をもっている以上、日本人名であれば、
    もはや支・那人にいじめられなくてもすむだろうということから、
    改名の要請が度々行われたのです。

    呉善花氏著、「生活者の日本統治時代」より



    「改名」については義務化されず、完全な申請制で、
    申請手続きには手数料も取られている。
    実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。

    朝鮮総督府への申告というのは、つまり、
    被治者が治者側と同階層になれるというものであり、
    「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、
    本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。

    当時、半年の届け出期間中、
    朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。
    創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、
    満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。

    日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、
    日鮮同祖論という親近感があり、
    創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。

    一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、
    むしろ改名は「高嶺の花」であった。

    黄文雄氏著、台湾・朝鮮・満州「日本の植民地の真実」より ↓

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