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投稿コメント一覧 (750コメント)

  • >>No. 840

     さて、そうこうしているうちに、平成30年最後の月がやってきました。
     と同時に、このtextremeに書き込めるのも今月いっぱいなのですね。

     どうでもいいや、なんて気分もないのではないのですが、折角書いてきた自分の気持ちと記録。拾っておかなければなりません。コピペで200項目。拾いますよ!!

  • >>No. 839

      11月も中間を過ぎ、今年も残すところ45日くらいになりました。
     早かったです。今年。
     
     なんか、今年は災難気味の年でした。年初にヘルニアの手術、3月には追突事故、9月には個別指導。大きなところはこの3つ。毎年毎年なんかあるんですけど、久しぶりにいろいろな厄が廻ったような年でした。

     もっともまだ45日あるわけで、まだまだ気を引き締めないとね、とは思っています。

     来年の5月に平成が終わります。3月くらいには新年号が決まっているんでしょうかねぇ・・・・ それはそうと、10連休が閣議決定したそうです。ハッキリ言います。『馬鹿』ですね。そんなんしてどうするんですか。10連休、医者も歯医者も閉まっている可能性出てくるんですよ。救急対応だけじゃあ追いつかないかもしれないですよ。ホント何も考えてない『馬鹿』としか言いようがありません。

     さて、当の僕ですが・・・・・・ここ1か月、なんだかやる気が起きないというか、「生きる気」が沸いてきません。「鬱」ではないんですけど、なんだか「生きててもしょうがないじゃん、生きてる価値もないんじゃない?」的な考えがよぎってしまうのです。

     月日はフツフツと過ぎてゆきます。僕はそんな中、生きる道が見つかるんだろうかと自問の日々です。

  • >>No. 838

     次の日の朝はアメリカンブレックファストでした。9時にホテルを出て、中野の農協や長野駅でお土産を買い、ついでにお昼代わりに駅で「おやき」を食べました。

     晴天で秋をところどころに感じる二日間でした。奥志賀高原はもう冬に向かう様相でしたが、道の途中に見られる紅葉はすばらしいものでした。

  • >>No. 837

     さてそこからは歩いて松本城に向かいます。祭りで賑わう歩行者天国を通ります。活気にあふれいい感じです。
    松本城は、さすが国宝、素晴らしい。天気も良くていい気分です。混んでいるので城の中には入りませんでした。

     次は市立美術館です。松本の誇る大芸術家草間彌生の作品を堪能します。入り口の建造物もすばらしい。また、自動販売機も草間氏とコラボしていて大笑いです。

     さて、駅も含めて、街を歩きましたが、松本は昭和の匂いが強いというか、長野市に比べると街の近代化をしていない(しかしそれはそれでいい)古い街並みでした。

     目的を終え、ホテルに向かうつもりでナビを合わせます。今時間は16時ほど。しかし、到着時間は18時過ぎと算出されました。いやぁ・・・・長野は広いというか、やはり松本は遠いなと。

     ホテルに到着予定を電話し、一路奥志賀に向かいます。高速道路で1時間。中野ICに着いたのは17時過ぎ。ここから1時間も走ったかなぁと思っていましたが、どんどん車がなくなり寂しくなってゆきます。志賀高原の入り口では前も後ろも車がいない状態(たまに後ろから来る車は追い抜かせたが)でした。日もすっかり暮れて辺りは真っ暗です。この時期の志賀高原は、宿泊施設はほぼやってないうえ、街灯もありません。ナビがなかったら迷子になるであろう道を進みます。とにかくホテルに着かなければならない。でもきっと今車降りたら満天の星空だろうなあと思いながら進みます。

     18時過ぎにホテルに着きました。やはり奥志賀は寒い。しかしバス停やホテルなど灯りは付いています。そんな中でも夜空は満天の星が輝いていました。
     部屋はすばらしい。調度品がいい。風呂も真っ暗ではありますが展望風呂です(次の日の朝入浴しましたが、焼額山を望む素晴らしい景色です)。食事はイタリアンのフルコース。時間はゆっくりですが、確実においしいものをいただきました。

    続く

  • >>No. 836

     連休は妻と長野に行きました。奥志賀高原のホテルを利用しました。
     実はこのホテル、シーズン中は随分高いのですが、ウィンターシーズン前の最後の営業期間ということもあり、安く宿泊できるため、妻の希望もあり予約を入れました。実際宿泊した日は、最後の営業日(正確には次の日の昼食まで)でした。

     で、そのホテルに行く、ということ以外は何も決めておりません。僕たちはその豪華なホテルを利用したいだけで、奥志賀の自然に戯れるとかは全く考えていませんでした。

     ここで、僕の希望で、松本に行くこととしました。松本はそれこそ10年くらい前に松本城と美術館を見に行ったのですが、あまり鮮明に覚えていないのです。また、長野市が近代的な都市になっていますが、長野第二の都市である松本市はどんな感じなのか知りたかったからです。
     どちらも中心となるもの(長野市は善光寺、松本市は松本城)を拠点とした街づくりをしているはずだから、どんなもんなんだろうと思ったからです。

     土曜の朝の8時過ぎに家を出て、行きつけのパン屋で(妙高市なんですけど、すばらしいパンの味)朝食を買い、一路松本に向かいます。上越市から長野市に行くのと、長野市から松本市に行くのがほぼ同じくらい(それぞれ100kmくらい)です。長野までは良く行くんですが、そこから先となるとなかなか行かない。途中大きなPA(姨捨、梓川)によって物見をしたりして、松本に着いたのは11時半くらい。ちょうどその日は松本市民祭りということで、通行止めが多いです。時間が時間なので、インター降りてすぐの蕎麦屋でそばを食べ(これがまた量が多く、しかも新蕎麦なのでいい感じでした)、駅へと向かいます。どうせ城の近くの駐車場は通行止めで止めるの難しいだろうし、駅にも興味があったのでそうなりました。が、やはり通行止めの影響で進まない進まない。駅にようやくついたのは12時過ぎでした。

    続く

  • >>No. 835

     一昨日は、彼女に久しぶりに会いました。下のおじょーの学祭を見ようということで、こちらの医院を10時に閉めて、彼女とともに新幹線で新潟に向かいます。
     その日は、気温も低く、しかも新潟市は風強く曇り模様で体感温度はさらに低い!てな様相でしたが、大学前駅を降りて、てくてく歩いて大学に向かいました。

     まずはおじょーにあいさつ。おじょーは美術部で、なんとアート飴細工をやっていました(ちなみにおじょーは会計役)。まずは二つ買って、お腹減ったし何か食べようか、となって、考えているうちに、ま、焼きうどんなら外れないかと買って、学食で食べました。彼女は、『この量で300円は高いなア、こっちの町内会の(お祭りでの)焼きそばなんて子の倍で200円だよ!!』とか言っています。

     食べ終わって、外も寒いので、場内に入りましょうということで、回ります。彼女(僕もですが)が一番興奮したのは、いきものサークル。もともと爬虫類両生類は全く苦手としない彼女です(僕もそうです)。サークルの教室には、昆虫、植物、魚、両生類、爬虫類の生きてるやつがこれでもかとばかり展示しています。彼女、マダガスカルオオゴキブリや、カエル、アオダイショウ、ミシシッピーアカミミガメ、オオトカゲを触りまくって大興奮です(笑い)。

     4時間かけて軽音聞いて(コーヒー紅茶ケーキなどを販売して、演奏を楽しませながら飲食できる)、抹茶(裏千家)飲んで、プラネタリウム見て・・・・16時半くらいに大学出て、新幹線乗って一緒に帰ってきました。

     夕食は、ショッピングモールに新しくできたカレー屋。本格(ネパール人シェフがインドで10年修行して店出した)カレーの店で、それぞれラッシーとカレーとナンを頼みます。イメージでは『ナンが大きいんだよな…』と思っていたら、すんごい大きさのナンに彼女ビックリですww。でも美味しいカレーだった。彼女も大喜びです。

     その日はそれで彼女を家に送ってお別れ。妻は仕事(?)で温泉に宿泊しているので、酒飲んで一人ごろりとなりました。

  • >>No. 834

     どこかに移行しようか、と考えて、果たして、僕が今の形にしたのはどれくらいの投稿の頃からかな?と思い、最初から読み返してみました。

     かなり若い番号・・・・下手すると100番台くらいでもうこの形になっていたのでは?そうするとかなりコピペがあるなあ・・・・・などと気にしていましたが、なんと600番目くらいからでした。

     最初から読んでみると、ちょうど彼女にフラれて傷心状態で、この掲示板(他にもいくつか入った形跡 というか記憶もあります)に書き込み始めたようです。きっと、自分の心は(ま、今でもそうですが)乱れていたというか、モヤモヤしていたんだろうなぁと思います。若い頃だったら「何で僕の気持ちがわかってくれないんだ!!」とか怒鳴って、自滅の道をひた走りだったのでしょうがww、逆に黙って耐えるのもホントにつらいと思いました。

     もっとも、僕は妻が嫌いとかいうわけでなく、好きな人は好き(それは男性であろうとも)なので、その好きな人の為に手を貸してあげたい、何かをしてあげたい、のです。ただ、そこに「自分にも何か与えてほしい」とか思っちゃうと、心も乱れてモヤモヤになってしまうんですね。

     まあ200項目くらい(途中に他の人からの感想とかあるから200弱ですか)何とかコピペできそうですね。

  • >>No. 833

     さっき、textreamのトップページを見たら、10月2日発信で、12月いっぱいで一部の板を除いて、閉鎖すると出ておりました。
     まあなあ・・・yahooに関しては、掲示板でも、チャットでも、いろいろな理由があるんだろうけど、パッと止めてしまうんですわね。
     textreamに移行した時も見たり書いたりするのに、慣れが必要でした。それを感じなくなるまで結構かかった気がします。
     で、ついにtextreamも終了となれば、この板どうすっかな?ってな感じです。

     日記みたいなものだから、個人のPCとかに入れとけばいいんですけど、バーチャルで見られている(かどうかは定かでないですがwww)という気持ちが、普通に日記書くのと違うと思いますし、それだからとぎれとぎれとはいえ、続けてこられたんだと思っています。

     今思うと、彼女と知り合った(というか再会して改めて仲が良くなった)のが、この掲示板に僕が記載を始めたのと同時くらい。その頃の彼女の下のおじょーが高1で、今は大学1年です。3年間かぁ。。。。そう思うと感慨深いです。

     ま、どっかに移しますかね。12月の前にブワ~~~~っとコピペして、一時PC内に保存したら、どっかに再掲しておこうと考えています。

  • >>No. 832

    連休は、妻が会の仕事のため、日月と僕一人でした。

    日曜は、郡市会の仕事を手伝いました。200人超の検診と歯科相談。疲れましたw 声もよう出ませんw 

    で、その仕事は15時終了、片付けをして16時過ぎには家に戻りました。ここからは自由な時間です。こんなとき彼女がいれば、食事でも、ということになるのですが、生憎昨日から横浜~鎌倉遠征とのこと。

    仕方ないなア とばかり、一人飲みに街に出ます。17時ちょっと過ぎたくらいに店につきました。
    店は、ショットバー風なのですが、日本酒をショットで飲ませてくれるという店。カウンターと少しのテーブルしかない、僕みたいな一人飲みには最適です。

    たかだか2時間くらいですけど、随分飲みました。土産にそこんちで扱っている酒の4合瓶二つ買って、合計1万2千円くらいww(あとで財布を見てわかった)。

    家に帰ったのは9時前くらい。カップラーメン食って、「せごどん」の最後の方見て、彼女にメッセ送ってたら、そのまま居眠りです(苦笑)。

    気付いて目が覚めたのが4時くらい?TVでは深夜にしかやらないTVショッピングが流れています。布団をかけてもうひと眠りと行きました。

    とはいえ、結局朝5時半くらいになって、明るくなってきたんで、とりあえず起きました。寝ている姿勢が悪いせいで体は痛い、酒の飲み過ぎで頭は痛い、最悪です(苦笑)。とりあえず妻が買っていたパンを食べて、水分補給をドンドンします。でも頭は痛いまま・・・・・・結局寝転がって午前中が過ぎます。

    11時過ぎになって、何か食べに出ようかと。近くのラーメン店が新装したとの情報があり、そちらで担々麺(こいつが辛いんだけど、なかなか美味い!)をいただきました。ただ、頭がぼけている(人がいる席に座ろうとしたり、もの落としそうになったり)ので、食べたら早々に帰りました。

    家に帰ってTVつけると、出雲学生駅伝をやっていて、そいつを鑑賞しているうちにまた眠くなって・・・・目がハッキリしたのは終了後でした。

    こう振り返ってみると、疲れがたまっているんだというのと、酒に随分弱くなって、飲まれてるなアと思いましたw

    ま、貴重な連休も終わり業務に向かっています。連休のあった分だけ、今週は早くに休みが来る、と思えば気持ちが楽になりました。

  • >>No. 831

    平常というか、平静な生活が続いています。カルテの書き方とか、患者にどう接するか、とか意識した毎日です。
    酒を飲むのは変わりませんが、少なくしたいなと思っています。そして、体を動かすことをやってゆきたいと思っています。
    さ来週の木曜日に師匠と飲むことになりました。師匠によると、特に厚生局から課題が出なかったということは「概ね良好」ということなのだろういうことでした。
    いつまでこの仕事をやるのかわかりませんが、「皆の力によって仕事をさせてもらっている」という意識で臨みたいと思います

  • >>No. 830

     12時40分に会場につきました。デンタル5年分の入ったボストンバックと、カルテその他が入った買い物かごを持って、会場に「指導を受けます石上と申します!」と元気に挨拶。すると、事務官のような方が、「すいませんがもう少々こちら(外)でお待ちください」 外を見ながら深呼吸です。と、先日保険指導でも指導してくださった先生が中に入ります。やはり、多少の緊張は隠せません。

     時間の5分前に、「それではお入りください」

     目の前に、技官1名、事務官2名、立会人2名の紹介がありました。「では、お持ちになった資料をお示しください」 で、「デンタル5年分用意しました。」で、かなり相手は面食らったようです。技官の先生から「いえいえ、見分指導するのは2か月分ですから・・・・・」

     結局のところ、やはり2か月分の見分指導だけでした。でも運がよかった。本当に運がよかったと思います。技官が本当に「指導と教示のためにいらしていただいた」方で、意地悪してやろうとか、踏んだ食ってやろうってのが全くなかった。真の意味で「勉強になった」と思いました。実際その2か月でみても、返戻させることもできる内容もあったし、意地悪なことをしようと思えばできたはずです。本当に運がよかった。

     で、選ばれた件数のうちほぼ全体28件のカルテについて聞かれました。今思えば、「あ、なるほど、そういう基準だったんだ」と思いました。聞かれた内容も、初診の所見の記載から、各症例の手技、記載の仕方などなど・・・・とても勉強になりました。

     あっという間に2時間が過ぎ、評価されることとなりました。言われた内容そのままで、納得できる内容ばかりでした。正式な通知は2か月後ということでしたが、立ち合いの先生(僕だけでおしまいだったようなので)といっしょに門を出るとき、「返戻もないと思うよ」とお言葉がありました。

     今思えば、本当に苦しい1か月でしたが、喉元すぎてしまったのかな、と感じつつ、どうカルテを書けばいいのか考えて日々望んでいます。

  • >>No. 829

     そして指導前日まで来ました。本日は診療は休み(一応開けてはいるが、急患しかみない)。朝9時。残りの10件の連絡が入ります。さすがにここでは、1週間前までに用意してきた患者が半数以上入ります。在宅往診は、考えていなかった人が入りました(後で考えると、”あ、なるほど!”と納得するのですが)。その結果、訂正をかける件数は3件ほど。とはいえ、この3人も、経過が長い、とか、同じことの繰り返しで変化をつける必要あり、で頭を使います。
     結局直し終わったのは、6時くらい。以下、すべてにわたり1号カルテの不備、2号カルテの空欄を埋める作業を行ってゆきます。もうキリがないというほど・・・・その日は実家に泊まって明日を迎えるつもりでしたので、めんどーになった10時くらいに寝ることにしました。

     で、当日は結局5時に目が覚めました。キリがない作業の続きです。考えて、自分である程度納得のいくところまで埋めてゆきます。と同時に、本日の指導用の荷物をまとめ始まます。朝の9時くらいにはスタッフも出勤し、手伝いをしてもらいますそれを。
     10時になり、スタッフは帰します。指導は13時から長岡市で開催されるのですが、移動時間をみて、11時半にここを出れば余裕で間に合います。なので、そこまで寝ることにしました。

     寝たのかどうかよくわかりませんでしたが、11時過ぎに実家を出ました。ただ、出てから、最新のレントゲンアルバム(8月以降くらいのもの)を忘れていたので、家に戻ってそれを荷物に加え。12時くらいに長岡ICを出たので、いったん家に荷物(着替えなど)を置きに行きました。メール等をチェックし、12時20分に会場に向かい出発しました。

    続く

  • >>No. 828

    そうこうしているうちに、第1回目の連絡の前日になりました。保険相談に持ち込んだ10件以外にも、かなりの数を網羅し、そして直し、改めて「あ、ここいけないなぁ。」「ここ突かれるとヤバいなぁ」というものが出てきました。不安もありますが、手直しをした数は30を優に超えました。

     そして朝9時前。診療室に厚生局より電話とFAXがあり、最初の20件が届きました。・・・・・正直驚きました。チェックをかけて手直ししたものは20件中6件ほどで、あとは「え?なんでこんなのが当たるの??」なんてものもあります。

     さてここからは、それらについて不備がないか再度確認です。新しい(1月から6月)ところについて、1号カルテに病名の挙げ漏れ、開始、終了、転帰を見て、2号カルテには材料の書き落とし、データの書き落とし、指導の書き落としなどないか見てゆきます。中には、書き直した方が早いと判断し、書き直したりもします。
     「え?なんでこんなのが?」というものの中には、直しづらい(同じ処置の連続で変化を出しづらい)カルテも数件ありました。

     結局この1週間も、寝る喰う診療するカルテ書くの日々でした。連休もほとんど休むことなくずっとこんな感じでした。

     この時期になると、これだけやったんだからやれる(対応できる)!と思う反面、不安も出てきて、初診からの1号カルテや2号カルテも、最低限のところで手をつけ修正しました。

    続く

  •  月曜の指導が終わった次の日は、大学時代からの仲間との定例の飲み会(月1)でした。その場では「いや~~ 個別指導にかかっちゃいましてね~」と発表しました。仲間の一人で栃木よりいらしている方は、悪名高きの厳しい技官から指導を受けられたことがあり、いろいろと話してくださいました。想像はしていましたが、現実かなりきびしいというか、どうすればいいんだろうとすら思っていました。

     次の日から、第1回目のカルテ発表まで10日あります。その10日間で、1月から6月までの来院者のカルテのさらなる洗い出しを行いました。当然洗い出して、直す。場合によっては書き直す。で、ここで厳しい現実が一つ待っていました。3人ほどなんですが、一番長い人で6年前から、他は5年前、4年前から、全く初診から今まで切れていない人が発見されました。一瞬暗くなりましたが、もうこの3人は別物として、初診から一気に書き直そうと決意しました。この作業は、カルテをきれいに写して整合性をとれるようにするkとが大事なので、家でもできると踏み、医院ではさらにカルテの洗い出しを進めました。

     結局そこからは、食うか寝るか診療するかカルテのことをやるかの毎日が始まりました。好きな酒もほぼ一滴も飲まず、眠くなったら寝るのですが、5時には目が覚めて、妻を起こさぬよう別室でカルテを書くという毎日でした。

    続く

  •   その日から、言われた条件にのっとり、カルテを探し始めました。最初は「こんなんありえるのかなぁ・・・」とか見てましたが、6か月で点数が高くていろいろというと結構出てくる。在宅往診も行っていたので、それも選んでみました。
     
     資料をそろえ、見直してみると、不備が結構目につきます。”そういうところが相談のポイントだろ?”とそのまま持って行くこともふとよぎりましたが、それではすっごく怒られてしまう予感だったので、不備を直すことにしました。言われた通り、1月から6月までの来院期間(初診が昨年の11月12月から切れてなければそこから)直すことにしました。当然カルテを新しくして書き直したものもあります。で、それがまたつらいつらい。自分の字ながら「これなんて書いてあるんだろう?」とか患者の顔や状態が浮かんでこないものなど、最初は四苦八苦でした。

    そしてその週の土曜日は飲み会(大学の職場の同門会)です。席が隣になった友人と、「指導とかになったら大変だよね~」とか白々しく言っている自分がそこにいました(苦笑)。1番目にかけていて、遠くから来ている後輩にだけ「実は来週個別指導だから、今日は泊まれないんだ」と告げましたが、他のかたには知らぬ存ぜぬです。ちなみに慣れないことして疲れたんでしょうね、寝てて乗り越ししました(なんとか最終の新幹線でその日のうちに戻れましたが)。

     月曜日になり、保険相談で、カルテを見てもらいました。大体自分が分かっている(想像していた、あるいは勉強して分かった)範囲の指導注意がありました。

    続く

  • >>No. 825

    「1か月」をどう過ごすか考えました。9月は8日、11日と飲み会、15,16日は旅行(事前に決まっていた)。
    それらの日は何もできないので外して考えます。
    師匠からの情報で、まず開催の1週間前に15件(ないしは20件)カルテが選ばれ、前日に15件(ないしは10件)カルテが選ばれ、計30件を用意する。当然それに付随する書類、模型、写真も用意する、というものでした。
     とりあえず、すぐに揃えられる、1月から6月分(厚生局からの通知)の技工指示書、伝票、その他の伝票、薬剤情報添付紙、領収証の見本、日計表などをスタッフに用意してもらい、妹(スタッフの一人)に出勤表を作ってもらいました。
    その後、医院のレセプト用コンピューターにて、「こんなん来そうなんじゃないの??」というのを書き出し始めました。
     土日は、医院には行かず、借りた資料から、どういうカルテの書き方がいいのか、など勉強したり、郡市会の3役に、事情を説明するメール(なんと指導の前日が会の会議に当たっていたので欠席の許可をとった)を作成送信したりしました。

     月曜日、大学の先輩でもあり、現在県歯科医師会の保険担当理事から、「保険相談するけど来る?」と連絡がありました。当然受けさせてくださいと答え、その際に選ばれるものについて聞きました。とにかく通知された1月から6月のうち、2か月分のレセプトしか持ってこないから、そこ(1月から6月)に来ている人で、点数が多いとか、やった内容が多いとか、そういう人を10件ピックアップして持って来なさいとのことでした。で、その相談の日は連絡の1週間後(1回目の飲み会の明後日)ということになりました。

    続く

  • >>No. 824

    こうなったら、覚悟を決め、過去に経験のある私の師匠(大学の講座および郡市会の先輩であり、医局員時代はアルバイトをさせてもらっていた)に相談しました。
    師匠からは、「一応事務的なものとして捉える」「聞かれたこと以外は答えない」「困ったら立会人(歯科医師会の保険部の方が立ち会っている)の顔を見てSOSを出す」などのアドバイスがあり、いろいろな資料(カルテの書き方、指導の対応など)お借りしました。最後に一言「俺ですらそうだったんだから、体が不調をきたすことは覚悟した方がいいよ」  うん、その通りなんだと思います。ふつーは縁のないことですし、昔から、当たらないのに越したことはないと言われているイベントです。昨年はここから、監査~保険医停止まで至ったケースも一つありました。

    続く

  • >>No. 823

    個別審査 とは、「あなた、患者さんから取ってるお金(正確には点数)が平均よりずいぶん高い(上位8%)。カルテ内容見せてもらって指導するから出向きなさい」と、厚生局主催(兼県の主催)の審査です。

    ただし、下手をしてしまうと、返戻(点数 ひいてはお金を戻しなさい)とか、何度も指導とか、最悪は監査(いわゆる医院に踏み込み)とかあってしまう、我々保険医にとって、限りなく厄介な代物です。

    先にも書いたように、ある条件(上位8%)にかからなければ、まず縁がないのですが、たまたま宝くじのように当たる(上位8%の切り方も不明な点が多いうえ、順番みたいなものでかかったりかからなかったりがある)と、この1か月は不安とそのために時間を割かざるをえなくなります。

    文章には、「都合が悪ければ云々」という記述があり、たまたま昨年度から決まっていた介護認定審査会に出るから日にちを動かしてほしい旨(こうすればもしかしたら免れるかもしれないという期待とともに)を関東厚生局に伝えたところ、比較的高圧的にこちらを優先してほしいと言われ、介護認定審査会を取り持つ市役所に交渉してほしいと言われました。この時点で、”あ、免れることは無理か”と思う上に、高圧的態度に何か嫌なものを覚えました。

    続く

  • >>No. 822

    また1か月空きました。

    でもこれは、「願掛け、精進のため」1か月空けたといってもいいです。

    8月27日の昼、前触れもなく、1通の書き留めが届きました。郵送元は関東厚生局新潟。とんでもない胸騒ぎがしましたが、予想通りのものでした。「個別審査の通知」だったのです。

    続く

  • >>No. 821

    お盆休みは妻と出かけました。前半(11~12日)は奥志賀高原へ。後半(14日~15日)は群馬に行きました。

    見るところを探しながらの旅行でしたが、なぜかいつも新鮮というか、いろいろと新たな発見があるものでした。

    海外旅行もいいのかもしれませんが、国内旅行の方が言葉も通じるし(笑い)、新たな発見なんて至る所にあるのがわかりました。

    さだまさしの「日本は、いい国です」というのがわかるこの盆休みでした

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