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投稿コメント一覧 (3725コメント)

  •   春さん、シランが朝方書いたみっちーさんの最後のコメント見ましたか?
     6年前の懐かしいコメントです。
     こんなコメントでした。↓ 覚えていますか?

    55134
    春 2012年11月22日 17:08

    100歳じゃないの?
    10代なら、えらい事ですよ ミッチーしゃま出てこないね
    88歳のミッチーしゃま
    此処まで言えば 出てくるかも・・今日は1万2千歩…

    nog*****  (*みっちーさん)
    2012年11月22日 18:19
    >>55129
    僕はひょっとしたら88まで生きれるかどうか
    考えます。ある日突然コロっと、そんな運命みたいな
    気がします あそこが痛いここも痛い云いながら
    終わるのは意に反します。
    生きてる内が華です やりたい事どんどん進めましょう。
    明日は出船と小声で云えば 無事で居てねと オリクさん♪
    ミッチーより

     *予言通り、みっちーさんは或る日コロッと亡くなりましたね。
     再婚したばかりの奥さんが、後追い自殺なんかして・・(-_-;)

      人生は正にドラマです。       しらん

         (シロバナヒガンバナ)

  • >>No. 102391

     花りんどうさん、
     じゃがたらお春とは別の話ですが、むかしは「からゆきさん」といわれて、天草あたりの貧しい農家の娘が出稼ぎのために、ボルネオの「売春宿」に何人も売られていきました。
     そんな「からゆきさん」の老女の話を、田中絹代が晩年に映画『サンダカン八番娼館 望郷』で好演していました。

     写真のUPの仕方は春さんが言われる通りです。
     でも、よくできました、パチパチ。。
     とにかく、UPしたい図鑑の写真を一度、スキャンしてパソコンのマイピクチァに保存することが大事です。

     ショウキ水仙の色も濃淡様々ですが、やや薄い黄色はこちらです。 
     赤いのと一緒に咲いていました。

                           しらん

  • 魔っ黄色というよりも、ちょっとピンクがかっていますね。

     同じような黄色いヒガンバナ(ショウキズイセン)です。
     山麓の田んぼの畔に植えられていました。

                        紫蘭

  • 暑さ寒さも彼岸まで・・
    今日はなんだか空気がひんやり感じます。

    「彼岸花」というと平凡ですが「曼珠沙華」というと何となくロマンチックですね。
     戦前、昭和14年ごろに流行った歌「長崎物語」にあった♪赤い花なら曼珠沙華・・という歌詞を思い出します。でも、あの強烈な赤緋色は独特ですね、形も色もいっそ毒々しくさえ見えますね。
     
    「長崎物語」

       ♪ 赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
         阿蘭陀屋敷に 雨が降る
         濡れて泣いてる ジャガタラお春
         未練な出船の ああ鐘が鳴る
         ララ鐘が鳴る

    平戸離れて 幾百里
         つづる文さえ つくものを
         なぜに帰らぬ ジャガタラお春
         サンタクルスの ああ鐘が鳴る
        ララ鐘が鳴る

     いつか長崎の平戸に行ったとき、ジャガタラお春が書いた「ジャガタラ文」を見ました。 布の切れ端に書かれたかすかな筆跡が実に哀れでした。↓
     「あら 日本恋いしや ゆかしや、なつかしや、 見たや、みたや・・」

     江戸時代の寛永16年、幕府の鎖国政策による「混血児追放令」により、長崎の混血児たちは家族とともにインドネシアに追放されました。その中の一人「お春」は望郷の念やみがたく、切々たる便りを故郷に送りました。当時、お春はまだ14歳、色白の美人で頭もよかったそうです。

     22歳の時、同じ平戸生まれのシンモンスと結婚して72歳までバタビアで存命したとか。。悲劇の少女ですが、実際はお春の後半生は幸せだったようです。

    長崎の鶯は鳴くいまもなほ 
           じゃがたら文のお春あはれと   吉井 勇

    *(小袖に書いた、お春のじゃガタラ文)
        右上に「日本恋しや、恋しや」、の文字がみえます。
          
           真偽のほどは不明ですぞ    しらん

  • >>No. 102382

     皆さん、こんにちは。
     お彼岸らしく、あちこちの田んぼや土手で彼岸花が見られますね。

     「彼岸花の講釈」?

     昔はヒガンバナの花は墓場などに多く、この花を手折ってくると縁起が悪いと母に叱られたものです。だから「死人花」とか「幽霊花」「地獄花」「はっかけばばぁ」などの別名もあるようです。
     
     もともと「ヒガンバナ」は全体が有毒で、彼岸花の名前も「これを食べたあとは彼岸(あの世)しかない、という意味もあるそうですが、今はその毒を利用してもぐらや野ネズミが穴をあけて畔を壊すのを防ぐためにあぜ道などに植えるそうです。
     各地の「棚田の彼岸花」は今は村おこしの観光資源として歓迎されていますね。

     彼岸花はもともと赤いと決まっていましたが、最近は白やピンク、黄色など色さまざまの彼岸花が出回っています。
     白い色は「シロバナ曼殊沙華」といいます。

     黄色いのは、同じヒガンバナ科の多年草ですが、彼岸花とは別種で『ショウキスイセン』と言います。花弁の先端がちぢれていて、五月人形の鍾馗サンのひげのようなので「鍾馗水仙」という名前がついています。

      (黄色いちぢれた花びらの鍾馗水仙)  しらん

  • お早うございます。
    春さん、ふとこのトピの古いのを見ていたらこんなコメントが載っていました。
    6年も前のですね、懐かしい!

    55134
    春 2012年11月22日 17:08

    100歳じゃないの?
    10代なら、えらい事ですよ ミッチーしゃま出てこないね
    88歳のミッチーしゃま
    此処まで言えば 出てくるかも・・今日は1万2千歩…

    nog*****
    2012年11月22日 18:19
    >>55129
    僕はひょっとしたら88まで生きれるかどうか
    考えます。ある日突然コロっと、そんな運命みたいな
    気がします あそこが痛いここも痛い云いながら
    終わるのは意に反します。
    生きてる内が華です やりたい事どんどん進めましょう。
    明日は出船と小声で云えば 無事で居てねと オリクさん♪
    ミッチーより

     *予言通り、みっちーさんは或る日コロッと亡くなりましたね。
     再婚したばかりの奥さんが、後追い自殺なんかして・・(-_-;)

      人生は正にドラマです。

      (ピンクの彼岸花) 珍しいでしょう!    しらん

  • >>No. 102370

     みなさん、こんにちは。
    おやおや、これは珍しい、わこさんは夜の部だけの出演かと思いきや、お早いお出ましで。。

      ♪あなたと呼べば あなたと答える
         山のこだまの 嬉しさよ~

     シランは20年ほど前に上海から北京、満州と行ってきました。
    ♪「戦友」の歌の中にある「赤い夕陽の落ちる満州の大平原」が見たかったのです。わざわざ、奉天まで夜行列車に乗ったりして・・(ビデオで撮ったので皆さんにお見せ出来ないのがザンネン・・)

    ♪ここはお国を何百里、
      離れて遠き満州の
      赤い夕陽に照らされて、
      戦友(とも)は野末の石の下・・

     そのころの北京はビル建設ラッシュでしたが、足場が何と鉄パイプでなく大きな竹を組んで足場にして建設していたのを思い出します。今はずいぶん変わったでしょうね。
     中国語も昔の漢字と違って、共産国家になってから簡単な字画の「簡体語」に代わってしまって、シランもサッパリです。
     
     中国の公衆便所はとても汚くて、隣とは壁もドアもない開けっ放しで女の人は困っていました。観光の日本人は、妻が用を足す間、ご主人が風呂敷を広げて目隠しにしたりして。。
     いつか台湾に行ったとき、看板に「便当」と書いてあったので、公衆便所かと思って飛び込んだら、なんと、なんと「弁当屋」さんでした。

     恋しいメル友さんが医学生でしたら、ひょっとしたら今頃はわこさんも、中国語ペラペラのお医者さんの大奥さんになっていたかもネ・・

     娘さん、ご一同によろしく。。   しらん

  • >>No. 102362

    わこさん、こんばんは。
     友人が戦前、八幡製鉄に就職して、しばらく北京の社宅に行っていました。十年ほど前、彼は「今はどうなっているだろうか」と思って訪ねて行ったら、もうすっかり変わって面影もなかったそうです。でも、すぐにその付近の中国人と親しくなって結婚式に呼ばれたりしていました。

     お兄さんの第二外国語は中国語でしたか・・
     紫蘭は逆で、第一が中国語、第二が英語でした。
    60年前なら中国語を教えてあげたのに‥ニイハオ、謝謝!
    指をくわえて、わこさんの「恋の仲立ち」をしたかったなぁ・・ザンネン。。

             (彼岸花)      しらん

  • >>No. 102350

     小説「野菊の墓」は俳人の伊藤佐千夫の原作です。
    学生時代の友人Sが、この小説を読んでよく涙ぐんでいました。まだまだ、純情な青年でした。
     ところが、あとで知ったのですが、そのころ、彼の兄が民子と同じ肺病で長い間寝込んでいたのです。病気の兄への思いが、小説の中の民子の儚い死と重なっていたのでしょう。
     
     映画は昭和30年ごろに見ました。松田聖子ではなく、新人の「有田紀子」で、監督は木下恵介、笠智衆や杉村春子が共演していました。文部省推薦でなかなか感動的な名作でした。
     映画の中で、遠い思い出にひたる老人の政男に扮した「笠智衆」が口ずさむ歌がとてもよかったです。

       まつひとも待たるる人もかぎりなき
         思ひ忍ばむ北の秋風に

       世にありきひとたび逢いし君といえど
         わが胸のとに君は消えずも

                      しらん

  • >>No. 102346

    花りんどうさん、 
    ♪「十三夜」も良いですね、若いころよく口ずさみました。そのころはカラオケなんてなかった。せいぜいレコードかラジオくらいかな?
    その「十三夜」は昭和18年に小笠原美都子が歌っていました。

       ♪河岸のたもとの行きずりに
        ふと見合わせる 顔と顔
        立ち止り 懐かしいやら嬉しやら
        青い月夜の十三夜

     いいですねー・青い月夜の出会いとは・・ロマンチックですね。
     でも、昭和18年と言えば、戦争もたけなわの頃なのに、こんな艶っぽい歌が歌われていたとは驚きですね。シランは当時19歳、同級生の多くがこの年に学徒出陣で戦場へと赴きました。一つ年下の紫蘭は、翌年兵隊検査を受けて軍隊に入りました。一ヶ月ほど遅く生まれたおかげで、特攻隊にも沖縄にも行かずに助かりました。運命のいたずらです。
     
      二、夢のむかしよ 別れては
        面影ばかり 遠い人
        話すにも 何から話す振袖を
        抱いて泣きたい 十三夜

     花りんどうさんも、春さんも、わこさんも・・
     「枕を抱いて泣きたい十三夜」でしょうか・・

     あ、今日は十三夜ではなく十二夜だった。歌トピ三人娘さんも明日の夜は、河岸の柳の木の下で振り袖姿で待っていると、むかしの恋人に出会うかもネ・・

      ♪ ふと見合わせる顔と顔~~。。

      キャーッ! 青白い幽霊だぁ!!
          
                ・・だったりして・・

                   しらん

  • >>No. 102343

     ばうさん、 
    紫蘭のブログは皆さんに広く読んで頂くためのものですから、どうご遠慮なくお使いください。
     戦後もはや74年、今や戦争を知るものも少なく、せめて動乱の時代に生きた彼ら若者たちのことを知って頂きたくて書いております。

     皆さんに広く読んで頂ければ嬉しいです。

                       しらん

  • >>No. 102335

    こんばんは。
     ♪「すみだ川」は始めに、昭和12年に東海林太郎が歌っています。
     
     一、銀杏がえしに 黒じゆすかけて
       泣いて別れた すみだ川
       思い出します 観音さまの
       秋の日暮れの 鐘の声
      
    「ああ、そうだったわね。あなたが二十歳(はたち)私が十七の時よ、いつも清元のお稽古から帰ってくると、あなたは竹谷の渡し場で待っていてくれたわね。
     そして、二人の姿が水に映るのを眺めながら、にっこり笑って淋しく別れた。本当に儚い恋だったわねぇ」

     二、娘心の 仲見世歩く
       春を待つ夜の 歳の市
       逢えば泣けます 今宵の空に
       幼なじみの お月様

     「あれからわたしは芸者に出たものだから、あなたは逢ってくれないし、いつも観音様にお詣りするたびに、廻り道して隅田のほとりを歩きながら一人で泣いていたの。でも、もう泣きますまい、恋しい恋しいと思っていた初恋のあなたに逢えたんですもの。今年はきっと、きっと嬉しい春を迎えますわ」

              (舞妓さん)       しらん

  • こんにちは。
     ふと、50年ほど前の古い日記を繰っていたら、こんな詩を載せていました。
     ベトナム戦争ごろでしょうか。
     小学校の4年生が作った詩です。

    「けしゴム」 小学4年  松本信子(伊万里小)

     べとなむせんそうを 
     けしゴムでけしたい
     そしたら市民がたすかり
     たべものも
     たべられるようになる

     その次はわるものをけす
     そしたらみんなしあわせになる
     そう思いながらせんそうのえをかいて
     けしゴムでけしていた

     目をつむったら
     ベトナムの人たちの
     よろこぶ顔がうかんできた

     *そのあとに、

    「昭和45年3月31日」
     赤軍派学生、日航機よど号乗っ取り、板付けより韓国に飛ぶ。主犯。大坂市大卒「田宮高麿」以下9名。。
        との記載有り。
     当時友人が市立大の社会学の教授をしていたのだが。。

      そのころは、世界的に波乱の時代でしたね。   しらん

  • >>No. 102331

    花りんどうさん、
     有難うございます。

    目は老眼ですが視力は0、7くらい、目元パッチリ?明眸皓歯。
     新聞、パソコン、運転以外はメガネはかけません。

     鼻は何でもかき分けます。クンクン・・犬みたい。
     耳は千里先まで聞こえます。バウ君のつぶやきも・・ワンワン。
     口は達者でおしゃべり好き。グズグズ・・
     歯は自前が25本、痛いところもありません。
     せんべい、ピーナツ、うどん、そば、なんでもござれ。。ガツガツ。
     足は大根足で杖知らず・・ドンドン。

     体はやせてはいません、ほどほどの肉付き、肌はやわ肌ですぞ・・
     やせ我慢・・残念ながら頭がどうも・・  しらん

    (みやまりんどうの花) 立山

  • >>No. 102324

     ばうさん、面白い話ですね、家庭教師派遣業なんてよく思いつきましたね。50年ほど前に、知り合いの息子が「運転免許更新代行業」というのを始めましたが、すぐに消えてしまいました。
     
     石原慎太郎の家の家庭教師ですか。。
    そういえば一時、慎太郎刈りが流行りましたね。慎太郎は「太陽の季節」で芥川賞を採りましたが、自分のモノ?で障子を破ったりする湘南の無軌道なアプレ息子たちの話がなんで芥川賞なんだろうと、腹が立ったのを思い出します。
     でも新聞の広告料は高いものですね。

     戦争末期は大卒で月給が60円くらい、シランが見習士官時代も月60円でした。 戦後、25年ごろに家内がデパートに勤めていたころの月給が3千円、 28年の大卒では月1万円・・

     その頃、生活が苦しかった新婚の親友に2万円貸したら、30年ほどして突然、東京から彼が夫婦で来宅し、その2万円を50万円にして持ってきました。
     紫蘭は、貸したことをすっかり忘れていたので、ホントに驚きました。
     その時彼は鉄鋼商社の支社長ですっかり高給取りになっていました。

     でも、定年後一年して、61歳で胃がんで亡くなりました。定年後は好きなお絵描きとゴルフを楽しみたいと言っていたのに。。
     木枯らしの吹き荒れたある冬の朝、彼の奥さんから訃報が舞い込んだときは、ほんとに悲しかったです。

     人生、いろいろですね、人間90年も生きていると、いろんなことに出会います。
                         しらん

  • >>No. 102317

    皆さん、こんにちは。
    「家庭教師」

     戦前は苦学生が良く家庭教師をしていました。
    当時、二食付きの下宿代が月に30円でしたが、家庭教師の謝礼もたいてい、週に3日、一日2時間で30円でした。(オーバーが90円、衣料切符50点が必要)

     友人のTは、医師の息子でしたが父が亡くなった後は、借金のため一家離散して一人ぼっち、夜間中学から入学してきましたが、物凄い勉強家で学生時代は芦屋の社長族の家庭教師を三つも持っていて(だから月90円)、家で豪華な食事を食べさせてもらったり、盆暮れにはお祝儀を貰うし、安楽な学生生活をしていました。
     家庭教師の口は、中学時代の先生が世話してくれたそうです。

     彼は昭和18年の学徒出陣で航空隊に入り、フィリッピン海域で米機と激しい空中戦を行っていましたが、特攻隊員として内地に帰還の途中で終戦となり、出撃の予定日が8月20日だったので、5日の違いで助かりました。彼はやはり教師が向いていたのか、自衛隊の航空副司令から英語塾を経営して88歳まで長生きしました。遺体は医学生の解剖用に医大に献体しました。彼はかねて、特攻隊員として死に損なった体を、いくらかでも社会に還元したい、と言っていました。
     
     人生いろいろ、ほんとに人間の運命は分かりません。    しらん

        (出撃するゼロ戦)

  • >>No. 102302

      みなさん、お早うございます。

     花りんどうさん、起床ラッパが鳴りひびきましたか?
     鼻から?それとも別の?

     起床ラッパは兵隊さんいとっては辛いものです、眠くてたまらないのに‥
     「オキロ、オキロ、ミナミナオキロ、起きないと古兵どんにどやされる~~」。。と、聞こえます。

     朝飯のラッパは嬉しいものですが、新兵は3分間でがつがつ食べてしまはないと、また殴られます。仕事が多くて・・

     「カッコメ、カッコメ、カッコメ、カッコメ、カッコメシダァ~」。。

     「消灯ラッパ」はわびしいものです。
     「シンペイサンハカワイソウダネー、マタネテナクノカネー」と、さびしく鳴りひびきます。

                          しらん

  •  花りんどうさん、  返歌

       秋近う野はなりにけり白露の
         置ける草場も色変わりゆく    紀 友則

                (尾瀬の池塘)   しらん

  •   今日も朝からほろ酔いのいい気分・・   酔芙蓉       

                     しらん

  •  みなさん、お早うございます。
    今朝は秋らしい爽やかな朝になりました。明日の雨で秋は更に深まるでしょう。

     いま、酔芙蓉の花が面白いです。綿の花同様、朝のうちは白いですが、昼頃にはピンク色になり、夕方には赤くなってしおれてしまいます。

     酒を飲んで、顔がピンク色になり最後には真っ赤になって酔いつぶれるようで、まさに人間そのものです。

          (ほろ酔いの酔芙蓉)    しらん

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