ここから本文です

投稿コメント一覧 (3980コメント)

  • >>No. 53881

    メダカさん、
    小城にお住まいでしたか・・
    子供の頃、小城公園の桜見物によく行ったものです。車社会になってからは、清水の滝まで出かけて、足馴らしに山道を歩いてきました。

     むかし、小城市では毎年「桜祭り」が華々しく行われていましたが、今はどうでしょうか。一番の人気行事は「春雨祭り」でしょう。昔は長崎丸山の芸者衆がわざわざ佐賀まで出てきて、小城公園の「柴田花守」の石碑の前で春雨の踊りを披露していました。花守が長崎の花街「丸山」で春雨を作詞したというゆかりからです。

     その石碑には
    「春雨にしっぽりぬるるうぐいすの 羽風に匂う梅が香や・・」   と彫ってあります。

     *柴田花守は幕末の小城鍋島藩の藩士で、君命によって長崎に遊学したが、花の番人という意味で「花守」という雅号を名乗り、文芸に長じ,神道も修めて当時は全国にその名を挙げていたそうです。

          (春雨祭り)     しらん

  • >>No. 103717

     セイコウさん、
    teacupの掲示板「昭和は遠くなりにけり」に早速、コメント頂いてありがとうございます。

     一期一会、皆さんの楽しい書き込みで、ヤフー掲示板同様に、素敵な出会いの場になることを願っています。
      
                         紫蘭

  •   訂正・・陸軍中野学校(秘密のスパイ学校)を出たK君は中学の同窓で、シランは中野学校には行っていません。

     予備士官学校では、学生射撃指導員で中国語も出来るので、入院先の陸軍病院にも中野学校要員だから帰してくれ、と区隊長が迎えにきましたが、足の怪我で入院していたので行かずに済みました。まだケガが治っていない、とかなんとか、年寄りの軍医殿が上手く取り計らって呉れたのです。

     人間、95年も生きていると、いろんなに出会い、いろんな事が起こります。

        (K君は長身でハンサムだった)     しらん

  • こんにちは。今日も雲一つない快晴、日中は春のような日差しになりそうです。
    紀元前340年ごろの「1月21日」に、中国の湖北省で楚の国の政治家で憂国の詩人「屈原」が生まれています。
     
     屈原は弱肉強食の戦国時代の腐敗した楚の国の宮廷に在って、ただひとり祖国を憂いて国務に奔走しました。彼は博覧強記で古今の政治に明るく、文章にも優れていたので、懐王に仕えて副総理として活躍しましたが、同僚の讒言によってその職を失いました。

     その後、次代の襄王にも容れられず、首都から追放されて、祖国への忠誠心と奸臣への怒りを抱きながら各地を放浪し、最後は国を憂えて5月5日に汨羅の川に身を投げて亡くなりました。
     このとき、人々が屈原の体が魚に喰われないために、魚の餌として、笹の葉に包んだ米の飯を投げ込んだことから、5月5日の端午の節句に粽(ちまき)を食べる風習が生まれたとか‥

     日本でも財政界の腐敗を憂いて5,15事件に連座した海軍中尉の「三上卓」が作詞した「昭和維新の歌」の中にも汨羅の河が出てきます。

       ♪「昭和維新の歌」

         汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ
         巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
         混濁の世に我れ立てば
         義憤に燃えて血潮湧く

         権門上(かみ)に驕(おご)れども
         国を憂うる試しなし
         財閥富を誇れども
         社稷(しゃしょく)を思う心なし
     
    *蛇足ながらこの作詞者の「三川卓氏」は母校の中学の先輩で、戦時中、陸軍中野学校を出た紫蘭と同窓のK君が、終戦前に参謀本部から三川卓氏の動静を探る密命を受けていたそうです。ちなみにK君は中の学校では、あの有名な小野田少尉の一期後輩でした。
     
     一期一会のふれあい、世の中、いろいろありますね。

    (小野田少尉、只今帰りました)   紫蘭

  •  わこさん、こんばんは。
    家内もビールをちょこっと横取りして呑んでいます。菓子は饅頭が好きで、中の小豆餡が好きなんでしょうね、アンパンもよく食べています。
    昔は、葬式や法事に行くと、よく葬式饅頭を貰って帰ったものです。

     〽饅頭屋が死んだソウダ、ソウダ・葬式饅頭うまいソーダ、ソ-ダ・・

     昔の饅頭はふっくらと膨らんでいましたが、少しソーダ臭かったです。
    終戦直後、酒まんじゅう屋が町に氾濫しました。
    戦時中は砂糖がなくて、みんな甘さに飢えていたので、何処も大繁盛でした。

            (紅白饅頭)     しらん

  • >>No. 103713

     吾郎さん、こんにちは。
    しらんは文系なので気温の記録は残していませんが、家内は数字にうるさく日記にも毎日、気温を書いています。 
    昨年の今頃を見てみると、

    昨年の今日、1月23日・・最低3,5度~最高・7,6度
    24日・・0,0度~ー3,5度 
    25日・・ー0、9度~4,9度
    26日・・-2,9度~4,9度
    27日・・-1,9度~7,4度

     で、殆ど冬日になっていますね。
     今年は、今日も最低一度~最高は14度もあるので、今年はほんとに暖冬です。
     でも、昔から2月11日の紀元節が一番寒いと言われているように、立春も間近とはいえ、寒さもまだまだこれからでしょうね。

     数字が得意の家内は、売り出しのチラシにもうるさく、晩酌も300ccのはかり酒。ほんとはもう一本欲しいのですが・・
    ちなみに紫蘭は酔っぱらったことがありません。楽しい酒ですよー・・エヘン!

    (昔の紀元節、登校日)画・南窓さん    しらん

  •  皆さん、こんばんは、いよいよあと4,5日ですね。
     なんだか借金取りに追っかけられるよう・・(-_-;)

     春さん、去年買ったパソコンは黒で、マウスも黒でした。
     黒い方が汚れなくていいですよー。

    わこさん、よく食べますね。いや、食べるのが健康の秘訣です。紫蘭も飲み会では、若いものに負けないほどよく食べ、みんな平らげます。みんな驚くほど・・

     朝は茶かゆに、具たくさんの味噌汁で5,6種の野菜入り、目玉焼きに豆腐、ミカン・・
     昼はうどんとバナナにヨーグルト、アンパン一つ、リンゴ。
     夜は主に魚で晩酌二本、野菜に納豆のご飯一杯で終わりです。

     おかげで毎日快便です。

           (春はすぐそこ)   しらん

  •  仇討と言えば、曽我兄弟の「富士の裾野の仇討」が有名ですね。
     五郎、十郎の兄弟が富士の裾野の鷹狩りで、工藤祐常を討ち果たす話は、昔、小学校の教科書にも載っていました。

     日本の三大仇討は
      ①曽我兄弟の富士のすそ野の仇討
      ②荒木又右エ門の伊賀・鍵屋の辻の決闘
      ③江戸時代の「忠臣蔵」 の三つです。

     どれも浪花節や、講談、映画に取り上げられて、有名ですね。
     明治になって、仇討禁止令が出て、仇討は禁止されましたが、明治13年に臼井六郎が苦心の末、一ノ瀬判事を親の敵として討ち果たしました。
     これが日本最後の仇討になっています。

          (曽我兄弟の仇討)     しらん

  • >>No. 103700

      巨人の星ですか・・
    懐かしい、昭和40年代に、↓↓少年マガジンに連載されていましたね。10歳くらだった息子がよく読んでいました。

     その頃、紫蘭は南海が好きだったので、この巨人の星は見たことがありません。学生時代に南海電車で通ったというだけの理由で、南海のファンになるんですから、野球のファンというものは他愛ないものです。

     川上さんが、熊本工業のエースだった頃から巨人は好きな方でしたが、当時の南海のエース、別所投手が巨人に金で引き抜かれたので一挙に巨人が嫌いになりました。

       やっぱり昔人間なんですね。  しらん

  • >>No. 103695

    バウさん、鶴瓶に乾杯、の画像有難うございます。
     今日のは、佐賀が舞台のせいもあって、特に面白かったです。
    小城(おぎ)は佐賀市から10分ほどで行ける、何もない田舎町ですが、案外美人ばかりで、ダンスなどして洒落ているしょう?
     
     八頭司伝吉(やとうじでんきち)の奥さんも60歳とは思えないほど、魅力がありますね、鶴瓶も少しホの字かな?

     小城市には20軒ほども羊羹の製造元がありますが、夫々に味が違っています。八頭司の羊羹は、「昔羊羹」というキャッチフレーズで売り出しています。今ごろの羊羹は何処でも大量生産で、銀紙に流し込んでいますが、ここの小城羊羹は手作りで、昔ながらの竹の子の皮に包んであり、羊羹の外側が写真のように砂糖でジャレています。
     羊羹の糖分で、外側が固くざらざらになっているのです。他所の人がお土産にこの昔羊羹を買った人が、古くなって悪くなっていると勘違いして、捨ててしまったり、店に文句を言ってきたりすることもあるとか。。

     むかし、子供のころはこんな手作りの羊羹ばかりで、おにぎりを弁当に包むのと同じように、竹の子の皮で包んでありました。
     おやすみなさい。

        「八頭司の昔羊羹」をどうぞ    しらん

  •  皆さん、こんばんは。

     バウ爺さん、ご紹介、有難う御座います。今夜の鶴瓶は・・佐賀県の小城(おぎ)市です。小城羊羹で有名ですよー。
     
     シンデレラさん、鐘の鳴る丘、金の生る丘、おならのなる丘・・懐かしですね。
     昔、フランスに「自由放屁協会」という集まりがありました。
    その設立趣意書によれば、おならをする。それも自由におならをする」協会でした。

    そして、入会しようと思う者は
    一、自宅に於て自由自在に放屁すべき、十分なる練習を重ねる事。
    二、いささかも恥辱の色なく、また何等の辯明を試むることなく、如何なる場所にても、平気に放屁すべき事。
    三、善良なる紳士淑女の集会に於て盛んに放屁し、且つ大胆にその自由を奨励すべき事。

     かくして入会したる者は、その両親、その友人、その来客の面前に於いて、常に自由に放屁せざるべからず。また道を歩きながら放屁することを練習し、公園及び喫茶店に入りて、猛烈に放屁せざるべからず。而して若し之を嘲笑し、または叱責する者あらば、必ずその偏見を論破し、かつ放屁の自由を納得せしめざるべからず。

     そして放屁大会会場では・・
    ・・いざ開会の時來たるや、まず会長一発を放ち、会員これに応じて屁を合奏し、かくする事三度にして、議事に移る。また、拍手喝采はすべて放屁によって行われる。・・とあります。
     議事が終われば一同晩餐の席に着き、大いに食べ、且つ大いに放屁するのです。
    そして、最後に散会の時になると、また一同が一斉に各種の屁を放つのです。

     皆さん、自信のある方は一度、放屁の会に入会されてはいかが。。
     もっともこれは1700年代の話なのですが・・

                         しらん

  •  皆さん、こんにちは。駅伝を見てから昼寝したらもう、こんな時間、
    年を取ると、一日の時間が短くなるそうですね。
     若い頃のようなみずみずしい感動が少なくなつて、その分印象に残る記憶の時間が少なく成るんでしようね。

     今日は1月20日、「二十日(はつか)正月」ですね。
     元旦、三ヶ日、七日正月、人日(じんじつ)、七草、左義長(どんど焼き)、鏡開き、小正月、女正月、骨正月に寝正月?
     あっという間に松の内も過ぎて、歯固めやスルメの食べすぎか歯の痛みだけを残して正月も過ぎ去りました。

     今日、二十日正月は、正月飾りを取り外したり、残った餅や正月料理を食べ尽くしたりして、正月の行事を締めくくる日で、正月用の年肴(さかな)をすべて食べ尽くすことから、「骨正月」とも呼ばれています。正月料理も骨まで食べてしまい、この日で正月の行事はみんな終わりになるのです。

     京阪地方では、正月に使ったブリの骨や頭を大根や大豆などの野菜を酒かすと一緒に煮て食べる風習があります。そこでこの日を「骨正月」とも呼んでいます。

         ひとり酌む骨正月の老い楽し  高橋菊甲

     昼ね前に飲んだ痛み止めが全く効かず、歯が痛い、痛い・・
     可笑しなぁ、と思っていたら家内が、
    「あんた!鎮痛剤じゃなくて血圧の薬を飲んどるよ!」
     そういえば、同じ大きさで、色も同じピンクの錠剤だ。。
     うーん・・年は取りたくないものだ。。

     「ボーッと95年も生きているんじゃねえよ」・・
        チコちゃんに叱られるゥ~(-_-;)・・
                      しらん
         (京都の骨正月料理)

  • >>No. 103676

    わこさん、こんにちは。
    知らぬ間に胃潰瘍になって自然治癒していたんですね、紫蘭もいつか心電図を取って貰ったら、心筋梗塞の跡がある‥と言われてびっくりしたことがあります。特別意識したことはないのに‥

     痛み止めは所詮、一時押えですから、薬が切れるとマタ痛み出します。今日もまた痛いです。別に歯茎が化膿しているようでもないし、下の前歯が次第に抜け出して乱杭歯のようにデコボコになっているので、自己診断ではそろそろ歯が抜けようと動き出していて痛いのかも知れません。

     明日の朝も痛ければ、また歯医者さんへ行ってみよう。
     でも、95歳の歯の治療は、先生も初体験かも・・
     寿命の尽きた歯を2,3本抜かれるかも・・

                    しらん

     山茶花のひとたび凍てて咲きし花   細身綾子

  • >>No. 103667

    わこさん、
     何だか今度は歯の痛みが長引いて、シーシー、ハーハー
    シとハ・歯と歯・のせめぎあいです・・(-_-;)

     今日は、いうものロキソニンではなく、ポルタミンを飲んでスーパー買い出しでした。朝飲んで今の夕方まで効いているので、助かりました。

     ポルタレンはロキソニンよりも即効性は劣りますが、持続性が高く、6時間以上保てるようです。でもそれだけ胃潰瘍などの副作用も強いとか。。
    そのせいか、ロキソニンは市販されていますが、ポルタレンは医師の処方箋が必要です。
              (冬のおしどり)     しらん

  • 振り袖火事によく似た話に「八百屋お七」の火事があります。
    こちらも恋に狂った浅はかな娘心のしわざでした。

     〇八百屋お七
     この明暦の大火のあと、1683年(天和2年)1月25日にも大火があり、この時家が焼けて檀那寺に避難した八百屋お七が、そのお寺の小姓と恋仲になり、家が再建された後も小姓への思慕が募って、また火事が起これば恋しい小姓に会える、という浅はかな娘心から自宅に放火した「八百屋お七」事件が有名です。この時はボヤで済みましたが、このためにお七は捕まって鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられています。
    振り袖火事と言い、八百屋お七と言い、娘心の情念はすごいですね。
      オオ・コワ・・

     *戦時中は、隣組で回り番こに各家からひとりが出て、2,3人でカチカチと拍子木を打ちながら、町内の夜回りをさせられました。火の用心の夜警は戦後も十年くらいは続きましたが、眠いのと寒いのにはほんとに閉口しました。
     火の用心・・
       マッチ一本火事のもと、いもは焼いても家焼くな・・カチカチ・・

     皆さんも、くれぐれも火の用心をお忘れなく・・    しらん
          (八百屋お七)

  • >>No. 103659

    バウさん、有難うございます。今はもう戦争を知る人も、まして体験した人も、とても少なくなり、マイブログの戦争記事には反応が多いです。掲示板が無くなったら、まだしばらくはブログに戦前戦後の体験記、見聞記を書こうと思っています。
     昨日は1月18日、江戸の大火「振袖火事」が起こった日なので、こんな記事を書きました。

    〇「振袖火事・明暦の大火」
     明暦の大火の被害は、江戸城の天守閣を始め、各大名屋敷から江戸の市街地の大半が焼失し、死者は3万人とも10万人名とも言われるほどの大火になり、江戸の三大火災の筆頭に挙げられていますが、この火事の原因は何だったでしょうか。。

     江戸浅草の大増屋の娘 「おきく」 は(麻布の質屋の娘「梅乃」という説もあり)、本郷の本妙寺で寺小姓風の美少年に一目ぼれしてしまいました。そしてその小姓と同じ振袖を作ってもらい、小姓に思い焦がれていましたが、「おきく」は1655年1月16日に、恋煩いのためにとうとう死んでしまいました。

     大増屋ではその振袖を棺の上にかけて本妙寺に納め、住職は前例に従いその振袖を古着屋に売りました。ところがその翌年の同じ日に、紙商「大松屋」の娘 「きの」 の葬儀があり、その同じ振袖が本妙寺に戻ってきました。古着屋でその振袖を買っていたのでしょう。そのうえ、更にその翌年にも本郷の麹屋の娘 「お花」 の葬儀の際にまた、同じようにして本妙寺にその振袖が戻ってきたのです。それも娘はいずれも同じ16歳でした。

     さすがに気味が悪くなった住職は、三人の娘の親の目の前で護摩焚きの火の中に振袖を投げ入れて焼きました。ところがちょうどその時、一陣の竜巻が舞い起こり、振袖は人間の立ち姿のようになって本堂の真上に舞い上がり、本堂は忽ち出火して焼け落ちてしまいました。これが有名な明暦3年(1657年)の「振袖火事」で、江戸の大名屋敷はじめ江戸の半分を焼きつくした大火事になりました。その火事はちょうど、おきくの命日の二日あとの1月18日の事でした。

     お退屈さま・・    しらん
                      (振袖火事)

  • >>No. 53872

    トビバコさん、お久しぶりです、お元気そうで一安心。
    有難うございます、いつの間にか馬齢を重ねて95歳になりました。
    駿馬も老いぬれば駄馬に等し、と言いますが、駄馬はいくつになっても駄馬で済ましております。

    漢詩は良いですね、諤々とした漢詩の音感が大好きです。
    「白頭翁」の詩にもそんなエピソードがありましたか。

    年々歳々花相似たり
    歳々年々人同じからず
    言を寄す全盛の紅顔子
    応に憐れむべし半死の白頭翁
    此の翁白頭真に憐れむべし
    これ昔紅顔の美少年・・・

     歳々年々人同じからず・・人生も掲示板も似たようなものですね。入れ替わり立ち代わり・・それにいつの間にか白髪霜を置くようになって。。

    同じような漢詩に,唐の張九齢にもありますね。

     宿昔星雲の志
     蹉陀たり白髪の年
     誰ぞ知らん明鏡の裏(うち)
     形影自ずから相憐れむを

           (クジャク)  しらん

  • >>No. 103652

    わこさん、こんばんは。
    自前の歯が残っているからこそ、いつも歯痛に泣かされています。いつか飲み会で、友達に、俺のように総入れ歯にすればいい、ちっとも痛くないぞ!と、冷やかされました。

     一年に2,3度は歯茎が腫れて歯医者通いです。年を取ると、歯が浮き出て隙間が出来るので、食べ物のカスが入り込んで化膿するのです。

     たいていは抗生物質を4日位飲めば治まりますが、ひどい時は切開されるので痛い目に合わねばなりません。薬を飲むのも今日で二日目、まだ痛いですが、痛み止めのロキソニンを飲んでなんとかごまかしています。トホホー

     今から歯間ブラシで丁寧に25本の歯の大掃除です。。 
     
        おやすみなさい。     しらん

        チュツ、チュッ。。

  • 皆さん、こんばんは。
     
    60年前は、小遣いが5円か10円でしたか・・60年前といえばシランはもう子供が二人、まだ小さかったので小遣いをあげた覚えがありません。

     85年ほど前は、一銭で駄菓子屋で飴玉二つが買えました。
    小学生のころは、小遣いの5銭玉を握りしめて、場末の小便臭い三流映画館のチャンバラ時代劇を見に駆け込んだものです。十銭あれば、一流館で洋画が見れたんですが、何しろ母子家庭だったもので・・

     とにかくその頃は10円札はめったに拝めませんでした。

          (戦前の旧十円札)     しらん

  •  こんばんは。
    毎日寒いですが、みなさん、お元気でしょうか、
    メダカさんも風邪の具合はどうですか、無理は禁物ですよ。

     それにしてもココアさんやトビバコさん、うみのかえるさんなど最近はすっかりお見えになりませんね。
    一期一会の出会いも間もなく終わるのに残念ですね。
    皆さんもお元気で‥

           (待ち人来たらず)    紫蘭

本文はここまでです このページの先頭へ