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投稿コメント一覧 (5262コメント)

  • >>No. 244286

    >「吉野ヶ里が九州の中心的な勢力だった、などという根拠はありません。」

    賛成。

    現在と未来には想像の自由があっても
    既に終わった”他人の過去”には全くその自由がなく、
    残された客観的根拠が必要ですね。

  • >>No. 244266

    >「これって、あなたからの
    「落花枝に返らず、破鏡再び照らさず」
    じゃなかったのですか?」

    ・・・・?
    仰りたいことが、いまいちわかりかねますね。

    あなたのことを論友と思っての
    「楽しい時間を持てました。
    ありがとうございました。」
    で、これは感謝の言葉で、
    他に他意はありません。
    (人との会話は難しい・・・)

    その後の返信コメントは、
    >「校勘ッテ必要かい?」
    についてであり、
    あなたは「必要かい?」という前に、
    既に「校勘をしていますよ」と言う意味で、
    校勘に気付いてもらうためのコメントでしたが、
    それが不都合でしたか?
    (人との会話は難しい・・・)

  • >>No. 244263

    >「中国語で卑彌呼はどのように発音されたのか?」

    ・・・・・?
    中国語の
    古音で「卑彌呼」。
    現代音(ピンイン)で、「bēi」「mí」「hū」

    あなたは「日本語」での「振り仮名」を期待さえているのかな?
    それなら、今の片仮名で「ヒミコ」(推定)。
    三字とも「甲類」と想定されますが、
    日本語上古音の「甲類乙類」は
    中古には消滅していて、
    対応する平仮名や片仮名はない様です。

    横レス失礼しました。

  • >>No. 244255

    >「甲類乙類などで詮索するのもあまり生産的ではないでしょう。
    時代も違うし、日本での表記だ。」

    ・・・・?
    失礼ながら、
    あなたは問題を把握できていないのでは?

    「卑弥呼」は「漢語音韻」による「日本語音韻」の表記ですよ。
    日本語上古音の「甲類乙類」の違いは、
    その「韻母部分」にあります。
    漢語の「韻母」(206種類)は、
    倭語(5~8種類)よりはるかに多く、
    基本的に、多様な「韻母」に対応できると思いますが・・・・


    >「各種の説が有るが、ひるめみこ なんても許容範囲でしょうね。」

    ・・・・・
    「ひるめみこ」の音韻数は5個になりますよ。
    「卑弥呼」の音韻数は3個で、
    しかも「甲類乙類」の区別がある音韻です。
    (魏志の倭語の音写語は、「甲類乙類」に対応していると聞きます)

    失礼ながら、あなたの「許容範囲」は、
    極めて主観的ですね。
    それでは妄想に陥りやすいと思いますよ。
    妄想なら子供でも言えますので、
    ご注意下さい。

  • >>No. 244251

    >「ですが・・・・・。」

    ・・・・・
    それが、何か?、不都合でもありますか?

  • >>No. 244247

    >「方六十里の一里は400mといいたいのか?
    魏志倭人伝の里とは関係ないんですよ」

    その通りで、全く無関係ですね。

  • >>No. 244246

    >「これを読んで「方六十里」の校勘ッテ必要かい?」

    ・・・・・
    あなたは、
    気付いていないのかもしれませんが、
    既に、
    同書の他の文言や実測値などから、
    一応、”校勘(比べ考える)”を行って、
    「ここは、阿呆以外は「方」は「周」として読む場面」と
    「方」を「周」と読み替えていますよ。
    (その読み替え自体は誰も反対はないでしょう。)

    こんな読み替えが必要な『漢舊儀』の記述より、
    『三輔黄図』の記述の方が誠実だと思いますよ。

  • >>No. 244234

    >「隋書の話題は適当にして」

    ・・・・・


    >「卑弥呼とて実際どのように発音され、中国人がどのように聞こえて、どの程度正確に卑弥呼という文字に表記されたか。
    ピミカという説も聞いたことあるな。」

    ・・・・・
    そもそも、
    文字には音声は録音されていません。
    それを読むには、
    先ず、文字と文字との対応関係を知り、
    (漢語なら反切文字、日本語なら仮名文字)
    次に、文字と発音との対応関係を知る必要があります。
    言葉は話せても文字の読み書きができない状態は、
    文字と発音との対応関係を知らない事によるものでしょう。
    (現代は、文字の読めない人は少なくなりましたが・・・)
    例えば「ひみこ」を読む場合のその発音は、
    基本的には現代音で、当時の発音ではありません。
    文字と発音の対応関係は小学1年生で習います。
    (今は家庭や幼稚園でも教えるかな?)

    【卑】は「日」と同じ仲間の上古音甲類で、今の平仮名で「ひ」と書きます。
    【弥】は「美」と同じ仲間の上古音甲類で、今の平仮名で「み」と書きます。
    【呼】は上古音甲類の「枯」や「孤」と同じ韻母のグループで、
    今の平仮名で「こ」と書きます。

    *清濁の区別は「声母」にありますが(「呼」は淸)、
    上古音「甲乙」の区別は「韻母」にあります(「呼」は甲類)。
    *【呼】を「か」と読む人もいますが、
    「か」の上古音には甲乙の区別がありませんので間違いでしょう。
    *上記は「廣韻」「韻鏡」「万葉仮名」を参考にしました。

  • >>No. 244225

    >「「転写ミス」だということであっても、なかっても
    「方」は「周」として読まなければならない」

    ・・・・?
    ここにきて、おかしなことを言い出しますね。

    「方」を「周」と読む理由には二つ考えられます。
    これは二者択一です。
    1)「方」は「周」の転写ミス。
    2)「方」は「周」と同義。

    2)の場合は、
    他の文献の「方」も「周」に読み替えられる可能性も出てきますが、
    1)の場合は、
    ここだけの話しで終わりです。

    議論を長々としましたが、
    あなたの安直な結論には、
    少しがっかりですね。

    でも
    個人的には、
    文献をいろいろ調べる動機をもらって、
    楽しい時間を持てました。
    ありがとうございました。

  • >>No. 244223

    >「ならコピペ再掲くらいの手間を惜しむな!」

    ・・・・・
    他者との話に割り込むなら、
    過去ログ見る多少の手間を惜しむな。
    それが他者に対する礼儀である。

  • >>No. 244214

    >「「あへきみ」と古代倭語で称えるとしたら、どんな意味がある。」

    もう既に説明済みです。

  • >>No. 244215

    >「「方」を「周」に置き換え・・・・」

    ここで、以下の二つのことが言えます。
    1)「方」は「周」のミス。
    2)「方」は「周」と同義。

    2)を”迷わず”選択する人は、
    算術に疎い人に思えます。

    あなたは、開方(平方根)計算ができますか?
    古代では初等算術書(孫子算経)で教え、
     *「今有積二十三萬四千五百六十七步。(234567歩)
       問:為“方”幾何?」
    古代で算術を知る人は、
    日常的にも「方」を計算していたと思われます。
    そういう人は、
    「方」と「周」は同義と、
    ”安易”に言わないと思いますが・・・

    『三輔黄図』の転写本は、
    『漢舊儀』の転写本より、
    算術的に誠実な記述だと思いますよ。
    早稲田大学図書館サイトで、
    その版本を御覧下さい。

  • >>No. 244211

    >「これには異はないでしょう。」

    ・・・・・・
    「異」があるからいままで議論してきたのに・・・・

    最終的に、今回の議論は、校勘学の問題です。
    校勘学的検討を経ないで、結論はでないでしょう。
    疑義の残るものを根拠にすると、
    その論は危うくなります。
    別な根拠を探した方が良いと思いますよ。

  • >>No. 244210

    >「日本語では漢字の同音異義語がやたらと多い。
    これは別の音なのに日本人には同じに聞こえたのが多いからだ。」

    ・・・・?
    聞いて書いたのは、日本人ではなく、漢人。
    (あなたにはあきれる。)
    倭語の音韻の基本構図は、「韻母」が5個で「声母」が9個。(中古音)
    漢語の音韻の基本構図は、「韻母」が206個で「声母」が36個。(中古音)
    漢語に比べ、日本語の音韻数は少ない。
    だから、
    ”日本人”の外国語の音写(カタカナ語)に、同音文字が多くなる。


    >「阿輩雞彌はひょっとして、あはけみ と発音されていたかもしれない。」

    ・・・・
    調べもしないで、あてずっぽで云々する、
    そのあなたのご意見に、あ・き・れ・る。

    「輩」の音読みは、ちょっと調べれば、
    「へ」と「ハイ」と、わかりそうなものだが・・・
    また『廣韻』で、
    「輩」の音は「去声隊第十六;補妹切」で、
    「背」と同音とする。
    『日本書紀』ではこの「背」を使い、
    倭語の「へ(乙音)」に当てている。
     *『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)九月
    「嚴瓮、此云怡途背(イツヘ))。」

    だ・か・ら、
    「阿輩雞彌」は「あへきみ」となります。

  • >>No. 244203

    >「しかしながら、長安城方六十里は、長安城周六十里にはならないと思いますよ~う。」

    そうです。
    根拠無く勝手に直してはいけません。

    しかしながら、
    著者の原稿が失われ、転写本だけとなり、
    その転写本の中で”異同”があれば、
    「校勘作業」が”必ず”必要になります。
    今回は、同じ長安城を言う規模の”異同”で、
    『漢舊儀』(今本)の「方六十里」と
    『三輔黄図』(早稲田大学図書館蔵版本)の「周回六十五里」。

    面積については、
    「九百七十三頃」(前者)と「九百七十二項」(後者)で、
    どちらもほとんど同じで、たいした問題ではありません。
    この面積を”開方”すると約「方16里」になります。
    推定「周囲(周回)は<16里/辺×4辺=64里>となり、
    『三輔黄図』の言い分に近くなります。

  • >>No. 244190

    >「問題の本質は他の封筒の数字を合計して割り算し比較することの正当性は?ということになりますから
    期待値の計算のどこに誤りがあったのかということが本質になります」

    この問題の問題点は、トンチンカンな計算をしている所ですね。
    勝ち負けの二者択一には、確率が生まれると思います。
    この問題では、先手には未確定要素があり、
    最終的勝負は後手で決まります。
    だから、
    後手の確率を先に計算する必要があると思います。
    よって、
    <先手の確率=1-後手の確率>
    *後手が引く残された封筒の組み合わせ:「○○」「○×」「××」


    >「長くなりますのでいくつかに投稿をわけて確率、期待値について述べたいと思います」

    トピズレ投稿を引っ張ることになりますので、
    私は興味ありません。

  • >>No. 244189

    >「中国人が耳で聞いたら、その位のズレはあるかもしれない。
    ところで扇「おうぎ」のことを旧仮名遣いで「あふぎ」と書きますね。」

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
    文字の音韻は、時代や方言で違いを見せますが、
    ”一つ”の文中で音写された「阿」はどれも同音でしょう。
    また、
    「旧仮名遣い」とは、戦後の日本側の都合です。

    あなたの様な「言い訳」は、
    俗に、「下手な考え休むに似たり」と申します。
    まったくもって節操がない。

  • >>No. 244168

    >「同時にあける場合には先手、後手の差はありません
    つまり期待値の計算はできないことになります」

    計算は出来ると思いますよ。

    勝負は1回目の選択では保留となり、
    2回目の選択で決着します。
    つまり、1回目の確率は、
    2回目の確率で決まると言うことでしょう。
    2回目の勝ちを引く確率が「1/2」であれば、
    1回目の確率は、<1-1/2=1/2>となる。
    結論は、
    同時にあける云々に関係なく、
    それぞれ<1/2>で、
    ”確率的には”、先手と後手の差は無いと言うことになります。
    (間違っていましたらご訂正ください。)

  • >>No. 244185

    >「全体的にはそうでしょう。」

    ・・・・・?
    時流の雰囲気に流されているのでは?


    >「それよりオオキミと読んだ方が単純明快。」

    ・・・・・?
    「倭王姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩雞彌」で、
    一部専門家の中には、
    上句の「阿」を「ア」と読んで、
    舌の根の乾かぬうちに、
    下句の「阿」を「オ」と読む人もいますが、
    これは、全く理性を感じられないご意見ですね。
    ご用心。

  • >>No. 244182

    >「「漢旧儀」同様な使用をした史書の存在が無い
    とは言えないと思っております。」

    これは文献の「校勘学」の問題ですね。
    数少ない校勘学の翻訳書が
    「アルヒーフ」から
    『校勘学講義<中国古典文献の読み方>』(3800円)
    として出ています。
    ご参考になるかと思います。
    (疑問に思える箇所もありますが・・・)

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