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投稿コメント一覧 (2541コメント)

  • >>No. 11631

    おはようございます♪

    > あると思います。自分の中からその情景を引っ張ってくると思います。その人の蛙、その人の池、その人の緑が関連付られ情景を作っていく。
    > (ただ、妄想かもですが、この俳句の場合)
    > その人の持つ情景をぼんやりした背景として退かせることをしないと音は響いてこないんじゃないかと思ったりします。
    > 音を想起させる作業が心の中で起こる時、同時に背景、景色は退いていく(ぼんやりとしていく)
    > 逆に言えば、音をはっきりと想起するように作られている?と考えてみたりします。だから逆に「古池」で問題ないというかすんなり入っていってしまうのかもしれないかなと思ったりします。

    ここは私の場合は共感覚っみたいな感じですね。
    音に色が見えたり、色に音が聞こえたりする、視覚や聴覚が分化する以前の感覚で、そこには音と情景の区別がないような世界が想起されます。

    > (関係がないのですが、私の場合は「山吹や」とやられると何となく花札の絵柄的情緒がわいてきてしまい、清楚な山吹と優雅にジャンプする蛙、美しい水辺や水がイメージされて水の音なんて次の次の次ぐらいです。

    「山吹や宇治の焙炉の匂ふ時」でしょうか?
    もしこの句なら風と匂いと季節が一体化しているように私には感じられます。

    > 「この俳句によって想起された私の世界」は「私そものである」ということ同意です。
    >・・・ なんというのかな、・・ない足が痛む人もベッドの上で野原で歌を歌っている(変な言い方ですが。)人もそれを想起して考えている私も私の世界、私そのものという気がします。

    脳科学的にはヒラリー・パトナムの「桶の中の脳(水槽の脳)」ですね。

    > >ニーチェ的な言い方をすれば「自分で創出した世界なんだから、世界も自分でしょ。そこに自己と対立するものなんてないじゃん!」みたいな話です。^^
    > あ。そですか。それなら納得です。
    > 「自分で創出した世界なんだから、世界も自分でしょ。」というのは全くその通りだと思います。

    めちゃめちゃ強引にニーチェと仏教を合体させてますけど。^^

  • いつも思うんやけど、北海道の地震で亡くなった人たちって、前日まではこっちの台風被害を心配してたんやろなって。

    いつも通りに一日が終わって「おやすみ」って眠った人が永眠してしまう。

    他人事ではないし、やっぱ死は生のすぐそこにある。

    人はか弱く生は儚い。死も別れも、現実は予告もなく突然やってくる。

    だからちゃんと生きなあかんやろ。いつ死んでもいいように。

    わしらは確実に一日一日、死に近づいている。

    人生の成功に近づいてるわけでも、目標に近づいてるわけでもない。

    どんなに成功しようとも、地位や名誉や財産を手に入れても、万人にとって人生のゴールや結末は死ぬってこと。

    紛れもなく、逃れようもない、絶対的な現実。

    だから?

    今に生きればええってこと。一瞬一瞬を大切にとか、一日一日を一生懸命とか、そんな説教くさく窮屈な生き方しなくても、ダラダラでも、ぐだぐだでも、風任せでも、自分なりに今に生きてりゃええねん。

    過去を後悔したり、未来を憂いても、今、ここに、過去や未来なんてものがあるわけないし、そーゆー言葉があるだけ。

    今しかないねん。だから今に生きてるし、わしらは今にしか生きられへん。

    生は奇跡的で尊く、躍動的で美しい。命の尊厳。

    而今(にこん)

  • >>No. 74257

    > すみません私はらみです。

    気付くの遅くなってごめんちゃい♪&教えてくれて、ありがとう!

  • >>No. 11623

    おはようございます。

    >句を読んだ人は、実際にはしない水の音を自分の中で聞く。
    >蛙を見る(感じる)人、景色を(感じる)見る人もいるかもしれないです。
    >自分が自分の中で句のイメージ(姿)を作り上げている。
    >その時に観るものと観られるものは一緒に活動してしまうので区別がない状態になるのではないかと思ったりしました。
    > (「観るものと観られるもの」を意識とその意識を観察するもの、というように解釈しましたが違っていたらすみません。)

    いえいえ、俳句の感想は人それぞれですから間違った解釈なんてないと思いますし、つばさんの解釈は同意です。
    音だけ聞こえる人、蛙だけを見る人、池だけ見る人がいるというよりも、どこにフォーカスするかはともかく、音が聞こえた人は、蛙と池と水しぶき、ひょっとしたら池を囲む緑などが同時に見えるように、蛙や池や水しぶきを想起した人は同じく同時にそれ以外の音や情景を見るというような感覚がありますが、どうでしょうか。・・・(1)
    で、さらに私なりの妄想を披露しますと、ひょっとしたら私たちが現実と思っている世界もこの俳句によって想起された私の世界というか、私そものであるあるかもしれないということです。

    >それから、共通の土壌を持つ人の個人の主観(イメージ)が沢山の人の(全体の主観・共同主観)と重なりあっている、だから句が鳴り響くのではないかと。

    なるほど、それは言い得ていますね。

    > (「観るものと観られるもの」の解釈について全く不安になってきましたが。)
    >私の今のところの感覚としては、観られる者が「古池や」と声掛けすると(合図すると、大まかな図柄を示すと)観る者がたちまちその声に合わせて風景を作る、句に読まれた世界を作る、という感じです。

    はい、同じです。私は(1)のように考えています。

    >なので「観る者も古池、蛙、水の音と一体化している」に共感します・・・が、悟りの世界、事事無礙法界と言う事については全く分かりません。(知識がなさ過ぎて。)

    ニーチェ的な言い方をすれば「自分で創出した世界なんだから、世界も自分でしょ。そこに自己と対立するものなんてないじゃん!」みたいな話です。^^

  • >>No. 11624

    > 愚さんの発言の、世界は一つ、自業自得についてはパニチェさんは完璧に理解していて愚さんと意見が一致しているようだったのを思い出しました。もし詳しく知りたい興味が持てましたらパニチェさんに聞いてみられるといいと思います。さっき忘れてました、すいません。

    そんなことありましたね。
    長い間、もめてましたね。犯罪被害者の話と絡められて「それでも自業自得か?」なんてけしかけられて、愚さんも意地悪というか触発的(挑発的)に理由や説明をすっ飛ばして「自業自得です」なんて言うから、余計にもめたりして、そうなることも愚さんの計算づくというか意図だった可能性もありますが。。。^^

  • >>No. 4231

    おはようございます、エフニさん♪

    >アルトーのスケッチが終わりましたので、本題に入っていこうと思います。
    >デカルトと共に身心二元論は始まりましたが、そのデカルトと共に人間機械論も始まりました。
    >しかしニーチェまでは理性優位で、肉体は劣位な存在と見なされていました。(その原因の根源にパウロがいます)

    以下ですね。
    『だが、覚醒せる者、熟知せる者は言う。わたしはまったく身体であって、それ以外の何ものでもない。・・・私の兄弟よ、きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。・・・創造する肉体が、みずからのために、自分の意志の一つの手として、精神を創造した。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)』

    >猛然と肉体の復権、優位性を主張したニーチェの流れにアルトーはいます。
    >ニーチェはそこまで言っていませんが、アルトーは理性や心までも人間という機械の部分と見なします。
    >深刻ぶった近代心理劇をぶち壊そうと模索していたアルトーに、言葉(戯曲)ではなく、肉体を全面に出した舞踏劇が現れます。

    理性や心は言語が醸し出す薄っぺらなものであるというような考え方も説得力はありますね。
    意識、心、理性に対して、無意識、身体性、情動は大いなる自己である、みたいな発想ですね。

    >・・・この機械のような、無機的な、激越な踊りは、人間が機械であることの様相であり、人間がパペットであることの多重、多層の深奥、背後を想像させるものでありました。
    >・・・一点に一瞬も留まらないので、アルトーは、瞳は何処も何も見ていないと理解しました。
    >客観ではパペットのような、機械のような踊り子達だったのです。

    脳科学的にも私たちは外部刺激という人形使いと脳という糸に操られたマリオネットである可能性があります。
    世界という全体運動または機械の部分運動であり部品みたいなものかもしれません。

    >アルトーは思いもしなかったでしょうけど、後年、医学の進歩により、この眼球の動きは、レム運動に似ているものと解ります。
    >瞳は何処も、何も見ていませんが、脳は夢を見ているのです。

    なるほど。一炊の夢(邯鄲の夢)ですね。

  • >>No. 74252

    おお、そや。神はいるかにトピ主が戻ってきてるで。HNのスペルはちょいちゃうけど、いくつか質問したところ、どうやら本人みたい。みんなが違和感をもった初めのカキコのことを質問してみた。よかったらロムってみてちょ。

    ところで今、主戦場はどこよ?どっかのSNSかぁ?
    たまには哲板で暴れて、このぬるい雰囲気をひっかき回したり♪(笑)

  • >>No. 74252

    おぉ!転法祖師!生きとったんかいな。

    もう遷化したんかと思ってたで!!

  • >>No. 11614

    横レス御免!^^

    > >「古池とはお前の心じゃ!」

    > ・・・そういうことになるのだろうなと。

    「古池や」の俳句が素晴らしいと思えるのは、そこに観るものと観られるものの区別がないように思えるところです。
    古池、蛙、水の音が渾然一体で、そこに観るものはいない。
    観る者も古池、蛙、水の音と一体化している悟りの世界。
    事事無礙法界かな。

  • >>No. 11607

    > 後の多宇宙についての話とも併せて、パニチェさんがダーウィニズムに感じておられる疑問が分かってきた気がします。人間原理という同質の理屈をドーキンスが称賛したおかげで、分かってきました。実際上観測できないメタレベル(?)の理屈で何でも説明できてしまう感というか。

    そうです、そうです。そこに違和感があります。
    特に観測問題の多世界(解釈)はありえないと、これは確信しています。理由は〈私〉が唯一無二だし、分岐してないからです。

    > そうなんですね。ありがとうございます。

    どうたしまして、とゆ~か、私が勝手にそう思っているだけの話ですけど。(笑)

    > ツイッターは議論に向いてないと思います。文字数制限が邪魔すぎますし、文脈を追うのが掲示板以上に難しいので、なおさらコンテキスト無視の逐行反応になる危険も高いかと。
    > ・・・で、実は自分自身、もう半年くらいツイッターを見てませんでした。使ってみた上で、これは向いてないなと。

    そうなんですね。地下猫がなんでツイッターなのかピンときませんね。Amebaとかならまだしも。。。
    おくったがわさんもツイッターはいまいちやったんですね。私はMixiもAmebaも人に薦められてIDを作りましたがすぐやめました。

    > ヤフー掲示板からテキストリームへの改編自体に「議論をさせたくない」という意図があるのではないかと言っていたのはパニチェさんでしたか、テンポウさんでしたか・・

    転法祖師ですかねぁ~。中途半端なSNS的要素を取り入れて議論には向かなくなりましたが、参加者は増えたようですね。
    そもそも議論したい人の方がマイナーでしょうから。広告収入的には成功したのかな。

    > たぶんそうじゃないかと自分は思いました。発言が可愛らしくて(稚拙という意味ではなく、なんとなく若い女の子風)ktsurutとは思えず。ごくわずかの投稿で止まってましたけど。

    ktsurutはファン多かったですもんね。^^

  • 2018/08/28 22:12

    >>No. 129569

    > >kalebではなくkalubだったような記憶があります。

    > karebuだねぇ。

    そうそう、なんかそんなHN
    それ知ってる人少ないと思います。

  • >>No. 11582

    > ・・・突然変異+自然選択による説明を一部放棄することに納得できない学者がいると。全てをそれで説明しようとするか、一部は手放しつつ理屈として同種の人間原理を援用するか。

    皮肉なのは突然変異+自然選択の論拠とされるセントラルドクマが「ドグマ」という名前が付いている点です。
    遺伝情報の転写が一方通行であることをもってランダムな変異しかありえないという結論ですが、この発想自体が要素還元主義の落とし穴です。
    例えば雪の結晶や砂紋はDNAなんて無縁ですが地球上のどこでも一定の規則や秩序を再現しますからね。

    > ところで、物理学の世界でも多宇宙の存在が定説化しつつあると三浦さんは書いてますが、自分はその辺は分からないのです。パニチェさんはそちらのジャンルもお詳しいですよね。どういう現況なのでしょうか?(漠然とした質問ですいません。めんどくさかったら無視してください)

    さほど詳しくはないのですが。。。^^;
    三浦さんが何を根拠に多宇宙が定説化しつつあると書いているのか分かりません。観測問題は科学ではなく、どちかというと科学哲学のテーマですし、これを本気で研究対象としている物理学者っているんでしょうかねぇ~。むしろ観測できる結果だけを科学の俎上に載せるというスタンスの方が主流だと思います。波束の収縮は観測できないのだから科学の俎上に載せないってのが今も主流だと思います。
    ビッグバン理論のマルチユニバース的な多世界はともかく、観測問題の解答としての多世界は、原理的に観測できないものを説明しようとしていることになります。

    >・・・ ご存じかもしれませんが、ナトロムさんや地下猫はツイッターで活躍してます。ナトロムさんの医療 / 地下猫の差別問題といった彼らのメインのフィールドでは信頼できる論客だと思います。仮に同意見でない場合でもまともな話し合いが可能だという意味で。地下猫はツイッターでは罵倒を封印しているようだし^^

    そうなんですか。全然知りませんでした。私はツイッターもしていないので。そもそもツイッターって議論に向いてるSNSなんですか?それすら知らない(笑)
    別人ということは毛ツルットのHNを拝借して誰かが作成したってことなんですかねぇ~。ktsurutファン?

  • >>No. 11559

    > 間が長く空いてしまいすいません。

    いえいえ、レスありがとうございます。

    > あるときウダさんが黙って一輪の華をひねると、その意味を悟って微笑んだ女性が一人だけいました。それによって真理は途絶えることなく伝えられたのでした。よかった…(それは掲示板では不可能…

    転法祖師と梵梵法主が延々と不立文字について議論してたのを思い出しました(笑)

    > 試行回数の膨大さで説明するダーウィニズムと多宇宙を前提とする人間原理の構造は共通しているので、
    > ダーウィニズムの(確率論的な)発想になじんでいることが人間原理を受け入れやすくした、ということなのでしょうけれど(いわばスキーマができあがっていた?)、
    > 「美しいと思えるのはダーウィンのおかげで私の意識が高められている」というのは、それ宗教では?と言いたくなる表現ですね…
    > 自然選択という物語を愛読していたから人間原理という物語にもなじめた。それは意識が高いのか洗脳されているのか
    > ドーキンスがそういう表現をした前後関係は分からないですが、言われてみると自然選択説にはある種の人たちを虜にする何か魔力的な魅力があるのか…なんて思えてきました。特に思い当たる人物がいるというわけではないのですが…けしてけして^^

    不思議なのはノストラダムスの大予言と同じく、後付けで何でも説明できてしまうような自然選択を科学だと思い込んでいる点です。人間原理と同じく考え方とか発想の部類でしかないと思います。

  • 2018/08/16 21:07

    >>No. 129321

    > パニさん^^
    > > > へぇ~、今の「神はいるか」では考えられない位に高度な議論をしていたのですね。
    > > 高度かどうかはともかくテーマは広範囲に及んでいました。
    > いつも冷静なパニさんに乾杯🍻
    > ー風に吹かれてー

    おおきに。昔は滅茶苦茶やってましたけどね。
    構ってちゃんとか、ボクって賢いでしょ症候群の馬鹿どもを玩具にして遊ぶ悪趣味がありました。

  • >>No. 129314

    > へぇ~、今の「神はいるか」では考えられない位に高度な議論をしていたのですね。

    高度かどうかはともかくテーマは広範囲に及んでいました。

  • >>No. 129306

    噛み合ってましたし、真正面から議論してましたよ。
    テーマは以下のようなものです。

    心身(心脳)問題
    教外別伝や不立文字など勝義諦
    量子力学の観測問題
    ニーチェ
    ニーチェと仏教
    進化論
    脳科学
    決定論と非決定論、自由意志の有無等々です。

  • >>No. 129296

    > No. 4495 鰯の頭教開宗(JA_50)
    > 鰯の頭が何とかと、よく言っていたが、開宗って新しい宗教でも始めたの?

    シャレで三人が開宗し、論争をしてました。
    カルトな有神論者が来た場合は教祖&転法祖師&法主の三人からきつい突っ込みが入ってました。

    鰯の頭教の信仰対象は鰯の頭。「鰯の頭を祀り上げるのも祈るのも個々人の自由ですが、如何なるご利益もメリットも何もありませんよ、それでもよければどうぞご勝手に」という教義です。日本版の「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」みたいなものです。鰯の頭教教祖はJA_50さん。

    ウィスキーボンボン(whiskey_bonbon)さんが法主の科学教は科学と論理学を拠りどころとする宗教。非科学的かつ非論理的な宗教や思想を糾弾する宗教です。

    転法祖師ことTemporal_anityaさんが宗祖とするのは正法無常宗。自洲・法洲(自灯明・法灯明)を重んじた仏教系宗派で「南無一切無常絶対超越真理」を唯一無二の真理とするが言語化は不能というもの。

    この三人の論争は読み応えがありました。

  • 2018/08/15 09:21

    >>No. 129293

    > >kalub
    > これではカルブになるでしょ。
    > カルブは無いなぁ
    > calebは登録出来なかったのは覚えているがね。

    私の記憶違いかもしれませんね。
    とにかくトピ主がカルブとかカルベだったことは間違いありません。
    以下のような記録が私のPCに残っていました。

    【神はいるか】
    No. 1606 教祖初投稿(JA_50)
    No. 2954 トピ主去る
    No. 4297 K_CN初投稿
    No. 4435 転法祖師初投稿(Temporal_anitya)
    No. 4495 鰯の頭教開宗(JA_50)
    No. 4520 梵梵法主初投稿(whiskey_bonbon)
    No. 5473 パンドラ氏初投稿(Hal_pandora)
    No. 6156 科学教開宗(whiskey_bonbon)
    No. 6190 無常宗開宗(Temporal_anitya)
    No. 8453 心身問題(転法祖師vs梵梵法主)
    No. 9578 転法祖師ハンドル消失
    No.10315 神トピ初投稿(pandora451)
    No.10336 転法祖師と初レス
    No.10343 K_CN氏と初レス
    No.10361 教祖と初レス
    No.10433 ktsurutと初レス
    No.10456 ktsurutとの論争
    No.10920 梵梵法主と初レス

  • >>No. 129289

    同じHNは登録できません。神はいるかのHNは削除されていたのでkalebではありえない。一度登録したHNは削除しても再度登録はできません。
    kalebではなくkalubだったような記憶があります。曖昧ですが。

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