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投稿コメント一覧 (5868コメント)

  • 言語虫さん、お久しぶりです。
    この掲示板が今年で終わるそうです。
    いままでいろいろとお世話になりました。
    読解の手法は異なると雖も、
    言語虫さんの史料に対する姿勢は尊敬いたします。
    ありがとうございました。

  • >>No. 249167

    最後に、
    君が信奉する「われ思う、ゆえにわれあり」とは、
    デカルトが人の思考からいろいろなものをはぎ取って、
    最後に見つけた「事実」であろう。
    これは、意志ある「生物」としての根源でもある。
    だから、これだけでは、猿や犬レベルじゃ。
    同じ生物でも「人」は主観から客観を求め、
    文化、文明や学問、科学を産みだした。
    君の禽獣レベルから人への進歩を望む。

  • >>No. 249167

    >「単なる事実。」

    ・・・・
    それは、君の主観的事実であろう。
    客観的史料事実は
    「倭王以天為兄以日為弟」であり、
    これは「天と日」の関係を「兄と弟」の関係に譬えている。

    「”天”が地上を覆うが如く、”兄”は治天下の王となり、
    ”日”が、その天に付いて、地上の万物を照らし出すが如く
    ”弟”が”實務”を行う。」と言うことであろう。
     *「天:顚(てっぺん)也。至高無上。」(説文)
     *「日:實也。」(説文)
     *「日月、麗(つく)乎天。」(易・離)

    エロ本だけじゃなく、
    もう少し古典を読め。
    もう・・・遅いか・・・・

    私は事務所に居るときしか
    掲示板を見ないので、
    今日が実質的最終コメントになります。
    あしからず。

  • >>No. 249165

    >「馬鹿のネゴトがわかっちゃったら、たいへん。」
    >「オマエの妄想「であろう」。」
    >「最後の最後まで、馬鹿は無敵。」

    ・・・・?
    君は最後まで、主観的情緒語だけじゃのう。
    今更言うことでもないが・・・・

  • >>No. 249163

    >「倭王以天為兄以日為弟。」
    >「これを「天=兄 > 倭王 > 日=弟」と読めない馬鹿がエラソーにしちゃぁいかんなぁ」

    ・・・・?
    「天」と「日」の間に「倭王」は無い。
    わかるか?

    「天子父事天、母事地、兄事日、姉事月」(『獨斷』)
    これと似たような概念であろう。
    日本神話に無い概念である。

  • >>No. 249153

    <補足>

    「阿輩雞彌」の
    阿:あ(上文の「阿毎」は「あ・ま」)
    輩:へ
     *「輩:《廣韻》《集韻》《韻會》補妹切《正韻》邦妹切、音背。」
     *「<嚴瓮。此云、怡途背。>(日本書紀)」
     *「<嚴瓮:伊豆倍。>(日本書紀私記)」
    雞彌:きみ(「君(きみ)者、指一人、天皇是也。」(令集解・古記)

  • >>No. 249157

    >「なにしろ「天=兄 > 倭王 > 日=弟」と書いてあるんだからな。」

    ・・・・?
    どこに?
    君の目は節穴か?
    大丈夫か?
    と言っても残りわずだが・・・・

  • >>No. 249125

    >「アマタリシヒコは誰?」

    ・・・・・?
    「倭王姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩雞彌」
    と書いてあるじゃん。
    「あへきみ(食王)」と呼ばれていた時の王(きみ)じゃ。
    *「君(きみ)者、指一人、天皇是也。俗云須賣良美己止」(令集解・古記)
    これは「豊御食炊屋比賣命(推古天皇)」しか該当しないのう。

  • >>No. 249112

    >「「兄>倭王>弟」の倭王はどこへ行っちゃったんだ? 」

    ・・・・?
    またトンチンカンな事を言われるのう。
    それはどこに出てくるのか?

    原文は「”倭王”以天爲兄、以日爲弟」で、
    これは、
    「天=兄」、「日=弟」で、「天>日」である。
    当然ながら「兄(このかみ)>弟」である。
    また、
    「(倭王は)天未明時出聽政、跏趺座、日出便停理務、云委”我弟”。」
    と記載され、これは、
    宗族の「弟(太子)」が、宗族の「兄(倭王)」を
    補佐しているということじゃ。
    わかるか?

    他に質問する事があるか?
    もう残り少ない時間だが・・・

  • >>No. 249007

    余談ですが・・・
    <三十六町為一里>について、

    これが載る古い文献は、『捨芥抄・田籍部第二十五』だが、
    これは、「36町=方1里」のことである。
    「町」は律令で面積単位として定義された。
     *「凡田、長三十歩、廣十二歩為段。十段為町」(田令第九)
     *「方:古代計算面積的述語。如果(もしも)地形不規則、就截長補短來計算。
     孟子滕文公上有“今滕絶長補短、将五十里”的説法。」
     (王力著『古代漢語・常用詞593【方】』)
    つまり、
    <1町=30歩×12歩×10=3600歩>、
    <36町=36×3600歩=129600歩>
    方1里は、
    <360歩/里×360歩/里=129600歩>
    だから、
    面積的関係で「三十六町為一里」となる。
    しかし、
    後に、これを“長さ”的関係に誤読した者がでてきたのであろう。
    面積の「町」を正方形の一辺の“長さ”に換算すると、
    <√町=√3600歩=60歩>
    「36町」では、<36×60歩=2160歩>
    これを尺に換算すると
    <2160歩×6尺/歩=12960尺>
    よって、
    「12960尺=1里」が出来上がる。

    この誤読の単位を誤読のまま正式採用したのが、
    明治の「度量衡法」(第三條―明治四十二年三月六日法律第四號)である。
    その条文の第三條「度」に、
    「町:三百六十尺<六十間>(60歩)」
    「里:一万二千九百六十尺<三十六町>(約4Km)」と載せてしまった。
    お粗末な話しである。

    しかし、一番お粗末な法律は「大日本帝国憲法」であろう。
    天皇主権を書きながら、その主権の行使には、
    憲法に規定のない組織である内閣の“所管大臣”の副書が必要と書かれる。
    つまり、
    天皇の統帥権の行使にも、陸・海軍大臣の承諾が必要と言うことである。
    このため、天皇を守るはずの近衛兵すら皇居に銃を向ける事も発生した。
    このお粗末な「大日本帝国憲法」を頂く「大日本帝国」は、
    70年たらずで滅亡した。

  • >>No. 249010

    >「出た。最強の反論。
    みっともない野郎だねぇ。」

    ・・・・
    君は最後まで同じスタンスじゃたのう。
    最後ぐらいまともなコメントを期待したが、
    無理じゃた能。

  • >>No. 249005

    「天皇(天王)」制が2000年近く存続したのは、
    ひとえに時々の国民が社会秩序維持の為に望んだからでしょう。
    主権在民の今でも皇室の存続を望む声は多数を占めます。
    個人的には、
    もう開放してさしあげてもよいのではないかと思いますが・・・・

    天皇は、安定した秩序維持の為の出自による身分制度の頂点を守ります。
    それでいながら、時々の権力者から排除対象にならなかったのは、
    天皇は権威や権力を持ったとしても、
    特定の國や地域を持たなかったからでしょう。
    中国には、
    「天子有田、以處其子孫。諸侯有國、以處其子孫。大夫有采、以處其子孫。是謂制度」(禮記・禮運)
    「正義曰、天子有田以處其子孫者、案王制云、天子之田方千里是也。」
    とありますが、
    日本の天子(天皇)には、この制度はありません。
    だから天皇の皇子達にも國を与えることは、
    中央集権体制になってもありません。
    (律令に「親王国」制度はない)

    天皇の財政基盤は、各氏族達の奉仕で賄えられ、
    天皇の皇子達は親子別居で、各氏族が皇子の養育に奉仕する。
    屯倉、子代、名代と名が付いても、
    後の荘園制度と同じように、
    そこから上がる収益の上分を財政基盤に当てられるだけで、
    その地域の経営は各豪族が担ったと思われる。
    律令制でも在地豪族が郡司となり、直接の経営をになったと思われる。
    後継から外れた多くの皇子達は、
    臣籍降下で、地方にパトロンを求めて散って行った事でしょう。

  • >>No. 249003

    >「神武からの天皇の存在は認めるのか?」

    認めると言うより、
    今の所、彼のオカルトを除いた部分は、
    「暦日」の様な否定する根拠がありません。
    「魏志倭人伝」にも、
    「其國(倭國)、本亦以男子爲王、住七八十年、」
    とありますので、
    「女王」以前の七八十年の間は、「男王」と言われます。

    自分の子孫を生めない婦女子でも王になれると言うことは、
    王の世襲制がそれだけ確立していた証しですね。

  • >>No. 248984

    >「「兄(推古)弟(太子)で国を治めている」んなら、その間にいる倭王ってのは誰だよ。言ってることがアホ過ぎるだろうが。
    どうせできないだろうが、反論してみな。」

    ・・・・・?
    意味不明。

    君は最後まで意味不明のコメントを繰り返すか・・・・
    まあ、せんかたなし。

  • >>No. 248982

    >「日本書紀の年代はでたらめで全然信用できないということか?」

    年代と言うより、
    「日本書紀」の「暦日」や「天皇年紀」は、
    最も信用できない部分ですね。
    これは、本居宣長の時代から言われていることです。

    「日本書紀」に先行する「古事記」の記述体裁は、
    個々の記事に「天皇年紀」や「日付」等を記載しません。
    実際に「暦日」が採用されたのは、
    主に推古朝以降でしょう。
    (「日本書紀」の暦法と異なるが、推古朝遺文などは暦日を記載。)

  • >>No. 248978

    <補足3>
    ついでに「倭王以天爲兄、以日爲弟」(隋書・倭國傳)について、

    「倭王以天爲兄、以日爲弟」<倭王は天を兄とし、日を弟とする。>とは、
    天を上位とし、日をその下位とする中国思想による概念であろう。
     *「天:顚(てっぺん)也。至高無上。」(説文)
     *「日月麗(つく)乎天、百穀草木麗(つく)乎土。」(易・離)
     *「天子父事天,母事地,兄事日,姉事月」(『獨斷』)
    この概念は日本神話に見られない。
    日本神話の「天」とは、「神聖な“場所”」で、
    「日」とは、「輝き尊ぶ“称号”」でああり、
    二者に直接的上下関係は無い。
     *「於是共生“日神”、號大日孁貴(中略)當早送于天、而授以天上之事。」(神代紀上・五段本文)
     *「伊弉諾尊勅任三子曰、天照大神者可以治高天原也・・・」(神代紀上・五段一書第六)
    「兄」とは「年上、年長、オトの対」(時代別国語大辞典)で男女とも使用される。
     *「兄媛、弟媛等」(雄略紀14年)
    つまり、
    宗族(皇家)の兄(推古)弟(太子)で国を治めていると言うことであろう。
    これは、「魏志倭人伝」に言う「(卑弥呼)有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者」
    この政治状態の再現とも言える。

  • >>No. 248979

    >「倍歴じゃないとつじつまがあわない」

    ・・・・?
    デマに、つじつまを求めるな。
    無理に求めれば、
    得られるのは、破綻した論理だけである。

    耐震偽装事件も、計算書の段階ではねとけば、
    偽装マンションは建つことがなかった。
    計算書段階なら消しゴムで消せるが、
    実際に建ってしまったら、
    そこに悲劇が生まれる。
    デマに、つじつまを求めるな。

  • >>No. 248970

    <補足2>
    「ワカミタフリ」について
    東野治之氏や倉西裕子氏が主張したいのは「若翁」ではなく、
    「名太子爲利歌彌多弗利」(隋書・倭國傳)の
    「利歌彌多弗利」、この解釈であろう。
    「利」については、倭語に「ラ行」で始まる言葉がないので、
    倭語から「利」は「和」の転写ミスであると校勘できる。
    よって、元文は「和歌彌多弗利」であろう。
    お二人はこれを中世頃の「翁」の訓である「タフレヌ(倒れぬ)」を当てて、
    「ワカ・タフリ」と読みたいようだが、
    これは原文を無視した解釈と言える。
    (また、「若くして倒れ」では意味不明となる。)

    当該の言葉は七世紀初頭の漢語や倭語の古語であり、
    上代特殊仮名遣いが残る奈良朝以前の文献を根拠にして、
    意味を推定する必要があるであろう。
    一番近い当時の言葉は、「わか・みた(ま)・ふり」であると思われる。
     *(ま)を補う。
    これを当時の漢字に直すと、
    「若皇霊・振(わか・みたま・ふり)」となる。
     *「皇霊之威(傍訓:みたまのふゆ)」(景行天皇紀)
     *阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々 美夜故能提“夫利” 和周良延尓家利(万葉歌880)
    (天離る 鄙に五年 住まひつつ 都のて“ふり” 忘らえにけり)
     *阿我農斯能 “美多麻”々々比弖 波流佐良婆 奈良能美夜故尓 佐宜多麻波祢(万葉歌882)
    (我が主の “みたま” 賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上げたまはね)
     *ふり:振り、振る舞い。身ぶり。ようす。姿。格好。(学研古語辞典)

    現代では「霊」と言うと殆どが肉体を出て二度と戻らない「死霊」を意味するが、
    古代ではそうではないであろう。
    「霊魂ハ、タマ又タマシヒト云フ。霊魂ハ、不滅ト信ゼラレ、其人体ニ存在スル間ヲ生ト云ヒ、其出離シタル後ヲ死ト云フ。因テ又霊魂ニ、生霊、死霊ノ別アリ。」(「古事類苑」・人部・生命)
    「日本律令」に、中国のような先祖の死霊を祭る「廟(みたまや)」の概念が無かったように、古代日本では「死霊」を祭る慣習はあまり見られない。

  • >>No. 248975

    >「記載された年齢(享年)は2倍歴です」

    ・・・・
    「2倍歴」は破綻している論理である。
     <歳=歳×2>
    この等式は成立しない。
    破綻が認識できなければ、
    オカルトに堕ちる。
    お気を付けて。

  • >>No. 248927

    <補足>
    長屋王家木簡の「若翁」と「たふれぬ」について

    「翁」に対する倭訓の「たふれぬ」を言い出したのは、
    東野治之氏だと思うが・・・・
    彼は「新日本古典文学大系」(岩波書店)の月報3(1989年3月・代2巻附録)で、
    「『字鏡集』には「翁」にタフレスの訓が見える。」と言い、
    『長屋王家木簡の研究』(塙書店・1996年)では、
    「永正本の『字鏡抄』には「翁」に「タフレヌ」と言う訓が存する・・・」
    と、微妙に変化させながらも主張した。
    これを承けて、
    森公彰氏は『長屋王家木簡の基礎研究』(吉川弘文館・2000年)で、
    「『字鏡抄』の「翁」の訓「タフレヌ」は別の文字に対する訓を誤って記したものである可能性があるとの批判もあり、また木簡に「智 珍努若翁・・・智努若王」との習書が見えるので、「若翁」は「若王」と同じであるとする説も呈されている。しかし『音訓立篇』天下第二十九羽篇にも「翁」訓の一つに「タフレヌ」があり、また「王」をことさらに画数の多い「翁」と書く理由は不明であるので・・・」
    と煮え切らない主張をなさる。

    そもそも
    「翁」の訓の「たふれぬ」の意味は「倒れる」であろう。
     *「躃地而臥。【注】躃:太布禮奴(タフレヌ・倒れぬ)」
     (日本霊異記中巻第十)
     *「倒れる:立っている物が、自分の力でささえ切れなくなって横になる。ころぶ。」
     (学研国語大辞典)
    この「たふれぬ」は、
    「翁」の高齢者のマイナスイメージから出た中世の「引伸義」であろう。
    長屋王家木簡では、
    幼児の死亡率が高かった古代で、無事な成長を願って、
    「公」や「王」の代わりに、長寿のプラスイメージがある「翁」の文字を使い、
    「若翁(わかぎみ)」と書いたと思われる。

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