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投稿コメント一覧 (333コメント)

  • >>No. 38868

    アバキよ、

    >感想は、
    トントンが、
    作品投稿し終わってから、
    12月末で良いか?

    話が分からないだろ。
    しかし、分からないなりに

    >トントン!
    作品投稿、
    頑張れえ~!

    と、応援してくれるのは、不思議ではあるが心地いいものでもある。

    しかし、全部はとても載せられないよ思うよ。長すぎてね。
    四分の一(原稿用紙で400枚)ぐらいじゃないかな。手直ししながらだからね。
    500~600枚にしときゃよかった。残念っ!

  • >>No. 38879

    〖教え子のブンちゃん〗ー78

     ところで、善幸は、美乃里のことを「美乃里ちゃん」などと呼ぶはずもなく、「あのさあ」で今のところ間に合わせていた。
     衝立て事件以来、美乃里を見る眼が、可笑しげなほど広角になったのは確かだった。善幸にとって、美乃里という〝透明な存在〟だったのが、薄っすらと色づきはじめてきたように感じられる。
     毎日、変わらぬ動作を繰り返し接客している美乃里。明らかに〝何でもない普通の女の子〟も、善幸に真っ直ぐぶつかっていこうとしているようだった。善幸も、一日に二回の胸が高鳴るシルエットの上映後にやってくる余韻に魅せられて、その気持を受け入れようとしていた。
     日増しに、美乃里に対し結構な好奇心が沸いてくる。善幸は、それを踏み込んで考察してみる。どの研究者もやったことのない課題に挑戦するつもりでいるのだ。求人広告を見て面接に行った時、うっかり呟いてしまった言葉〝何でもない普通の女の子〟その〝何でもない〟の後にくっ付けた〝普通〟の夫々の語彙と相乗効果とは? 単に語彙の意味合いのダブリではないのか? どっちか一つでもいいのかもしれない。それとも、個々の微妙なガッカリ感の違いを、これ程までに近づけて使用するということは、そこに知らぬ危険性が潜んでいて、ある時、突然バチバチバチーンッと思わぬ短絡事故を引き起こし、胸を高鳴らせるものになってしまうということなのだろうか。だが、この場合の短絡事故とは、異性間での隠微な心の砦に衝撃を与え破壊する行為であって、この〝ガッカリ感の違い〟がネガティブなイメージを感じさせるものではないということだ。二人の胸の内で〝未知なる火種〟の燻っている焼けぼっくいがボワッと燃え上がるようなもの、そう解釈した方がよさそうだ。 
     毎朝、美乃里は、専門学校に行く前に、店に立ち寄り店先を掃除する。同じ時間帯に掃除している隣近所の人と挨拶を交わしながら掃き終えると、テーブルの上の〝備え〟の準備にかかる。そして、テーブルを拭いてから〝備え〟をセットするまでの仕事を、小一時間でやり終える。その後に、酒井のおばちゃんが、旦那さんと三十過ぎの一人息子に朝めしを食わせ送り出してから店へ来ることになっていた。

    P64-29 次回、来週水曜日早朝。

  • >>No. 38878

    〖教え子のブンちゃん〗ー77

     美乃里は、隠すことを断念したのか、手早く衝立てを起こそうとしている。が、帯と着物の重量が邪魔をして手古摺っている。善幸は、こんなの〝浅草の劇場〟じゃ絶対思いつかない企画モノだな、そう思った次の瞬間、ブラとお尻を包んでいるパンツは、真っ白すぎて、強烈なハレーションを起こしていた。まさに、大人のワンダーランドで引き起こった超常現象だろうか。しかし、浅草界隈で鍛えられた彼の眼力の条件反射は、強烈なハレーションで思わず目を細めてしまうという一般人の無条件反射より勝っていた。言うまでもなく、善幸の目は見開いたままだった。
     何でもない普通の真っ白な下着は、自らフラッシュを焚き続け、鮮明に善幸の網膜へ焼き付けてしまった。きっと数年間は色褪せることはないだろう。   
     スタイルは……良い? 普通? そんなことを考えている自分に赤面していると、美乃里と目が合ってしまった。善幸は、ダランと垂れ下がっている桂剥きした大根を目の高さまで持ち上げた。それを和紙の代わりにし、シルエットで相手の様子を窺おうとしたが、残念なことに、そこまでは透けてはいなかった。(もっと薄く剥かなきゃ親方に怒られるなあ……)と呟いてみる。
     期せずして、善幸は〝何でもない〟と〝普通〟に潜在している吃驚とラッキーがあることを、【和食処 悠の里】で包丁捌きと共に、早くも学んでしまったようだ。
     善幸は、この〝衝立て事件〟後、美乃里の心の変化を感じた。固くガードしていた固有の秘密を知られてしまい観念したというか、覗かれて困るようなことは何も無くなったという開き直りの強さというか、そんなものが会話の中の眉目から感じ取れるのだ。それからというもの、二人は衝立てを取っ払った間柄になっていった。
     
     今日、美乃里が、背後から「善くーん」と声を掛けてきた。初めての呼び方だった。なぜ〝君〟付けなのか善幸にはわからなかったが、アパートに帰り、膝を抱えて湯船に浸かって考えていたら、〝観念と開き直り〟との相関関係があるんじゃないか、それとも一方的に判断されてしまった上下関係なのだろうかと思いあぐねる。   
     しかし、日々「善くーんっ」と呼ばれるにつれ、善幸としても、どこか心地よく感じはじめる。次第にその響きは数人しかいない店内に馴染んでいった。

  • >>No. 38877

    〖教え子のブンちゃん〗ー76

     ちらっと目線をスクリーンに向ける。と、左側の衝立てに掛けてある着物が若干揺れている。これはいつものことで心配はいらなかった。美乃里は、帯も着物も同じ衝立てに掛けていた。もう一つの方の右側の衝立てには何も掛かってはいない。つまり、シルエットを邪魔するものは一切無いということだ。照明は、大切な役割を果たしていた。着替えている彼女の背後の壁に掛かっている和風のブラケット。店内の照明が暗めなだけに、この灯りのお蔭で、脱いでいく行程が生々しく映し出されていく。
     準備が整ったようだ。屈んだ姿勢になった。頭部だけがみえる。布が擦れる音……だと思う。聞こえてこない音が耳障りだった。
     突然、パーンッ、バーンッ、二度ほど何かを引っぱたくような音がした。ドキッとする善幸。二枚の衝立てが倒れたのだ。倒れる瞬間は見ていなかった。半分下敷きになっている着物と帯。
     善幸は、そのうち間違いなく倒すだろうな、とは思っていた。遂に、その日がやってきてしまったのだ。親方にとっては気にするほどの音ではなかったようだ。椅子でも倒したのだろうと思い、仕事を続けていた。
     倒してしまった原因は、衝立てを壁側へ引き寄せすぎていたのだ。壁と衝立ての間が狭すぎて、ゴソゴソと脱いでいるうちに、肘や尻が当たって衝立てが倒れてしまったのだろう。心配はいらない。器を割った訳ではないし、美乃里が怪我をした訳でもないのだから。
     善幸は、着替え時のタイミングを計って大根の桂剥きを始めた訳ではない。大根を、和紙より透けるように剥きたいと思っていただけだった、と思い込む。
     倒れた時、足袋は履き終わっていた。美乃里は、裸に上下の下着を身につけた格好で、背中を丸くし、両手で胸を押さえている。〝何でもない普通の女の子〟の露わな姿が、善幸の目に飛び込んできてしまった。彼女は、早く衝立てを起こさなくてはならなかった。酒井のおばちゃんがいたら「あらら、まあ……」などと言い、真っ先に起こしてくれただろう。しかし、おばちゃんはまだ来ていない。店で遅い昼食をとった後、一旦自宅に帰り、また六時になると来ることになっていた。救いなのは、通行人からは見えない小上がりで着替えていたことだった。

  • >>No. 38876

    〖教え子のブンちゃん〗ー75

     善幸は、親方との間に〝別な衝立て〟を立てると、手元のスピードを緩めた。肝心な方の衝立ての和紙は薄そうで、しかし、奥行きを感じさせるほど薄くはない。まあ、細かいことはどうでもいいのだが、その衝立ては、美乃里のお着替えを善幸の位置から横目で見れるスクリーンと化し、姿態をシルエットで上映している。これには善幸もお手上げだった。一日二回の上映に誰が耐えられよう。頭の中では、深夜のテレビ番組、いや、それよりも、高校の頃、友だちと二人で、マスクにキャップを目深にかぶった格好で初めて見に行った浅草のストリップ劇場を想起させた。

      男友達と二人、劇場に向かって歩道を歩いていると、見えてきた垂れ幕【あの、ドッ  キンコをもう一度あなた様に……】は、一瞬、大人の恋愛映画か? と思わせ、一見心  地よい響きに聞こえてしまう。がしかし、将来的に大人向けの芸術は徐々に理解してい  かなくてはならないし、世の中的にも必要不可欠であるだろうし……。などと考えて  いたら、そのギャップに眩暈がしてきてしまった。
      高校生である自分たち二人にとって、そのキャッチフレーズは余りにも丁寧過ぎ   て入りづらくもあった。一旦、煌びやかな入口を通り過ぎ、次の信号で反対側の歩道  へ渡るとUターンし、再び信号を渡った。薄くなった人通りを見計らって流れに沿い二  人は無言で歩いている。迫ってくる垂れ幕……。何度も通り過ぎてしまうようなへまは   したくない。相棒に目で合図を送ると、スッと入口へ――。二人の姿は吸い込まれて  いった。

     善幸は、〝何でもない普通の女の子〟が衝立てに隠れると、なんとストリッパーへ変身してしまうことをこの時知った。因みに、酒井のおばちゃんは、雨の日以外は家で着物に着替えてから店にやって来る。
     ある日のことだった。いつものように、美乃里は二つの衝立てを手前に引き寄せ、ガードを固めていた。
     善幸は、上映中のスクリーンを見やすくするためには、目線を水平に保つ必要があった。そこで、いつもより大根を高めに持ち上げた体勢で桂剥きをすることにした。

  • >>No. 38875

    〖教え子のブンちゃん〗ー74

     求人広告を見て面接に来た時の美乃里の第一印象は、〝何でもない普通の女の子〟だったのだが、ひと月を過ぎた頃から〝ちょっと気になる普通の女の子〟に変わった。この普通が取れないのは仕方がない。それでもこの三ヶ月間で、美乃里のことがえらく気になりはじめたのは確かだ。その大きな切っ掛けとなったのが〝衝立て事件〟だった。
     美乃里は、学校が終わると、家に寄らず直接店に向かう。店に来て最初にすることは、厨房からギリギリ覗ける位置の小上がり席で、勿論誰にも見えないように二つの衝立てを引き寄せて、接客用の着物に着替えることだった。着替えている小上がりは、通行人からは袖壁があるから見えない。親方の立ち位置からでも見えなかった。この二枚の衝立ては、主に善幸の目線防止用といってよかった。はじめは、これといって気に留めることはなかった。
     美乃里は、先ず桜をイメージさせる撫子色の着物と藍色の帯をバサッと衝立てに掛ける。衝立ては、その重さで数秒間グラグラと揺れた。それからのお着替えとなるわけだ。お着替えは一日に二回。これまで、善幸はその光景を見過ごしてきたのだが、ひと月が経つと次第に〝見透かす〟に変わっていった。その理由は……考えても分からなかった。もしかして、あの頃くぐった〝浅草界隈〟で身に付けてしまった特殊な眼力の所為なのだろうか。
     善幸が特別にスケベなわけではない。いや、寧ろスケベをロープでギューッと縛り上げるとベランダに吊るし、缶ビールを片手に睨みつけながらじっと我慢している、そう〝武士は食わねど高楊枝〟的タイプの男だった。でも、その〝衝立て事件〟があった日以来、そんな我慢は何の意味もないことに気づいてしまったのだ。
     それは、和風の衝立てがいけなかった。濡れたら透けそうな和紙……。人差し指をなめて穴を開けて覗きこむ〝あの好奇心の塊だった思春期のイメージ〟が、善幸の頭をよぎった。
     善幸は、段取りとして、今刻んでおかなくてはならない白菜とキャベツがあったのだが、そんなことはどうでもよく、今は刻んでいる振りをしようと決めた。

  • >>No. 38874

    〖教え子のブンちゃん〗ー73

    「月曜日が休みだからさ、友だちを誘うことも出来ないしな。それに、気軽に誘えるような友だちもいないし。あれ、俺って友だちいるのかな?」
     溜息をついた善幸を見て、美乃里が本気で笑っている。善幸は気にならなかった。
    「じゃあさ、可哀相だから、あたし再来週の月曜日付き合ってあげるよ。その代わり美味しいご飯ご馳走してね?」
    「別にいいよ。〝可哀相〟だけ余計だけどな」
     普段、こんな会話をしたことがない二人だった。何とも、思い掛けない話がいとも簡単に纏まってしまった。善幸は、美乃里と別れた後、とてもいい気分になり、遠回りにはなるが、コンビニに寄って缶ビール三本とスナック菓子を買って帰ることにした。
     二階建てのアパートの二○一号室。風呂上がりに窓を開け空を見る。星が見えるような見えないような……。瞬く間に冷えてくる身体にビールを流し込んでやった。
     善幸の朝昼晩の食事代は、親方が出しているのと一緒だった。毎日のように旬の刺身が出るし、帰りに持たされる酒井のおばちゃんの弁当も美味しかった。最近、酒井のおばちゃんに「善くん、太ったんじゃない?」と言われたことがある。そう言われると、普段体重など量りはしないけれど、近頃ズボンがキツくなったなあ、と感じていた。もしかしたら、これまでの人生の中で、今が一番良い食生活をしているんじゃないか、きっとそのせいだろうと思った。
     他にも気づいたことがあった。それは、一人住まいのアパート代を払えば、他にほとんど金はかからないということ。新聞はとってないし、店で働く時間が長いので寝るだけの部屋になっていたのだ。そのため光熱費も以前と比べ半分以下だった。ちゃぶ台の上にある給料袋の中身を引っ張り出し調べてみると、三十枚以上の万札が窮屈そうに出てきた。それを見て、善幸は驚いた。金を貯めるつもりもないのに、いつの間にか貯まっているからだ。苦労もせず得た金のよう……。この時、今まで感じたことのない満足感を覚えた。
     店の給料は、これまで勤めていた会社の給料と比較すれば二割くらい安い。けれど、食事付きで親方も酒井のおばちゃんも良い人だし、仕事環境は家族的な温かみに包まれていて不満は何もなかった。この店で働く前は、給料をもらえば全部使ってしまっていた。

  • >>No. 38873

    〖教え子のブンちゃん〗ー72

     親方を先に追い出した後、いつものように三人揃って店を出る。店の前に並べた自転車三台が、酒井のおばちゃんを先頭に美乃里、善幸と縦列で走り出す。途中、酒井のおばちゃんが「お疲れさまあ~、二人とも気を付けて帰ってねえ」と二人に声を掛けると、ガード下を潜り、線路の反対側の上り坂の途中から自転車を押して行く。それを二人は見送ってから、今度は善幸が先頭となり、美乃里がピッタリと追従して行く。信号で止まる度に善幸は振り返る。美乃里が従いて来ているかが気掛かりだからだ。
     そして、美乃里の家へ向かう脇道まで来ると、彼女が別れ際に、
    「お疲れさま」
     善幸が、
    「じゃあね」
     善幸が走り出そうとすると、
    「ちょっと……」
     美乃里が呼び止めた。
    「なに?」善幸が振り向く。
    「再来週の月曜日、学校の授業がお休みなんだあ……」
    「ふーん、で?」
     善幸は、そもそも口数が少ない方なので、人と話をする時、このような不用意な言葉を発してしまい会話が途切れてしまうことがよくある。相手に不快感を与えてしまうのだ。愛想のない返事をされた美乃里は困った顔をしている。でも、善幸とこの三ヶ月間一緒に働いてきたので、善幸の性格も分かってきたし、相手に戸惑いを与える彼との会話には慣れっこになってしまったようだ。
    めげることもなく、美乃里は話し続けた。
    「休みの日って何してるの?」
     月曜日は、店も休みだった。
    「別に……。部屋でゴロゴロしてるよ。最近、外をぶらついて、気になる店があれば入って食べたりすることがあるかな」
    「気になる店? どんな店が気になるのか、あたしも気になるなあ……。どの辺行くの?」
    「まあ、新宿とか銀座とかだけど」
    「へえ、銀座に行くんだ?」
    「店には〝一見さんお断り〟なんて書いてないからな」
     善幸と銀座が余りにも不似合いで、美乃里は苦笑している。
    「善くん一人で?」
     美乃里は、あの日の〝衝立て事件〟を切っ掛けに、二歳年上の善幸のことを「善くん」と呼ぶようになっていた。彼女にとっては、二年という歳の差をイコール以下にしてしまうほどの事件だったみたいだ。

  • >>No. 38872

    〖教え子のブンちゃん〗ー71

     酒井のおばちゃんと美乃里は、板前が辞めていってから親方の健康状態や店の売り上げのことを考え、今まで以上に一生懸働いてくれていた。親方は、二人が勝手にやってしまうことに何も口出しはしない。阿吽の呼吸というやつなのか。仲の良い家族が苦難を乗り越えようとしている姿に見えた。
     二十三時閉店。美乃里は、暖簾を外し、それをレジ台に置くと客席に置いてある〝備え〟の醤油、塩、紙ナプキン、爪楊枝を一箇所に集めはじめる。補充と容器の汚れ落としは、明日の早朝にやることになっていた。酒井のおばちゃんと手分けし食器類を片付け、最後に店内を掃除して一日の仕事が終わる。厨房内の片付けは親方と善幸の担当だった。
     親方は、【和食処 悠の里】の店を開業した同時期に上階のマンションを借りた。朝が早いので時間を無駄にしないためだと言っていた。
     高齢となった今では、別の意味で救いとなっている。それは、ほとんど歩かないで自分の部屋へ戻ることが出来るということ。その安心感もあってか、親方は、これまで働いていた板前が全員辞めてから、片付けが終わっても自分の部屋へは戻らず、一人店に残って飲んでいるうちに寝てしまうことが間々あった。それを心配して、酒井のおばちゃんは、親方を先に部屋へ戻ったことを確認してから帰ることにしている。「親方、飲むんだったら、自分の部屋に戻って飲まなきゃダメ! 風邪ひくから。それから、飲み過ぎもダメだからね、分かった?」おばちゃんは、キンキンする声で注意を促した。親方は、おばちゃんが余り物でこさえた弁当を持たされ、渋々店から出ていく。これが一日の締め括りであり、日課となっていた。
     酒井のおばちゃんは、生魚に限らず鮮度が保てないと思った食材を煮たり焼いたりと家庭料理の域で調理し、弁当にして美乃里や善幸にも持たせてくれた。多分、そうしてやってくれと、親方から頼まれていたのではないだろうか。

  • >>No. 38871

    〖教え子のブンちゃん〗ー70

     親方は、あっという間に鰹を三枚に下ろすと、更に腹と背に割き、並べられた四つの柵を見ている。(エッ、あんなにデカかった鰹が、これっぽっちしか残らないの!)と善幸は驚愕してしまった。親方の後ろには、発泡スチロールの箱に一本ずつ氷でまぶされ入っている鰹が十箱ほど積まれている。箱にはマジックで六~七キログラムの数値が書かれてあった。まるで、鮮度が落ちては売り物にはならないとばかりに、親方は刺身包丁に持ち替えて、刺し身を引いていく――。何故か、尾っぽに近い身は大きく残している。なぜなら、我々四人の賄い用として使用するためだった。親方は、毎日皆の賄い分を考えながら魚を下ろしていたのだろう。賄い料理は酒井のおばちゃんの担当だった。
     盛り付けの段階に入ると、親方は、切り身の厚さとボリュームを極力揃え、大根の真っ白なツマでふわっと切り身を浮かせ、脂のノリの良さを見せびらかす二通りの盛りつけ方で仕上げた。
     この鰹で何人前出来るのだろうか、と手捌きを盗み見していたら、たったの十二人前だった。それに【悠の膳】は刺し身がメインではあるが、それだけではなかった。
     善幸は、出来上がったばかりの三人前の〝善〟を目の当たりにすると、その見栄え、品数、そして手間を考えれば、二千四百円の設定は決して高くはないと思い直した。 
     お品書きに新メニューの【悠の膳】を追加してからというもの、次第に年配のお客さんが増えはじめた。しかし、地元の家族連れはあまりこなかった。周辺は住宅地なので家族連れを取り込んでいかないと、客席回転数は上がっていかない。善幸は、椎茸に飾り切りを施しながら、先々の客の入りを気にしていた。   
     三ヶ月が過ぎた。
     親方は、魚を捌きながら、並びで善幸が桂剥きした大根をリズミカルに千切りする音を聞いている。偶に善幸の手先をちらっと見る。短期間でツマをこれだけ上手に作れるようになったのかあ……。面接の際に感じた(素直で手先が器用そうな子だなあ)という印象は間違っていなかったと思っているのだろう。満足気な表情を浮かべていた。

  • >>No. 38870

    〖教え子のブンちゃん〗ー69

     板前たちは、自分たちが辞めた後、親方が困らないように鮮魚以外の下拵えを酒井のおばちゃんと美乃里で出来るようにと、覚えさせてから辞めていったみたいだ。そのお蔭で、善幸さえしくじらなければ、作業はスムーズに運んでいった。 
     だが、親方と突然飛び込んできた素人の善幸では、これまでのような多種の魚介の下処理はとてもできない。仕方なく、親方は寿司ネタを二分の一に減らした。それでも、季節の移ろいを感じさせる料理をお客さんに味わってもらおうと考えていた。どうやら、親方は、お品書きを一変させるつもりらしい。
     その考えた〝善〟とは、四季折々の旬を活かした魚介を定めると、刺し身をメインにした、煮付け又は焼き物、更に、揚げ物又は蒸し物と、選択の幅を広げたメニュー構成になっていた。味覚を刺激させるための味の多様さを組み入れたのだ。そして、其々に葉菜と根菜で彩りを添え、椀と酢の物で品数を整え、最終的に、板前の手心をも感じ取ってもらえる膳に仕立てあげた。
     お品書きに記されている「煮付け又は焼き物と揚げ物又は蒸し物」の二つもある選択が定まらず、暫く迷っている客が見受けられた。
     親方が考えたこの和食の膳は、所謂ラーメンライスやそばかうどんにおにぎりといった同じ炭水化物の組み合わせ〝大阪の粉もん文化〟の魚版と思われてしまうかもしれない。しかしながら、同じ魚でも、料理方法を変えれば、視覚も味覚も変えることが出来てしまうのだ。そこは板前の腕の見せ所でもある。よく和食のメニューにある「・・・づくし」、そのパクリだと言われればそうかもしれないが、そこは、親方の引き出しの多さで勝負といったところか。
     また、経営上の面では、これなら同じ魚種をこれまでよりドーンと仕入れられるし、その分、単価が下がるので安くお客さんに提供することができる。
     善幸は、新たに考えたこのメニュー「悠の膳」を二千四百円に設定したと聞かされて、高いんじゃないかな、と思ってしまった。
     ある日、善幸は、親方が丸々と太った鰹を捌いているのを見ていたら、見惚れてしまった。なんとも、その包丁捌きがカッコ良かったのだ。

  • >>No. 38847

    〖教え子のブンちゃん〗ー68

     普段、料理などしない善幸でも、あまりの切れ味の良さに驚かされた。(俺の心を見透かして、先回りしているのだろう。そのうち、使い熟してやるぞ!)と、包丁に対し敵意をむき出しにしながら色々な野菜を切り刻んでいく――。
     善幸は、先月まで建築現場の後片付けのアルバイトをしていた。それは、現場監督から指示されたことを何も考えずにやり続ける仕事だった。
     善幸は、その時のことを思い出しながら、ダンボールの箱からネギを取り出しては洗っていく。初日から、切るだけとは言え、自分の手を介し人の口に入ると思うと、いい加減な気持ちで作業をしてはいけないと思いはじめた。これまでの仕事では感じなかった責任感が湧いてきたようだ。
     ネギを切り終えると、今度は、煮物用の葉菜、果菜、根菜の皮剥きをやらされた。そして、その後、親方は各食材の切り方を実際に切ってみせた。言葉での説明はなかった。「やってみろっ」と、善幸に即実践させる。善幸は、見よう見まねで失敗を気にせず、どんどん切り刻んでいく。親方は、切り方のダメなものを善幸の目の前で撥ねていく。撥ねられたものを善幸は手に取り一つ一つ確認した。
     次に、アク抜きが必要な野菜とその方法、及び緑黄色野菜の色止めの処置を言葉少なめに教えていく。教えなければならないことはまだまだあるようだ。野菜の数だけ蒸す、煮る、揚げる、焼く、炒める等の調理法があるわけだが、其々の火の入れ具合だとか、また料理によっても違う固さ加減だとか――。
     あっという間に一週間が過ぎた。が、一度やったからといって全部が頭に入るわけではないし、況してや、今のところ単純作業でさえ、何一つ親方の満足のいく形で仕上げられないでいた。それでも善幸は、無心になって、指示され教えてくれた作業を毎日やり続けた。過ぎていく日々に、これまで仕事を辞める要因になった心の徒然からくる倦厭はやって来なかった。
     開店は十一時半。昼の膳を出すには、朝七時から九時半までに下拵えを終わらせておかなければならない。板前としての仕事は、全て親方の両肩に伸し掛かっていた。
     昼の開店前まで、美乃里と酒井のおばちゃんは、手分けして店内と店先の掃除を大急ぎで済ますと、手許として、親方には酒井のおばちゃん、善幸には美乃里がつく。善幸は、時間に追われるようになった。

  • >>No. 38834

    良かったね。
    心配事を半減してくれる兄貴と従妹がいるし。。

    高齢になってくると誰でも視力が衰えていくもの。
    先ず、歩けることと見えること、そして聴力は出来るだけ現状維持しておきたいものだね。
    とりわけ、目は大切。歩くことが出来ても、目が見えなくなると一人ではどうしようもない。
    ドーンとお荷物感が、本人及び家族に出て来てしまうものではないだろうか。
    しかし、アバキなら、「俺は、そんなことないぜっ!」と言ってくれるだろう。
    しかし、良かった。

  • >>No. 38846

    〖教え子のブンちゃん〗ー67

     従来、親方を師と仰ぎ従いて来た板前たちは、善幸がこの店で働きはじめる一年半前から、もう自分たちを雇いきれない経営状態であることに苦悩する親方の心情を、十分察していたようだ。
     ある日、板前たちは、「俺たち、これ以上仕事もせず、ぼーっと突っ立ってるわけにはいきません」そう親方に切り出した。一人ずつ辞めていくことを提案したのだ。親方は何も言えなかった。親方への最後の挨拶、「お世話になりました……」その一言を残し、寡黙な板前たちは、バラバラに都心の雑踏の中へ消えていった。板前の最後の一人が辞めたのは、善幸がこの店に来る二日前のことだった。
     見習いというのは、先輩や親方の技量を盗み取り、自分の頭と身体へインプットする作業をひたすら繰り返し、自身に覚えこませる期間。そこには、技量以外の忍耐と師匠と弟子との人間関係、それに思いやりで行動すべきことなど目には見えないものが多く含まれていた。この期間を経て一人前になった板前は、苦労して覚えたことだから、入って来た後輩に対し簡単には教えない。また、技量を覚えるだけではやっていけない世界であることを熟知していた。
     通常、いっぱしの板前になるためには十年はかかると言われている。けれども、今の時代、それは、昔ほど厳たるものではなくなってきているようだ。
     善幸は、初日から、なんと包丁を握らされたのだ。親方が使っていた包丁二本を手渡された。研ぎ方もわからず、何を切る包丁なのかもわからない。何しろ、言われた通りにやるしかなかった。
     親方は、焦りからなのか、善幸に早く覚えてもらおうと、雑多ながらも的確な指示を出していく。酒井のおばちゃんから聞いていた従来の指導方法を覆してしまったかのように思えた。
     善幸は、三つの初歩的な切り方を習うと、葱を夫々の切り方で五本ずつ切るよう命じられた。右手に持った包丁の薄汚れた柄に力が入る。刃先がまな板に食い込む。と言うより、切れ味が良過ぎて吸いつくような感じだろうか。刃物が自分をからかっているように思えてならなかった。
     シャキッ、ネギを切る音でわかった。力を入れる必要はなかったのだ。また、引き切りにすれば、まったく音が出なくなる。

  • >>No. 38845

    〖教え子のブンちゃん〗ー66

     親方は、店舗改装の必要性は感じつつも、昨今そんな費用を用意できる経営状態ではかった。向かいは電気屋なのだから他の店より明るいのは当然だ、と自分を納得させていた。でも、見比べる度に渋い顔になっていった。
     ところが、渋い顔をしているのは親方だけではなかった。このままじゃいかん、と立ち上がった商店街の店主たち。この一年間で連鎖反応のように近隣の店が改装されていき、競うように店内を明るくしていった。これまで一度も改装したことのない【和食処 悠の里】の店内は、通行人に極めて暗いイメージを持たれてしまったに違いない。おまけに切れるまで電球も替えないでいる。くすんでいる電球に、すき焼きや鍋物の立ち上る油気が染み付いた木製の照明器具は、「時代劇で使うから貸してくれませんか」と助監督から声が掛かりそうな代物だった。これでは運ばれてきた料理が旨そうに見えるはずもない。常連さんに対して、将来の【和食処 悠の里】の味に失望を感じさせてしまったのではないかと、親方は客足が遠退いてから思った。愉しく食事をしてもらうための雰囲気づくりとして、店内内装の重要性を認識させられてしまったのだった。

     善幸がこの店で働く前は、いっぱしの板前が三人いた。季節感を味わってもらう日本料理を提供していたのだろう。寿司ネタも、今より多種の魚介類を揃えていたのではないだろうか。とは言え、今でも「季節感を、お客さんに味わってもらう」、この親方の基本方針は変わってはいない。飽きさせない工夫に労力を惜しまない、そんな固い信念を一緒に働くようになってから感じるようになった。
     ホールと厨房の片付けや洗い物は、親方の身体を気にしながら長年働いてくれているパートの酒井のおばちゃんと、一年半前にアルバイトとして入った専門学校に通っている美乃里の担当だった。板前三人が辞めてからは、人手不足のため、二人が葉物だけではなく根野菜の下処理まで手伝うようになった。酒井のおばちゃんは、高齢者である親方の身体を気遣い、極力仕事を減らしてあげようと頑張ってくれていた。もう身内同然の存在になっていた。
     酒井のおばちゃんは、休み時間になると、遅い昼飯を一緒に食べながら、これまでの店の内情を話してくれた。

  • >>No. 38844

    〖教え子のブンちゃん〗ー65

     やはり、旦那の話は、息子のサトシとかみさんの愚痴だった。
    「いやね、先週、サトシの野郎、同じ失敗を何度も繰り返しやがるから、我慢できず本気で殴っちまってさあ……。俺を睨みつけて、奴、家を出て行きゃあがったんだよ。いなくても仕事には支障ねーんだけど、父親として情けなくてよぉ……」
    「そりゃしょうがねえや。少しは目を覚まさせないとな。サトシのことは幼い頃から気にはなってたんだが、甘やかし過ぎたんじゃあねーのか? ビシッとやらなければいけない時期てあってよお……遅すぎたんじゃねーのか?」
    「今更そんなこと言われてもなぁ、もっと早く言ってくれねーとよぉ、親方」
    「気づかねーおめえさんが悪いんだろうがよ。でもよ、いくら息子でも、感情的になって殴っちゃあいけねえや。凝りが残るからな……。まあ、いつでも帰ってこれるように扉は開けておいてやれ」
    「その前に女房の方と凝っちまってよぉ……」
    「おまけ付きか? そりぁ、厄介だ」
     二人は黙り込んでしまった。
     暫くして、旦那が口を開いた。
    「ところで、親方の……」
     しかし、言い掛けた言葉を濁した。旦那は、親方の息子の〝悠〟のことが気掛かりなのだろう。
     ――旦那は、悠の面影を感じさせる男が子供を連れて店に入っていくところを見かけたことがあった。親方に「さっきの客って、もしかして悠ちゃん?」と訊くと、親方は「別人だよ」と返してきたが、多分、あれは悠だったんじゃないかと――。しかし、核心がもてなかったので、かみさんには言わないでいたようだ。親方と悠、この親子の拗れた関係はどうなっているのかと、旦那が心配してくれていることは重々承知していた。
    「そろそろ、下準備でもするかなぁ」
     親方が店に入ろうとすると、前を通り過ぎる男の子と目が合った。じっと親方を見つめている。その子は母親に引っ張られ、今にも転びそうだった。そして、数十メーター先にある見慣れた駅の改札口へ視線を投げた。体格のいいスタジャンを来た一人の若者が改札口に向かっている。親方は、消えていくまで彼の後ろ姿を眺めていた――。

  • >>No. 38843

    〖教え子のブンちゃん〗ー64

     当初、旦那は、息子からこのキャッチコピーを聞かされて、意図する内容は兎も角【家電業界のお人好し 中村電器】で止めておけばいいものを、歯切れの悪さを感じさせる〝の〟の使い方が、どうなんだろうかあ……? と、息子のセンスを心奥で疑っているようだった。
     つい最近、息子に命じた基板を替えるだけの簡単な小型冷蔵庫の出張修理。サトシは、修理に行かせる度にお客さんを怒らせてしまう。当たり前だが「中村電器でーす。お世話になってまーすっ」と先ず挨拶をする。中村電器で買ったものでもないのに、修理依頼でお伺いし、お世話になってますというのも妙な話だが、お客さんは、深くは考えず「ああ、良かったあ、早く来てくれて。助かったわ」と言ってくれる。修理依頼の対応の早さだけはよく褒められていた。
     サトシは、プラグも抜かずに弄くりはじめた。が、三分も経たないうちにショートさせ、部屋中にきな臭さを漂わせてしまう。退っ引きならない客との状況下で、困ったときの彼の決め台詞、「だいぶ前の型ですからねえ……。買い替えをお勧めします。お安くしておきますよぉ」そんな上っ面の、もう在庫の部品が無くなってしまったかのような言い訳をしてしまうのだ。すると、「何言ってんですかっ、買ったのは二年前ですよ!」と益々客を怒らせてしまい、しっぽを巻いて帰ってくる始末。何をやらせてもダメ。日常的なおふざけ野郎が、お惚け修理の知ったかスタンスで、毎度大切なお客さんを激怒させてしまう。彼は、どこまで行こうが都合よく軽口を叩き続けられる末恐ろしい息子だった。
     そんな地に足がつかない息子の仕事振りに父親が困り果てていると、いつものように商店街の昔ながらの相談相手に愚痴を漏らしてしまう。その主な相手が向かいの店【和食処 悠の里】の旦那、即ち親方だった。
     店先で突っ立っている中村電器の旦那は、客席に座って外を眺めている親方を見つけると、「親方っ!」と手招きをする。親方は、(また、サトシが何かやらかしたのか……)と思い咳を一つし店から出ていく。休憩時間なのだから店内で話をすればいいものを、通りに出て態々通行人に聞こえる声で話しはじめる。サトシの駄目ぶりを世間に知ってもらい、何とかしてほしいという気持ちからなのだろうか。座ってゆっくりと話してはいられない切羽詰まったものを父親は感じていたに違いなかった。

  • >>No. 38842

    〖教え子のブンちゃん〗ー63

     この商店街通りの店は、ほとんどが古くからの個人店だった。一昨年、親方の店【和食処 悠の里】の向かいの電器屋が、店内だけではなく看板も改装した。店内を見ると、日射の強い昼間でも、天井からぶら下がっている無数の照明器具が煌々とついているため、他の店より、通行人の注目を集めている。日が暮れると、店内よりも、これもまた場違いなスポットライトの光量を浴びたでっかい看板【家電業界のお人好し 中村電器の馬鹿野郎!】へ否が応でも目が行き、通行人が立ち止まってしまうほどだ。そして、その意味深なキャッチコピーは、まあ少々語呂は悪いが(思いっきり安くしてやるぜ!)的な意気込みは感じそうだから、どさくさの驚きと相まってシナジー効果を醸し出しているのかもしれない。それとも、狙いはもう一つあって、上野駅に着いたばかりの御上りさん的効果、(可哀相だから、乾電池でも買ってやるかあ……)と客に対し情けを煽る意図もあるのだろうか。そして、そのキャッチコピーを照らしている照度だが、電気屋なのだからと兎に角明るい。それが、他の店主から顰蹙を買ってしまったようだ。通行人が周りの店と見比べ、その明暗の違いにキョロってしまうからだ。この商店街は、古くからやっている個人店がほとんどだった。
     一番その被害を被ったのは、店内が薄暗く感じる親方の店だった。お蔭で、昼夜を問わず店内が尚一層暗く感じてしまう。通行人が「おっ、この店、潰れたのか?」と勘違いし、ガラス越しに覗いて行くことさえあった。目が合うと「やってるぞっ!」と思わずこっちから声を掛けたくなってしまうほどだ。
     中村電器の一人息子であるサトシは、お金を出せば入学オッケーの大学の文学部を三年前に卒業し、他人の飯を食う経験など意味がないとかで、働き手は二人もいらない親父がやっている電器屋を手伝うことに決めたらしい。中村電器の旦那は「どこでもいいから就職しろ! 人手は足りてるんだっ!」と反対したが、母親とタッグを組まれてしまい渋々同意したという。
     このキャッチコピー【家電業界のお人好し 中村電器の馬鹿野郎!】は、〝この俺が半年かけて熟考を重ね、行き着いた先の賜物だ!〟と、サトシは自慢気に商店街の人たちに吹聴していた。

  • >>No. 38841

    〖教え子のブンちゃん〗ー62

     一切合切省いてしまった面接が済むと、善幸は給料がいくらか知らされぬまま、早速明日から働くことになってしまった。
     
     親方は、中央線の快速しか止まらない駅の商店街で、古くから和食の店を営んでいた。  平日でもそこそこの人通りがある。客席数は四十八で、和食だからラーメン屋のように食ったらすぐに出てけ! というわけにはいかない。寛げる畳の小上がりが通り沿いに造り付けられていて、地元のお客さんがそこに座って食事をしている。まるで彼らの指定席のようだ。窓越しに、通りがかった知人に軽く会釈をしたりしている。四人掛けのテーブル席では、鍋料理も出せるよう広めのスペースをとっていて、隣との仕切りを低めに設け、ゆったりとした空間を客に供していた。
     寿司、天ぷら、とんかつ、すき焼き、それに季節料理のメニューが、自信あり気に親方の力強い筆書きで記してある。
     店の料理は、和食としての目新しさは感じられないかもしれない。けれど、食すると夫々味わい深い逸品であることがわかる。商店街のオヤジ連中や近所に住んでいる年配の人たちの集いの場所でもあった。
     ――客入りの悪い日が続いていた。親方は、長年やってりゃこんな月計もあるのだろうと、気落ちを振り払いながら仕事をしていた。
     しかし、その後、更に売り上げが落ちていった。何故なんだ、と思い悩む親方を尻目に、三人の板前たちは、そのことを気に留めているようだった。
     昔から料理品目は同じなので、常連さんとはいえ飽きてしまったのだろうか。和紙で作られているお品書きは、ボロボロにならないと交換しない。醤油のシミと長年の日焼けは、美乃里が工夫を凝らし拭いたとしても落ちなかった。

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