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投稿コメント一覧 (15592コメント)

  • しりとり爺さん連中の情報検索力のなさ、理解力のなさ、思考力のなさ、ただただ驚き(笑)

  • ↓哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

  • >>No. 26812

    > > 仏教おける、アドバイタ系列と縁起系列の差異だったようです。
    >
    > ↑これを統合しているのが、もしかしたら、キリストにおける完全な人性と完全な神性という、キリスト教のアルファにしてオメガともいうべき原理なのかもしれない。
    >
    > キリストという一枚のスクリーンのなかで、アドバイタ系列(=神性)と縁起系列(=人性)が完全に一つになっている。

    カズマさんが復帰したようだから、付け加えると、人間は神性と人性の中道を目指すしかない、ということでもあるね。

    人間にとって100パーセント神性は、肉体を持つ以上は不可能なんだから。

  • >>No. 2302

    > > >始まりも終わりもない、ただ形を変えているだけのこと。
    >
    > 二日ほど前に私がカキコしたように、「三位一体の神」の本拠地はそこです。
    > 「時間と空間と物質」領域を真に超越した位相。
    >
    > > それはもしかすると仏教そのもののとらえ方ではないのでしょうか?
    > > わたしは、それが正解のように感じます。
    > > 最後の審判や、称名念仏一回こっきりで、みたこともない天国や極楽に連れて行かれる、、じゃあその後はどうなるの?
    > > 永遠にそこに住むの?
    > > ではなぜ最初からそこに住まわせてはくれないの?7,80年、それより短い人もたくさんいらっしゃる。
    > > その期間がどうして必要になるのでしょうね?

    ↑ここのところは次のように考える。三位一体の交わりという永遠の領域は、時空を超越したレイヤー。そのレイヤー(天のレイヤー)はすでに生きてい人間に被さっている。なので、もう既にそこ住んでいるんだ!ただそれに気づけるのは極めて個人差が大きい。
    ただ、肉体をもつ以上は、そのレイヤーの上で多少は、人によっては激しくもがき苦しむ(地のレイヤー)。

    天のレイヤーと地のレイヤーが矛盾なく一枚に合体することが、宇宙の最終ゴール。

  • >>No. 26811

    > 仏教おける、アドバイタ系列と縁起系列の差異だったようです。

    ↑これを統合しているのが、もしかしたら、キリストにおける完全な人性と完全な神性という、キリスト教のアルファにしてオメガともいうべき原理なのかもしれない。

    キリストという一枚のスクリーンのなかで、アドバイタ系列(=神性)と縁起系列(=人性)が完全に一つになっている。

  • オマエのエジプト与太話はここで一人でやってろ。

    外では徹底シカト。

  • >>No. 26693

    釈迦もアドバイタ体験はしているでしょう。それもかなり深いものを。

    ただ、縁覚という語が示すのとは少し意味が違うのではないかと。

    イスさんもマニカナでこだわっていたのは、

    仏教おける、アドバイタ系列と縁起系列の差異だったようです。

  • >>No. 26646

    >ある日偶然、突然に体験する「縁覚体験」ですね、「アドヴァイタ体験」とは。

    この二つはイコールではないように思いますが。

  • >>No. 2248

    > 「気づいている意識」なしに宇宙も、銀河系も、次元もなにもかも存在していることが分かりません。
    > ここでルパート・スパイラのたとえを使わせてもらい、映画にたとえた場合、映像(宇宙、存在のすべて)は、スクリーン(気づいている意識)があってこそ観ることができます。
    > このスクリーンである、常にある「気づいている意識」、これが「I AMである“わたし”」、そして「私はあるの“わたし”」なんですね。
    > 70億人の勘違いは、この気づいている意識、私があるという感覚が、個の体や思い、感情に付随していると思っていることです。
    > つまり、一人一人に世界を捉えている分離した意識があるという勘違いです。ちなみに意識です、思考ではなく。自我は思考に同化するあまり、思考と意識の違いが分かっていないことも多いですね。
    > 話を戻して、で、実にこれは巧妙ですよね。だって、隣の人の考えていることは分からないし、体をつねられて痛い!と感じるのは、私だけだし・・・。
    > だから、意識は個別のものだ・・・。分離した意識に分離した体、私ししか知らない思いや感情。これで分離の幻想は、見事に出来上がります。
    > なので、実はこの「気づいている意識」が個人に付随しているのではなく、全体の意識「I AM」であるなど誰が分かるでしょうか? なんて巧妙なトリック!(笑)

    今年なんどもカキコしたが、福音書におけるイエスの「神であることのカミングアウト」表現が、「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am

  • >>No. 2257

    > 父・子・聖霊は、ビッグバンの前から存在していた。これをまず押さえなきゃね。
    > 天地創造以前に存在していたのが、文字どおりの一神教的な孤絶した単一の固い神だけであれば、神は被造物を作ってはじめて愛する対象をえたことになる。神は愛することにおいて、被造物に条件づけられ、依存してしまうという背理が生じる。無限大で無条件の愛を本質とする神なのであれば、天地創造以前に既に、完璧な愛の交わりとして存在していたはずだ。三位一体から出発せざるをえないのは、そういう意味もある。

    ↑これは静的な死んだ状態ではない。永遠のいのちとしてあること。

  • >>No. 2300

    > >始まりも終わりもない、ただ形を変えているだけのこと。

    二日ほど前に私がカキコしたように、「三位一体の神」の本拠地はそこです。
    「時間と空間と物質」領域を真に超越した位相。

    > それはもしかすると仏教そのもののとらえ方ではないのでしょうか?
    > わたしは、それが正解のように感じます。
    > 最後の審判や、称名念仏一回こっきりで、みたこともない天国や極楽に連れて行かれる、、じゃあその後はどうなるの?
    > 永遠にそこに住むの?
    > ではなぜ最初からそこに住まわせてはくれないの?7,80年、それより短い人もたくさんいらっしゃる。
    > その期間がどうして必要になるのでしょうね?
    > と、演繹的に考えますと、やはり、この世が舞台であるというのが真理に近いような気がします。わたしはですよ、、。
    > 念仏はだから仏教ではないようにも思います。親鸞さんが”異端”とされたのも、至極もっともな気がしてまいります。

  • 2017/12/14 09:59

    >>No. 26524

    > #> 梵我一元と無一無二の一如の違いがあるように見えますが、
    >
    > 漢字四語の比較連想をやっても、自分の固定観念を投影して、大乗仏教優位を優位において、ヴェーダンタを貶める結論を導くだけです。
    >
    > イスさん、山下さん、イエーガー神父、愚かさん、どれだけはやめようという立場。#
    >
    > #>教義は実は体験そのものだというのは、同意です。
    > その体験から教義を照らし出せば、教義の素晴らしさを再確認できる。
    >
    > 大乗仏教でなければ体験ができないということはありえないでしょう。
    >
    > 同じ体験でも言語文化の違いで表現の形が違うことは当然。#
    >
    >
    > さて「同じ体験」は言語文化を超えて「同じ体験」だと言わしめている「普遍的体験」を
    >
    > 「アドヴァイタ体験」
    >
    > だといすさん、愚くん、イェーガー神父、山下さんは認識してたということですか?

    そうです。

  • >>No. 2290

    > 冥界と現象世界?
    >
    > 私なら、リアリティ世界とバーチャルリアリティ世界の「二枚の板」という喩え。
    >
    > 宗教とは、現象世界をバーチャルリアリティとみなして、そこからの脱出を模索することだね。
    >
    > 古今東西の哲学と宗教、実はすべてがこのテーマの変奏。
    >
    > カントなども端的にこれ。

    カントの担った役割の一つは、キリスト教と科学の完全な両立への哲学的な説明を与えたことだね。

  • >>No. 2293

    > 神の世界が現実で、この世はその反映投映に過ぎないという考えもありますでしょうね。

    基本のメカニズムはそうです。

    > でも、この世界が本舞台であるという教義も読んだことがあります。冥界とは冥して伏するところ、、とかね。

    キリスト教は神と被造物、神と人間、天と地の和解・合体がゴール。

    最終的にはリアリティとバーチャルリアリティの統合です。

    プラトニズムやグノーシス主義とはこの点が違う。

  • >>No. 2290

    「マトリックス」「ブレードランナー」などの映画のテーマもそれだね。
    どちらも大好きだが、この現象世界をバーチャルリアリティとみなすその独自のセンスが観る人をのめり込ませる。

  • 冥界と現象世界?

    私なら、リアリティ世界とバーチャルリアリティ世界の「二枚の板」という喩え。

    宗教とは、現象世界をバーチャルリアリティとみなして、そこからの脱出を模索することだね。

    古今東西の哲学と宗教、実はすべてがこのテーマの変奏。

    カントなども端的にこれ。

  • >>No. 2284

    > olissiaenさんのように、あたかもカトリックが絶対であるかのような物言いは良くないのではないでしょうか?
    > 今のところ、わたしは絶対ではないと思っていますので、、。

    神は絶対という立場は主張していますが。

    神を否定したり、神を被造物の存在の中で相対化する、そのようなキリスト教があるとは、私には考えられませんので。

    カトリックと数多あるプロテスタント、何れも同じ三位一体の神を信じるということことに関しては同じです。

  • 黙々の宣伝塔をやった女性投稿者は反省しなきゃ。

  • 黙々、ステルス、言助あたりは、自分で大物だと思い込んでいるわけじゃないだろうな(笑)

  • 言助のような立ちション専科のしりとり爺さんほど臭くねえよ(笑)

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