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投稿コメント一覧 (20633コメント)

  • もし、魂というもののレベルがあって、修行を終えるまでは何度でも生まれ変わるというのであれば、魂のレベルは昔の世の中に比べて現在ではかなり良くなっているはずですね。

  • そういえば、イ・ビョンホン主演の「バンジージャンプする」という韓国映画は「生まれ変わり」がテーマになっていました。

    あれは、途中から前世の記憶が蘇ったのだったかな。

  • >>No. 46492

    >次に生まれてくる「誰か」が「自分」であれば、それは生まれ変わりといえるだろう。

    この「自分」というのが、今生きている自分と「同じ自分」であれば、という意味ですか?

    それは、今の自分は「死んだらそれでおしまい」ということだから、不可能でしょうね。

  • >>No. 46487

    > 「生まれ変わり」はあるともいえるしないともいえる。というのが我の見解。
    > まず「自分」を2つに分けて考える。
    > ①誰々であるところのこれこれこの「自分」。この「自分」に生まれ変わりはないだろう。この「自分」は死んだらそれでおしまいだと思われる。
    > ②次に自分から見れば他者である自分以外のすべての人。それらはすべて本人から見れば「自分」である。したがって次に生まれてくる「誰か」は「自分」ということになる。
    > ①の自分と②の自分には何のつながりもないかもしれないが、次に生まれてくる「誰か」が「自分」であれば、それは生まれ変わりといえるだろう。
    >
    > 結論。生まれ変わりの構造は ↑ のようになっているのではないか?というのが我の見解である。

    「次に生まれてくる誰か」というのは、自分(菩薩@太子 さん)が死んだあとに生まれてくる誰かという意味ですか?

    そうだとすると、今現在この世に生きている人物は「自分の生まれ変わり」から除外されますね。

    それ以外の、自分が生きている時間以外の、過去や未来の誰かは自分の生まれ変わりである可能性があるということですか。

    でも、その根拠が、みんな本人にしてみれば「自分」だというだけでは根拠になりませんね。

    ひとりひとり、一代だけで終わる自分のことを「自分」だと思うだけなんですから。

  • >>No. 46490

    >> ということは、今生きている全員が自分の生まれ変わりということになりますね。

    >なりません 

    あなたの意見など聞いていません。

    私は、菩薩@太子  という人の考えを理解するために、「こういうことですか?」と質問しているのです。

    本人からの返事を待つだけです。

  • >>No. 46487

    > 「生まれ変わり」はあるともいえるしないともいえる。というのが我の見解。
    > まず「自分」を2つに分けて考える。
    > ①誰々であるところのこれこれこの「自分」。この「自分」に生まれ変わりはないだろう。この「自分」は死んだらそれでおしまいだと思われる。
    > ②次に自分から見れば他者である自分以外のすべての人。それらはすべて本人から見れば「自分」である。したがって次に生まれてくる「誰か」は「自分」ということになる。
    > ①の自分と②の自分には何のつながりもないかもしれないが、次に生まれてくる「誰か」が「自分」であれば、それは生まれ変わりといえるだろう。
    >
    > 結論。生まれ変わりの構造は ↑ のようになっているのではないか?というのが我の見解である。

    「次に生まれてくる誰かが自分であれば」と書いてありますが、すべて、本人から見れば「自分」なのでしょう。

    ということは、今生きている全員が自分の生まれ変わりということになりますね。

  • 「一円の公案」では、情欲を超えるべきことを要請する。ここで、超えるということが達成され得るのは、情欲が一つの悪であると知るためである。そこで、その悪をとどめる心を起こしたとき、すでにこの情欲を超えている自分自身を発見することになる。

    修行者は、けしかけられるな。もちろん、他の人々をけしかけてはならない。覚り(=解脱)は、各自のことがらなのである。他ならぬ自分自身によって、自分自身を解脱せしめよ。

    相手に何かを与えても、それによって相手を縛るのであるならば、それは与えてことにはならず、それどころか相手に苦を浴びせるようなものなのである。そのようなことの無い与えこそが、浄らかであり、その証左に自分自身がそれにまつわる苦を超えることとなる。「一円の公案」は、この機微を問う。

    如来や阿羅漢は、与えに縛られない。そこで、応供と称される。何か偉い存在なので応供なのでは無い。

  • 覚り(=解脱)の機縁は、特別な状況では無く、むしろ日常の中に起こる。そこで、こころある人は気をつけているべきことが説かれるのである。もちろん、血眼になって探したり、聞き耳を立てたりすることでは無い。

    功徳を積んだ人は、ことに臨んだそのときに気がつくであろう。たとえば、初めて何かを味わったとき、これは生まれて味わったものであると分かるようなものである。説明不能であり、その必要も無い。

    不味いから毒だとは限らない。しかしながら、実際のところ、不味いものは身体に毒になるものかも知れないと考えて口に入れないことは勧められるであろう。同様に、道の危険を避けて、修行者は安全にニルヴァーナへと近づくことが出来るのである。

    すべての仏達は、危険や苦行の中において覚った(=解脱した)わけでは無い。そこで、苦行は無益であると説かれるのである。

    生まれて初めてイチゴを食べた人が、イチゴを一個食べればイチゴの味が分かったと言うに充分であろう。同様に、修行者は一つの智慧を知っただけで無量の智慧を知ることになる。

  • >>No. 46481

    ありがとう~

    今まで、真面目なことを書いてもイチャモンをつけてくる人ばっかりだったので、素直に受け取ってもらえて嬉しいです。

  • 自分はどうなのかということを考えます。

  • 今日、昼食を食べにひとりでお店に入ったら、4人掛けの席に案内されて、しばらくしたら、「相席お願いします」ということで、ひとりで来ている年配の女性の方と一緒のテーブルになった。

    家族や友達でもない人と4人掛けのテーブルで向かい合わせに座るとなると、他人であっても何か話してしまうものです。

    それで、いろいろと話しているうちに、住んでいる家が近いことや何の用事で来ているかなど詳しく話してくれました。

    全く嫌な気持ちにならなかった。なぜかなー。

    謙虚な人でありながら、気さくであるということかな。

    ボランティアで朗読や読み聞かせを長年続けているという方でした。

    前向きに生きている人っていいですね。自分を生かせているということでしょう。他人の役に立ちながら。

  • 「まんぷく」

    今日も内田有紀がかわいかった^^

    この調子でしょっちゅう登場してほしい。

    松坂慶子は、また大した根拠もなく「東京進出には反対よ!」と言っていたけれど、内田有紀に「観音様らしく、心を大きく持ってね」と言われて、コロッと意見を覆した(笑)

  • >>No. 46471

    23年経っても、49歳で出てくることになりますね。

    更生できているといいですがね。

    難しいでしょう。

  • この世では、予想外のことが起こる。可否善悪などはともかくとして、このような予想外のことが起こるゆえに法の句が世に出現するということもあるのである。功徳を積んだ人は、そこで解脱を生じニルヴァーナへと至る。この境地は、衆生へと逆戻りすることが無い。

    この世では、予想外のことが起こる。これは衆生だけでなく、如来にとってもそうである。この意味において、未来は確定していない。すべては無常であり、移ろうものである。しかしながら、それゆえに一切の苦悩もまた滅することが出来るのである。

    世間のある者は、「思い通りにならないことが苦である」などと言う。しかしながら、苦の本質は「こんな筈では無かった」と言うことである。解脱したならば、こんな筈では無かったなどと思うことは無くなる。これは、確かなしあわせである。

    修行者が、こんな筈では無かったなどと思うことは無いならば、正しい道を歩んでおり、すでにニルヴァーナの近くにある。そのような修行者は、覚り(=解脱)の機縁を待て。気をつけていよ。

  • 紀平梨花さん、グランプリファイナル優勝おめでとう!!

    ほんと、昔の浅田真央ちゃんを思い出させるし、羽生結弦のようでもありました。

    ジャンプをしていない場面も、すべてがよかったです。

    ザギトワを超えるなんて、すごいわ~

  • >>No. 46406

    > 現在では加害者が悪、被害者は善良なのに殺されたという一方的な構図があるが、
    > 我は「ちょっと待てよ?『喧嘩両成敗』といういい考え方はどこへ行った?」と思うわけだよ。
    > 通り魔でもない限り、たいがいにおいて被害者側にも非はあるものだ。
    >
    > 我はどちらかにくみすることなく、公平に、徹底的に公平に、ハードに公平に、過激に公平にいろんな事件を考えたいだけw

    あなたよりももっと公平に裁判は行われるでしょう(笑)

  • 朝ドラの松坂慶子が面白い。

    塩作りをやめるという方向に話が進んでいるのに、大した理由もなく「私は反対!」と言い張る。

    しかし、うまく煽てられて、やっと賛成したみたい(笑)

    他人の親なら笑えるのだな~(笑)

  • >>No. 46401

    > あんなひどいやつを擁護するとはね。

    そうですね。

    そこが違和感のあるところです。

  • >>No. 46398

    私も死刑とは言ってないわ。

    そんなことしたら、死にたい人が喜んで犯罪を犯すかもしれないからね。

    苦しんで反省させるべき。

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