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投稿コメント一覧 (194コメント)

  • >>No. 2015

    あはは、
    君の腹芸には笑ったよ。
    そうやって、見え見えの論点ずらしの対人論証で遁走するとはね、実に面白い。大勢のギャラリーが見ているんだから、次は腹話術で楽しませてくれよ。

  • 日本国憲法は天皇が裁可したのである。この明白な事実だけで、天皇の正統性が憲法の外に存在する十分な証左である。

    どこぞのアホウが、天皇は違憲だの、憲法が天皇を正統化するだのと支離滅裂な解釈を晒しているが、この論理矛盾の戯言にコメントする価値すら見出せない。

  • >>No. 2004

    >天皇の正統性は憲法に求められるとしか言えん。この妄想太郎!


    ここで君が引用している"憲法”とは、日本国憲法を指し示しているのか?

    では、君に簡単な質問をしよう。日本国憲法を裁可したのは誰かな?
    もちろん天皇だよね。笑笑


    ところで君の論に従えば、つまり、天皇に拠って正統性を主張する憲法が、天皇の正統性を根拠付けている事になるよね?

    こうゆう日本語風の悪文を私は理解できないんだけどさぁ。

    普通は、「自己言及のパラドックス」と言って論理破綻しているんだけど。大丈夫かな?


    *参考
    日本国憲法
    朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

  • >>No. 2003

    >それを言うなら、サクセッションだろう?笑

    宗教的サンクションで正しい。ただし、(継承)というよりも(承認)と訳すべきで、この点は訂正しておこう。

    要するに
    サンクション(承認)=大嘗祭
    サクセション(継承)=皇祖系譜

  • 天皇の権威はどの様にして成り立っているのか?

    そうゆう疑問に対し、トンデモ説が横行しているようである。
    あぁ勘違いの最有力は「血統カリスマ説」である。

    例えば日本列島に在住する人種の系統と天皇家の系譜を同一視する誤謬である。
    これに対する答えは江戸中期以降に出ているのである。つまり、天皇家の始祖(皇祖)は神武天皇であり、神武天皇による日本の統治から日本国とするのである。だから、縄文だの弥生だのと系統論をグダグダと説明する必要性がないし、そもそも、「統治」という社会的事実性を根拠とした皇祖系譜論なのである。

    しかし、この系譜論は天皇の権威を半分しか述べていないのです。もっと、重要な天皇カリスマは大嘗祭からなる一連の儀式の中にあり極めて宗教色の強いサンクション(継承)に有ります。その内容について一般には公開されておらず、国民の大多数も理解していません。

  • >>No. 1997

    過去二千年に及ぶ(神武天皇からと考える場合もあるが)日本の歴史において天皇家を存続させ続いてきた事実を文化的な価値として認められると考えるのが一般的な常識人だと思う。

    その事と、いわゆる戦争責任に関する因果関係にケジメをつけることが出来ないグレーゾーンの価値観がしばしば衝突するのではないでしょうか。

    現在の象徴天皇制に対する国民の意識は概ね好意的と考えていいでしょう。天皇や皇室が必要であるかどうかは人それぞれの価値観に委ねられるでしょうけどね。

    日本国憲法の三大原則を中学の公民で学ぶ。そうすると国民主権、基本的人権の尊重、平和主義である。は?象徴天皇が憲法第一条よ始まる事実がそっくりスルーするんだよね。

    これは立憲主義の原則からしても、あまりにデタラメな説明になっているんだよね。結局はいわゆる「菊タブー」とされるグレーゾーンの中で日本国憲法が運用され政府の恣意的解釈の余地を許す結果になるわけです。

    そうゆう、有象無象の社会が日本の特徴とも言えるんだけどね。

  • >>No. 1994

    それはチョット違うな。
    日本人は、というか人間は何らかの神輿を担ぎ上げて、事あるごとに辺境にあるモノやヒトを屠りたがる性があるんだよね。いわゆるスケープゴートはどんな社会集団においてもあり得ること。たまたま、社会的不満が溜まってきたら、聖なるモノの威を借りて悪事を正当化したがる輩はどの時代でもどんな国でもあり得ることだよ。

    戦前の日本は、「鬼畜米英」なんてスローガンを掲げてたのに、マッカーサーがテンノーを救ってくれたと国会で感謝の意を決議して以来、親米社会に手のひらを返しているんだよね。

    つまり、テンノーを利用する側が問題の本質だってことはだよ。
    悪事を働く側のクズさ加減をテンノーに責任転嫁しても解決するわけないじゃん。テンノーが居ても居なくても、クズはどこまでもグズとして存在するんだよ。

  • 何一つとして反駁出来ず、遂には論点ずらしの対人論証で遁走するつもりですか?

    君の腹芸にしては、あまりに陳腐過ぎて失笑を買うことになりますよ。次は腹話術でもして楽しませていただきたいですね。

  • >>No. 546

    縄文時代の約一万五千年間は殆ど戦争が無いとされている。それは狩猟採集社会の特徴であり、かつ日本列島が天然資源に恵まれた環境であったから、争いよりも協調する方が遥かに利益となるからである。ところが弥生時代になり農耕社会になると開墾する為の土地が必要となり備蓄による資源の流動化が損なわれた結果として紛争による土地の摂取や資源の掠奪が始まるのである。それが戦争の主な理由である。
    要するに、戦争を防ぐ手立ては資源を流動化する事である。現在行われている米中経済戦争も資本の流動化や情報の流動化を巡る紛争なのである。
    中東地域において紛争が絶えない理由も砂漠地帯に資源が少ない上に石油資源が偏っており流動化が損なわれているからである。哲学や形而上学など無関係である。渋谷のスクラブ交差点を観るまでも無く、中東においてもドバイやサウジ等資源国の現況を見れば経済環境と治安維持の相関関係が一目瞭然である。

  • >>No. 550

    >「星の世界」はあるが、「星の社会」はない。この差わかるかね。


    星新一の小説でも読んでなよ。
    グダラない。ガンダムの世界観に行けば星々が連合して紛争する社会観が描いてある。その様な空想の中では「星の社会」が描かれているぞ。

    アホ臭くて付き合ってられんぞ。

  • >>No. 545

    では、星は戦争場所ですか?
    地球という固有名詞により時間や空間を特定すれば、地球は戦争場所と表現できるでしょう。

    では、社会とは星と同じく一般名詞です。
    「社会は戦争場所ですか?」という表現は、「星は戦争場所ですか?」という質問と同じです。
    時間や空間を特定しなければまるで意味がない文字の羅列に過ぎない。

  • >>No. 542

    社会は記号である。集団であり仲間を示す言葉に過ぎない。社会には実体がないの集団の繋がる形式によって様々な〇〇社会が存在する。世間戦争が無いように社会戦争もあり得ない。バカげた君の主張と同じである。
    社会は一般名詞であるという常識がないのか?
    星や植物と表現する使い方と同じである。

  • >>No. 533

    >ところで、欧米の「個」の土着イデオロギーの代わりに日本では、日本での「世界」や「世間」の荒波に揉まれながらできた人間を称して「人物」という概念がある。


    「対立する社会」という表現は、いささか誤解を招く言い回しである。
    要するに、人間には規範意識というものが存在する。フロイトによれば自我という領域と無意識という領域が存在しており一般的には自我意識において「物事を考え判断する」のである。ところが共同体集団においては、其れ自体が規範意識体として機能することから「物事を考え判断する」という対象物が存在しないのである。故に「対立する社会」が成り立たないのだ。

    つまり、日本において「人物」とは正に「物事を考え判断する」という対象物が存在しない人間を意味するのである。
    欧米の「個」は自我意識の領域において活動する「人格」として顕在化するのである。

  • >>No. 531

    集団においては、二種類に分類できる。機能集団と共同体集団である。

    例えば、欧米において会社は機能集団であり、宗教的共同体を形成している。日本においては明治以前まで地縁共同体を形成しており、故に古来日本における「個」の形成は、いわゆる村落共同体や世間体の中で形成された世界である。

    明治維新後において政府の政策的意図により、村落共同体を崩壊させ都市部における産業化や近代文明の発達を強化したのである。その過程で、様々な思想操作により廃仏毀釈や尊王教育を行い国家という概念を刷り込んでいくのである。
    翻って戦後日本においては、会社が共同体集団として台頭するのである。

    つまり、欧米において会社は単なる機能集団であり、その意味では人間が対立する社会集団である。ところが日本において会社は共同体集団としても存在する為に人間が対立しない社会集団なのだ。

  • >>No. 529

    そもそも「社会」という文字は、外国語を翻訳する為の和製漢語として幕末から明治初期に使われた文字。そして明治中期以後は「social」の訳語として定着した。つまり、記号でしかなく概念としてはラテン語のソキウスに語源を持つ「集団」や「仲間」を示す言葉である。

    要するに「社会」は世間でもあり、世界でもある。概念としては日本古来の言語とさほど変わらない。

  • >>No. 1

    >日本国憲法は問題だらけの欠陥法で有り、成立過程が不正である違法な法律です。
    改正する部分は多々有りますが、現在の日本を取り巻く国際情勢から先行して改正する部分は「第9条」でしょう。
    現9条に条文を加えて日本を自衛できる国、国民を守れる国にしましょう!


    現行憲法に於いて、日本を自衛し国民を守るシステムは、実質的には米軍による抑止力に依存しているわけです。
    別の言い方で表現すればアウトソーシングの活用です。
    これは費用対効果として割りに合わなくなる可能性があるけどね。
    じゃあ、自前の国防軍を創設させる方が得になるのかな?
    仮に、日本が国防軍を創設するとして、人材と予算はどうするの?
    少子化が進む社会でAIやロボットに代行させられるなら別だけどね。
    核弾頭を実戦配備するぐらいしか手が無いだろう。
    だったら、9条を改正しても自衛権の性質は変わらないよ。
    自衛権って違法性阻却事由じゃん。

    そもそも、軍事力のみに依存して国家防衛が果たせるとの考え方が前時代的発想だと思うよ。経済的覇権を握る方が国家の安全保障上より重要でしょう。

  • >>No. 19012

    >「善悪判断上」の指針とは言葉を換えて語れば、国民総員の平均的な「道徳基準」としての役割を担っていると言えるのである。
    ここに憲法が、国民に取っての「道徳的指針」の役割として、立派に存在しうることが言えるのである。


    これは表現として「倫理基準」「倫理的指針」とするべきですよ。
    憲法は国民という人格上の権利や義務を規定したものです。
    人間そのものを規定し善悪を判断する基準は「道徳」と呼ばれます。
    ある特定の人格に紐付けされるのが「倫理」です。

  • 国旗だの国歌だのと大げさに考えてはいけない。

    要するに、学校の校章や校歌と役割りは同じである。

    つまり、生徒のアイデンティティを形成する為の象徴的な役割りである。

    だから、生徒達は生み出された一体感を保持し、卒業後も同窓会などを主催する。

    国旗や国歌も基本原理は同じである。日本人としての愛国心を涵養し良き市民を形成する為の象徴的役割りである。

    しかし、ここで言う「良き市民」とは、権力者から見た「(都合の)良き市民」である。

    この様な「統治機構(政府の役割)」の在り方を基本原理と理解する市民は多いだろう。アリストテレスの考え方とも一致する。

    しかし、近代において国家が肥大化すると政府も時に腐敗する。結果として国民の財産や生命を大浪費するのである。

    その様な歴史の慣性を学ぶ事から近代国家が生じて来たのである。

    日本が近代立憲主義国家を歩む文明社会であるならば、「良き市民」とは「理性的に行動する自律的人間」である。

    故に、国旗や国歌は良き市民が自由な発想で選択するべきことなのである。

    国家の為に国旗や国歌があるのではない、国民の為の国旗や国歌なのである。

  • 君が代は、まあええとして。
    日の丸は、デザインがダサすぎるよ。
    何で白地に赤丸なんだよ。
    日の丸弁当の自虐風自慢じゃああるまいし、もうちょい有意義なデザインにするべきだ。

    そもそも、国名ニッポンも良くない。「日出ずる国」という意味で「日の本ニッポン」なんだけどね。一体、何処の国から見た方角なのかな?
    つまり、中華思想の視座に基づく方位を示した蔑称とか、ニッポンの虚勢を表現した呼称なんだよ。

    すげーアホくさい自虐的国名だってことを国民は自覚して欲しいね。

    だから、国名は邪馬台国とかヤマトにするべきだよ。国旗はスタバのデザインみたいに卑弥呼を象った女神像にするべきだ。
    これこそが我が国のオンリーワンであり独立自尊を育む本来の国家像である。

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