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投稿コメント一覧 (111コメント)

  • 皆さん、お久しぶりです。kitunoです。
    本日、Yahooさんから衝撃のメールが届きました。ジオシティーズが来年3月31日で終了するとのこと。
    私のホームページも移行しない限り消滅です。
    聖徳太子や信長についての皆さんのご意見や私なりに調べたこと、旅日記や思い出の写真、イラストなどが全て消えてしまう。
    私にとっては、記念樹のようなホームページだったので、突風が吹き、突然倒壊してしまう悲しさに今はどうしてよいかわかりません。

  • >>No. 18695

    スマホから書き込みをすると、変換ミスばかりで、読み返すと自分でも笑ってしまいます(^o^;)

    焦って投稿した証拠です。_(^^;)ゞ

  • ありがとうございます。
    常連さんの返信に涙が出そうです。
    お元気そうで何よりです。

    ここ数年、ココロノ余裕が無くて書き込みができなかったのですが、仕事に追われるヒビを過ごしながら、あらためて趣味に費やす時間も時分の心のmaintenanceには必要だということにきがついた今日この頃です。

    銀河さんにも本当に感謝しています。
    このトピックを守り続けてくれています。

    ありがとうございます。

  • 日本書紀を研究するだけでも一生かかる、とこのスレッドを立ち上げた時からどれだけの歳月が流れたでしょう。
    今もバックの中には日本書紀を入れています。もちろん宇治谷先生の口語訳。
    改めて宇治谷先生に敬意を。

    日本書紀の素晴らしさは考古学の発展と共に再認識されているように思います。

    もう少しして、今よりもっと自由な時間が持てるようになったら、一から日本書紀の研究をしようと思います。

  • 銀河さんのお陰で今年も続いているこのスレッドです。来年は汚れないスレッドにしたいですね。(毎年思います。)

    銀河さんの長年変わらぬ万葉集への思いは尊敬しています。

    万葉集を時代を超えて編集し今に伝えてくれた人々に敬意を・・・。

  • >>No. 18363

    > 家康が何故軍を分けたかは解りませんが、
    > 国に残っていた有力な西軍武将に、中山道を西上し背後を突かれるのを恐れたのなら、
    > 立派に目的は果たしたと思います。

    秀忠の果たした役割は、大きかったのかもしれませんね。

    > それに関ヶ原の戦いが膠着すれば、援軍は有力に働くでしょうから。
    > 関ヶ原の戦いは参加者にも不参加者にも、あまりにあっけなく決着したのが誤算だったでしょう。

    そうですね。
    真田にとっても、官兵衛にとっても、関ヶ原での決着があまりにも短時間だったことが誤算だったのでしょうね。

    > 私的には太子に興味を持った時に読んだ梅原猛の怨のイメージが強すぎて・・・。

    梅原説はとても面白いのですが、後年本人が訂正されたりしています。
    梅原説の魅力は藤原氏の繁栄と藤原氏が恐れていたものを結びつけたところでしょうか。

    > 大王家と蘇我家の確執とか、台頭する隋や唐に伴う国際情勢の逼迫とかを背景に、
    > その中で国家の近代化を急ぐ姿を題材にすればドラマ化もと思いますけどね。

    聖徳太子を知ろうとすればするほど、わからないことが増えてしまいます。
    遣隋使や遣唐使は、文化とともにそれまで日本にはなかった脅威を持ち込んでしまいますし、聖徳太子の晩年は無情感に覆われてしまっているように思います。

    大河ドラマではありませんでしたが、年始の特別ドラマで聖徳太子や中臣鎌足を取り上げたことがありました。
    池田理代子さんの劇画などを原作にすれば、大河ドラマも可能かも知れません。

  • こんにちは。
    書き込みをありがとうございます。

    真田丸、関ヶ原の画き方がうまいですね。
    戦いそのものに時間を割くのではなく、上田合戦で勝利していた真田が本領を徳川に明け渡さなくてはならなかったという関ヶ原の影に隠れて歴史上見逃されていた事実を見事に描いていました。

    つい、歴史上有名な戦いに視点が行きがちですが、関ヶ原に遅れた秀忠を家康が叱りつけるのではなく、家康に西に呼ばれなければ、真田に勝って上田を手に入れることができたのに!
    という秀忠が煩悩ではないという目線でのセリフは新しい視点を投げかけたのではないでしょうか。

    聖徳太子はあまりにも伝説的で超人的なイメージ、また実在の人物でありながら、その功績を疑う近年の研究もあり、ドラマにしづらいのでしょうね。

    信長については、史料が豊富にありますし、破壊的ではありますが、時代の先駆者として、またその死があまりにも劇的だったため、ドラマにしやすいのでしょう。

  • 常陸と藤原氏にはどのような関係があったのでしょう。

    『大鏡』及び『多武峰縁起』には、藤原鎌足が「常陸国でうまれたまえり」と記していますが、この『大鏡』は信憑性を疑う記載が多く、鵜呑みにはできないといわれています。 それは、「藤原氏家伝」に「鎌足は大和国高市郡大原で生まれた」と記載されているからです。

    しかし『大鏡』の中で、藤原鎌足が常陸国出身とされるにはそれなりの理由があったに違いありません。

    仏教伝来の時、朝廷の祭祀を司っていた大和の中臣氏は、廃仏派の物部氏とともに行動をともにしたため、崇仏派の蘇我氏によって滅ぼされてしまいます。でも、宮廷の祭祀を司る者は欠くことができなかったので、地方の中臣氏、つまり常陸国開拓のために派遣されていた同族の多系中臣氏がこれに変わることになり、その子孫が藤原鎌足である可能性が多いに考えられます。つまり、中臣鎌足が常陸で生まれていた可能性はあるのです。
    これが、中臣鎌足は父御食子が鹿島神宮の祭祀者として大和から派遣された時に大伴夫人との間にできた子とされる所以です。

    『常陸風土記』では、鹿島の地は神郡と呼ばれ、中臣氏が管轄し、中臣部や卜部などが居住していたことが記されています。この書では、武甕槌という名ではなく香島(鹿島)大神とのみ呼ばれ、天地草昧以前に、八百万の神が高天の原に集まったとき、諸祖神に命じられて天降って来た神と記されています。国譲りの時出雲に降ったのではなく、この神は常陸国に単独で天降った天神なのでしょうが、出雲神話の中に、使者として割り込まされたのではないかと思われるのです。

    『古語拾遺』では、経津主命を下総の香取神宮にいます神としています。
    この神宮もじつは鹿島とならんで中臣氏の氏神であり、8世紀の奈良時代には春日大社に合祠されているのです。

  • 大河ドラマの小日向秀吉がとてもよかったので、今まであまり関心のなかった秀吉についての本を読み始めました。
    晩年になるにつれ、虚しく感じます。

  • 今年も法隆寺夏季大学に行ってきました。
    ご年配の方々に混じって、学生さんかなと思うような若い方々も増えてきて、嬉しい気持ちになりました。

    一昨年、絵伝のお爺ちゃんと仲間たちから呼ばれていたご老人と二人で時間切れになるまで聖徳太子絵伝を観ました。
    続きはまた来年と約束したのですが、昨年も今年もお会いすることができませんでした。

    心臓が悪く、家族から夏季大学に行くことを止められていたにも関わらず、一人で新幹線に乗り絵伝を鑑賞に来たと言っていた80才を超えたご老人。

    私も体が続く限り、猛暑の夏季大学に通い続けたいと思っています。
    絵伝には、人々の聖徳太子への思いが込められています。

    法隆寺の西院から東院に続く土塀がとても傷んでいて、心が痛みました。
    未来へ歴史的建造物を伝えるため、参拝に来る人々一人一人に文化財を大切にとお願いしたいです。国を越えて。

  • >>No. 18345

    青垣に囲まれた土地で、三輪山からの清らかな水。太陽が昇ってくる三輪山の麓で、人びとは和の文化を築いていったのでしょうね。

  • 自然災害が少なく、地下水や湧き水か豊富。
    青垣に囲まれ、しかし川を下れば海に出る。 生駒山からは海を経て来る外来者がよく見える❗

  • >>No. 18335


    > さて古代史では、「卑弥呼」は、【日巫女】である!
    > のちの、【天照大神】である!

    私もそう思います。紀記に語られる天照大神

  • 古代史を学んでいると、人々の祈りは生命の再生であることに気づきます。

    太陽は命の再生そのものであり、そして沈み行く夕日、昇ってくる朝日に繰り返えされる生命の営みを感じ、感謝し、祀り、祈り、願う。

    太陽の恵みに感謝し、日々を穏やかに過ごしたいですね。

  • >>No. 18303

    hnさん、お久しぶりです。
    返信がだいぶ遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

    >>  私の掲示板登場は,kitunoさんが引用された高校時代の恩師(高、高3時の担任)だった稲岡耕二先生のお名前を見つけて、確認の書き込みを入れたのが最初でしたので、印象に残っています。その後kitunoさんがlinkされていたいろいろな掲示板に書き込むようになり、yahoo!掲示板の日本史・人類学あたりに移るようになりました。初期の書き込みは、当時の『モンゴロイドの地球』などの様に、個人的に関心のあったHLAから入りましたが、その後Y染色体DNAの研究が大幅に進歩し、当時の推論とは異なって、修正を繰り返しています

    hnさんのその後のお話もずいぶん聞いていないので、最新の修正をお伺いしたいところです^^

    >> > 昔の仲間で昔話をするのも、楽しいと思います
    >
    >>  そのとおりです。現在は大学の同窓会(大学紛争時の卒業なので、団結心が強く、毎年各地で開催されています。一昨年は大阪で、昨年が名古屋で、何れも出席しました。その前の沖縄は出ませんでした)の他は、yahoo!掲示板のオフ会のミニ版の「埋もれ木座談会」のメンバーとの年1~2回の歓談が、大きな楽しみです。

    「埋もれ木座談会」、懐かしいです。
    私は参加したことがありませんが、皆さんが熱く語られているところを想像しただけでもわくわくします。

    >主幹事は大和緑狸さんと勘太郎さんですが、勘太郎さんは、オフ会を開催しようと考えられていますが、関東の大三元さんたちと関西の希望が若干ずれているのと、ご自身のご多忙とで、なかなか開けない様です。もしオフ会が開催されるようでしたら,kitunoさんにも可能な限りご参加願いたいと思います

    大三元さんはお元気でしょうか。
    すっかりご無沙汰してしまっています。
    大三元さんのサイン入りの本、とても大切にしています。

    オフ会も参加してみたいですね。
    楽しそうです。

    >>  その状況に既に引退~引退目前組の我々の年代の話は、そうなりつつあります。現役の人々の活気ある話を聞きたいものですが、大学の先の名古屋での同窓会では、何か病気自慢大会の話の様になりました。私はその手の話は避けましたが・・・。

    皆さんそれなりに年を重ねられて、でも心はいつまでも変わらず、歴史談議に熱くなるのは体が持つ限り続けられそうです。^^;
    私は仕事が一番忙しくきつい年齢です。
    毎日をコツコツと過ごすうちに何とかなるだろうと前向きに考えて過ごしています。

    >  その時に囲碁好きが毎年京都で、同窓生のみの囲碁会を開いており、その前日に京都在住者も加わって、宴会をすると言う話を聞き、前日の宴会への参加希望を伝え、今年の2月に参加しました。ぼちぼち私の様に完全引退組も出て来たのが印象的でした

    近年、法隆寺夏季大学に参加した後、京都に一泊して寺社巡りを楽しんでいます。
    囲碁は奥が深いですよね。バーチャルなゲームよりずっと楽しいですね。

  • >>No. 18289

    hnさん、お久しぶりです。
    その後体調はいかがですか?

    近年になってDNAパブロタイプの研究が進み、日本人のルーツを探るという話題も取り上げらる機会が増えてきました。そんな話題を聞くたびに、その魁たるhnさんのことを思い出していました。

    昔の仲間で昔話をするのも、楽しいと思います。
    『武功夜話』も偽書とされてしまいましたが、年齢を重ねた人たちの『武功話』を夜な夜な語るのも、それまた楽しいと思います。

    ゆったり、まったり、ほっとしたり、ぼーっとしたり・・・
    そんな時間に幸せを感じます。

  • >>No. 18288

    > 吉乃さん、お久しぶりです。

    ハイエナのパパさん、お久しぶりです。

    > >このスレッドが生きていたことに奇跡を感じています
    >> ムカシは一定期間新規投稿のないトピックは消滅していたようですが、いまはそんなことないんじゃないでしょうか?

    時々、銀河さんが投稿してくれて、生かしてくださっていたようです。
    銀河さんはこのトピック(懐かしい)を立ち上げて間もなくから投稿を続けてくださった恩人です。

    > クラウド時代ですから、自社のサーバーにどれだけ情報を蓄積するか?各社もその点に主眼をおいているのではないかと思います。素人考えですが・・・。

    Yahoo掲示板からこの形になってからは、ちょっと使いづらくていたのですが、気が付けば18年も続いていて、こうして銀河さんやパパさんが書き込んでくださることが奇跡です。
    ありがとうございます。

    > >些細なことに腹を立てず、ひとつ深呼吸して、頑張りましょうか・・・
    > そうですね。ついつい掲示板の論争は熱くなりがちです。私も同類ですけどね・・・(^^;)

    歴史の話は、それぞれの持論をぶつけ合うようなところがありますし、特に古代史はいろいろな想像が楽しめ、学者の方々でさえ【記紀】の都合のいい部分だけ取り上げたりしますから、論争が熱くなるのは当然です。
    それが楽しいと思えるうちは良いのですが、ただの誹謗中傷にならないように穏やかに話したいですよね。

    > 伊作さんが亡くなったらしいということは確かなようですが、他にもミワヤマさんが亡くなられたとチラリと見かけたことがありました。

    ミワヤマさんもですか。
    お悔み申し上げます。

    お二人とも史料を十分研究されて論じられ、素晴らしい研究家でした。
    残念です。

    > 「天誅君大先生」もご健在ではあるようですが、投稿を断たれているようです。

    そうですか。
    天誅先生の切り口も見事でしたね。
    とても勉強になりました。

    > zarakokuさんは、身辺に不安な気配を感じたらしく、暫くお休みするようですし、、、

    zarakokuさんもスレッドを立ち上げたようですが・・・。

    > 10年以上前からのお知り合いの方々も、段々数も減ってきましたね。

    そうですね。
    でも年齢を重ねることで、人間も丸くなり、受け皿も大きくなり、考えも深くなり、別な楽しみ方ができるようになってきた気がします。
    18年前と違って今はたくさんのコミュニケーションツールがありますが、掲示板という当時は画期的な^^;方法で歴史好きの方と話ができた、その時の喜びは今もずーっと心の中に残っており、囲炉裏を囲むような懐かしい気持ちでまた書き込みをしてくれる方が集まってきてくれるかもしれません。

    > 吉乃さんも、どうかお身体お大切にして、お過ごし下さい。

    ありがとうございます。
    元気で忙しい日々を過ごしております。
    ぱぱさんもまた遊びに来てください。

    囲炉裏端会議をしましょう!

  • >>No. 18285

    銀河さん、こんばんは

    > 宮島の朱の回廊を出たところに弁才天社があります。

    清盛神社は気が付いたのですが、弁才天社はうっかり見落としてきてしまいました。
    潮が引くまでは、宮島水族館で遊んでいました。
    「すなめり」がとてもかわいくて、小さな水族館でしたが見学方法に工夫がされていて、穏やかな時間を過ごすことができました。

    > 誰が、弁才天か?
    > 君臨者・太伯(明日香)皇女(二人目の額田王)から太上天皇を贈られた、
    > 【桜児・持統太上天皇・イチキシマ(厳島)姫の命】です。

    一人の人物が何人もの人に反映されて歴史上の人物として語り継がれているという銀河さん独自の説ですね。

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