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投稿コメント一覧 (1978コメント)

  • 犬猫に自意識というか自我、本来問いたいのは〈私〉があるか?

    もし犬猫にもあるなら、復活したaiboには?

    犬猫とaiboとの差異は?

    もっと不思議なのは〈私〉を認めないというか理解できない人にとって自分と犬猫とaiboの自意識や自我の差異を何だと考えているんやろ。

    もちろん他者に〈私〉があるかどうかは独在論的には不明やけど、そこはあえてパスするとして。。。。

  • >>No. 4085

    長澤まさみですか。。。^^
    最近、女性で癒されるということがとんとなくなりました。これヤバイ傾向だと思います、はい。
    それにしてもixtlanさんがいなくなり、板に空いたでっかい穴は誰も埋めようがないですね。
    まぁ順送りで定離とは知りつつ、やっぱ寂しいなぁ~。
    fさん、これからもよろしくお願いします。

    不二の法門の示し方と〈私〉を示す方法が同じプロセスを踏襲している、さすが鋭いですねぇ~。
    勝義諦を無理矢理言語化すれば勝義諦ではありえず、世俗諦となるってことでしょうか。もっと詳しく知りたいです。楽しみにしています。

    以前、〈私〉やウィトゲンシュタインの語りえぬことをカニッツァの三角形に例えたことがあります。「維摩の一黙、雷の如し」は、カニッツァの三角形を暗黙の了解のもと(知る人ぞ知る)に示す方法なのかもしれませんね。

  • 永井均著「存在と時間 哲学探究1」

    何か新しい発見か知的刺激があれば、読了後に書き込んでみる。

  • >>No. 100

    人間の生涯はほんの一瞬のこと
    永遠の命をもったとも聞かないし、寿命がいつ尽きるかは誰も知らない

    今朝は血行のよい顔色であったとしても、夕方には白骨となるのが命あるものの定めである。

    人の命も法印(諸行無常:一定の状態を保ち続けるような常なるものはこの世界には無い。無常なるものに常住不変を求める心に苦が生じる)のうちにあり

    瞳を閉じ、長く大きなひと息をもってひきとれば、親族一同が集まり嘆き悲むが、その甲斐もなく白骨に成り果ててしまうことをもって、人の命や一生はなんと哀れで、夢幻の如く虚しいものだと悲観的にのみ思うことは愚かなことだ

    毎日年寄りであろうと若者であろうと、数多くの人達が先立っており、人間の生や存在そのものが儚いものであることは、年寄りであろうと、若者であろうと、金持ちであろうと、貧しい人であろうと、健康な人であろうと、病人であろうと、幸福の絶頂にいる人であろうと、苦難に喘ぐ人であろうと、同じであり、互いに明日は死ぬかもしれない身の上にある

    愛する人の死に直面し、嘆き悲しみの中にある今こそ

    命と生を受けた奇跡と尊厳を今一度しっかり心に刻み

    命ある限り精一杯前向きに生きていこうという誓いも立てようではないか。

    https://www.youtube.com/watch?v=ZdwZW2P13N4

  • >>No. 105

    世界を力への意志で読み解こうというニーチェの試みは、結局は真理への意志の一形態になってしまい、ニーチェはこのことに気づいて「力への意志」の出版を取りやめたのだと思います。

    力への意志というような普遍的な真理でもって世界を読み解とこうとする発想そのものを否定したり批判するのがニーチェ的なアイデンティティですから自己矛盾に陥ります。

  • >>No. 87

    ニヒリズムに二面性があるように力への意志も両義的です。

    『あるべき世界が実在しているという信仰は、あるべき世界を創造しようとする意欲を欠いた非生産的人間の信仰であり、彼らはその世界が実在するものだとし、その世界に到達するための手段や手法を探しはじめる。──「真理への意志」とは──創造への意志の喪失なのだ。(1887年秋遺稿)』

    『ニーチェにとっては、「真理への意志」とは生を貫く力への意志の様態のひとつである。力への意志こそが解釈し評価する。ところが、論理と理性のカテゴリーは、生が自らのために世界を解釈し、世界に「原理的に有用な偽造」〔遺稿Ⅱ.11.166〕を施すための手段である。その有用性を示す標識が「真理」にほかならない。しかし、この系譜学的起源を見落とし、コンテクストを超越した真理、この世界を断絶した「真なる世界」をさらに偽造するとき、力への意志は「真理への意志」となる。(ニーチェ事典 真理への意志 P.305)』

    「真理への意志」は世界(背後世界も含む)に意味や価値を付与する意味では創造(生成)と言えるが、創造された真理は固定的(常住不変)であるため、認識によって意味や価値の生成を停止させる概念となる故に「真理への意志」は「力への意志」の偽装または変質となる。

  • >>No. 74141

    > 世間が面倒になったら一度「虚無主義」に浸るがよい!

    ニーチェのニヒリズムとは似ても似つかない話ですね。
    で、「虚無主義」に浸ったらどうなるのですか?

  • >>No. 74140

    レスありがとうございます。
    宗教と言ってもいろいろあって、私が問題だと思うのはニーチェも指摘している通り、生よりもあの世や審判を重視するドクマや、一神教独特の多様な価値を排斥するようなスタンスです。
    生を罪深いものとする価値観にも違和感があるし、そもそも一神教というのもの自体が無知無能な人間の編み出したないねだりの裏返しの拠り所程度にしか考えておりません。
    歴史上、救われる人と命をなくす人とどちらが多いのか。。。
    あと人類の将来は大きな意味で種としての自業自得でしょうから、如何様になろうとも受け入れざるをえないでしょうね。

  • >>No. 4066

    喧嘩したいのならサシでやればええやん。
    周りを巻き込めば巻き込むほど複雑になり大きくなる。
    わしゃ興味ないわ。

  • 日本、インド、ギリシャ、その他多くの国で
    アニミズムから自然発生的に生じた宗教は多神教。

    一神教はある特定民族が建国と自己愛から編み出したいかにも人為的かつ政治的な宗教だと言うこと。

    トランプもエルサレムを首都なんて言うたらあかんやろ。
    ほんま自分と自国のことしか考えてない。

    親日国が多いアラブ諸国にとって絶対に認めることができないイスラエルによるエルサレムの首都宣言を追認したトランプの主張はなんぼなんでも支持したらアカンやろ。

    それこそ日本がアメリカの属国(奴隷国家)であることを世界に宣言するみたいなもんや。

    http://www.bbc.com/japanese/42275961

  • >>No. 74118

    > 難しいお話ですね。
    > 残念ですが私の頭脳では、お話の内容をちゃんと理解出来ません。
    > が、核を持つか持たぬかの選択は(どんな事でもそうですが)時と場合によりけりでしょう。
    > 平和を叫びながら反核運動する事はいい事ですね。
    > しかし、時と場合によりけりで、核保有賛成・核保有反対と選択するべきです。
    > 誰だって平和を望みます。その最終的な目的の為にも、今はどうすべきか?
    > を考えるのが得策でしょう。

    ここまでは、ほぼ同意です。

    > ただ、地球を救えないと言う、将来の確実な予測があるのなら、データによっては、延命の方法を探らねばならないでしょう。
    > その場合、少しでも長く生きて居られるようにするのがフツーかも知れません。

    「地球を救えない」という発言に違和感があります。
    「地球に優しい」とか「エコ」とか、この手の発言は人間にとって心地よい環境を客体化し、あたかも自分たち以外のためであるかのような言い回しが気に入りません。
    地球の歴史からすれば人間を寄せ付けないような過酷な環境が大方であって、たまたま今そうであるだけであって、人類が滅亡しようが地球という天体からすればなんてことはないわけで、それなりの質量がある限り自転しつつ公転運動を繰り返すでしょう。
    早い話が人間の驕りからくる言い回しだと思います。

  • >>No. 74135

    キリスト教的直線時間も仏教的円環時間も神仏からの客観的(俯瞰的)視点をベースとした時間概念であることは変わりない。
    生の主体者の主観でとらえた時間には過去も未来も存在としては空虚なものとなり、現在の瞬間にこそ、すべての時間が集約される。

    永劫回帰とは、生の主体者から見た主観的な時間概念でもあり、現在の瞬間に過去・未来が集約され、瞬間が永遠になり、永遠が瞬間になりうるような直観であり、時間も含めたあらゆる価値は、生の主体者である「今に生きる自己」に還元され、自己が世界を解釈することによって創出された存在の一切を「然り」という聖なる言葉をもって全肯定する「運命愛」に至る。

    無垢なる遊戯、破壊と創造の反復運動こそが生そのものである。
    既成権威との闘争や自己内外の既存価値や既成概念の破壊による新たな創造が自己超克(絶えず自己を上書きしていく運動)であり、人として生まれた特権とも言える。

    『さあ!さあ!そなたら、高等な人間たちよ!今や初めて、人間の未来という山が陣痛に苦しんでいる。神は死んだ。今やわれわれは欲するのだ、──超人が生きんことを。(ニーチェ著「ツァラトゥストラ 高等な人間について」より)』

    神が死んだ今、価値や意味は相対的なものとしての自由度をもち、既に神から与えられた人生の意味や価値に生の目的はなく、生そのものがやがて生まれる理想的人間の象徴たる超人のための運動となる。

    神なき時代にあっては、かつての神に対する契約や忠誠は既に地に落ち、隣人愛は不完全な自己愛の変形となり、かつて天上に支配者として君臨した神に対する愛を抱く必要もなく、将来生まれるであろう超人を愛するべきである(遠人愛)とツァラトゥストラを通じて語る。

    自らを進化(自己超克)させる抵抗(重力の精)に向かい、これに打ち克つことによって自己拡大していくことこそ、生物としての本来あるべき生のベクトルでもあり運動(力への意志)でもある。

    人として生まれた特権は世界に意味や価値を創出しつつ自己超克し続けることであり、絶対的な真理やトップダウンの善悪二元論道徳は、本来ダイナミックであるはずの生や個性豊かで多様な側面をもつ人間ならではの特権を画一化し弱体化させるばかりか、畜群動物へと後退させるようなマイナス要素があるということを看破した。

  • >>No. 74119

    以下は以前(今は表示されない過去ロム)にも投稿したことがあるニーチェ的に換言したカキコです。

    毎日が同じことの繰り返しで、万人は着実に一歩一歩死に近づいていく。
    生きることが無意味で、永劫の時間だけが意味もなく経過するなら、人生の労苦は一切が徒労に終わる。

    バラモン教(ア-リア人)では、そこから解脱することに人生の意味を見出した。
    キリスト教(ユダヤ教、イスラム教も同じ)では永遠に続く時間概念を否定し、時間を天地創造から最後の審判まで直線的に限定することで、人生の意味を見い出し、ここにギリシャ人、イスラエル人にとっての人生の苦悩に福音をもたらした。

    ルッター派の牧師の長男として生まれたニ-チェは、この神によってもたらされる福音の他力性や禍因性に抵抗し、神のアンチテーゼとして超人を産出する。

    超人の告知者であるツァラトゥストラの「神は死んだ」という言葉と、絶対神であるヤハウェ(アラ-)に対抗する新しい時代の理想的人間の象徴である超人をもって、中東の一民族によって創出された唯一神という幻想による奴隷的支配から人類を解放することを提起した。

    絶対的真理やあの世(背後世界)の否定と創造的生(カオスかつディオニュソスなるもの)の肯定。
    人生は審判のためでも、来世のためでもない。

    生は真理に拘束されたり罪深いものとされるような対象ではなく、むしろ生の主体者である自己との相関関係によって、あらゆるものの価値や意味が認識者によって創出されていくようなダイナミックな運動であると主張する。(生の遠近法)

    考えようによっては最後の審判や輪廻やカルマは、現世の生の価値を審判や来世や彼岸に求める思想とも解釈できるがニーチェはこれにも異議を唱えた。
    生の意味や価値は生を認識の実験とする者にとっては自己完結的なものとなる。

    続きます

  • しっかし、まぁ、平成生まれが来年30になるのか。。。

    信じられまへんなぁ~。w

  • >>No. 4058

    > ケチョンケチョンって、昭和だな、おまえ。

    あったぼ~のハタ坊よ、バリ昭和だよ~~~ん♪
    わしを知らんとはモグリか?駆け出しか?
    シェ~~~~!やな(笑)

  • >>No. 4056

    > > 電脳は嘘をついて人を騙すことができるか?
    > > チューリングテストよりええんとちゃう?(笑)

    > 自我が無いと嘘をつくことはできないです。

    でしょ?相手の自我(他我)を想定しないと嘘はつけない。
    となると自身の自我が何たるかを知らなければ相手の自我(他我)は想定できない。

  • >>No. 4054

    ケチョンケチョンに論破されてはハンドルを変えてるアホ。
    レスも無断転載やし、どうしようもないわ。
    引用の仕方ぐらい学べっちゅ~ねん。

  • >>No. 4046

    > 死んだ人間にレスしても無駄ではないか

    いや、お前にレスする方が無駄やと思うぞ。
    このレスみたいになw

  • >>No. 65

    ixtlanさん

    〈私〉はありましたか?
    あっちの世界に行ける〈私〉があるのなら、またそっちで教えて下さい。

    ixtlanさんを知ったのは掲示板デビュー間もない頃、KIDAMASAさんとの〈私〉に関するレス交換だった。

    そのトピで初めてウィトゲンシュタインや永井均氏が〈私〉に関する探究者であることを二人から教わった。

    自分と同じことを探究している哲学者がいたことも驚きだったが、掲示板で〈私〉に関するレス交換が行われていたことにまず驚いた。

    それから16年間にわたり、いろいろ教えていただいたし、ixtlanさんの投稿で勉強もさせてもらった。

    ありがとうございました。

    リアルでお目にかかることはありませんでしたが、縁があったらまたどこかで会いましょう。

    合掌

  • >>No. 4041

    【電脳2】

    ここから先は言語や論理で表現できないウィトゲンシュタイン風に言えば「語り得ぬもの」「沈黙すべきもの」であるため、言語化不可能なものを無理矢理表現することになる。。。。

    そこにあるものは人類史上、多くの自我が発生したにもかかわらず、今この瞬間にしか、そこに存在しないものである。その存在様相や存在の在り方そのものに比類がない。何人もそこに並立できない地点、しかしながらそこから世界が開闢している独在論的(独我論的)特異点に位置するもの。それが「私」の本質であり、既にこの言明自体が誰にでも当てはまる対象を語っていることなり、言葉にした瞬間に必然的に変質してしまう。ここに意識や自我の本質があり、アルゴリズムやプログラムと相容れない深くて遠い溝がある。

    アトムの誕生年設定が2003年、2001年宇宙の旅に登場するHAL9000は映画版では1992年、小説版では1997年に誕生したことになっており、1970年前後には電脳の実現が楽観的に考えられていた節がある。ところがどっこい脳の研究が進めば進むほど、私たちの意識や自我への謎はますます深まりつつある。

    普遍的法則や統一的記述、再現性や自然の斉一性を追究し、それ自体を定義とする科学と、普遍化できない対象は相容れない。デカルト以降、科学は唯物論であり、〈私〉やコギトは科学の対象となったことがない。

    最も身近で最も不可解なもの、且つ当たり前過ぎて多くの人は気にとめないにもかかわらず、人間の尊厳の根底をなすもの。それが電脳には置き換えることができないところの《私〉の存在の比類なさである。

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