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投稿コメント一覧 (71コメント)

  • 昔は、自転車運転はまったく自由だった。傘をさそうが、2人乗り・3人乗りしようが、
    クルマの走行や通行人に迷惑をかけたりじゃまにならなければ何をやってもよかった。
    だが、過去10~20年以上前から、自転車の運転マナーの悪さが指摘されるようになり、スマホや携帯が普及するようになってから、スマホしながらの自転車運転など、いっそう身勝手な自転車運転が目立つようになり、警察がくだらぬルールを決め罰則を強化するようになった。
    人間が劣化してきたと思う。あぶないという意識が弱すぎる。感覚が鈍いと言わざるを得ない。下り坂でスピーを出せば、下にいけば速度は相当早くなる。人にぶつかれば死ぬ可能性大だ。平地であっても猛スピードで走って人に当たれば死ぬ可能性は十分だ。死亡事故を起こせばその人の一生は終りだ。
    危険な事故を起こさず自転車を安全に乗る方法は簡単だ。「人の近くを通る時は、いつでも止まれるスピードで運転する」こと。「どんなにスピードを出していても人の姿が見えたら、人の直前でいつでも止まれるスピードまで落とす」こと。それだけだ。そうすればたとえぶつかっても軽傷で済む。あとはどう乗ろうと自己責任だろう。
    昔、僕の住む田舎町で公園の横を通る道の角に信号のない交差点があった。静かな住宅街の一角でもあった。前方に向かう車の中には、その交差点で左右を確認せず猛スピードで直進する車があり、時々衝突事故を起こしていた。左右を確認すればまずぶつかる心配はなく通行量もさほど多くない交差点だった。僕がその道を前方に向かって走るとき、一次停止して左右を確認してから進んでいたら、後続の車がクラクションを激しく鳴らしてついてくる。その一つ先の交差点が赤信号なので止まって、後ろの車を見ると若いあんちゃんだった。そんなに急がなくても時間もかからずすぐに通れる道だった。その一件からほどなくその角に信号機ができ、通行時間がかかることになった。信号機がなければずっと早く先へ行ける道だった。身勝手なドライバーが不要で無駄な信号機を増やし無駄な時間を増やしているのだ。
    「てめえら自分勝手な運転をするんじゃねえよ!身勝手な奴が規制を増やすから走りにくくなるんだ。」

  • 日本が決勝リーグで先制し好ゲームを演じたことを称賛する声が支配的だが、それこそが今回の日本の敗因というか、なかなか決勝リーグで勝てない原因ではないか。
    強豪ベルギーに何と後半2点も先制という非常にラッキーな展開。それでも勝てなかったという厳しい現実をじっくり考えるべきではなかろうか。普通は後半で2点もリードしていればまず、勝つか引き分けだろう。それが5分で追いつかれ、終盤ロスタイムぎりぎりで逆転され敗退。
    おそらく日本チームの監督も含めて全員が、リードした時点で勝つか引き分けと考えていたのだろう。誰もベルギーが逆襲して同点にされても、逆転されるかもしれないとは考えなかったのではないか。普通10人以上いれば誰かが違う考えをもつ。その慎重な考えを持つ人間が数人以上いたら最後の油断は防げたかもしれない。いやもっと攻撃的に行こうと行動したかもしれない。皆が同じような事しか考えられない、別の考えを受け入れがたい日本だからこういう結果になったとは考えられないだろうか。
    プロ野球3000本安打の張本氏は予選リーグ、対ポーランド戦に対する賛否両論を「どちらも正しい」、と語った。SNSでは賛否の割合は約56:39だというニュースもあった。
    セルジオ越後氏は「日本が決勝リーグで勝つ確率は0%以下」だと言った。こういう意見を受け止めて活かせるかどうかが日本の成長につながるのではないだろうか。

  • なぜ「日本:ポーランド戦」に批判や非難が殺到するか?
    それは日本には全力で戦って十分引き分けに持ち込める、あるいは運がよければ勝てるかもしれない力があるからだ。それなのに、2点差以上で負けることを恐れ、最後まで全力で戦うことを放棄し、「コロンビア:セネガル戦」でセネガルの敗けに期待するという消極的というか卑怯な戦いに甘んじた。
    弱いチームがこんな戦い方をしてはダメだ。これは狡猾さとは違う。
    正々堂々と戦って敗れたのならあきらめもつくだろう。だが不誠実に闘って決勝リーグに出場できても心底喜べるだろうか。敗れたとしても、全力で戦って敗れて初めて、敗戦から学ぶことができる。その学ぶ機会を放棄したことになるのだ。姑息な手段を使って決勝リーグに進出して戦うよりも、予選リーグとはいえ強豪と全力で戦うことの方が、今の段階では意義のあることではないだろうか。いずれ力がついてくれば決勝リーグには必ず進めるレベルになれるのだから、あせることはないのではないか。そんなことをする暇があったらシュート力を磨け、得点力をつけろということだろう。
    フェアプレイポイントという名前が泣く。フェアプレイを放棄したチームがフェアプレイポイントで決勝リーグに進むなんて皮肉でしかない。ルールに反しなければ何をやってもいいというわけではないだろう。そのプレー姿にこそその国の姿勢が示されるのだ。そして過去日本チームはずっとそのプレースタイルを貫いてきたのだ。批判・非難し怒っている日本人を含め世界の人たちは、これまでの日本の戦う姿勢、その歴史が汚されたことに怒っているのだ。
    一般紙もスポーツ紙も、大きな不満があるはずなのに、なぜか表立って批判は避けている。こんなことでは、日本チームがベスト4やベスト8に入って優勝争いを演じる時代は遠のくばかりだろう。サッカー選手の中から大きな批判が出ない事が不思議なくらいだ。
    サッカー選手の中には本音を語るガッツのある奴はいないのか。

  • 今回の予選リーグ第3戦の「日本:ポーランド」の試合は、これまでの日本サッカーの歴史に泥を塗るものではなかろうか。
    ワールドカップに出場することがいかに大変かは、ジョホールバルの戦いで初めてワールドカップ出場を決めた大会や、ドーハの悲劇で出場確実といわれた寸前で敗退した大会予選などで経験済みのはずである。全力を尽くしてやっと出られるかどうかのレベルから、ほぼ毎回出場できるレベルまでになった。だが、日本にはまだワールドカップの予選リーグを確実に突破できる力はない。今回とて全力で戦ったからこそコロンビアに勝ち、セネガルに引き分けたのだ。
    それなのに、予選最終試合でポーランドと最後まで全力で戦わなかったのは姑息というか卑怯である。これまでの日本チームの努力の歴史を汚すものではないか。日本らしくないと思った。
     全力を尽くしての戦いこそワールドカップではないのか。正々堂々と戦って勝ちあがってこそのワールドカップの決勝リーグではないのか。引き分けを維持するのならともかく、負け状態をそのまま維持して本気の戦いを放棄したのは卑劣というかスポーツマンシップにもとる行為だろう。自力で予選突破する自信も実力もない国が決勝リーグで勝とうなんぞおこがましい話だろう。おそらく選手たちも心の中に大きなわだかまりを抱えたままで次の試合に臨むことになる。本来の実力さえ発揮できないのではなかろうか。西野氏は日本サッカーの品位を汚したと思う。残念だ。

  • もりかけ問題で問われているのは、「不公正、不公平な政治、行政、官僚のあり方でいいのか。ごまかしを許していいのか。」という問題だ。市民はそれを許してごまかしを政治家や官僚がやるのを黙認するのかという問題だ。ここまできてなお安倍氏のお友達内閣・政権を支持するのかという問題だ。そこまで国民は腐っているのかという問題なのだ。自民党は支持しても安倍政権を支持するのはどうなのか。これはあなたがたの良識が問われている問題なのですよ、ということだ。きれいごとを言っているのではない。若者には正義感や純粋さ善悪の判断力はないのか。
    政治、行政、企業、学校など社会全体が不公正な対応を認めるような状況でいいのか。
    ネットで政府側を支持する発言をする連中をみていると不公平な環境に慣れきって感覚がマヒしているような気がしてならない。君達だって不当に扱われているんだ。
    道徳や愛国心などが話題になる時代は腐っている時代だ。学校での道徳教育など即刻やめたらどうか。やめさせるべきだろう。
    森友学園問題、加計学園問題とも道徳の絶好の教材になるだろう。「不公平・不公正とはこういうものだ」という実例になる。
    今回ウソをついている・いた人は、佐川氏、柳瀬氏、、、。
    ウソをついている可能性の高い人は、首相婦人昭恵氏、加計氏、安倍氏もだ。
    安部氏は今回の愛媛県からの提出文書で加計氏と会って話をしたことが間接的に証明されてしまった。もう逃れようがないだろう。
    政治家や官僚のトップが平気でウソをつく。政府の役人、首相秘書官らが平気でウソをつく。
    知っているのに知らないと言う。「記憶の限り知らない」としらをきっておいて後でシャーシャーと認める。
    首相夫人の名前が載っている公文書を改竄しても罪に問われない〔不起訴〕という。村木元厚労省局長の事件(無罪)で証拠を捏造して逮捕された大阪地検特捜部、検察は何をやっているのか。

  • 日大アメフト事件、宮川君の勇気ある謝罪と告白が評価されているが、20歳は成人・大人だ。自分で判断できる年齢だろう。20歳のスポーツマンなら、もう少し考えてほしかったと思う。「QBを潰せ」と言われ、「潰さなければ試合に出さない」とはどういう事かよく考えてほしかった。
    スポーツは故意にケガをさせるものではないはずだろう。ボールの奪い合いで相手選手にタックルしケガをさせることがあるのは止むを得ないにしても、プレー中にわざと相手をケガさせる、そうまでして試合に出るよりも、「無防備な相手に、しかも後ろからタックルするなんて、そんな卑怯なことまでするくらいなら試合なんぞ出なくていい。そこまでして出たくない。そんなスポーツならやってもしょうがない」とは思わなかったのだろうか。
    指導者と選手の関係で、「監督の指示は絶対」だったそうだが、人間として考えることはできなかったのだろうか。いくら監督の指示とはいえ、「卑怯・卑劣な暴力行為はおかしい」と感じなかったのだろうか。スポーツはルールに乗っ取って正々堂々と行うものではないか。日本代表クラスの優秀な選手がそんな基本を忘れるとは残念・無念でならない。本当に優秀なスポーツマンなら個人として一人前の大人の判断をしてほしかったと思う。
    アメリカなら起きなかっただろう。万一起きたら、ケガをさせられたチーム全員が怒り狂って大ゲンカになる。まあ、あんな監督はいないだろうが。
    この事件は、例のモリカケ(森友加計)問題と似ている。
    運動が非常にできる学生が道を踏み外したのが日大アメフト事件。
    勉強が非常にできる学生が卒業後に道を踏み外したのが財務省、通産省官僚の佐川氏、柳瀬氏らによるモリカケ問題。(かなりの人数の人たちが関わっているが)
    ただし、後者と違い、宮川君は正直に真実を告白したが、監督とコーチはごまかしている。

  • 加計学園、愛媛県、今治市関係者が首相官邸で柳瀬氏と会った事実は、愛媛県側の備忘録、愛媛県職員らが首相官邸を訪れた15年4月2日柳瀬秘書官との面会予定を記した「内閣府から文科省へ送られたメール」(文科省が確認済み)などで確認されており、柳瀬氏はもう逃れようがないだろう。ウソをついているのは明白だ。
    国家戦略特区で獣医学部新設に関し加計学園だけが、建設予定地の愛媛県・今治市の関係者と共に、わざわざ首相官邸で柳瀬首相秘書官と会った。それほど特別扱いをされていたという事だ。他の大学はアポを取る事さえかなわなかったのに。
    これで首相の直接的関与は明らかでなくても間接的関与は明白になった。柳瀬氏自身は加計学園と何の関係もないからである。
    安部氏が加計氏の真の親友なら、首相秘書官が加計学園を京産大等よりはるかに有利な条件で特別扱いしたら、それに気づいた段階で「そんな不公平はやめろ」というのが首相の責任だろう。それもしないで優遇扱いを放置したのは不公正の黙認である。
     佐川氏にせよ柳瀬氏にせよ、明らかに嘘をついているのはばれているのに、こうまでしてしらをきるのを見ると哀れに思えてならない。
    さらにいっそう哀れにみえるのは、ここまでバレているのになお安倍氏を支持する人たちの心情である。本当に安倍氏を支持しているなら間違っている時にはしっかりと、「おかしい。間違っている」と正すべきなのにただ無理な屁理屈で弁護しようとするだけだ。醜いお追従でしかない、ゴマすりに近い。
    野党が仕事をしないで無駄遣いをしているとの意見があるが、二度以上もの無駄な選挙で1200億円以上も浪費したのに比べればずっと安い。国会経費1日3億として30日でも90億円である。まともな議論もせずに、労働事情も十分把握せず理解せずに強引に自分たちで勝手に働き方改革などの法案を作れば、後で国民が犠牲になり損をすることになる。与党がまともに議論に応じないで野党の少数意見を無視し、自分たちの意見を強引に通すだけになっている国会運営の現状を考えれば、野党ができることはあんなものだろう。
    森友・加計問題への対応は日本人の民主主義のレベルが問われていると言っても過言ではなかろう。

  • 大川小訴訟事件、市の上告が話題になっているが、そもそもこの被害は誰かの責任にできるものだろうか。誰の責任だと問うことが難しいのではないか。
    東北の三陸地方は昔から何度も津波を経験し、多くの町や村で対策を立てている地域もある。全国でも数多くの津波を経験している地方だ。それなのにその教訓が十分伝えられていなかったことが今回の悲劇につながったのではないか。
    日本全国の地方の海沿いの地域でも、昔から「津波がきたら、できるだけ早くできるだけ高い所へ逃げろ」という言い伝えは知っているという人の話をよく聞くことがある。
    今回の大川小では教師の中に、その教訓「津波の恐れがあるときは、一刻も早くできるだけ高い所へ逃げろ」を知っている人が一人もいなかったということだろう。教職員11人のうち生存者は1人だけだったという。東北のかなりの地域では知っていたのかもしれないが、この大川小の地域では教師はその知恵を知らなかった。歴史の教訓をうまく伝えてなかったということだろう。歴史を学んでいなかったということだ。現場に居合わせた父兄の一部にその教訓を知っている人がいたなら強引にでも生徒を近くの山に登らせるべきだったのではないか。山が崩れる心配があったとしても、そうなればどこにいても流されたはずだ。そうなったときには仕方がないが、さもなければ山に逃げるのがずっとましな方法だったはずだ。知る人がいなければしょうがないが。
    だとすれば誰の責任だと学校や市の責任を問うことはできないだろう。三陸地方ほどの津波を多く経験している地方でさえ、「津波が来たら一目散にできるだけ高い所へ逃げろ」という教訓すら、教師の誰も知らないような学校が存在した、歴史の大事な記憶が薄れていた、もしくは歴史の教訓をきちんと伝えていなかった、ということなのだから。
    強いて言えば、この教訓を学ばなかった、この地方の人々全体の責任とでも言えるだろう。
    一部の人達に責任を負わせることはできまい。
    結局、この裁判そのものに意味がないと思う。たまたま運悪く教師やそこに居合わせた大人のなかにその知恵を知っている人が誰もいなかったという運・不運の問題だから。

  • 結局、森友学園問題も加計学園問題もフェイクでなかった。前者は財務省の公文書偽造が明らかになり、後者では、官邸を訪れた愛媛県の職員が当時の首相秘書官柳瀬唯夫氏が「本件は首相案件」と述べたことを備忘録(これは公文書ではないが、準公文書といってもいいのではないか)として残していることが明らかになった。
    これで安倍氏も言い逃れはできなくなった。愛媛県知事もこの記録(備忘録)は本物だと認めている。元通産官僚の岸氏は「『首相案件』という言葉を本当に使ったかどうかわからない」と語っていたが、仮にそうだとしても首相が強く押している事案だという趣旨の発言はあったと言わざるを得まい。首相の影響があったことは間違いないだろう。
    森友も加計問題も朝日新聞などのフェイクだと言っていた高橋洋一氏やTVのコメンテイター諸氏も、わざわざ「森友も加計問題もフェイクだ」という本を書いた人も、朝日や毎日、東京新聞など左派系のジャーナリズムを非難した多くの人々も、そろそろ眼を覚ましていただきたいものだ。
    政府がおかしなことをした時に、あるいはしようとしたときに、政権を批判するジャーナリズムは必要なのだ。さもないと北朝鮮のようになってしまう。
     これまでも日本の資料では日本の近現代の歴史の真実が明らかにならなかったものが、数十年の時を経てアメリカ国立公文書館の歴史資料の公開によって明らかになるケースがたくさんあった。日本では未だに公文書をきちんと残そうとする姿勢が、国家に、政治家・官僚にない。隠す方が多い。公文書偽造はいわば歴史の書き換え、ごまかし、ねつ造である。歴史の真実を大事にしない国家というものは、市民の信頼も他国の信頼を得られないのではないか。日本はそんな国ではないと信じたい。

  • 佐川氏は証人喚問で何も話さなかったことでかえって自分を追い詰めてしまったのではないか。今回の公文書偽造は小泉進次郎氏が言うように「平成の政治史に残る大事件」だ。
    自分が関わっていたのなら潔く言うべきだった。小泉元首相は、佐川氏の国税庁長官起用に「首相も麻生さんも適材適所と何度も言い切った。判断力がおかしくなっている」と言い、「(昭恵夫人が)関係していると知っていたから、答弁に合わせるために改ざんを始めた。(財務省が)忖度したんだよ」と某TV番組で話しているが、まさに核心を突いた発言だろう。多くの人が納得のいく答えではないだろうか。
    安倍氏は「私や妻がこの件に関わっていたら首相も国会議員も辞める」と言っていたが、
    直接ではなくとも間接的には関わっていたことは、法的には立証は困難であっても、客観的には明らかであろう。安倍氏は潔く決断すべきだ。自民党には安倍氏の代わりはいくらでもいるだろう。
    「「いい土地ですから、前に進めて下さい」との発言あり。」(書き換え前の公文書)に対し、
    安倍首相答弁「妻に確認いたしました、『そのようなことは申し上げていない』ということでございました。」
     安倍氏の言い方はあまりにひどい。妻に夫が確認して「言っていない」といえばそれで済むと思っている。そんなことは確認にもなるまい。それに従えば、籠池氏は「昭恵夫人から100万円もらった」と言っている。籠池氏夫人が「主人(籠池氏)に確認いたしました。『そう言っていた(=昭恵夫人から100万円もらった)』とのことでございました。」というのと同じだろう。そんなことは、到底確認にはなるまい。こんな答弁を国会の委員会でする方もする方だが、許す方も許す方だ。
    元財務省(旧大蔵省)官僚で小泉政権時代に竹中大臣の部下だった高橋洋一氏は、今回の森友学園国有地売買に関する公文書偽造問題について、もし朝日の報道が事実なら財務省が解体、朝日の報道が間違いなら朝日新聞が解体するだろう、と語っていたが、朝日の報道は正しかったようだ。何人かの論客は朝日を批判したことを反省し、後に自分のミスを認めていた。財務省がどのような結末を迎えるのか注目したい。

  • 確かに政権を担えるのは現在、自民党ぐらいだろう。他に受け皿になる政党がないから。それは戦後自民党が、政治的に中立でない限り政治を教えてはならぬと、学校で政治を教えないように日教組や他の教職員を抑え、政治教育を阻止し続けてきた影響が大きいと思う。みなが政治に関心を持たず、政治教育もさせないようにしてきた=ほとんど「禁止してきた」に等しい。社会に出て働くようになれば誰も政治のことを考える余裕などなくなる(本当は誰もが考えなくてはいけない問題なのに)。だから、まともな政党も政治家も、そして選挙民=有権者も、育たなかったのだと思う。若者はスマホで思考力が低下した。
    安倍政権は経済政策は多少まともだが、他はひどい法案が多い。教育基本法改正、武器輸出解禁、特定秘密保護法、集団的自衛家容認の閣議決定、安保関連法、共謀罪法、裁量労働制法案等々。教員免許更新制では更新時の学校への支援体制が不十分なため多忙な学校が一層忙しくなり教師は疲弊している。労働者派遣法改正にしても派遣社員の5年での雇止めを許し正社員への道を閉ざすとは情けない。税制は巧妙に増税を仕組んでいる。本来なら、経済政策はまともで、他の政策はもっと慎重に丁寧に仕上げるような政党が望まれるのだが、そういう政党は残念ながら今の日本にはない。民進党=旧民主党はほぼ絶滅状態だ。今の日本には二大政党を担う野党はいない。そんなことはみんなわかっている。だからといって、政権を独占した政党が何をやってもいいわけではない。市民はせめて一党だけに支持を集めるのをやめてわざと野党議員を増やしてはどうか。今の状況は安倍政権の好き勝手し放題だ。あまりに政治家、政権政党のレベルが低下している。
    そんな中で今回の森友・加計問題が出て、森友問題では国有地取引の公文書偽造が明らかになり財務省が認めたことで大問題になっている。佐川氏自身は公文書偽造をする理由がない。優秀な官僚が自ら罪を犯すことなどするはずがないだろう。公文書の原本は具体的な名前が記載され、俺たちはこんな無理をさせられたのだという証拠のような内容だった。下級官僚の恨み節が聞こえるようだ。
    政治家には政治家の、官僚には官僚の役割がある。それをわきまえず、官邸が権力を独占し、政治家が官僚を支配すればどういうことになるか。森友事件はその愚劣ぶりを見事に示しているのではなかろうか。

  • 森友・加計問題はフェイクニュースだと一部の人たちは騒いだ。が、財務省が森友学園との交渉内容について「記録を廃棄した」と言っていた、その文書の存在が明らかになったことでフェイクではないことが確認されたと言える。その上、近畿財務局の「森友学園国有地取得問題に関する」公文書書き換えの事実が明らかになり、3月13日、財務省が改竄を認めるという民主主義の根幹を揺るがす大事件にまで発展した。
    加計問題も手続きは一応踏んでいるが、フェイクとは言えないと思う。規制を突破した面は評価するにしても、大学の中味が「定員数、教師陣・学科内容、外国人留学生20名の受け入れ前提」にしても庶民に対し全然説得力のないものだった。
    そして先頃の働き方改革での裁量労働制の問題では、政府はその内容や現状を十分知らずに決めようとしていたわけだ。
    安倍内閣は確かに景気回復・税収増・失業者減少など経済で実績を上げたが、他のほとんどの問題というか法案では十分な議論もせず、政府や与党議員自身が十分理解できないまま決定してしまっている。強引な政権運営は相変わらずだ。いくら多くの法案を成立させても、中身が十分わかっている与野党議員が十分議論した上で決めなければ、まともな法案はできない。
    裁量労働制の問題のように十分わからない国会議員や政権与党が決めてはならないのだ。
    憲法とて同じこと、憲法9条を普通に読めば、常識的に考えて9条2項を残して自衛隊の存在を明記するのは無理がある。憲法の専門家に任せるしかないのではないか。こういう法律の文言の改定は専門家や専門的知識をもつ少数の国会議員らに委ね、皆が理解しやすい表現でまとめてもらうしかないだろう。安倍首相や普通の国会議員の理解力・表現力では難しい。自分たちの希望を伝えるしかないのだ。
    もともと安倍政権は第一次の頃から法案を成立させるのに性急だった。ともかく法案の数を増やそうとしているように思えた。第二次政権以降もその拙速ぶりは変わらない。
    こんなことを繰り返しているようではまともな法案はできないだろうし、まともに評価されないだろう。長期政権の割にはたいした法案は何一つ成立させていないに等しい。
    むしろ逆に,秘密保護法、安保関連法案、共謀罪法案等悪法を作ってきた。
    もういい加減国民は目覚めるべきだろう。こんな非民主的な政権を許してはならないと

  • このYu-tubeは素晴らしい。政治や教育、民主主義を学ぶいい機会になると思います。
    戦後民主主義をそれなりに評価し、まともな日本を取り戻したいと考えている人はぜひ見て下さい。こういう映像をどんどん流してほしいものです。
    たまたま掲示板をうろついていたら見つけた記事、講演会にたどりついた。
    宝物を発見した時のような気分です。

  • NHK受信料訴訟最高裁判決について 
    判決骨子の要点の一つで
    「TVがあれば受信契約を義務づける放送法の規定は、国民の知る権利を守るために契約を強制するもので憲法に違反しない」と述べられているが、これはどう考えてもおかしいだろう。受信契約義務付けはしなくとも民間放送は視聴できるし、ラジオも聞けるし、新聞や雑誌も自由に買って読める(今ではネットやスマホも使える)から国民の知る権利は守られている。国民の知る権利はわざわざNHK受信契約がなくても守られ保障されていると言える。
    それなのにTVを見ない人や見たくない人にも強制的に払わせるのは、商品を買う時に気に入らないもの、必要ないものを、買う人が納得しないのに強制的に買わせるのと同じことで、選択の自由を奪い、また契約したくないし納得していないのに強制的に契約させられることは契約の自由を奪っている。被告は「契約の自由」等を盾に闘ったが、それに対し最高裁は十分納得できる説明をしていない。また払わないことが公共の福祉に反するとも思えない。なぜならすでに、われわれの払った税金である国家予算の一部がすでにNHKに渡されているからだ。
    もう一つの要点「受信料制度は特定の個人や団体、国家機関の影響がNHKに及ばぬように、放送を受信できる人に公平な負担を求めるものだ」については、すでにこれまでの経過で明らかなように、国家機関の影響が及ばぬようにどころか自民党政権下で同党国会議員の介入を何度か受けて(国家機関の影響を受けて)番組を変更・中止している。安倍政権はNHK会長や経営委員の人事にも深く関わり、元会長の籾井氏のように「政府の言うとおりにする」と発言したり右翼的な委員が任命されたりしているように国家機関の影響が及んでいる。最高裁の判断理由はとても納得できるものではないだろう。
    元東京地裁裁判官の瀬木氏は「日本は大陸法系の制定法国ですから、判例に厳密な法的拘束力はないです。裁判官は、最高裁と違う判断をしても構わないんです。最高裁判決が適切でないなら、本来は下級審判決がそれとは異なる流れを作って、最高裁判決を変えてゆくべき。そうでないと判例が発展しませんね」と述べている。

  • 衆院選は自民党の大勝ではない。自民支持とリベラル系支持は互角だ。

    2017.10.22.衆院選の結果は自民284、公明29、立憲民主党55、希望50、共産12、維新11、社民2、無所属22、計465議席だった。自民党の圧勝と報じられたが、果たしてそうか?
    比例区の得票数全国集計でみると、自民とリベラル系(立憲民主、共産、社民の合計)で比べると、自民:リベラル=18555717:17030295=33.3%:(19.9+7.9+1.7)%=33.3:29.5とほぼ互角なのだ。小選挙区では自民党は全選挙区に候補者がいるから圧倒的に票を集めたが、実質的な政党支持率でいうと大差ないのが現実だ。
    小選挙区で相手がいないから勝っただけで実質的な支持は少ないのだ。リベラル系で経済政策がまともでかつ自民党に対抗できる政党があれば自民は負けるかもしれない。そうでなくとも保守で自民に対抗できる勢力をもち、自民党政権より国会運営が穏健で誠実な政党が現れれば、そちらへ支持が動くだろう。
    憲法改正に関しても改憲に反対な勢力が3割近くはいるということを、自民党は忘れてはなるまい。
    一大政党だけで二大政党がない日本の現状ではイスラエルのような全国比例代表制が妥当な選挙方法だろう。少なくとも比例区は全国区のみにした方が民意を反映しやすくなる。もともと比例区を全国10地域に分けたのも当時の自民党政権が自分に有利なように決めただけだ。野党側は比例区を全国区にすることを望んだが無視された。
     小選挙区は2大政党があってこそ意義があるが、対抗馬がなく大きな政党が一つしかなければ意味がなくなるのだ。つまり自民党は今回の選挙で大勝したわけではなく、ほとんどの試合で相手がいない不戦勝だったということだ。小選挙区で自民党議員にまともな対抗馬がいない場合は、小選挙区は比例区の得票率で議席配分した方が理想的だと思う。勝利した自民党議員の多くが「謙虚に」と言っていたが、この現実を実感していたからではないか。
     安倍首相はじめ与党議員はこの現実を真剣に受け止め傲慢かつ強引な態度はやめ、丁寧かつ理性的な、つまり反対派を十分納得させられるだけの議論を尽くす国会運営をすべきだろう。自民党は意外と支持されていない。リベラル系支持層はがっかりする必要はないし、自民支持層も好き勝手な政権運営ができるとおごってはいけない。

  • 今の日本の世の中を見て、子供を産み育てようという積極的な気持ちになれるだろうか。小中高など学校でのいじめ。幼児の誘拐・殺人事件の増加に伴う小学校の通学路の指定化、登下校の見守り。モンスター・ペアレンツ、モンスター・ペイシャントなど身勝手な大人の増加(最近の高速道路等でのあおり走行による交通事故死等も)。DV(ドメスティック・バイオレンス)の増加に伴う犠牲者の増加。大学や会社でのパワハラ。貧富の差の拡大。非正規雇用が4割超まで増加し正社員は7割を切った。中高年の再就職の困難さ。高額な学費を要する大学へ行くのに必要な多額の奨学金、それによる自己破産の増加。多くの奨学金は昔と違って、信じ難いことに無利子ではなく利子付きである。
    政治は実質的な野党がないことによる自民党一党独裁政権の様相を呈し、官僚の人事権まで内閣人事局が握り、権力をほぼ独占した首相・政権が強行採決など強引な政治運営、国会でのヤジ、TV局などマスコミには公平な報道を強いるなど(ちなみに米大統領選ではニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは公然と反トランプの姿勢を明確にし、ヒラリー・クリントン候補を応援していた。支持を明確にすることは許されるのだ)横暴な言動、好き勝手のし放題。対抗勢力となるまともな政党や政治家もなかなか出てこない。多くの国民の政治意識レベルの低さと並んで、立憲主義すらわきまえないほど憲法も十分知らず、現行憲法の憲法擁護義務まで放棄する政権与党議員等。
    こんなに自己中心的かつ身勝手な風潮の世の中で子供を産みたい、育てたいと思うだろうか。本能的に今の世の中では子供を産みたくない育てたくないという女性が多いのではなかろうか。子供が増えそうもないと感じるのは当然だろう。
    少子高齢化にはさまざまな理由が挙げられるが、人口減少は避けられないのだから、1億2千万人が8千万人に減っても、よりゆったりと安心して暮らせる社会を創ればいいのだ。わがままな人間を減らし公平・公正さをめざし、みんなが協力し暮らしやすい社会を創ることが少子高齢化解決への道につながるのではないだろうか。

  • 福井県池田町池田中2年生自殺事件(2017年3月)。自殺した生徒は生徒会副会長だった。
    マラソン大会の運営準備の遅れを担任に怒鳴られた。宿題を忘れ副担任に叱責された。生徒は母親に「自分だけ強く叱られる。どうしたらいいかわからない」と訴え、母親が副担任の変更を要望したこともあった(これは副担任を怒らせた可能性がある)。担任に「生徒会活動をやめてもいいよ(≒やめろ)」と大声で怒鳴られた。自殺前日の3月13日には宿題を提出できないことを副担任に問われ、過呼吸状態を起こした。
    中学生が教師に対抗するのは、腕力があるか図太くて不良っぽい生徒でないと難しい。普通の生徒は大人の高圧的な態度には恐怖感を抱き圧倒されてしまうだろう。中学生は副会長で真面目な生徒だったようだ。今回は担任二人が強権的だった。普通は一人が叱ればもう一人はなだめるのだが、そうなっていない。母親も子供に相談された時、父親と共になんとかしてやるべきだったのではないか、とも思う。担任も、生徒の要領が悪いのなら適切な方法をアドバイスできたのではないか。教師の側に相手の気持ちを考える余裕がなかったのだろう。
     叱責も強ければ言葉によるいじめと言えなくもないが、叱られて過呼吸になるくらいだから相当プレッシャーを感じていたのだろう。宿題を忘れたのもマラソンの準備の遅れに強い責任を感じ、本来忘れるはずがないのに忘れてしまったのかも。教師ならそれぐらいには気づいて、遅れを取り戻すのが難しそうなら助言してあげてもよさそうなものだが、二人ともそこまで配慮できる成熟した大人ではなかったようだ。マラソン大会の準備では万一に備え教師が補佐するのは当然だろう。
    先生も生徒もお互いの意思を確認すべきだったと思う。教師は生徒にマラソンの準備ぐらいできるはずと強引な指導をし、生徒は十分にできるかどうか自信がないのにできる、と言ってしまったのではないか。できないなら素直にできないと言えばよかったのだ。
    ともかく準備の遅れや宿題忘れぐらいで深刻に悩む必要もないことを、誰かが彼に話してほしかった。死ぬ必要など全くない。生徒も責任感の強さから責任の重さを感じるのはいいが、できるかどうかわからないものまでやろうとする必要はないのだ。
    冷静に考えれば、マラソン大会が遅れたところで誰が死ぬわけでもケガをするわけでもないことはわかるだろう。惜しいことをした。

  • 今回の衆院選、希望の党は結局、自民党と大差なく政権の補完勢力にすぎないことがわかって失望され、小池氏の失言もあって失速した。
    政権を担えるのは、確かに現在、自民党ぐらいだろう。小選挙区で二大政党制を担う相手がいないのだから選挙に勝つのは当然だ。だからといって政権が不当な法案でも何でも強引に決めることを許していいのだろうか。今回の正当な理由を欠く自分勝手な解散権の乱用も本来は許されないはずである。法に反しないからといってあまりに良識に反する行為は政治の最高権力者のとるべき態度ではないだろう。ある議員が言っていたように欧米諸国では首相等の解散権に議会の承認など制限がついているので安易に解散はできない。首相や閣僚、与党議員が権力を思うままに操り、国民の多くが反対する法案を勝手に数の力で強引に通すことを認めるのだろうか。それは本来の議員内閣制(代議制民主主義)とは違うんじゃないか。安倍政権の経済政策はまともな方だとは思うが、他の政策に関してはあまり評価できないものが多いんじゃないだろうか。教育基本法改正、秘密保護法、集団的自衛権容認の閣議決定、武器輸出解禁、安保関連法案、道徳の教科化、共謀罪法案など議論もろくにしないで強引に決める。法案成立のやりかたの強行さも含めて納得できまい。圧倒的多数を占めるのだから、きちんと十分な議論をしてから決めるべきだ。
    今回の無駄で不必要な選挙で自民党を勝たせたりしたら、その投票結果をもたらした人々は、安倍政権の勝手な行為にまんまとだまされ、政権の強引なやり方を認めることになるということを忘れないでほしい。国民はただ政権に翻弄されただけになってしまう。小池氏の希望の党の出現で野党が混乱したが、少なくとも身勝手な解散に反対の意思表示を投票で示してほしいものである。

  • 今回の無駄な解散後の無意味な選挙。くだらないが、面白くなってきた。
    自民・公明・維新、希望の党という右派勢力と、立憲民主党、共産・社民という左派勢力がはっきりしてきた。有権者としては選びやすくなるだろう。
    これまで民進党は民主党の敗残組で絶滅寸前の政党でありながら、どちら側か不明の政党だったが、分裂によって主張がわかりやすくなり、有権者は選択しやすくなった。
    秘密保護法、集団的自衛権の閣議決定容認、安保法、「共謀罪」法、憲法改正に賛成か否か、等々主張に明確な差がある。原発も維持か将来廃止かに分かれるが国民全体としては将来廃止派の方が多いようだ。
    「希望の党」小池氏は明確な右派それも極右に近いとも言える。安倍氏と同類である。
    本来女性の支持をそれほど集める存在ではないが、政治的見解を知らぬ人達からはムードで何となく支持されている。一方、リベラル系の最大の課題は経済政策の貧弱さだ。
    これまで選挙は自民の圧勝でありながら、国民の多くの支持を得ているのか疑わしい。民主党が潰れ消滅寸前で、小選挙区で対抗勢力がないから勝てている。それは自民党の得票数をみればわかる。都議選での完敗という結果からも明らかなように、根本的な支持ではなさそうだ。
    今回の選挙では左派支持層がどのくらいいるのか推測できるだろう。リベラル系支持者がどの程度存在するのか知りたいものである。憲法改正が本当に多くの国民の声なのか、私は疑問に思っている。
    なぜなら憲法そのものをもっと皆が知る必要があるからだ。改正に賛成だとしてもどこをどう変えたいのかが重要である。憲法の基本を知らずに全体を変えるなどとんでもない。自民党の憲法草案は憲法の基本概念すら理解していない代物だ。日本人は昔から自分で考えないでムードに流される傾向がある。ネット社会になってからは一層その傾向が強い。せっかくの日本国憲法をもっと学んで理解してから変えても遅くはない。憲法の中味を理解し、もっと憲法の内容=精神を社会の中で実現した上で改正が必要なら改正すればいい。改正に必ずしも反対の立場ではないが、憲法や政治に対する一般の理解度を考えると、憲法改正は時期尚早だと思う。政治がここまで劣化したのは、国民の多くが憲法を十分理解できておらず、候補者の演説を直接聞く機会が乏しいため政治家の資質がチェックされないからではないだろうか。

  • 蹴るってのは明らかに暴力ですよね。暴力に対するしっかりした対応って何ですか?少なくとも攻撃された側には自分を守る権利がある。だとすれば、腕力を使ってこの生徒を抑えることは許される、そういう権限を教師に与えるべきではないですかね。そしてこのような場合の腕力の使用は暴力ではなく正当な力の行使、腕力の使用だということです。
    こういう事件をみていると、ただ形式的に暴力を恐れている、もしくは避けているとしか思えない。他人に危害を加える暴力はいけないが、危害を加えられた側が反撃する権利は当然認められねばならないのではありませんかね。多少過剰に反撃されても、暴力を振るう側は文句は言えないのではないでしょうか。
    このような場合の解決法の一つは、反撃は許される、ある程度過剰になっても大ケガをしない程度であれば許されるぐらいにしておけばいいのではないですかね。
    そして周囲の連中が腕力を使って止めに入るのも許されるとしておけばなおいいでしょう。
    こういう連中は自分が痛い目にあえば多少は考えると思いますよ。
    すぐ警察に引き渡すのは教育者としてどんなものですかね。こういう生徒を矯正して社会に送り出すのが学校ではないんですか。教育とはそういう風に一回の過ちで警察にまかせるのではなく、多少の過ちは教え諭して直してあげるのも教育でしょう。

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