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投稿コメント一覧 (5672コメント)

  • >>No. 552

    「河を渡って木立の中へ」はピアース・ブロズナン主演で映画化されるという話もありましたが。

  • >>No. 556

    「ドラゴン・タトゥーの女」見ました。

    編集長のロビン・ライトは私のコレクションにありましたがジョエリー・リチャードソンはなかった! しかも彼女はヴァネッサ・レッドグレイヴの娘だった! ヴァネッサ・レッドグレイヴは私が中学生の時にエリオ・ペトリの「怪奇な恋の物語」によってコレクション対象になりました。デヴィッド・フィンチャー監督にしては「ゲーム」や「ファイト・クラブ」のようなハッタリに及びませんが佳作でしょう。他の映画も見ないと。ルーニー・マーラは「キャロル」にかわいらしい感じで出てましたね。年齢的容貌的にコレクションにはなりません。

  • >>No. 564

    ということは、その後の「A系列の矛盾」の話もじつは「B系列の矛盾」でしかないのでは? そして、B系列はもともと相対的なものなのだから、そういう(もしA系列であればそう評されうる)「矛盾」がそこに内在するのはたんにあたりまえのことでは? なぜダメットの説明が尊重されてきたのか謎である。

    ↑ 永井均ツイート 7月30日

    マクタガート、因果、自由意志、自然主義、物自体…とほとんどあらゆる分野に統一見解はない。

    哲学では葬り去られることが少ない。100年後に復活どころか2000年後に復活することすらある。

  • 2018/08/14 11:21

    >>No. 3683

    m9(^Д^)プギャー

  • >>No. 564

    自由意志の存在と決定論が両立可能であるとする立場は、両立主義とよばれる。一方、決定論は知覚される経験を越えた自由意志の概念とは相容れないとするのが非両立主義である[2]。固い決定論(懐疑主義)は、非両立主義のもと、決定論が真であることを受け入れ、それゆえ、人間が何らかの自由意志を有していることを拒絶する[3]。形而上学的自由肯定主義(形而上学的リバタリアン主義)と固い決定論(懐疑主義)は、両立主義を拒絶するという点でのみ共通している。非両立主義をとる形而上学的自由肯定主義者(形而上学的リバタリアン主義者)は、ある程度の非決定性を考えることで自由意志の存在を肯定する。形而上学的自由肯定主義者(形而上学的リバタリアン主義者)の一部は物理的な決定論を拒絶し、自由と共存する物理的非決定性を主張する。意識のある生き物の特別な場合を議論するために、心と身体の二元論を強調するものもいる。

    ↑ Wiki 自由意志

    どうもチミは自分の気に入った説を唯一の真理と思い込むきらいがある。哲学的主張はけっこう枝分かれしていてるという状況をわかれよ。たとえばカントだと数学をアプリオリで総合的な真理とやってしまうがフレーゲは幾何学を総合的とするが算術は分析的とする。クワインは分析的と総合的の区別は無意味であるとする。パトナムはアポステリオリで分析的な真理も考えられるとする。マクタガートの主張に対してもいろんな立場があるわけ。

  • >>No. 554

    相変わらず意味不明の文よのう。

    おれにわかってるのはこのカテで最低レベルの知能のトンマのコピペ廃棄物を称賛してたおまえがアホの極みということでな。

    マンガで読むxxx、超訳xxx、30分でわかるxxx、ビジネスマンのためのxxx…

    おまえの本棚にある駄本を捨て本屋か資源回収に出してから出直してこい!

  • >>No. 545

    「鏡の国の戦争」を見ました。大昔TVで見てさっぱり意味がわからなかったんですが今見てもよくわからない部分があります。コテコテのエスピオナージュかと思ったら途中ロードムービーになってました。結末はまるでアメリカン・ニューシネマ。エスピオナージュものとしてはロバート・レッドフォードとフェイ・ダナウェイの「コンドル」に近い。

    主人公のグラサンがほしい。

  • >>No. 561

    人間の都合を自然に押し付けるな。

    比較的原始的な生物の認識も死後に残るのか? だいたい自由意志という言葉は人間がでっちあげたものでありそいつとの整合性をもたせるために認識主観を身体から独立させるわけにはいかない。そういう問いは生物以外の物質に認識は可能かという問いに変えるべき。最初から人間の死後の意識に飛びついたらバカルトしか寄り付かない。身体から意識を分離・転送可能かという問いは自然化された認識論でも有効だろうし認知哲学のテーマにもなる。

    唯物論という古臭い用語でなくこの手の問題で通常使用される自然主義または物理主義という用語を使え。

  • >>No. 547

    ロミー・シュナイダーは1970年以降にいい映画多いですね。映画的にはどうでもいいんですがロミーの存在感だけでもってる映画すらあります。木曜日にムービー・プラスで「トリプル・クロス」をやりますが1966年の映画なのであまり期待してません。

    そういえば私は20年前にリド島に行きました。島を徒歩で半周。ホテルのプライベートビーチもおかまいなしに金網を越えて海側から侵入。今ならつまみだされるでしょうね。

  • >>No. 545

    「オックスフォード連続殺人」

    オープニングで黒板に書いてあるのは「論理哲学論考」の 6.241 にある 2 X 2=4 の証明。そしてトリックというか犯罪を構成する重要な基礎がウィトゲンシュタインのパラドックス。このパラドックスはクリプキによって再び取り上げられ大騒動になりました。途中まではよくある70年代のジャッロ映画風ですが終わりにひとひねり。相変わらずジョン・ハートはうまい。

    数学や哲学が目くらましにならずトリックに直接組み込んであるという点で気に入りました。

  • >>No. 559

    ヒュームの哲学が、20世紀以降の現代哲学において分析哲学の一部潮流に強い影響を与えたことはよく知られている。しかしそれだけではなく、大陸哲学の一部にも強い影響を与えている。若き日のジル・ドゥルーズは、カント的な哲学とは異なる手法の哲学を目指し、「ヒューム主義」をとった[3]。哲学研究者千葉雅也の言葉を引用すれば、「ヒュームと共にドゥルーズは、関係を事物の本質に依存させないために、事物を〈主体にとって総合された現象=表象〉ではなくさせる。総合性をそなえた主体の側から、あらゆる関係を解放する――私たち=主体の事情ではなく、事物の現前から哲学を再開するのである。カントの超越論哲学は、一般的な、大文字の《私たち》にとって世界がどのように理解されているか、を問うものであった。他方、ヒュームの経験論哲学は、既成の《私たち》からではなく、事物の関係の変化から発し、個々の主体の不安定なシステム化を問うのである。[4]」ということである。

    Wiki  ヒューム

    最近の萬屋博善「ヒューム 因果と自然」にもカントは出てこないし一ノ瀬正樹「原因と結果の迷宮」にもほとんど出てこない。ヒュームは1990年代以降もニュー・ヒューム論争として因果性の哲学の最前線に登場している。ヒュームについては自然主義的解釈も可能なため現代哲学との接続もスムーズ。現代の哲学では逆向き因果といって結論が原因の先にくる事態も論争になっている。カントだと物自体から認識までの仕組みは無関心だから認知哲学にも接続しにくい。

    カントに現代性があるとすれば時空の幾何学的解釈でないかな。時空に最小単位がありより基本的ななにかから生成されるとなればそれこそ純粋認識や物自体の正体。そこでは物自体と純粋認識が一致するというべきか。だから現在のところ純粋認識と物自体には断絶があるがいずれ克服されるという解釈をカントに行えるならカントを否定する必要はない。どんなことをしても断絶を埋められないのだという解釈以外を認めないならカントに用はない。新カント派は物自体を消去する方向に行ったから解釈の柔軟性はありそうだが。

    カントの再解釈や新解釈は新カント派からフッサールまで200年かけて行われてきたがメイヤスーの相関主義批判はカント再解釈・新解釈のはじまりかもしれんぞ。

  • >>No. 545

    ラーメン屋の帰りに捨て本屋でシネアルバム97ヘルムート・バーガーを1060円で入手。カバーをはずすと全裸写真…その趣味はない!

    「雨のエトランゼ」と「ドリアン・グレイ 美しき肖像」は見たいですね。「サロン・キティ」は昔VHSで見ましたがDVD画質で見るために注文しました。

  • 「そう思わない」を押すががビビッておれに直接反論できない涙目のマヌケへのヒント

    おれならどこをつくか。たとえば

    >カントからは算数とユークリッド幾何しかでてこないが

    本当か? そいつをきちんと説明しろ…という突っ込み。これはちょいと面倒なんだ。元ネタは近藤和敬「数学的経験の哲学 エピステモロジーの冒険」と藤本忠「時間の思想史」。近いうちにカント関連本は50冊くらい買う。専門家もピンキリで物理も現代哲学もなにも知らねえドイツ語だけが得意なただのタコツボ専門家だったりするんで物量作戦。

  • 洋画専門チャンネル・シネマHDで16日ついに「荒野を歩け」を放映。

    スーパーやイオンモールに絶対歩いてない女優の頂点。

    キャプシーヌの前ではデルフィーヌ・セイリグやロミー・シュナイダーですら霞む。

  • >>No. 540

    ドラゴン・タトゥーの女
    鏡の国の戦争
    オックスフォード連続殺人

    流れでレンタル申請しました。「鏡の国の戦争」は見たことありますがまったく覚えてません。私はパフェをファミレスの誰もいない時間帯に風のように現れ10分以内に食い風のように去ります。

  • 「カントの「直観形式」とは、結局のところ、「操作」の「遂行」が生みだす「固有の実在性」を、抽象化して概念的に把握したものにすぎないことになる。そこで把握されている「形式」とは、結局のところ「操作」が「遂行」されるにともなって(「遂行」することで「構成」を行うことによって)現出するものであって、「操作」よりもさきに独立したしかたでそのような「形式」そのものが把握されるわけではない。カントは、この順序を逆転することで、「操作」あるいは「構成」の可能性を、その結果としての「形式」によって束縛したのだと言うことができるだろう。」

    近藤和敬「構造と生成I カヴァイエス研究」(月曜社)

    さすが学者さんは違うね。カヴァイエスが銃殺されたレジスタンスの闘士というのも泣けるが。さっきカヴァイエスの著作を読んだらカントくらいわからないんで近藤先生の解説を読んでいる。これでも難しすぎるがなんとなくはわかる。

    カントは論理学や三段論法自体が数学的研究対象であることを理解していない。それもそのはず、これが問題になるのは20世紀に入ってからだもんね。「数学的対象が「操作」の「遂行」の結果そのものである」ならば既知の数学に対し無限に未知の部分があることも納得できる。こうして大規模に修正された「直観形式」ならば数学は無限に生成されていく。カントからは算数とユークリッド幾何しかでてこないがカヴァイエスなら現代数学のあらゆる分野を生成可能だろう。

    めでたしめでたし♪

  • そもそも哲学者はカントで思考停止してないんだよ。ボルツァーノは時間と空間を直観というより概念であるとした。
    クワインの自然化された認識論を含む自然主義では生得説と経験主義の激闘が行われている。

    カントはたたき台。最近のメイヤスーは別の方向からの異議であり思弁的実在論も一枚岩じゃない。

    みたところ児童心理学から神経生物学や量子力学、言語理論まであらゆる証拠集めが行われている。中にはダンゴムシを迷路に置いてるやつまでいる。机に向かって言葉転がししてるだけで解決しようとするんじゃねえ!

  • >>No. 554

    言葉転がし満載で意味のわからねえ電波文からみてチミが医学部と薬学部に入学したら除籍になるのは間違いないな。

    ハンマーでチミの頭を殴ったらどうなるか。気絶するか死んじまうべ? それで幽体離脱しておれに襲い掛かってこない限り物質が意識に影響与えるんだよ。あとおれは表象なんて認めてないぜ。認識に表象が必要というのもただの仮定。表象なき認知というのが最近の認知哲学でも提唱されている。チミと違うのは根拠も探ってるという点だ。

    渦巻く粒子(波動)のカオスからいかにして意識が立ち上がるかという問題に思考停止したのがカントだ。その証拠に因果の哲学ではヒュームの問題から始まる。カントは言葉転がしによる疑似解決に閉じこもったがそいつは現代物理学に接続させることはできない。接続できるのはロックやヒューム。

  • 時間と空間の認識は麻薬や幻覚剤によって変容する。これは当然で脳内の分子の働きによって認識が成立してるんだから分子の働きを変化させれば時間と空間の認識は変わる。時間と空間の認識はアプリオリじゃなかったのか?

    進化の過程で獲得した人間の認識機構は生存に有利な脳神経系を形成した。ただし分子とニューロンで作動するため麻薬や幻覚剤の影響を受けてしまう。これも分子とニューロンの相互作用だが生存という過程を経ていないので個人差は大きい。

    さ、カントで麻薬と幻覚剤服用時の人間の認識を説明してもらおうかな。

  • >>No. 538

    私はホイップやカスタードが好きですね。フルーツパフェも。野郎がフルーツパフェというのも女の一人牛丼くらい勇気がいるんで隅っこに隠れて注文してますが。

    ギャラリ・ラファイエットを目指したものの日本橋高島屋くらいに落ち着いたのが GINZA SIX でしょう。そういえば「ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート」をまだ見てなかったため注文。

    ロージーの「できごと」を見ました。以前はデルフィーヌ・セイリグの3分くらいのために見ただけで内容忘れてましたが今回はオックスフォードを舞台にした陰気な連中のドラマを堪能しました。ただジャクリーヌ・ササールというコスタリカのミスコンに出てきそうな顔の女優にまったく興味が持てないのが弱点です。アン・ファーバンクを発見したのは収穫。

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