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投稿コメント一覧 (4672コメント)

  • 朝鮮名とかどうでもいいだろ。そんな情報に価値はない。
    日本名から探れば良い。朝鮮人は首領を筆頭に金と言う名字が多いがそれは日本に来ると近のつく名字に変わる。但し、ちゃんとコンと読む名字だけで近松門左衛門はちゃんと日本人な訳だ。木下が朴だとかは有名な話だし今更だね。
    えっ、沖縄?
    安、新、城、古を音読みするとか沖縄なら石、川を訓読みとかも怪しいよね。仲とか宇も怪しいけど中と仲はどっちかがどっちかだろうね。宇は柳、伊は李と対応して怪しいけど日本人にもいないかは分からないし軽々には言えないね。琉球語では東をアガリと読むから沖縄には東をヒガシと呼ぶのはいないけど本土からの移民もいるからね。まあ本土でも東の付く名字は微妙だが。
    朝鮮人も何か知りたいみたいだし参考になったかな?
    それ以前に別に抗議活動をやってるのが朝鮮人かどうかは知らないが主導して仕掛けているのは朝鮮人と言うだけだ。だから表に出てくるようなのを叩いても意味は無い。

  • 北朝鮮本国でどうやらラジオマンが小規模な射撃実験を行ったらしい。おそらくこの場違いの高度な射撃実験は失敗しただろう。だが小規模でも核実験には変わりはない。それで宣言通りの報復の準備をしていたが北朝鮮本国がボロボロ過ぎてこれ以上何もしようが無いようだ。韓国企業から地下トンネル技術を輸入しただとか言う話は既にそこそこ有名な噂らしく新たな情報は出てこなかった。かと言って漁獲戦闘での首脳部の自滅行為を態々解説してやるのもおかしな話だし勝手に自滅している相手に報復するのはかなり難しいようだ。かと言って首領の逃走術だけは穴が少なく斬首作戦は相当に重厚で無ければ成功しないし内通者がいる前提での行動も検討しなければと言う非常に矛盾に満ちた作戦が求められる非常に困難な任務であてにはならない。果たして奇代の逃亡者は正義の空爆から逃げ切れるのだろうか。

  • さて、北朝鮮情勢は動きそうだが一応まだ動いていない。そんな中Eさんは何か全会一致とか言う妄言を言い放った。全会一致に越した事は無いが共産党は断固拒否と言っている状況でそれは妄言でしかなくあるいは暗に立憲も断固拒否と言う本音とも見られても仕方ない。
    当然ながら議論は十分すべきだがそれでもまとまらなければ他の法案と同じで多数決であるのは言うまでもない。そもそも国民投票で否決されたらそれはそれで民意なのであってそれを確認する意義は大きい。そもそも国民投票は議員だけに決めさせない為の制度であるのが本質なのにある者はそれを隠し、ある者はそれを忘れ、誰も言わない。そして、ある者は国民から決定権を奪おうと勝手な理屈を並べ立てる。しかし、それでも国の事を考えているなら暗にお前ら国民は間抜けな選択をしかねないから委ねたくないと思っていると言う事だ。そうでなければこの国を良くする気が無いか、このどちらかである。いずれにせよ、良くも好き放題だと呆れる。国民主権は口だけなのかよく問い返すと良い。
    こちらは大日本帝国はかなりの国民主権だったと思っているが今の政治家は軍事政権化して強引に国民を動員したせいでああなって反省すべきと思っているのだろう?なら国民投票すべきだ。護憲とか言ってるのは矛盾まみれの輩が多すぎる。それとも日本を改悪したいと言うのが本音なのかね?

  • >>No. 238819

    >別名アジスキタカヒコネ、この地で剣を持って暴れてる神様。
    つまりスサノオだと分る

    記紀は別名が有ればきちんと書くんだよ。ってかスサノオの直系だろ。
    葦原中国の平定で双子?の弟が懐柔されて?矢で撃たれちゃうあれか。それで葦原中国の平定すら済んでないのにいきなり中国か?
    中国は何処にでもあるコンビニか何かなのか?それでたくさんの生贄を献上すれば幸せになれるとか?

    >2世代前のアジスキタカヒコネがスサノオではなく、
    5世代前のスサノオがアジスキタカヒコネであるという意味。

    ああ、1代10年は譲れないからこう言って置こうって事だね。
    どっちにしろ間違ってるけど。

  • 生口を差別と結びつけるのが現代的な考え方に拘泥して歴史を見誤ってるんだよね。それに九州に殉死があったのは動かせない。アフリカの奴隷狩りは差別なのか?単なる商業的な動機だろう。

  • >>No. 238824

    >文献(古事記)と考古学の整合

    考古学との整合って何が整合してるんだ?最もでかいからか?
    後、山辺縣御座神社ってのが行燈山から離れた場所にあってそもそも山辺ってのはかなり広範囲であってその字面しかないのにそれに岡上が加わった所でそれだけでは十分絞れない訳だがそれで大きくて目立つからという考古学的な理由で行燈山に比定する訳だね。
    実に面白い間違いないだね。
    が実際には延喜式で守戸を衾田陵と兼ねるとあるから近くに手白香皇女陵がある事になる。しかし、近くにある櫛山古墳等は年代的に合わない。君らの考古学と文献の整合性は破綻している。

  • >>No. 238801

    >全国で唯一鏡と銅鐸が一緒に出た

    だから何だという話なのだがまあ珍しいのは共伴よりこんな所に鏡がある事だ。初期の鏡は丁重に扱われたからだ。年代はともかく初期の鏡ではある。まあ場所的には神武東征と絡んでてもおかしくないがまあこちらのつまらない話はこれ位にして置こう。
    それでこれがスサノオとどう繋がるんだ?というか聞かなくても言ってくれても良いと思うが?

  • >崇神墓=行燈山

    まあまずこれは君が問題視する江戸時代に天皇のメンツを立てる為に決めた事である。こっちこそがそれだ。天皇は地域一の巨大古墳に眠っていなければならないと言うね。
    延喜式で景行と崇神は共に山辺道上陵だ。ここで問題になるのがその延喜式で崇神陵は手白香皇女の衾田陵と守戸を兼ねるとある。これは地理的にある程度近く無いと無理だ。そういう訳で西山塚と行燈山の関係上、崇神陵か手白香皇女陵のどちらかは誤りだろう。そこで行燈山が正しいならば皇女陵は櫛山古墳となるが衾田陵には地理的には当てはまらない。そこで宮内庁の指定通りに西殿塚に当てれば下池山や中山大塚が十分近い。いずれも鉄器と鏡が出ている。西山塚を皇女陵にするなら波多子塚だが前方後方墳である。しかし、西殿塚以外は継体陵が近くに当てはまらず延喜式と記紀に反しないならば崇神陵は中山大塚であろう。

  • >>No. 238720

    >黒曜石の時代の話か。

    所で黒曜石の時代から沿海州との交流はいつ切れたのだ?
    切れたとして原因は何だ?氷河期?ならどっちが住めなくなったんだ?
    それとも海進?でもその時は船持ってたよね。
    氷河期に沿海州寒くて住めませんってなって、その後また住めますってなったらそれは倭人様が進出するだろう。で言葉が多少時が過ぎても元は一緒だから交流を続ける。中国人とは言葉が通じにくくて戦った面もある。そもそもこの時に中国なんてのはまともに無い。
    で、スサノオの話に戻すと出雲ではその前後に田和山の勢力が妻木晩田の勢力に倒されている。青谷上寺地遺跡もその後に倒される。こういう情勢でスサノオが出雲と関連するなら師升では有り得ないが君は大和とか言ってるんだよね。なら唐古鍵の大環濠の前で大和は平和といえば平和だが南北は何となく分離している。しかし、それは大阪湾に出る障害にはならない。で、道すがらに朝鮮半島で奴隷狩りをして中国に献上したと。そりゃ、朝鮮人に恨まれるから歴史書には書けないね。
    そう言えば生口のお話も記紀には出ないね。後、殉死廃止を言ってるが大和に殉死の遺跡はあまり無くてそれを大和説の否定にしてる位だが九州にはその手のものはある。奴隷と殉死は必ず結びつくものではないが無関係ではない。結局、どっちも九州だろう。それで二世紀頭の九州はと言えば糸島の平原遺跡が出現した程度で北岸では銅鐸とかを作って(海岸線の関係上須玖岡本も含む)他も小国分立で南には隼人がいて豊国は主要交易路として機能して前の時代から変化は無い。平原遺跡には漢製鏡が出てる訳でまあ時期的に無視は出来ないだろう。まあ漢製は32面程らしいから五対一での交換かと推測してしまうが、平原と大和の接点は不明瞭であり、ここまで考えた所でたかが一文の記述の真意等明白に分かるはずも無い。ましてそんな霞みきった高天原や葦原との関係等わかるはずも無い。それを記紀を何の脈絡無く思い込みで考古学による自省もせずに書いてるからいい加減にした方がいいのだ。

  • >>No. 238706

    >崇神4世紀前半から推測

    推測から推測してもそれは君だけの世界だ。だから考古学を挟まないと暴走する。スサノオは何処だ?同じ時代のその場所には何も遺跡がないのか?
    まあこれ位はこういう事を言う前にやって欲しいね。

  • >>No. 238582

    >王墓群からは、体に折れた細形銅剣や石鏃の刃先を持つ甕棺墓がある。

    多分、これ王墓群じゃないと思うよ。勇敢な戦士を称える習慣は古今東西時代を問わず存在する。逆に言えばそれができるという事は戦いで勝ったと言う事。でもその勝利が防衛側かはまた別問題。

    >末廬國の官名がない

    当然、官の記載がない理由も安易に断定は出来ない。直轄領だったと考えるのが最も自然。

  • >>No. 238395

    >隋使が倭國(邪馬台)に来たのは、
    大業四年(608)じゃ。

    何だ?600年に行った時に今の豊浦宮が新羅東南三千里だと言ったら何か問題でもあるのか?どう見ても行程記載とは別に捉えるべきだろう。
    だから都は何処かは隋書では決められないのだ。はあ、君らはどうしてこうも丁寧さに欠けるのだろうか。記述の順序には全て意味があるのだよ。その癖にこちらには厳密な話を強いるから困ったものだ。

  • >>No. 238378

    >「城郭が無いだとか・・・九州王朝説じゃあ全く説明できない」ってのは、残念ながらワシが理解できる説明ではない

    いや、なら無城郭って何故書いたんだ?
    これには当然意味があるのだが九州王朝説に拘泥している君には大した記述に見えないのだろう。そして、それこそが君の根本的な勘違いな訳だが冒頭の記述ですら九州と言い張る君には言っても無駄な話なので余計な事を言ってしまったから気にしないでくれ。
    そして、小学生に連立方程式を教える様な無茶な要求は申し訳ないが受け付けられない。そして、君はこの喩えでいけば四則演算の少数への拡張位の事の話で間違っていると言っているのに教えられるはずも無い。古墳時代の事は全国各地の情勢が密接に絡むので九州で自己完結とか言ってるのは論外な訳だがまあこれも余計な事だね。

    >アンタのアホな中国人は地理も歴史も異なる国

    都と領土が仕分けられていないね。旧唐書は隋書をほぼ採用して過去の誤りを正している訳でこれも結局、全国の大半を無視する事で浸れる妄想の賜物と言う訳だ。それに距離も日数から里に変わって官制も変わってると旧唐書には書いてるのであってここら辺の話は旧唐書から読み取れる当たり前の話で都については厳密には読み取れない。だからこうやって言っているわけで簡単には説明できないから簡単だとか言う君らが実におめでたいと思ってしまう。

    >「畿内の中での遷都」

    言い忘れていたがこれは日本の史書の必要な内容を中国史書で検証して矛盾が無いと判断しただけで中国史書だけから読み取れるような言い方は紛らわしかったね。日本書紀の600年の都を調べれば隋書的には当面は十分だからね。もちろん、詳しくしようとすると軍政分離とかややこしい話になるからまあまあこれは当時の情勢からかなり遡って途方も無いのでついつい余計な事を言ってしまうがとにかく君の話は安易で穴だらけだからついつい余計な事を言ってしまう。

    >隋書も、「阿蘇山有り」

    この記録を除いて13世紀まで有史の阿蘇山の活動記録は日本側に無い。一方の浅間山には685年の記録がある。こうした事実からこの記述は浅間山のものであり、都の位置の決定にはほとんど関係ないと思われる。そういう訳で阿蘇山の古称を聞いていた訳だ。

  • 倭人の交易路は主に5つある。一つは蝦夷、次は草原の道、後は華北、華南、最後は海の道である。
    華南ルートは後漢書にも書かれる東テイ人の薩摩経由の交易で鉄器はあまり聞かない。何より重い鉄を組織的にと言う動きは無さそうだ。蝦夷ルートは多様で絞れない。少なくともまとまった鉄輸入は見られない。華北ルートは史料が豊富だがどうも矛盾も多く混乱している。と言うか何か全ての交流を強引にこのルートだけに絞ろうとしている姿勢が見え隠れする。
    そして、実際には海の道が初期の鉄の渡来経路である。但し、渡来したのは製鉄技術ではなく鉄そのものであった。当然、弥生初期にやって来たその鉄は強力な武器が錆びかけたものであり、特に湿潤な日本の気候はそれを助長した。結局、そうした事情からしばらく祭器として使われたのだがそんなのは初期の数百年であり、その後は順次海の道や草原の道に製鉄技術が渡来すると日本の高湿度では製鉄に不向きな事から乾季の東南アジアや夏にどうしても欲しい場合はモンゴルから仕入れた。青銅器も似たような側面があった。その後、中国からも輸入し、弥生中期には冬の伽耶での生産を手中に収めると同時に横穴技術を使った地上の天候に影響されにくい炉の開発も行われ、晴れの国の吉備や地味に乾燥している出雲での製鉄が定着していき、湿気に強いたたら製鉄に行き着く。このたたら製鉄が海の道を西に向かった為に東南アジアやインドが急速に集権化していったが大インド砂漠で止まったのは言うまでもない。そして、北にも向きアイヌは密かに世界最高の製鉄民族と化して日本の武家政権を影で支える事となる。但し、室町時代には鉄の需要が頭打ちになり、資源の枯渇も相まってアイヌは急速に変質したが。
    そして、この頭打ちが日本の鉄加工技術の無駄さ加減に拍車をかけ、独特の職人集団を生み出し、日本発祥の加工貿易なるものの素地となっている。

  • 希望の党の分裂が当面沈静化したので改憲の第一危機は少し収まった。こうして朝鮮公明党様はようやく少し焦り始めたようだ。
    まあ安保関連の改憲で言えばどうせ自衛隊の名誉改憲ならば早く与党内でまとめるべきだろう。そうしてとっとと野党様との議論に持ち込んで公明様を早く黙らせた方が良い。その後はゆっくり議論すれば良い。そうなれば公明党は改憲阻止を狙って口を挟めばどんどん損をするから黙るしかない。こうした事が次の段階の改憲の布石にもなり得る。
    ただ、戦力の不保持等の方に踏み込むなら党内の議論を十分周知してからにしないと駄目だろう。
     後、教育無償化に関しては努力目標の条文追加程度しか憲法の趣旨に沿わないのだがそれでもやってしまうのだろうか?それを求める勢力はそれを突っぱねられた位で安保の姿勢をころっと変えるのだろうか?あるいは国民投票でそんな事が改憲に良い寄与をするのだろうか?
    むしろマスメディアに攻撃の材料を与えるだけの様な気もする。
    まあ個別案件毎の投票となるらしいから筋違いな訳だが彼らはやりそうな気がする。まあそこまで馬鹿ではない事を祈るばかりだがやってきたら思わず吹き出すだろう。いい加減笑劇場からは卒業してほしいものだ。マスメディアの改憲阻止劇の主役は誰なのだろうかと今から楽しみである。改憲の成否はともかくその劇は大コケするだろう。しかし、改憲できなければマスメディアは自信過剰になりそうだ。

  • >>No. 238293

    >妄想?

    まあ君らの辞書に反省という文字はなく反復と言う文字が幅を利かせている。

    >「倭」と「日本」が書かれているんだから、「倭=九州」は明白。

    この因果関係は成り立たないね。政治制度が変わった。しかし、禅譲であって形式上の都は最終的に畿内の中での遷都で終わっただけ。君らは政権交代が地理的に遠い国の対決から起こると言う先入観に囚われているだけ。

    >キミは隋書と旧唐書を正しく読めていないのだろう。

    口だけならいくらでも言える。そもそも正しく読むとか言う言い方からして特殊な読み方をしないと九州王朝説は成り立たないと自白してるよね。

    >畿内教徒

    この発言こそが君が人の話を全く受け付けないメクラだと言う事を象徴している。

    >隋書には墓のことなんぞ書かれていない

    君にはそう見えるんだね。

    >「気がする」だけであること明白

    こちらの嫌味にしがみつくなよ、呆れる。

    >ワシはアンタとはそれほど議論していないから誰か他人のことを一般化しているのだろうな。

    君の装えてるつもりはやっぱり独りよがりだよな。それ以前に君はこちらをどれだけ見てるのか知らないがこちらは君が九州王朝スレで垂れ流す可哀想な投稿をある程度は見てる訳で見てないかどうかは君が決める事じゃないんだよ。まあ複雑なつもりは無いが君基準で難しい事を言うと良くわからない反論をしてくるから面倒くさそうだが一応指摘しておく。そもそも君のこの発言も因果関係が間違ってるんだが気づいていないだろうね。
    もっと言えば君はすぐ忘れるのかもしれないがこちらはそうじゃないからね。要は記憶力の差だよ。君とは十分議論したさ、だいぶ前にね。まあその忘れる力が反復を可能にするようだ。

    >誰か他人のことを一般化している

    いや、君みたいなのが一般とか嫌なんだが。

    >アホレベル

    こう自分に言い聞かせて人の話を聞かずに自分の話を強弁し続けるんだね。

    >理解不能

    全ての事について君が理解できるように説明しようとしたら君は嫌になってこういう風に喚くのが悪化するからね。そんな面倒な事はしないだけ。

  • 現実が歪んで見える人が多数浮かんでるねぇ。
    なんだ、箸墓古墳が2世紀中頃だったら何か不都合でもあるのか?鉄器が大和で2世紀から使われたら何かおかしいのか?
    知ってるよ、君らは戸籍だけ日本人だからね。
    ついでに江田船山古墳も200年前後で日本の漢製の物品は全て中国に無視できるほどの遅れでほぼ同時期に渡来してた事になるわけだ。
    理由は簡単。朝鮮に武器をやると辺境の治安悪化の温床になるが日本にやってもそんな事にならないし朝鮮を抑えさせられる。だから漢委ねる奴国王になる訳だ。それ以前に日本との民間交易は主に華南での取引な上に規模が大きすぎて止められない。そうなって地方を下手に潤わすくらいなら自分たちがやるしかなかったのだ。
    単に恵まれた気候で豊富な取引材料と中国と適度な地理上の距離で良好な関係だっただけ。文明が進んでいたとか言う謎の価値基準は関係ない訳だ。

  • >>No. 29817

    >東大寺山古墳に至っては2世紀後半の銘文がある

    結局、2世紀後半に大和に鉄器が入ったなら大乱が鉄器流入で発生したと筋道が付くわけでそれは福岡の若宮遺跡も同様で九州説にとっても畿内説にとっても大きな進展だが誰も受け入れない。それは編年の杜撰さを示し、その理由が遺跡の年代がひっくり返る事で体裁が潰れると言うだけならまだ良いがどうも日本の歴史が古くなる事をよく思って無いだけの気がする。
    そうなってくるとさらに古い形式の箸墓は2世紀中頃にまで遡り、伝承通りモモソヒメの墓で考古学的にも合う事になる。

  • >>No. 29813

    >いやというほど掘って、な~んにも出てないのに、これから掘っても出てくる可能性はゼロ。

    九州に銅鐸は出ないとか言って出た例もあるからね。
    まあ意地でも君みたいに鏡や鉄器を3世紀後半以後にしたい馬鹿がいるようで東大寺山古墳に至っては2世紀後半の銘文があるのに4世紀後半埋葬と言い出す始末で編年に引っ込みがつかなくなった末路な訳だがその銘文は鉄刀に刻まれている。二百年も大気に晒された設定でそれでもよく銘文が残ったねって?その二百年の間、戦争で使ったのか?当然、円筒埴輪があるのでこれまで埴輪の形式から三世紀後半とか言ってたのが全部ひっくり返る。そんな事態が容認できないのだろう。
    でも学者の言う事が絶対と言う事なら確かに3世紀後半に大和に鉄器はない。だが君の言う博多が鉄器流通を握っていたとか言う謎のお話は淡路の鉄器工房の存在でご破産なのだがおそらく訳の分からない言い訳は用意済みなんだろう。一向にそれを披露する気配は無いらしいが。

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