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投稿コメント一覧 (178コメント)

  • >>No. 1

    >日本国憲法は問題だらけの欠陥法で有り、成立過程が不正である違法な法律です。
    改正する部分は多々有りますが、現在の日本を取り巻く国際情勢から先行して改正する部分は「第9条」でしょう。
    現9条に条文を加えて日本を自衛できる国、国民を守れる国にしましょう!


    現行憲法に於いて、日本を自衛し国民を守るシステムは、実質的には米軍による抑止力に依存しているわけです。
    別の言い方で表現すればアウトソーシングの活用です。
    これは費用対効果として割りに合わなくなる可能性があるけどね。
    じゃあ、自前の国防軍を創設させる方が得になるのかな?
    仮に、日本が国防軍を創設するとして、人材と予算はどうするの?
    少子化が進む社会でAIやロボットに代行させられるなら別だけどね。
    核弾頭を実戦配備するぐらいしか手が無いだろう。
    だったら、9条を改正しても自衛権の性質は変わらないよ。
    自衛権って違法性阻却事由じゃん。

    そもそも、軍事力のみに依存して国家防衛が果たせるとの考え方が前時代的発想だと思うよ。経済的覇権を握る方が国家の安全保障上より重要でしょう。

  • >>No. 19012

    >「善悪判断上」の指針とは言葉を換えて語れば、国民総員の平均的な「道徳基準」としての役割を担っていると言えるのである。
    ここに憲法が、国民に取っての「道徳的指針」の役割として、立派に存在しうることが言えるのである。


    これは表現として「倫理基準」「倫理的指針」とするべきですよ。
    憲法は国民という人格上の権利や義務を規定したものです。
    人間そのものを規定し善悪を判断する基準は「道徳」と呼ばれます。
    ある特定の人格に紐付けされるのが「倫理」です。

  • 国旗だの国歌だのと大げさに考えてはいけない。

    要するに、学校の校章や校歌と役割りは同じである。

    つまり、生徒のアイデンティティを形成する為の象徴的な役割りである。

    だから、生徒達は生み出された一体感を保持し、卒業後も同窓会などを主催する。

    国旗や国歌も基本原理は同じである。日本人としての愛国心を涵養し良き市民を形成する為の象徴的役割りである。

    しかし、ここで言う「良き市民」とは、権力者から見た「(都合の)良き市民」である。

    この様な「統治機構(政府の役割)」の在り方を基本原理と理解する市民は多いだろう。アリストテレスの考え方とも一致する。

    しかし、近代において国家が肥大化すると政府も時に腐敗する。結果として国民の財産や生命を大浪費するのである。

    その様な歴史の慣性を学ぶ事から近代国家が生じて来たのである。

    日本が近代立憲主義国家を歩む文明社会であるならば、「良き市民」とは「理性的に行動する自律的人間」である。

    故に、国旗や国歌は良き市民が自由な発想で選択するべきことなのである。

    国家の為に国旗や国歌があるのではない、国民の為の国旗や国歌なのである。

  • 君が代は、まあええとして。
    日の丸は、デザインがダサすぎるよ。
    何で白地に赤丸なんだよ。
    日の丸弁当の自虐風自慢じゃああるまいし、もうちょい有意義なデザインにするべきだ。

    そもそも、国名ニッポンも良くない。「日出ずる国」という意味で「日の本ニッポン」なんだけどね。一体、何処の国から見た方角なのかな?
    つまり、中華思想の視座に基づく方位を示した蔑称とか、ニッポンの虚勢を表現した呼称なんだよ。

    すげーアホくさい自虐的国名だってことを国民は自覚して欲しいね。

    だから、国名は邪馬台国とかヤマトにするべきだよ。国旗はスタバのデザインみたいに卑弥呼を象った女神像にするべきだ。
    これこそが我が国のオンリーワンであり独立自尊を育む本来の国家像である。

  • >>No. 110

    >天心は知りません。
    しかし、天皇制は完璧だから美しい。そう思っています。<


    あなたの個人的な感想は必要ありません。
    日本の伝統と天皇家の関わり、そして日本人の美意識について、説明してください。

    天心は知らなくても、「ワビ・サビ」という言葉は知っているはずです。

  • >>No. 107

    >むしろワンセットの方が切り替えの心理が働きやすい。<




    日本の美意識には、「ワビ・サビ」に象徴される文化や伝統があります。そうした日本人の心理を岡倉天心『茶の本(The Book of Tea)』は、不完全性(imperfect)と表現しています。


    つまり、効率的で完全なものから隔絶した心理・世界観に日本人の美意識・伝統が存在するのです。ですから、あなたの主張する効率化の試みが古来からの日本の伝統や文化を反映しているとは言えないし、日本人の心にも響かないでしょう。



    【わび(侘び)は動詞「わぶ(侘ぶ)」の連用形で、本来は、劣った状態や不足すること、思い通りにならないことからの寂しさを表す言葉。】

    【さび(寂び)は動詞「さぶ(寂ぶ)」の連用形で、時間の経過とともに劣化した様子の意味から、古びて味わいのあること、枯れた渋い趣、閑寂な趣を表す。】

  • >>No. 105

    効率的ならいいってことなんですか?

    そもそも、伝統の継承という言葉の対語として、合理主義の考え方を提示するのが一般的な文理解釈ですから、伝統を合理主義で擁護する試みは説得力がありませんよ。

    葬儀の礼も大事だし、即位の礼も大切です。敢えて表現すれば、「非合理であるからこそ価値が存在する」それが伝統と呼ばれるのですよ。

  • >>No. 102

    >残された家族の儀式の大変さを思ってなんでしょうか。<


    それを根本的理由とは言えないですよ。
    別に、家族の生活を守る為に天皇位を継承する訳ではないでしょう。

  • >>No. 100

    >今上陛下は国民と共にある、その信念が窺われていました。
    ところが、今回は唐突な発表。
    どうも腑に落ちませんね。
    それとなく発表する機会は有ったでしょうに。
    結局、国民が広く論議する間もなく決定することに成る。
    それって、どうなんでしょうかね~。<



    今上天皇は「①国民と共に憲法を守る」と述べています。「②国民に寄り添う」ことも言われ、「③日本国民の安寧を願い祈る」と仰いました。しかし、「国民と共にある」とは聞いたことがないし、そもそも意味不明です。

    陛下は象徴天皇の在り方を模索し自分なりの*【信念】に基づき譲位が望ましいと述べられたのです。*【①は象徴天皇への合意、②は国民統合力の源泉、③日本国の象徴的役割】ですから、最初に陛下の固い決意があり、国民に理解(事後承諾)してほしいと言っているのですよ。

    だから、国民に聞くまでもなく、議論が進んで当然なのです。

  • >>No. 98

    >それはそうですが、あの有識者とやらがやってるとなるとね~。
    もっともあれは飾りで、実際は官僚がやってるのかな。<


    皇室典範に関する有識者会議は、以前から行われています。そのような経緯から、法務省内では既に、想定されるであろう法案の骨子は複数有ります。その意味では内閣政府の方針と、政治的な裁量に従って有識者を集めたのですから「お飾り」とのそしりは免れないでしょうね。

    憲法三条において、天皇はすべての国事行為に対して内閣政府の「助言と承認」が必要です。従って、「お気持ち表明」の責任は内閣政府が負うのですから、シナリオは既に始まっていたと観るのが妥当でしょう。

  • >>No. 96

    >ところが現行法律上は家法とされていない。
    こまった事です。<


    法的性格は形式上一般法であるが、法的性質は家法とされています。
    ですから、今般の特例法にあたり内閣政府見解は、「法的性質上、集議を経るべきもので無いので、静かな環境の下に議論を重ねる事が必要」とマスコミの報道を牽制しています。
    おそらくは、内々に皇族方との意見交換を踏まえ議論が進んだと観るのが妥当でしょう。

  • >>No. 94

    >だったら、その年齢を決めて置けばいいじゃないの?<


    皇統の継承は、皇室の家法ですから、皇族方がそうしたいと決めれば、そうすればいいだけの話です。
    国民は、象徴的権能から逸脱しないかを注視するだけ。

  • >>No. 92

    >皇族の成人年齢に規定が有るのだから譲位年齢に規定が有って問題ないじゃないか。
    むしろ、高齢に成ると自ら判断できかねるから譲位が(強制的)必要になるのではないか。
    何より若いうちに譲位したいと言い出したらどうするのか。<


    皇族の自律主義を重視するというのは、皇室会議に図り承認を得るという話です。天皇の独断で物事が進むという事にはなりません。皇室典範の皇位継承順位等は「合議制」なのです。
    ですから、「若いうちに譲位したいと言い出し」ても、無制限に承認されることになりません。

  • >>No. 90

    >陛下の高齢譲位について
    特別法はどうかな。
    どっちにしろ、年齢での制限が必要だと思います。<


    原則論を述べれば、皇統の継承は皇族方の家法であるから、譲位したければ、そうすればいいだけの話なのです。

    ただし現状では憲法上の制約をクリアーしなければなりませんね。そこで問題になるのが、「皇室典範」の法的な性質を理解することです。日本国憲法の第1章が天皇ですね。この条項は第13条からなる基本的人権に反しています。つまり、天皇条項は憲法の例外規定に当たります。ただし、例外規定は最小限度に留めるのが原則になります。

    従って、天皇の地位が、憲法の例外でありますから、その性質を含意する「皇室典範(の解釈変更も含め)」に関しては、皇室の意向が優先されて当然なのです。

    ただし、制度上の天皇が無制限に振る舞える訳ではありません。皇室予算が支出され、象徴的権能の逸脱は出来ません。故に、納税者に対する合理的配慮の中で、皇室の意向が反映されることが重要になります。


    そこで、「高齢に伴う象徴的権能の劣化を譲位によって回避する」との考え方は、人道上も合理的配慮に適合していると思います。


    ですから、特例法であっても、法的な性質は変わらない。つまり、内容が合理的配慮に適合するか否かが、最も重要なのです。
    また、皇室の自律主義を重視するならば、「年齢での制限」は些かお節介となりかねません。天皇が自らの判断で高齢譲位を適時決断するのが自然だと思います。

  • >>No. 88

    >その前は神国思想が無かったというよりも、気が付かなかったと言う方が正解なんじゃあ有りませんかねえ。<



    歴史に「正解」はありませんが、「神国思想」をどう解釈するかによるでしょう。ある種の「絶対神による支配体制」と考えるなら、日本人の体質とは馴染まないと思いますよ。



    >神仏習合も仏教優位ではあったが、内実は仏教が日本化、神道化していたんではあるまいか。<


    日本の仏教は、仏教にあらず。
    と呼ばれています。
    まぁ、インドから中国に渡る過程で90度変化し、日本へ渡る過程で更に90度変化しました。つまり、日本の仏教はオリジナルの仏教から180度変化した事になり、詰まる所、「仏教でも何でもない」という事になりますね。

  • >>No. 86

    >天皇は法王に成るには退位しなければならなかったのでは?
    なれば天皇は神道でしょう。
    ま、葬儀は仏式でやっていたそうですけどね。しかし神道を捨てたわけではない。庶民はお蔭参りなどが流行っていた。
    それで天皇を知らないとは考え難い。<



    聖武天皇のように、仏教への帰依から仏門に入った例もありますよ。そもそも、「本地垂迹説(仏や菩薩の顕現が神様)」という考え方が当時の日本の神仏習合の基本ですから、仏教の優位性の結果と捉えるのが自然でしょう。

    それが江戸時代の中期ごろに、「神本仏迹説」が出始める。つまり、神仏習合の価値観を巡る歴史の中に朝廷が存在した訳で、一口に「日本は神国です。」という訳ではない。むしろ神国思想は近世以降の考え方ですよ。

  • >>No. 84

    >天皇は神道です。これは説明不要。<


    天皇が譲位して仏門に入った場合は「法皇」と呼ばれます。奈良時代から江戸時代まで35例ありますよ。天皇が譲位し院政を敷く場合は慣例として出家し仏門に入るのです。ならば、「天皇は仏教です。」と考える人も多いのでは?



    >しかし朝廷の存在は馬鹿でもない限り知ってたでしょう。<


    その根拠は?

  • >>No. 82

    >憲法では信教の自由を認めているが政教分離は特に規定はない。
    そもそも日本は神国。それを憲法で規定しても良いぐらいだ。これは信教の自由とは矛盾しない。<


    まず↓は常識として理解してください。


    日本国憲法第20条は、日本国憲法第3章にあり、信教の自由と政教分離原則について規定している。
    “信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
    何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
    国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。(wikipediaヨリ)”


    その上で、「神国(神州)」という神国思想をあなたが信仰したければ、ご勝手にどうぞ。
    国家が特定の宗教教育はできませんので。



    >前半は正しいが、後半はどうかな。常に国民から支持される民主的な状態でもあったのだ。<


    皇統譜124代の歴史において、「国民(臣民)」という呼称は、明治時代からの創造物で、それまでの日本には、そもそも「国民」という概念がありません。
    江戸時代までの平民は、それぞれの藩主や主君のお顔ぐらいは認識出来たでしょうけど、朝廷の存在すら知らないと思いますよ。

  • >>No. 80

    日本国憲法の前文に、明白に書かれいるように「国民の代表」というのは、国民の厳粛に信託によって国政を担う指導者を意味します。

    つまり、国民の代表とは世俗の代表を意味します。政教分離の原則をキチンとわきまえてください。

    天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴です。従って、国民の代表でもないし、国政を担う指導者でもありません。

    聖なる存在としての天皇の権威がどの様な原理に由来するのでしょうか。それは皇統の歴史を紐解けば明白です。例えば、明治時代には「国体」という概念を用い天皇の統治権を【神話】に求めています。つまり、神武天皇の統治権を歴代天皇が継承し今に至っているのです。

    従って今上天皇は神武天皇の権威に基づき日本国を統治し日本の象徴として、また国民統合の象徴として君臨しているのです。

    結論的なことを言えば、天皇の権威は神勅に基づくものですから、聖なる存在です。故に、臣下の判断を仰ぐ必要性も無いし、ましてや民主的な存在でもない。

    つまり天皇にとって国民の価値は無に等しい。しかしながら、そのような臣下にさえ、天皇が自ら「国民に寄り添う」と宣言されたのです。これは天皇の無償の愛情であり「恩寵」なのです。

    それ故に、被災地の人達や国民の多くが癒やされ、天皇を支持しているのですよ。

  • >>No. 78

    >>「天皇が総理大臣を認証する国事行為は本末転倒の茶番劇である」となりますね<<

>そうです。現行の法ではそうなると思います。まあ国民の代表としての天皇という事でしょうね。<


    [民主的な手続きにより、民意を最大限に反映させる事。これが「国民の代表」として最も重要な根拠である。]
    このように、あなたは説明していたはずです。

    であるならば、天皇は国民の代表である必然性がありません。天皇の地位は、血統主義であり、皇嗣は生れながらに決定され、民意を反映する余地も自由意思を尊重する余地ないからです。

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