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投稿コメント一覧 (31コメント)

  • HYさん、こんにちは^^
    籾山さんより少しお若い方なんですね。私は籾山さんより、ほんの少~し^^お姉さんのハヤシと申します。
    コメットさんファンの方と出会えるこのホームページは、私に取って安らぎの場所ともいえます。
    お好きだったコメットさんのお話など、聞かせてくださいね。
    サンペイサン、宮崎さんも、どうぞよろしくお願いします。

    ところで、今日は籾山さんのお誕生日ですよね。☆
    おめでとうございます。ますますのご活躍、お祈りしております。

  • 籾山さん、こんにちは。お久しぶりです。

    日曜日、新宿で、山際監督にお目にかかり、お話をさせて頂きました。とても楽しい時間でした!
    山際監督とは6年ぶりでしたが、相変わらず、すらりとした立ち姿の気品にあふれた素敵な紳士でした。
    監督のお話を思い出して、コメットさんに関して、幾つか書いてみます。
    もう籾山さんはご存知のことばかりだと思いますが、ごめんなさいね。

    配役では、「あっちゃん」の武君はすぐ決まったけれど、浩二君役がなかなか決まらなかったそうです。
    結局、山際監督が、浩二君役の河島明人くんを見つけ出されたようです。マッチをすらせてみたりして・・。
    過保護に育っている子ではだめだと考えておられたようです。
    靏ひろみさんもそうですが、一重瞼 の子役がお気に入りだったようです。複雑な感情や内面をあらわすのに、
    ぱっちりした目の子より、寂しげな一重瞼のほうが適していると思っておられたようです。

    武君一家の住む豪邸は、国際放映の近くにある家で、毎日、撮影に押しかけて、住んでいる人たちにはさぞご迷惑だったろうに、
    快く貸して下さっていたとのことです。

    「妖怪の森」で、武君が古い橋の隙間に落ちそうになり、顔だけ出してぶら下がっているシーンは、下から大人が
    お尻を支えていたそうです。武君のお尻、重かったでしょうね。

    第一話、武君が教室から紙飛行機を飛ばしたとき、薔薇の庭まで飛び、コメットさんの顔が花の合間に見えるシーンがありましたね。
    あの薔薇は、学校の校庭にあったものではなく、別のバラ園で撮影したものだそうです。

    坂本スミコさんのお母さんのとぼけた味わいを、高く評価していらっしゃいました。

    武君の女装姿、覚えている人もいるでしょう。監督にも忘れられない面白いさだったようです。(笑)

    吉田次昭君を「秀才の顔をした子だったね。」といわれました。ほんとにそうでしたね!役の上でも。
    今、彼はどうしているのかしら。
    林寛子さんのお祖父さんは、有名な役者だったそうですね。皆さん,かんこちゃんとみどりちゃんの
    どちらのファンでしたか。

    また思い出したら書きますね。
    コメットさんを愛した昔の子どもの代表として、監督に感謝の気持ちを込めてバラの花 束をお渡ししてきました。

    監督との出会いを作ってくださった籾山さんに、心からお礼申し上げます。



  • 2012/01/22 21:56

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    >>No. 1118

    遅ればせながら、市川森一さんのご逝去に哀悼の意を表します。
    早過ぎましたよね。本当に残念に思います。
    凄い才能の持ち主であっただけに、一層、、。
    市川さんと親交をお持ちだった籾山さんの喪失感、察して余りあります。
    私も、雪の街といい、落ち葉君といい、傷だらけの天使といい、
    大好きな作品が一杯、
    籾山さんの寂しいお気持ち、少しだけでも共有させてくださいね。
    一緒に悲しみましょう。
    、、、って籾山さんはもう、立ち直っていらっしゃるかしら。
    もっと早くここに書き込みできずに、ごめんなさい。
    たとえみんな逝ってしまっても、「コメットさん」は永遠です、、。



  • 2011/07/17 18:43

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    >>No. 1090

    監督は、原発には反対のご意見でしたが、、「そら見たことか」的に、
    原発反対をヒステリックに、声高に叫びたてているある種の知識人たちに
    対する嫌悪感を強く持っておられるようでした。
    なんというか、、極端な、偏狭なものの考え方をする人たちへの反発、というのかしら、、
    「中庸」「ユーモア」を尊ぶ監督らしい反応だというふうに、私は
    感じました。



  • 2011/07/11 21:43

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    >>No. 1087

    東京へ行く用事があり、山際監督にご連絡したところ、お時間のありとのこと。7月9日は、山際監督にお目にかかる2回目の機会となりました。

    11時半に東京駅地下、銀の鈴にて待ち合わせ。私は名古屋から同行した友人とふたり、ワクワク&少し緊張しながら監督を待ちました。
    人ごみの遠くに、背のお高い監督の顔が見えた瞬間、駆け出していた私!(笑)「やまぎわかんとく〜!」なんて叫びながら、、。
    監督は、ストライプのポロシャツに、ベージュのコットンパンツ。その若々しい夏らしい服装が、とてもお似合いでした!
    相変わらず、おしゃれで、姿勢の美しい、上品な監督でした♪

    まずは、お寿司屋さんで美味しいお寿司をご馳走になりながら、昔のテレビのお話をしました。
    私の連れは、私と同い年で、「チャコちゃん」「コメットさん」「ウルトラマンシリーズ」「はっちゃく」を見ています。
    その監督とお食事ということで、ちょっぴり感激していたようでした☆(ですよね?^^)
    監督は、私の連れに、私が書いた「いつか通った雪の街」の感想が嬉しかったことなどを、話して下さいました。私は、とても嬉しかったです、、(涙)

    その後、またコーヒーを。
    監督は、震災後、福島には行かれていないとのことでした。でも人権保護関係の新聞を活発に発行しておられるようで、私と連れに、幾つか頂ました。

    私の連れは、福祉関係の仕事をしていて、映画製作にも興味がある人だったので、監督と障害者支援や映画の特撮などに関しての話で盛り上がっていました。

    監督とお話した話題の中で一番強く心に残ったのは、「子どもの夢」についてです。
    コメットさんのような、夢のある物語より、車がひっくり返ったり派手な戦いのシーンがあったりする、アクション、スピード感など、より強い刺激のあるものへ子どもの関心はいってしまった、、、それはなぜだったのか。
    子どもにとって、夜の闇や、未知のものは、不安と恐れに満ちた、神秘の場所だった。子どもの頃、部屋の片隅の闇や、だれもいない部屋には、確かにオバケが潜んでいた、、。
    ところが、大人たちが、いつしかその「不安の闇」を奪ってしまった。合理主義、過保護、、子どもたちは過剰に保護され、大人たちは、子どもの闇を減らすことを、子どもの幸せと勘違いしまってる、、。
    未熟な子どもたちは、本来すべて、「闇の不安」「不安の闇」を持つはず。子どもは、そこから逃れようと、空想と夢を働かせた。
    美しい物語の世界、楽しい空想の世界に心を遊ばせ、未知のものへの不安、部屋の片隅の闇への恐れ、ひいては宇宙や死というような形而上学的なものに通じる、身近な、ささやかな闇があればこそ、子どもたちは、「夢」を見る力を持ちえた、、。
    「不安と闇」が失われたとき、子どもには、夢を見る力も失われる、、、。

    そんな話をしました。
    コメットさんは、子どもが夢を見る力をまだ豊かに持っていた時代の、物語でした。
    そんな時代の子どもであれたことは、幸せでした。

    本当に楽しい時間でした。監督、ありがとうございました。
    渋谷駅井の頭線改札口まで、ご一緒できて、迷子にならずにすみました。感謝いたします。
    (籾山さんのことも、監督は連れに話して下さっていました^^)



  • 2010/11/12 16:26

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    >>No. 1055

    >僕自身の小5当時の眼力に感心します。“子ども騙し”というけれど、子どもは騙せないのだ。

    まったく同じ気持ちです。私は低学年でしたから、もっと?自分の眼力に感心します。(笑)そして「子どもは騙せない」・・その通りだと思います。「騙せる」としたら、ただ子どもは、自分が不幸にならないための自己防衛として、大人の嘘を信じ込もうとする、というようなことがあるだけだと思います。芸術作品に関して言えば、その詩情、香り、雰囲気、ユーモア、哀しみ、そういうことはしっかりと伝わり、深く心に残るでしょう。テレビ番組や絵本など、作り手の矛盾やごまかし、手抜きがあれば、幼稚園児にもわかるでしょう。「つまらない」子どものその一言で、作り手側の無能さ、いい加減さは、あばかれるのだと思います。絵でも、漫画でも、テレビドラマでも、映画でも、同じでしょう。本当に良いものは、子どもにはわかるのです。
    40年代は、権威が全否定された反体制の狂った時代・・そうかもしれないけれど、zvbxrp1さんと同じく、良い時代だったと思う人は、私も含め少なくないのではないでしょうか。
    活気のある、エネルギーに満ちた、個性的な大輪の文化の花が沢山咲いた、信じられないほど元気な時代だった気がします。
    今は、棘の抜かれたきれいごとばっかりの、テレビ、映画・・毒の花も、美しい棘も、若者の溢れる様なパワーも、乾きもない・・上手くいえないけど・・40年代が一番、素敵だった、と私はこれまでを振り返って思います。長々と、まとまりのはい独り言、ごめんなさい!



  • 2010/11/10 22:55

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    >>No. 926

    ★西村雄一郎「黒澤明 封印された十年」という本に
    「昭和40年代は、権威が全否定された反体制の狂った時代」
    という記述がありました。

    僕は?926でも書いたように昭和40年代は良い時代だったと記憶しているのですが…
    いや、なるほど劇場映画、特に斜陽だった日本映画の立場からすると、そうなのでしょう。

    昭和30年代はまだ劇場映画に権威がありましたが、
    40年代はテレビの方が上り調子でしたから、
    テレビ映画の立場からすると多少違和感がありますね。

    先の本の筆者は黒澤映画の大ファンである上に、
    大学の同級生が革マル派のリンチで殺されたら、
    そりゃ“狂った時代”と認識して当然だと思います。

    ★九重「コメットさん」で“狂った時代”を感じさせる部分
    …#68「買物珍道中」に全学連が登場します。

    女「どうしたの、その足」
    男「デモで民生の奴に蹴っとばされたんだ」

    男「(武と浩二に張り倒されて)何だあのガキどもは」
    女「代々木派でしょ」

    …当時でなきゃピンと来ない台詞ですね。
    今の目で観て、どうでしょうか?

    ★僕自身、昭和40年代の記憶は無意識に「美化」しているのでしょうか?
    確かに“狂った”というか“未熟”な時代だったかもしれません。

    今もし40年前にタイムスリップしたら…美化を自覚するかな?
    大昔SFテレビ番組「ミステリーゾーン」にもそんな話がありましたね。
    子ども時代は良かったと現実逃避する中年男が昔へタイムスリップすると実際そうでもなかった話。
    あの回の脚本はロッド・サーリングでなくリチャード・マシスンだったかな?

    しかし、今現在の時代が狂っていないのかと言えば、
    どう考えても狂っていますよね。
    結局いつの時代もどこか狂っているのですが…
    常に「今が最高」でありたいものですね。

    ★最後に、これだけは言っておきます。
    僕は九重「コメットさん」全79話を再見しても記憶の美化は全く無かったし、
    初見の話も決して幻滅せず、期待通り予想以上の出来だった。
    僕自身の小5当時の眼力に感心します。
    “子ども騙し”というけれど、子どもは騙せないのだ。

    皆様は如何でしょうか?



  • 2010/06/09 12:47

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    >>No. 1024

    NHKの少年ドラマシリーズの特番で「11人いる!」をやったことがあったのですか?!何年位前のことでしょうか。
    「11人いる!」は、言わずと知れた漫画界の大御所、萩尾望都の作品ですね。
    そういえば「コメットさん」も漫画だったのですよね。
    40年代の漫画とテレビに感性を育てられたと思っている私は、どちらの分野においても、優れた作り手の人々には、本当に感謝しています。
    昭和のテレビ、漫画は、素晴らしい日本の文化でした。



  • 2010/05/24 16:07

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    >>No. 1020

    山際監督はご自分を「横文字に弱い」なんて仰るから、
    籾山さんが言われたように、仏文科でいらしたのでは?と
    申し上げたら、笑っておられました^^

    フランス料理は、途中で料理の説明をしにボーイさんが来るため、
    話が途切れてしまい、説明をフンフンと聞いて、
    ボーイさんが去ったあと、二人でなぜか笑ってしまうのでした・・。



  • 2010/05/24 10:00

    >>No. 1016

    籾山さんに途中経過の報告などメールしなくてごめんなさーい!
    でも話が途切れると、つい「籾山さんは・・。」と私が籾山さんへ
    話題を持っていってました。(笑)

    ジュリアン・デュヴィヴィエ!
    そうです、山際監督はまずこの人の名前を、好きな監督として
    挙げられたのでした!忘れておりました。ごめんなさい。

    山際監督は、私の母親と同年です。
    でも本当にそんな年齢には見えない、清々しく美しい、とさえ
    いえるような方でした!

    凄いと感心したのは、監督の方向感覚です。
    道を歩くとき、目的の方向、帰る方向を、全然ためらわずにさっさっと
    歩いていかれるのです。
    名古屋のその場所は初めてで、ただ地図で確認されただけのようでした。

    極度に方向音痴の私は、ただ監督にくっついて、わけもわからず歩いて、
    いつの間にか目的地に着いている・・。本当に驚きました。(普通の人なら、驚かないレベルかも・・^^)

    あっ、そうだ、途中でデパートのようなお店を通り抜けたのですが、
    あとで小津安二郎監督の話が出たとき、(小津氏は、撮影用の小物に
    ひどくこだわりがあったようです。)
    「小津さんなら、ああいうデパートに行けば、小物をよく見て歩くのだろう
    けれど・・。」と、笑って仰いました。

    私が自分の子どもに読ませようと書いた童話を、厚かましくも監督に
    読んで頂きました。
    過分なお褒めの言葉を頂き、恐縮すると同時に、監督は心優しい方だなぁ、と感謝の気持ちで一杯になりました・・・。



  • 2010/05/16 09:39

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    >>No. 1014

    そうだ、コメットさんと関係ないのですが、山際監督は、
    ちあきなおみさんの歌がお好きだそうです。
    物語のある歌だからですって♪



  • 2010/05/11 20:59

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    >>No. 1012

    お話を思い出したら、ちょこちょこ書き込みますね。

    監督は、日本では「二十四の瞳」の木下けいすけ監督、外国では
    デビット・リーンとフェリーニがお好きだそうです。
    これらの監督の映画としては「アラビアのロレンス」「逢引」「8・2分の1」を上げられました。

    監督という仕事を天職と思ったことは特になく、どんな仕事でもそれなりにやったと思う、と仰いました。謙遜ではなく、ほんとににそう思っておられたのだろうと私は感じました。

    呼吸するように自然に傑作を生み出していた山際監督には、一流になろうという悲壮感も、苦悩もなく、「監督、これこそが自分の天職だ!」などという青臭い気負いや、自己満足とは無縁だったのかもしれません。

    凡庸で無能な日本の監督の多くが、傲慢な「監督面」をしてテレビなどに出てくることを思い出すと、山際監督の清々しさが本当に素晴らしいものに感じられます。山際監督を心から尊敬します。


  • 2010/05/09 11:12

    >>No. 1010

    もうひとつ、とても大事なこと・・。

    武くんが亡くなったこと、監督はご存じなかったのです。
    武くんはもう亡くなった、という私の言葉を、2度ほど、
    聞き直されました。
    そして「そうでしたか・・。」と絶句されました。

    終始、穏やかでにこやかだった表情が、哀しそうに翳るのを、
    見ました。

    静かな湖の表面とは裏腹な、監督の心の中に広がった悲しみが、
    私にも伝わってくるようで、胸を打たれました。



  • 2010/05/09 10:27

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    >>No. 1009

    小心者の私は「監督にお会いするのが怖い」・・とMさん(サイト主様)に何度もいいました。
    そのたびにMさんは、恐れることなど何もない、これは、とても光栄なことなのだから全力で、
    でもリラックスして、後悔のないように、応援しているから、、
    という励ましの温かい言葉を下さり、それを心に繰り返しながらの
    対面でした。
    Mさんの言葉を監督にお伝えしたら、笑っておられました。
    Mさんの熱心さには、監督も感心しておられ、Mさんのことを
    お話になる言葉には、コメットさんをそうまで愛してくれていることへの
    嬉しさも、にじみ出ていました。

    主題歌の作詞が寺山修二、作曲が湯浅譲二、当時の若い優れた
    才能が偶然のように集まってコメットさんに関わったことを、
    少し懐かしそうに話されました。
    「映画は時代の産物だから・・。」と言う言葉も、何度か仰いました。
    話の流れの閉めが、その言葉へ何度も行き着いた、というべきでしょうか・・・。

    食事を終えて、写真を撮り外へでたのは3時半すぎでした。
    ホテルのロビーでまたお話し、握手してお別れしたのが5時半。
    丸一日、尊敬する山際監督と過ごすことの出来た、素晴らしい日を
    私は一生、忘れないでしょう。
    心からの感謝と尊敬を、私はお伝えしたつもりです。
    きっと、きっと、伝わった、と信じています。



  • 2010/05/09 10:05


    >>No. 1007

    約束の場所へお迎えに行ったのが、朝の十時半・・。
    ちょっと非常識な早さで、ご迷惑かしら、とも思いましたが、少しでも長くお話を聞くことが出来てよかった、とあとで思いました。

    山際監督は、痩身で背の高い、八十にお近いとは思えない若々しさとストイックな美しさと品格をお持ちの、素敵な紳士でした。そして笑顔が、これまた可愛いんです!

    お目にかかるまでは、とても不安で、どんな方なのか、また「コメットさんの素晴らしい作品をいくつもお撮りになった、あの山際監督にお会いする!」という興奮と怖ろしさで、ぜんぜん眠れませんでした。
    穏やかな、優しい紳士で、本当にほっとし、私もすぐに気持ちを開くことが出来たような気がします。

    お食事をご一緒する予定でしたが、時間がまだ早く、コーヒーを飲みながら
    お話を始めました。・・気がつけば、十二時過ぎ。
    近くのホテルで、素敵なフランス料理を頂きながらのおしゃべりとなりました。(美味しくて、美しくて、量も多くて最高でした。私、食べ切れなかったです。もったいない・・)

    私の大好きな「雪の町」のエピソードでは、吃驚するものもありました。
    雪にみたてた発泡スチロールの粉を、床に敷き詰めていたところへ、あの「たいまつ」の火が引火して、あっという間に広がったそうです。
    松明を持って、KKKのような白装束を着ていたのは中学生くらいの子どもたちで、その子たちが悲鳴を上げながら逃げ惑ったといいます。入り口で待っていたお母さんたちも、大騒ぎ。
    監督は、「ああ、自分も、子どもたちと死ななければならない・」と思われたそうです。つまり、もし一人でも犠牲者がでたら、ご自分も死のう・・と瞬時に思われた、ということなのだと思いました。
    無事に火が消し止められて、本当に良かった!それ以降、スタジオでの火の扱いには、慎重になられたとか。

    脚本家と監督で、「今度はこういうものを作ろう」と色々話し合いながら、一作を作り上げるのだそうです。
    脚本の市川氏とは、スタッフを離れて、喫茶店でふたりであれこれ話し合い、いいアイデアがまとまって、ふたりが小躍りするようにして喜び合ったこともある・・そんな心温まるお話も聞かせていただきました。

    コメットさんのバトンには、使用の法則!があり、それは「現金を出さない」「他の人に使わせない」というものでした。
    一度、泥棒がバトンを盗み現金を思うままに出す、という話をやったのだけれども、失敗だと思われたそうです。具体的なことでのみ、バトンを使い、他の人がバトンを手にすることはなしでいこうということになったようです。最終回では、武君たちがバトンを奪いますが、
    あれは魔法を使おうとしてではなく、コメットさんが行ってしまわないようにするための、悲しい、唯一の手段だったのです。



  • 2010/05/08 18:23

    >>No. 1006

    今日、大好きな「いつか通って雪の街」を作って下さった山際監督と
    お会いして、お食事とお喋りの素晴らしい時間を過ごしました!!
    優しい、穏やかな、素敵な紳士でした!
    ソフトな話し方で、時々、楽しそうにお笑いになる表情が
    とても可愛いかったです。(失礼!^^)
    色々なお話を聞かせて頂き、本当にあっという間に時間がたち、
    ふたりで「ええ!もうこんな時間?!」と、驚きました。
    またゆっくり、コメットさん製作時のエピソードなど
    書かせて下さいね。
    監督にお会いするきっかけを作って下さったMさまに、
    心からお礼申し上げます。



  • 2010/04/19 09:53

    >>No. 1003

    アッちゃん、ですよね、武くんは。(笑)
    私も、「あっちゃん」と呼ばれていたので、(女ですが)
    小さい頃は、ポッチャリした男の子と同じ呼び名で、
    ちょっと嫌でした・・・。(武くん、ごめんね。)



  • 2010/03/09 18:47
    >>No. 994

    >神の導きとしか思えない時が僕の場合「コメットさん」関係に限っては現実よくあります
    素晴らしいことですね。
    私も、たまたまここへ書き込みさせて頂いた事によって、山際監督に
    嬉しい言葉を頂くという、信じられないような経験をすることができました。
    zvbxrp1 さんの「コメットさん」関係に関する不思議な力が、ここへ足を踏み入れた私にも及んだのです。
    本当に有り難いことです。



  • 2010/02/12 06:50
    >>No. 988

    連投ごめんなさいね。
    籾山さんがコメットさんの40周年のイベントを開催された時、ご協力されたスタッフの人たちは、どういうお知り合いだったのですか。コメットさんファンの方たちだったのか、籾山さん個人のお知り合いだったのか、お聞きしたいです。よろしくお願いします。

  • 2010/02/06 21:39

    >>No. 982

    ご無沙汰しております。
    「ムーミン」私、大好きでした。コメットさんが終わって、次に夢中になったのはこの番組でした。
    吉原さんはムーミンの脚本を全て、お書きになったのですか。

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