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投稿コメント一覧 (3836コメント)

  • peさん、こんばんは。

    貫通道路は昭和10年ごろに出来ましたが、佐賀は農村都市なので、そのころは玉屋のほかはビルらしきものがなかったです。「玉屋ばっかい!」とは、まさに名言ですね(^^♪
     当時は玉屋デパートは佐賀、佐世保、伊万里、福岡の4店がありましたが、今は佐賀の佐世保だけになりました。

    佐賀平野はもともと粘土質なので、戦前はビルも4階建てくらいまでしか出来なかったのです。それが今は10階建て,15階建てのビルが林立して、これがあの田園都市かと見まがうようになりました。戦前は東京も大阪も、5,6階建てくらいのビルが多かったんですよー。 世の中、ほんとに変わりましたね。

     そのころは家内も、この玉屋の衣料品売り場にいたんですよー。結婚前に、こっそり顔を見に行ったりして。。(*_*)

         (佐賀城公園の銀杏)     しらん

  • バウさん・・
     息子が11月11日生まれ、家内が11月3日、シランが1月3日・・紫蘭の母が11月23日生れと・・
     なんだか1と3にご縁がありそうです。

     でも13は縁起が悪いそうですね。キリストが磔になった日で、13日の金曜日、と言うし‥
     あれー、明日は13日か。。でも火曜で良かった。。

     わこさん、
    昔、むかしの選挙はのんびりムードでしたね。
    紫蘭の友人が知事選に出でたときは、カバンに一杯札束を詰め込んで回っていました。
     同級生も、二人ばかり一千万円出したりして・・
     土健屋と闇米屋でした。

     同じ友達でも、市議選に出た友達は、一升瓶を持ってきたりして・・
     次の選挙ではさすがに、気が引けたのか酒ではなくレンコン!!を、2,3本持ってきましたよ。

          「銀杏の寝床」   しらん

  • こんばんは。秋もたけなわ、いま、佐賀の貫通道路の銀杏並木の黄葉が見事です。

     「貫通道路の銀杏並木」
     佐賀市の県庁前の堀端に東西に一直線に広い道路が完成したのは、今から80年ほど前の昭和12年、紫蘭が13歳・中学2年の事だった。国道の34号線で通称を「貫通道路」と言い、車道の幅13m、歩道が3mの広さで、東の端の牛島橋から西の高橋まで一直線の4キロの長さである。

     沖積地の佐賀平野は地底深くまで粘土層が堆積していて、昔はコンクリートのビルの建設が出来なかった。佐賀城の城壁は大きな松の丸太を組んで、その上に石垣を築いてあるそうだが、石垣自体は相当沈んでいるらしい。県庁所在地だというのに、昔は市内にあるビルと言えば、玉屋デパートの4階建てだけと言う情けない有様で、貫通道路の両側に4階建ての農業会館や警察署が出來たときは、田舎の農業都市が何だか急に都会の仲間入りしたみたいで、母校の中学に通学するごとに眺めてはちょっと誇らしい気分になったものだ。 

     当時は自動車の通行もまばらで、時たま小さい市営バスが通るくらいで、自転車や人間の歩行も少なく、ガランとした貫通道路はあまりに広すぎて呆れるほどだった。 勿論、自転車でも真ん中をスイスイと走れるので、「貫通道路ばツーツラツー」と言うざれ言葉がはやったほどだ。

     この貫通道路の建設時に歩道に10m間隔に銀杏の並木が植えられた。子供の腕くらいだった幼木が80年後の昨今は見上げるほどの大木になり、春夏秋冬それぞれに四季の季節を感じる風物詩になっている。ことに秋の黄葉が見事で、懐かしい故郷の一情景になっている。当時の国道事務所の記録によれば、銀杏の総数は887本だが、実のなる雌株は38本だったそうだ。

    メス株に実が成りすぎると、ギンナンの匂いが嫌い人からは並木の銀杏の実が臭いと苦情が出るからだそうだ。でも、ギンナンは炒って殻をむけば緑色の宝石のように美しく、ちょっと塩をつけて酒の肴にするとなかなかオツな味がする。勿論、茶わん蒸しには欠かせない貴重な食材なのである。

                      しらん

  • >>No. 102980

     バウさんは11にご縁があるんですね。
    シランの息子が、今日11月11日生まれ、先ほど誕生日おめでとうのメールを送りました。
    つい、この間大学を卒業したと思ったら、もう今月で会社も定年退職、あとは気ままに好きなことをして過ごすようです。

     バウさん、美人のアナウンサーに劣らず若くて男前ですね。(^_-)-☆
     しらんも何度かアナウンサーのインタビューを受けたことがあります。

      (マイクを獲って逆インタビュー)   しらん(85歳)

  • >>No. 53707

     レスカさんこんばんは。
     外語の同窓会はめったにしませんが、司馬さんが亡くなってからから急に多くなりました。たいてい、司馬さんの作品ちなんだ場所が選ばれました。
     司馬さん自身は、友達顔して揮毫やサインを頼むも者が多いのを嫌って、同窓会には出席していませんでした。ただ、年を取ってからは、学生時代が懐かしくなったのか、旧交を温めたいと思ったのか、次第に出席するようになっていました。

     彼の死後は、新選組にちなんで京都、菜の花の沖の淡路島、空海ゆかりの徳島、竜馬や坂の上の雲の高知など、彼の作品にちなんだ土地を同窓会の会場に選んでいました。

     「台湾紀行」ゆかりの台湾にも奥さんと一緒に出掛けました。
     「司馬遼太郎を偲ぶ会」を同窓の台湾人楊・ヤンさんが世話して、台北で開かれました。楊さんは元湾総統の李登輝さんと台湾大学で同期生でした。彼は、ハーモニカが得意で学校の昼休みなどで、よく荒城の月などを吹いてくれたものです。

                      しらん

  • >>No. 53705

    レスカさん、こんにちは。
    十五年ほど前に、大阪外語の同窓会で十津川村に行きました。

     同期の司馬遼太郎さんを偲んで、彼の随筆・街道をゆく「十津川街道」にちなんで十津川村まで出かけました。
     40数名、貸し切りバスで司馬さんの足跡をたどって、険しい十津川街道を一路南下して、十津川温泉に泊まり60年ぶりの旧交を温めました。

     翌日、十津川からの帰りに高野山で、旧友たちと別れて、ひとり宿坊の「桜池院」に泊り、翌日、戦国武将や特攻隊尚が眠る奥の院を散策、ビルマ戦没者の慰霊碑の前では戦死した兄の冥福を祈りました。

     学生時代には、よく奈良・京都に遊びに行きました。奈良には数名の旧友がいましたが、今はもうみんな亡くなりました。

       「十津川街道」     しらん

  • >>No. 53701

    レスカさん、
    奈良の川上村ですか、紅葉がきれいなようですね。
    佐賀にも郊外の山麓に川上峡があって昔は避暑地として、行楽も盛んでしたが、今はさほどでもなくなりました。子供の頃はよく泳ぎに行ったものです、夏休みにはここで林間学校があったりして。。

    奈良と言えば、同窓会でも川上よりも少し奥の十津川村に行った事があります。
    あの辺は、山道の道幅が狭くて車の離合が大変ですね。

       (谷瀬の吊り橋、おそるおそる・・)   しらん

  •  みなさん、こんばんは。
     
    わこさんはS字結腸でしたか・・
    ここだとまだ人工肛門はつけなくて良いので、助かりましたね。
     友人はかねて直腸から少し出血していたのに、これは痔だと、自己判断して手遅れになり亡くなりました。

     シランは上行結腸を20㌢ほど切除しました。この辺りは小腸からすぐのところで、まだ便も固形ではなく、柔らかいのでガンが出来ても便秘などの自覚症状がないだけに発見が遅れて手遅れになる場合が多いです。

     ガンの大きさが3センチ~5センチもあったので、覚悟はしましたがおかげさまで、まだステージ1で、リンパ節に転移がなかったので助かりました。ガンは大きさには関係なく、悪性度がいろいろあるそうですね。

     何より、かかりつけのお医者さんに勧められて何気なく検便を受けたのが幸いでした。思いがけず目に見えない潜血が見つかり、内視鏡から手術へと、一直線。検便があと半年も遅かったら、シランも10年前に死んでいたでしょう。

     体は何ともなかったのに、「最近は大腸がんが多いから、念のために」と検便を勧めて呉れたかかりつけ医には頭が上がりません。
     皆さんも一度検便されて、早期発見、早期治療に努めましょう。検便は自宅で出来る簡単なものですから。。

         (吉野ヶ里のそば畑)    しらん

  • わこさん、
    紫蘭も85歳で大腸がんの開腹手術をして4年後までは検診を受けましたが、その後はもういいだろうと、検診も受けていませんが、おかげさまで何事もなく生きております。

     サトーハチローは、父親の作家・佐藤紅緑の女性問題で母親もでていき、ハチローもその父親に反発して、少年時代は札付きの不良少年だったそうです。そのため東京都内の全部の留置場に入ったことがあるそうで、小笠原の感化院に入れられたこともあるので、小さい秋を作ったのはその時のことかもしれませんね。

     ♪ 「小さい秋みつけた」

       誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
       めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
       かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

                  しらん

  • 〇「おくんち」
     11月3日の唐津くんちも終わったが、この「くんち」とはどういう意味だろうか。

    「くんち」は秋祭りの意味で、むかしの宮中の「重陽の節句」である9月9日から取って「九の日」を「くんち」と呼んだ、という説と、秋の収穫物を神に供える日という意味で「供日・くんち」になったという説がある。漢字では「お供日」と書くが、今は一般に氏神様の秋の祭日の事を言う。

    「長埼くんち」や佐賀の「唐津くんち」が有名だが、主に九州北部でよく行われている行事である。「唐津くんち」は唐津神社の祭礼で、江戸時代以来の漆塗りの巨大な山笠たちが、火消装束を身にまとった若者たちのエンヤ、エンヤの掛け声とともに唐津市内を巡っていく勇壮な神事である。

     佐賀市内では秋祭り・つまり「おくんち」は10月10日~12日にかけて、松原神社、佐嘉神社の例大祭があり、与賀神社が10月29日、竜造寺八幡宮が11月15日、堀江神社のくんちは11月15日であったが、最近は11月3日に行われるようだ。。

     「与賀神社」のくんちの御神幸には、奴姿の若者たちが先払い、挿み箱、まとい、三間槍を振り回して先導し、神輿をかついで回る。この神輿は「荒神輿」で進んでは引き、引いてはまた進むという荒々しい神幸で、短い距離を何時間もかけて荒々しく回るが、不思議に怪我人は一人も出ないという。

     「竜造寺八幡宮」はシランの氏神様だが、昔は11月15日に行われ、浮立が出たり、境内に舞台が出来て佐賀にわかや手踊りなどの催し物があって賑わったが、最近はオクンチと言っても特別の行事もなく、全くひっそりしたもので、昔のように各家庭で赤飯を焚いて祝うこともない。

     おくんちには郷土舞踊の「浮立・ふりゅう」がよく行われる。
    浮立にはいろいろあるが、市内の浮立は「面浮立」である。
    鬼面を被った勇ましい装束姿の若者たちが、町々を回って勇壮な舞を披露する。浮立には、笛や太鼓が鳴り、女性たちは花笠を被って鉦をカネをついて回る。

          「面浮立」       しらん

  • 皆さん、こんばんは。
    秋の日はつるべ落とし、今日もはや暮れました。

     昨日は家内の半年に一度のガン検診で、博多の九大病院まで出かけ、ちょっと疲れました。加齢による足腰の筋力の退化を実感させられました。
     最初の手術後、もう10年ほどになりますが、7年後に再発したのであと5年ほどは検診とMRIの検査が必要なのです。

     来年からは、佐賀の病院で検診するように主治医に紹介状を書いてもらいました。九州では専門医が九大にしかいないそうで、ちょっと渋られましたが。。
     でも、この歳で一日がかりで博多まで出かけ、広い大学病院を歩き回るのはほんとに疲れます。

     先日は葬儀場に出かけて、見積もりを取りました。
     あとは野となれ山となれ・・

        死に支度、急げ急げと秋の風    しらん

     ♪「秋の子」  サトーハチロー作詞

       柿の実見てる子 一、二の三人
       サヨナラしてる子 三,四の五人
       ご飯になるまで お守りする
       おんぶをする子は 何人だろな

  •  わこさん、こんばんは。
       モズが枯れ木で・・

    3 兄さは満州へ 行っただよ
      鉄砲が涙で 光っただ
      もずよ寒いと 鳴くがよい
      兄さはもっと 寒いだろ

    歌詞が良いですね。作詞がサトーハチローですね。
    作家の佐藤愛子さんの兄さんですが、若いころは不良少年で放蕩無頼の生活を送っていましたが、情緒のある童謡や詩をたくさん書いています。
     
    「小さい秋みつけた」「さっちゃん」「お山の杉の子」「うれしいひなまつり」「歌謡曲では「長崎の鐘」「リンゴの唄」など・・

     「うちの女房にゃ髭がある」というのも良くはやりました。
      
     1(男)何か言おうと 思っても
        女房にゃ何だか 言えません
        そこでついつい 嘘を言う

      (女)なんです あなた

      (男)いや別に 僕は その あの
         パピプペパピプペ パピプペポ
         うちの女房にゃ 髭がある

     2(男)朝の出がけの 挨拶も
          格子をあけての 只今も
          何だかビクビク 気がひける

      (女)なんです あなた

      (男)いや別に 僕は その あの
         パピプペパピプペ パピプペポ
          うちの女房にゃ 髭がある

     昔、↓古川ロッパがよく歌っていました。   しらん

  • >>No. 53692

    皆さん、こんにちは。 
    今日も快晴無風の上天気、佐賀ではバルーン最終日と維新博、唐津くんちが重なって街中は大勢の人出です。

    「唐津くんち」
     唐津生まれの友人が、「ご馳走するから一度唐津くんちに出て来い」、と言ってくれましたが、10年ほど前に彼が肺がんで亡くなったのでとうとう行った事がありません。

     佐賀県唐津市では、唐津くんちの三日間、有力な家、会社、旅館ではくんち料理を用意します。何人来ても間に合うように100人分、200人分と用意するところもあります。
     くんち当日は日頃から付き合いがある友人、知人、親戚縁者に対し、殆どの家でお酒や料理で接待します。友達ぶって家々を廻ってくんち料理を頂くのが、唐津くんちの醍醐味と言えるでしょう。その料理の中心は巨大魚「アラの姿煮」です。

     大きな「アラ」は、小さいものでも60センチ以上もあり、1キロ一万円なので30キロでは一匹30万円もします。空洞 になったアラのお腹に大根やゆで卵を詰め、醤油10本・日本酒10本でおよそ1日かけてじっくりと煮ます。

     唐津ではどのくらい大きなアラを振舞うかでその家や会社の豪勢さがわかります。博多同様、唐津も見栄っ張りが多いのでしょうね。

    巨大魚「アラの姿煮」     しらん

  •  快晴無風の好天気、佐賀ではバルーン大会と佐賀維新博が重なって大勢の人出でにぎわいました。

       パンダも大喜び・・    しらん

  •  レスカさん、 
     たくさんの巨大なバルーンが青空にふわり、ふわりと飛んでいくのは、ほんとに壮観で、感激します。。

     毎年、皆さんにもお届けしていましあが、掲示板が無くなるので、今年で終わりです。 
     ザンネン・・    しらん

  •  こんばんは。
    今日もいい天気、
    バルーンの写真を掲示板に揚げるのも今年限りか。。

                 しらん

  • 緑さん、はじめまして。94歳、老兵の紫蘭です。
    今年いっぱいでヤフーの掲示板が無くなるようで、寂しくなりますね。
     ほかにもmixとか、5チャンネルとか掲示板があるようですが、今さら新しいお友達を作るのも面倒だし、困りましたね。

     紫蘭は十年来続けてきたブログに、これからも毎日書くつもりです。ツイッターも書いていますが、掲示板のように、仲良くワイワイと談笑するわけには行かないようです。

     今日から佐賀バルーンフェスタが始まりました。

                    しらん

  • >>No. 53682

    皆さん、こんにちは。
    亀の子さん、有難うございます。無線を使っていますが、あまり変わらないようです。
     いつもではなく、土日の夕方など、時々、「このページは表示できません」とか、「今混んでいるので投稿を制限しています、」などの表示が出ます。
     最近は、スマホやアイパットなどからもも投稿できるので、サーバーがさばき切れないのかもしれませんね。

     今日はヤマダ電機に、初期設定を頼んで置いた新しいパソコンの引き取りに出かけました。 くどくどと説明がうるさくて、年寄りはかないません(-_-;)
     ついでに家内が安物を買うというのでスパーに立ち寄り、昼飯用に助六を買って帰りました。

    今日から佐賀バルーン大会が始まりました。
    毎年カメラを片手に出かけますが、足腰が弱って今年はもう行けません。

                     しらん

  •  こんばんは。
     今日はきれいに晴れ上がりましたが、少し寒くなりました。
     明日から佐賀バルーンフェスタが始まります。十数年来、毎年カメラ片手に出かけていましたが、今年は足腰が弱って行けそうもありません。

     今夜はその前夜祭で、目抜き通りはライトファンタジーも始まり大勢の人出でにぎわいました。

                        しらん

  •  おやおや、短文ならいいようだ。
    急に寒くなったので、コタツや電気毛布などを慌てて取り出しました。

    昔はこたつの火入れはイノシシの日にするのが通例でした。
    十二支の亥は一番北にあり、水を象徴しているので、イノシシは防火のまじないになっていたのです。
     それで幕末になっても江戸の豪商はイノシシを放し飼いにしていたので、店先をイノシシがウロウロしていたそうです。

                        しらん

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