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投稿コメント一覧 (152コメント)

  • 【北星学園大】


    学生「植村氏をなぜ雇うのか」


    「就職活動に悪影響が出る」



    2014年11月04日






    元朝日記者の雇用 苦渋の決断強調
    あらゆる攻撃は大学の自治を侵害する行為であり、毅然(きぜん)

    として対処する――。 1カ月前の表明から一転、10月31日に

    北星学園大の田村信一学長が口にしたのは、 元朝日新聞記者の非

    常勤講師、植村隆氏(56)の契約を更新しないという考えだった。

    一部教職員らは反発
    この問題で、田村学長はこの日、初めて記者会見した。大学として

    の正式決定ではないとしつつも、 「学生の安全をどう確保するかに

    悩んでいた。どこかで収束させるべきだと思った」と語った。

    教職員らからは、これまで賛否さまざまな意見があったという。
    学生からは、植村氏をなぜ雇うのかという批判や、就職活動に悪影

    響が出るなどの意見が出たという。

    「植村氏を雇うのは日本人としておかしい――など、ネット上に見

    られるのと近い意見があった。 ネット社会が発展し、『大学の自治

    を守る』と言って学生が簡単に賛同してくれるわけではなく、苦し

    い状況だ」と漏らした…
    2014年11月4日

  • 「人間は ありのままに語ることはできない。




     だが、物語の力、虚構によって、




     より真実を鋭く伝えることも可能だ」





    「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
              発信基地に成り下がってしまったのか」




    広島大学の韓国籍准教授が、



    講義で「日本の蛮行」



    慰安婦映画で学生を洗脳



    ★講義で
     「日本の蛮行」訴える韓国映画上映 
     広島大准教授の一方的
     「性奴隷」主張に 学生から批判
     

     「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
      発信基地に成り下がってしまったのか」

     広島大学で韓国籍の男性准教授の講義を受けた
    男子学生(19)は、ため息交じりに語った。

     一般教養科目の「演劇と映画」と題された講義。
    4月28日、約200人の学生がスクリーンに投影された
    映像を見せられていた。


     「突然、2人の日本軍人が私を小さな部屋に
      押し込んだ。私が声を上げると、
      刀を抜いて鼻を刺した」

     衝撃的な“証言”が次々と登場する。
    学生はじっと映画を観賞するしかなかった。


     准教授は上映前、
    こうした河野談話の問題点を説明することもなく、学生に
    「人間は
     ありのままに語ることはできない。


     講義を受けた学生らは
    「日本だけがものすごい悪いように映った」
    「映像内容がその通りだと素直に思ってしまった」
    と漏らしていたという。

     男子学生は国立大学の授業として、
    慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられた
    ことに疑問を呈し、
    「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」
    と指摘する。

    広島大学は
    「現在、事実関係を確認している。
     事実がはっきりしない段階ではコメントできない」としている。

     准教授の講義の狙いはどこにあったのか。


     河野談話は韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと
    告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治らの
    根拠なき「強制連行説」を下敷きに作成されたが、
    そのなかで大きな役割を果たしたのがメディア、
    なかんずく朝日新聞だった。


    広島大学の、韓国籍の准教授とは
    崔真碩氏の事らしい。 ↓

  •  鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。
     当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじめ、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。
     
     これらのプレスマンが異口同音に言うには、「東京裁判で、南京にあのような大事件があったと聞いて驚いた」である。
     これは南京に入城した将兵たちもほとんど同様である。
     
     当時、読売新聞の上海特派員だった原四郎氏(現在読売新聞社顧問)は「世界日報」の記者にこう述べている(57・8・31)。
     「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令(かんこうれい)が敷かれていた訳ではない。
     
     なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」

    1937(昭和12)年12月1日~翌1938年10月24日までの約1年間、中央宣伝部国際宣伝処は約300回の記者会見を漢口で行い、参加者は平均50人を数えたという。また、「各集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は毎回平均35人だった」にもかかわらず、同宣伝処は日本軍による市民虐殺、捕虜の不法殺害について何も発表せず、外国人記者から南京虐殺についての質問が出たという記録もない。

    ところが、120人が同行し同じものを見同じ事を聞いたにもかかわらず、その中で、
    ★今井 正剛 (東京朝日記者)・・・「南京城内の大量殺人」(「特集 文藝春秋」、1956年12月号)
    ★秦 賢助 (福島民友記者) ・・・「捕虜の血にまみれた白虎部隊」(「日本週報」、1957年2月25日号)



    <注目>
    下の写真 昭和12(1937)年12月15日、南京の旅館前にて毎日新聞の記者、カメラマン、無電技師、運転手連絡員。向かって右手、中列右から2人目のメガネをかけた皮コート姿の人物は若き日の大宅壮一。 ↓

  • 朝鮮人強制連行という話は、1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物によって作られる
    「1965年」と「朝鮮総連」というのが鍵です。

    1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、1963年頃の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、さらに、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、帰国運動は行き詰まりました。

    そのため、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したという嘘話を本に書き、左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに引用したので、事実のように広まりました。

    しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、すべて捏造だったことが分かった為、在日の歴史学者は強制連行とは戦時徴用のことだと定義を変更し、トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。


    こいつが強制連行ねつ造の元祖、朝鮮総連活動家の朴慶植 ↓

  • ◆福島瑞穂

    慰安婦問題の特異性は、日本人が創作した話だということだ。ふつう「私が犯罪者だ」と嘘をつく人はいないが、奇妙なことに戦争についてはそういう「詐話師」がいる。この問題の発端となった吉田清治がその最たるもので、彼の『私の戦争犯罪』には、済州島で「慰安婦狩り」をした様子が詳細に書かれているが、なんとすべて嘘なのだ。本人ものちに「フィクションだ」と認めた。

    ところが吉田の話に目をつけて日本政府を相手に訴訟を起こそうとしたのが、福島瑞穂や高木健一などの弁護士で、彼らは韓国に渡って原告になる元慰安婦を募集した。そこで見つけたのが金学順で、彼女はNHKにも出演して「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言した。この話をNHKに売り込んできたのが福島で、彼女はスタジオに立ち会って金にせりふを教えていた。目的は、軍票(敗戦で無効になった)で支払われた給与の賠償だった。

    しかし朝日新聞の植村記者がこれを(吉田のストーリーにそって)「女子挺身隊として強制連行された」と誤って報じたため、福島らは訴状を「軍に連行された」と書き換えた(だから彼女は「強制連行」が嘘であることを知っている)。その原告団長は植村記者の義母だったが、のちに裁判費用を詐取したとして逮捕され、行方をくらました。

    要するに戦争をネタにもうけようとたくらんだ旧軍人が「軍の性奴隷」という猟奇的な話をでっち上げ、それを政治的に利用しようとした日本の弁護士が韓国人をけしかけ、朝日新聞がそれに乗せられたという構図だ。したがって主犯は福島瑞穂で、朝日は問題を拡大した共犯である。

    ぜひ国会で証人喚問を!

  • 日本のコリアン街に異変!




        韓国美人「売春」5000円




    それでも表通りの店はなんとか踏ん張っている。ひどいのは1本
    横道に入った裏通りだ。界隈では50店前後が倒産し、歯抜け状態
    のシャッター街が出現。

    夜ともなれば、店の閉店で食えなくなった元店員とおぼしき“新顔”
    の女たちが暗がりに立ち、酔客を引いている状態なのである。

     新大久保の事情に詳しい風俗ライターが言う。
     「しかも、こうした立ちんぼが急激に増えたためか、界隈では
    売春のダンピング競争が繰り広げ出している。ここにきて、再び
    美形の韓国アガシ(娘)を格安で買える売春のメッカになりつつあ
    るのです」

     前出の風俗ライターがこう語る。

     「もともと周辺の裏通りは、韓流ブーム以前は“立ちんぼ売春の
    巣窟”といわれていた。ところが、石原慎太郎元都知事の新宿浄化
    作戦で一掃され、飲食店員に転向する女もいたほどなのです。

    それが今回の銀行問題で逆流しだした。こうした立ちんぼは、
    今後も増え続ける可能性が高いのです」

     残された韓国系経営者らは生き残りに必死だが、新大久保の
    アンダーグラウンド化が再び進むことは、間違いなさそうだ。

  • 【北星学園大】


    学生「植村氏をなぜ雇うのか」


    「就職活動に悪影響が出る」



    2014年11月04日






    元朝日記者の雇用 苦渋の決断強調
    あらゆる攻撃は大学の自治を侵害する行為であり、毅然(きぜん)

    として対処する――。 1カ月前の表明から一転、10月31日に

    北星学園大の田村信一学長が口にしたのは、 元朝日新聞記者の非

    常勤講師、植村隆氏(56)の契約を更新しないという考えだった。

    一部教職員らは反発
    この問題で、田村学長はこの日、初めて記者会見した。大学として

    の正式決定ではないとしつつも、 「学生の安全をどう確保するかに

    悩んでいた。どこかで収束させるべきだと思った」と語った。

    教職員らからは、これまで賛否さまざまな意見があったという。
    学生からは、植村氏をなぜ雇うのかという批判や、就職活動に悪影

    響が出るなどの意見が出たという。

    「植村氏を雇うのは日本人としておかしい――など、ネット上に見

    られるのと近い意見があった。 ネット社会が発展し、『大学の自治

    を守る』と言って学生が簡単に賛同してくれるわけではなく、苦し

    い状況だ」と漏らした…
    2014年11月4日

  • 悲劇的に述べてひきつけておいて、





    問題点をあげ、「今後」につなげていく





    ちゃんと今後の自分の飯の種を撒いておく





                    ディス イズ ザ “差別ビジネス”






    凶悪犯罪、金嬉老事件(きんきろうじけん)に群がる差別ビジネス。


    昭和43年(1968年)2月20日夜、静岡県の清水市のバーで借金返済を迫る暴力団員3人のうち二人をいきなりライフルで撃ち殺した無職・金嬉老(キム ヒロ 39)が車を奪い闘争し、温泉旅館ふじみやに押し入り、宿泊客ら16人を人質に88時間に及んで篭城した事件です。


    金は無期懲役でした。面会は自由で、房内には金品、ラジオ、カメラ、包丁、ヤスリ、エロ写真まであったといいます。そして70歳で仮釈放され、支援者に導かれて故郷釜山に帰りました。韓国では「差別と闘った在日英雄」として迎えられました。おそらくこの当時としても「差別」だけクローズアップして偏向報道していたのでしょう。素行をよく見ると擁護する気にもなれません。

    この金を擁護する意見の中に、現在よく知る有名人に姜 尚中(カン サンジュン 東大教授)や辛淑玉(シン スゴ)が目につきます。


    姜 尚中 1999年9月7日毎日新聞

    「金氏は当時の在日韓国・朝鮮人が共有していたものを、自滅的にアピールした。在日韓国・朝鮮人はその姿に自らの内なる『金嬉老』を感じた。(略)最近、日韓が急速に接近し、よい関係にあんって(?)いるが、金氏を生み出した構造は残ったまま。事件から学ばず、歴史の中に封じ込めれば、今後、第二、第三の金氏が生まれる可能性がある」



    2010年、金氏から入国申請があったようですが、どうなったのでしょうか?被害者アイデンティティに人生の根拠と動機を見出している人間には自己責任の感覚がない、といいます。


    ※金嬉老氏は入国許可申請ニュースの1月後3月26日に前立腺がんのために釜山市の病院で死去していました。享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められています。祖国韓国より故郷日本がよかったということで、差別されたイヤな国ではなかったということです。また、ことのほか、石川啄木の歌集を愛読したことが知られています。ご冥福は、あえて祈りません。

    こいつがハイエナ永野鉄男こと 姜 尚中 ↓

  • 【侵略】対馬返還を求める韓国の市民団体20人


    『対馬奪還本部』が27日に対馬を訪問


    「全国民に『対馬返還要求運動』への


    賛同を求めるために行う」



    2014年11月05日






    日本が強制的に占領した対馬返還を求める運動を展開する
    忠清北道槐山郡の市民団体「対馬奪還本部」が27日から29日

    まで対馬を訪問する。

    訪問するのは、同郡に住む約10人のメンバーと外部からの参

    加希望者約20人で、 2泊3日の日程で対馬を訪れ、領土紛争に

    関する理解を深める。

    一行は朝鮮王朝末期に抗日義兵闘争を率いたとして、
    対馬に連行されて殉国した崔益鉉(チェ・イクヒョン)先生の

    葬儀が行われた修善寺(対馬市厳原町)と対馬藩主の養子、宗

    武志と朝鮮王朝の高宗(コジョン)の娘、徳恵翁主(トッケオ

    ンジュ)の結婚奉祝碑などの史跡を訪問する。

    団体関係者は「今回の対馬訪問は独島(日本名・竹島)の領有

    権だけをめぐり、 日本と対立している状況で、全国民に『対馬

    返還要求運動』への賛同を求めるために行うものだ」と説明した。

    同団体は2012年10月10日に中原大学(槐山郡)で発足式を行い、
    対馬返還要求運動を本格化した。

    1945年7月のポツダム宣言で、日本は対馬が韓国領であること

    を認めた。 李承晩(イ・スンマン)大統領は、就任から3日後の

    48年8月18日に記者会見を開き、 対馬を韓国に返還するよう、

    日本政府に強く要求した。

  • 親に怒られぶたれても、





                弟だけには負けたくない!!





                   自分では自分のことを兄貴と思い込んでいる





                      すべての悲劇は、かくてここから始まった!!





     韓国が日本に対して反日感情を持つようになったのは、何が原因なのでしょうか。解明してゆきましょう。

     中華思想とは、支・那漢民族が世界の中心であり、他国・多民族は道から外れた禽獣(きんじゅう)に等しいものとして、差別する思想。「中華」とは「世界の 中 心・文化の精 華 」という意味を持っている。そのため、支・那の周辺国は、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼ばれます。全部、侮辱的な意味を持つ漢字が使われています。古代日本の国号「倭・国」というのも同じです。

     この中華思想に基づいて、支・那が宗主国となって周辺国を属国にする体制が置かれました。属国は宗主国に朝貢(ちょうこう)という貢ぎ物を持ってゆきます。支・那はそのお返しに、周辺国の君主に国を統治する資格を認めてあげるのです。これを冊封体制(さくほうたいせい)と言います。



     かくして李氏朝鮮は「東方礼儀の国」を自称し、朱子派儒教政治を約500年のあいだ(1392~1910)実行したのです。この朱子派儒教政治が現代の韓国人の行動様式に繋がる次の現象を生み出しました。

    1.小中華思想
    2.現実を無視してホルホルと観念的な優越感に浸る妄想癖
    3.職人および商人を蔑視する職業差別観と希薄な環境保全意識、日本人を猿と呼ぶ侮日的な民族差別観
    4.両極端な韓国の国民性。韓国では礼儀正しさでは韓国人の右に出るものはいないと誇る人がいるかと思えば、礼儀とは無縁の下品きわまりない人が無数にいる。
    5.政界の常時内紛。過去の真実や法の支配よりも自分および朝鮮民族が道徳的な高みにあることを優先する、似非歴史学と非罪刑法定主義(事後法の遡及適用)の蔓延
    6.息を吐くように嘘を吐き、日本国および日本民族にたかる悪癖
    7.日本国および日本民族を侮蔑しながら日本国に入ってきて、やれ公務員権(就官権)をよこせ、やれ参政権をよこせなどと要求して日本国民を支配したがる征服 欲。

  • 「人間は ありのままに語ることはできない。




     だが、物語の力、虚構によって、




     より真実を鋭く伝えることも可能だ」





    「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
              発信基地に成り下がってしまったのか」




    広島大学の韓国籍准教授が、



    講義で「日本の蛮行」



    慰安婦映画で学生を洗脳



    ★講義で
     「日本の蛮行」訴える韓国映画上映 
     広島大准教授の一方的
     「性奴隷」主張に 学生から批判
     

     「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
      発信基地に成り下がってしまったのか」

     広島大学で韓国籍の男性准教授の講義を受けた
    男子学生(19)は、ため息交じりに語った。

     一般教養科目の「演劇と映画」と題された講義。
    4月28日、約200人の学生がスクリーンに投影された
    映像を見せられていた。


     「突然、2人の日本軍人が私を小さな部屋に
      押し込んだ。私が声を上げると、
      刀を抜いて鼻を刺した」

     衝撃的な“証言”が次々と登場する。
    学生はじっと映画を観賞するしかなかった。


     准教授は上映前、
    こうした河野談話の問題点を説明することもなく、学生に
    「人間は
     ありのままに語ることはできない。


     講義を受けた学生らは
    「日本だけがものすごい悪いように映った」
    「映像内容がその通りだと素直に思ってしまった」
    と漏らしていたという。

     男子学生は国立大学の授業として、
    慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられた
    ことに疑問を呈し、
    「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」
    と指摘する。

    広島大学は
    「現在、事実関係を確認している。
     事実がはっきりしない段階ではコメントできない」としている。

     准教授の講義の狙いはどこにあったのか。


     河野談話は韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと
    告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治らの
    根拠なき「強制連行説」を下敷きに作成されたが、
    そのなかで大きな役割を果たしたのがメディア、
    なかんずく朝日新聞だった。


    広島大学の、韓国籍の准教授とは
    崔真碩氏の事らしい。 ↓

  • 事実はまさしくその通りなんです




          意識としてはそうじゃなくなっているんです




    『在日・強制連行の神話』( 鄭大均著 文春新書)


    朝鮮人によるマスコミへの卑劣な圧力が無かった頃は、朝日新聞も大量の密入国者がいる事実を報道してました。
    『朝日新聞 1959年6月16日付』(「世界」2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹)より
    「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られている」

    戦時徴用による強制連行についての資料
    3)1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16~19年の間は1万4514人。


    仮に「官斡旋」を徴用の概念の中に入れ、官斡旋が行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても 約1万1300人ほどである。
    したがって、在日全体の僅か0.5%未満にすぎない事になる。

    「これでは困る韓国」呉善花、崔吉城 1997 より
    呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。」


    なぜ、戦後の朝鮮人の密入国が多く、なぜ在日は必死で嘘を付いて嫌いな日本に永住するのか?
    理由その1 韓国が行った、共産主義者大虐殺

    帰国すれば報復が怖くて在日は帰国しません

    理由その2 韓国の兵役が嫌だから
    在日が帰国したがらない一番の理由が韓国の兵役が嫌だからだそうです。

    理由その3 在日に対する、韓国での激しい差別
    在日は朝鮮王朝時代の八段階の階級で最も階級が低い、白丁(ペッチョン)という奴隷階級の子孫です。日韓併合時、日本が奴隷階級の白丁を解放しましたがそれでも韓国で激しい部落差別のようなものを受け、生活が苦しくなり日本やアメリカに大量移民しました。


    半チョッ・パリは韓国を裏切り、韓国人に酷い事した日本に逃げ込み裏切った、韓国人ではない、半分日本人と同じだと韓国人が在日を軽蔑する意味で韓国人は在日を半チョッ・パリと呼ぶ

    在日が北朝鮮に帰国すれば朝鮮戦争の時逃げた罰で強制収容所送りです。そこで日本に残るために強制連行と言う嘘を付き始めました。

  •  鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。
     当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじめ、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。
     
     これらのプレスマンが異口同音に言うには、「東京裁判で、南京にあのような大事件があったと聞いて驚いた」である。
     これは南京に入城した将兵たちもほとんど同様である。
     
     当時、読売新聞の上海特派員だった原四郎氏(現在読売新聞社顧問)は「世界日報」の記者にこう述べている(57・8・31)。
     「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令(かんこうれい)が敷かれていた訳ではない。
     
     なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」

    1937(昭和12)年12月1日~翌1938年10月24日までの約1年間、中央宣伝部国際宣伝処は約300回の記者会見を漢口で行い、参加者は平均50人を数えたという。また、「各集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は毎回平均35人だった」にもかかわらず、同宣伝処は日本軍による市民虐殺、捕虜の不法殺害について何も発表せず、外国人記者から南京虐殺についての質問が出たという記録もない。

    ところが、120人が同行し同じものを見同じ事を聞いたにもかかわらず、その中で、
    ★今井 正剛 (東京朝日記者)・・・「南京城内の大量殺人」(「特集 文藝春秋」、1956年12月号)
    ★秦 賢助 (福島民友記者) ・・・「捕虜の血にまみれた白虎部隊」(「日本週報」、1957年2月25日号)



    <注目>
    下の写真 昭和12(1937)年12月15日、南京の旅館前にて毎日新聞の記者、カメラマン、無電技師、運転手連絡員。向かって右手、中列右から2人目のメガネをかけた皮コート姿の人物は若き日の大宅壮一。 ↓

  • 朝鮮人強制連行という話は、1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物によって作られる
    「1965年」と「朝鮮総連」というのが鍵です。

    1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、1963年頃の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、さらに、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、帰国運動は行き詰まりました。

    そのため、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したという嘘話を本に書き、左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに引用したので、事実のように広まりました。

    しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、すべて捏造だったことが分かった為、在日の歴史学者は強制連行とは戦時徴用のことだと定義を変更し、トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。
    http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/SEIKATUHOGO.htm

    こいつが強制連行ねつ造の元祖、朝鮮総連活動家の朴慶植 ↓

  • 朝鮮人強制連行という話は、1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物によって作られる
    「1965年」と「朝鮮総連」というのが鍵です。

    1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、1963年頃の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、さらに、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、帰国運動は行き詰まりました。

    そのため、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したという嘘話を本に書き、左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに引用したので、事実のように広まりました。

    しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、すべて捏造だったことが分かった為、在日の歴史学者は強制連行とは戦時徴用のことだと定義を変更し、トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。
    http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/SEIKATUHOGO.htm

    こいつが強制連行ねつ造の元祖、朝鮮総連活動家の朴慶植 ↓

  •  鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。
     当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじめ、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。
     
     これらのプレスマンが異口同音に言うには、「東京裁判で、南京にあのような大事件があったと聞いて驚いた」である。
     これは南京に入城した将兵たちもほとんど同様である。
     
     当時、読売新聞の上海特派員だった原四郎氏(現在読売新聞社顧問)は「世界日報」の記者にこう述べている(57・8・31)。
     「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令(かんこうれい)が敷かれていた訳ではない。
     
     なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」

    1937(昭和12)年12月1日~翌1938年10月24日までの約1年間、中央宣伝部国際宣伝処は約300回の記者会見を漢口で行い、参加者は平均50人を数えたという。また、「各集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は毎回平均35人だった」にもかかわらず、同宣伝処は日本軍による市民虐殺、捕虜の不法殺害について何も発表せず、外国人記者から南京虐殺についての質問が出たという記録もない。

    ところが、120人が同行し同じものを見同じ事を聞いたにもかかわらず、その中で、
    ★今井 正剛 (東京朝日記者)・・・「南京城内の大量殺人」(「特集 文藝春秋」、1956年12月号)
    ★秦 賢助 (福島民友記者) ・・・「捕虜の血にまみれた白虎部隊」(「日本週報」、1957年2月25日号)



    <注目>
    下の写真 昭和12(1937)年12月15日、南京の旅館前にて毎日新聞の記者、カメラマン、無電技師、運転手連絡員。向かって右手、中列右から2人目のメガネをかけた皮コート姿の人物は若き日の大宅壮一。 ↓

  • 事実はまさしくその通りなんです




          意識としてはそうじゃなくなっているんです




    『在日・強制連行の神話』( 鄭大均著 文春新書)


    朝鮮人によるマスコミへの卑劣な圧力が無かった頃は、朝日新聞も大量の密入国者がいる事実を報道してました。
    『朝日新聞 1959年6月16日付』(「世界」2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹)より
    「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られている」

    戦時徴用による強制連行についての資料
    3)1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16~19年の間は1万4514人。


    仮に「官斡旋」を徴用の概念の中に入れ、官斡旋が行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても 約1万1300人ほどである。
    したがって、在日全体の僅か0.5%未満にすぎない事になる。

    「これでは困る韓国」呉善花、崔吉城 1997 より
    呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。」


    なぜ、戦後の朝鮮人の密入国が多く、なぜ在日は必死で嘘を付いて嫌いな日本に永住するのか?
    理由その1 韓国が行った、共産主義者大虐殺

    帰国すれば報復が怖くて在日は帰国しません

    理由その2 韓国の兵役が嫌だから
    在日が帰国したがらない一番の理由が韓国の兵役が嫌だからだそうです。

    理由その3 在日に対する、韓国での激しい差別
    在日は朝鮮王朝時代の八段階の階級で最も階級が低い、白丁(ペッチョン)という奴隷階級の子孫です。日韓併合時、日本が奴隷階級の白丁を解放しましたがそれでも韓国で激しい部落差別のようなものを受け、生活が苦しくなり日本やアメリカに大量移民しました。


    半チョッ・パリは韓国を裏切り、韓国人に酷い事した日本に逃げ込み裏切った、韓国人ではない、半分日本人と同じだと韓国人が在日を軽蔑する意味で韓国人は在日を半チョッ・パリと呼ぶ

    在日が北朝鮮に帰国すれば朝鮮戦争の時逃げた罰で強制収容所送りです。そこで日本に残るために強制連行と言う嘘を付き始めました。

  • 「人間は ありのままに語ることはできない。




     だが、物語の力、虚構によって、




     より真実を鋭く伝えることも可能だ」





    「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
              発信基地に成り下がってしまったのか」




    広島大学の韓国籍准教授が、



    講義で「日本の蛮行」



    慰安婦映画で学生を洗脳



    ★講義で
     「日本の蛮行」訴える韓国映画上映 
     広島大准教授の一方的
     「性奴隷」主張に 学生から批判
     

     「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の
      発信基地に成り下がってしまったのか」

     広島大学で韓国籍の男性准教授の講義を受けた
    男子学生(19)は、ため息交じりに語った。

     一般教養科目の「演劇と映画」と題された講義。
    4月28日、約200人の学生がスクリーンに投影された
    映像を見せられていた。


     「突然、2人の日本軍人が私を小さな部屋に
      押し込んだ。私が声を上げると、
      刀を抜いて鼻を刺した」

     衝撃的な“証言”が次々と登場する。
    学生はじっと映画を観賞するしかなかった。


     准教授は上映前、
    こうした河野談話の問題点を説明することもなく、学生に
    「人間は
     ありのままに語ることはできない。


     講義を受けた学生らは
    「日本だけがものすごい悪いように映った」
    「映像内容がその通りだと素直に思ってしまった」
    と漏らしていたという。

     男子学生は国立大学の授業として、
    慰安婦募集の強制性があたかも「真実」として伝えられた
    ことに疑問を呈し、
    「何の説明もなしに、あの映画を流すのは乱暴だ」
    と指摘する。

    広島大学は
    「現在、事実関係を確認している。
     事実がはっきりしない段階ではコメントできない」としている。

     准教授の講義の狙いはどこにあったのか。


     河野談話は韓国で慰安婦の「奴隷狩り」を行ったと
    告白したものの、後に全くの虚偽だと発覚した吉田清治らの
    根拠なき「強制連行説」を下敷きに作成されたが、
    そのなかで大きな役割を果たしたのがメディア、
    なかんずく朝日新聞だった。


    広島大学の、韓国籍の准教授とは
    崔真碩氏の事らしい。 ↓

  • 親に怒られぶたれても、





                弟だけには負けたくない!!





                   自分では自分のことを兄貴と思い込んでいる





                      すべての悲劇は、かくてここから始まった!!





     韓国が日本に対して反日感情を持つようになったのは、何が原因なのでしょうか。解明してゆきましょう。

     中華思想とは、支・那漢民族が世界の中心であり、他国・多民族は道から外れた禽獣(きんじゅう)に等しいものとして、差別する思想。「中華」とは「世界の 中 心・文化の精 華 」という意味を持っている。そのため、支・那の周辺国は、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼ばれます。全部、侮辱的な意味を持つ漢字が使われています。古代日本の国号「倭・国」というのも同じです。

     この中華思想に基づいて、支・那が宗主国となって周辺国を属国にする体制が置かれました。属国は宗主国に朝貢(ちょうこう)という貢ぎ物を持ってゆきます。支・那はそのお返しに、周辺国の君主に国を統治する資格を認めてあげるのです。これを冊封体制(さくほうたいせい)と言います。



     かくして李氏朝鮮は「東方礼儀の国」を自称し、朱子派儒教政治を約500年のあいだ(1392~1910)実行したのです。この朱子派儒教政治が現代の韓国人の行動様式に繋がる次の現象を生み出しました。

    1.小中華思想
    2.現実を無視してホルホルと観念的な優越感に浸る妄想癖
    3.職人および商人を蔑視する職業差別観と希薄な環境保全意識、日本人を猿と呼ぶ侮日的な民族差別観
    4.両極端な韓国の国民性。韓国では礼儀正しさでは韓国人の右に出るものはいないと誇る人がいるかと思えば、礼儀とは無縁の下品きわまりない人が無数にいる。
    5.政界の常時内紛。過去の真実や法の支配よりも自分および朝鮮民族が道徳的な高みにあることを優先する、似非歴史学と非罪刑法定主義(事後法の遡及適用)の蔓延
    6.息を吐くように嘘を吐き、日本国および日本民族にたかる悪癖
    7.日本国および日本民族を侮蔑しながら日本国に入ってきて、やれ公務員権(就官権)をよこせ、やれ参政権をよこせなどと要求して日本国民を支配したがる征服 欲。

  • 【侵略】対馬返還を求める韓国の市民団体20人


    『対馬奪還本部』が27日に対馬を訪問


    「全国民に『対馬返還要求運動』への


    賛同を求めるために行う」



    2014年11月05日






    日本が強制的に占領した対馬返還を求める運動を展開する
    忠清北道槐山郡の市民団体「対馬奪還本部」が27日から29日

    まで対馬を訪問する。

    訪問するのは、同郡に住む約10人のメンバーと外部からの参

    加希望者約20人で、 2泊3日の日程で対馬を訪れ、領土紛争に

    関する理解を深める。

    一行は朝鮮王朝末期に抗日義兵闘争を率いたとして、
    対馬に連行されて殉国した崔益鉉(チェ・イクヒョン)先生の

    葬儀が行われた修善寺(対馬市厳原町)と対馬藩主の養子、宗

    武志と朝鮮王朝の高宗(コジョン)の娘、徳恵翁主(トッケオ

    ンジュ)の結婚奉祝碑などの史跡を訪問する。

    団体関係者は「今回の対馬訪問は独島(日本名・竹島)の領有

    権だけをめぐり、 日本と対立している状況で、全国民に『対馬

    返還要求運動』への賛同を求めるために行うものだ」と説明した。

    同団体は2012年10月10日に中原大学(槐山郡)で発足式を行い、
    対馬返還要求運動を本格化した。

    1945年7月のポツダム宣言で、日本は対馬が韓国領であること

    を認めた。 李承晩(イ・スンマン)大統領は、就任から3日後の

    48年8月18日に記者会見を開き、 対馬を韓国に返還するよう、

    日本政府に強く要求した。

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