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投稿コメント一覧 (7067コメント)

  • >>No. 23924

    こんばんわ 満を持して来たなぁ~
    はだか祭りか う~む 此方には国府宮のはだか祭りがあります

    わしはもう眠い なんせ早朝5時から神宮参拝31ヵ所回っているのだ
    西大寺な うむうむ 其の内なんか書きますか

    写真は国府宮のはだか祭りだよ

  • >>No. 23921

    いやいや 旅行じゃないよ 
    言葉足らずでしたが 『zizの宗教講座』は暫く辞めると言った方がいいかな
    かといって そこらの井戸端会議にたむろして下衆な話も出来んから
    休暇しか無かろうと言ったまで 此のままでは増々マニアックな方向へ行っちまいそうだし
    自己満足で書き散らしても分かる奴は数人だしね 
    かといって株のトレードなんて見せたくもない 
    勝った報告は妬む奴も居るだろう 負けた報告はざまあみろと思う奴も居る
    どちらにしても そんな事他人様に見せる事じゃないと思ってるし 
    自分の専門分野を掘り下げている現状では 少し充電期間も必要と言ったまで
    なにかワクワクするような話題でも見つかれば また書きたくなるでしょう
    なんせ一人で書いている事は『講座』になる スレ主の体質だからそれはしょうがないことだな

  • バイオ 今日はチョット一服ですか 

    其れもいいね 今日はアメリカ市場休みだったから

    仕手にいいようにされたと アノ人言ってましたよ(笑)

    わしも暫く休暇貰って 一服したいな

    どうせ過疎スレ どうってことないね?

    書きたいことあったら 又出て来て文句言うかな 

    じゃ 其の内 其の内 またねぇ

  • ブライト ナノ オンコ アンジェス ラク 
    今まであまり注目されなかったが ここにきて国が力を入れ出した
    当面は自動運転 電池 仮想通貨だろうと思っていたが 
    ここにきてバイオだよなぁ 日の目を浴びて来たのは喜ばしい限り
    人の命の尊さにやっと気が付いたかという感じか
    今まで何をやってたんだぁ という感じか
    あっ! シンバイオもたのむよぅぉぉ

    https://www.youtube.com/watch?v=6ucEFlhf-9M

  • おつかれさまでした 

    疲れたねぇ ブライト筆頭にバイオ関連大騒ぎだなぁ(笑)
    此処がチャンスと儲けてくだされぇぇ

  • おはようございます

    さて新しい一週間の始まりですね 
    毎日が日曜日のわしでは在りますが 一応メリハリは付けて毎日望みたいと思っています

    今日からまた頑張りましょう 綺麗な富士山見ると元気になるわい

  • この二つの大宗派は  他宗派とは連携を好まず単独で行動する傾向がすこぶる強い 
    そして共通する傾向 つまりキリスト教に通じる傾向こそ
    日本が近代化する過程で 他の仏教宗派が概ね衰退したにもかかわらず 
    浄土真宗と日蓮宗がどうにか成功者であり続けた理由だったと思われる
    明治維新以降の『文明開化』は 文字通り欧州化に他ならなかった 
    福沢諭吉の言葉を借りれば『脱亜入欧』である
    そもそも明治政府が旧来の天皇制を援用しつつ 近代化に対応する政治制度として築き上げた国家神道は 
    神道という名称を用いながら

    『近代の西洋で育てられた国家儀礼システムを参考にし 国民の忠誠心や団結心を鼓吹する方策を編み出して行く事によって 古代的な理想の再現と理解された祭政一致の体制』であった
    (島薗 進 「国家神道」岩波) 
     
    近代の西洋がキリスト教を基盤としている以上 国家神道の中にキリスト教的な要素が紛れ込むのは 
    もはや必然と言って良かった そうなれば宗教の領域でも 陰に陽にキリスト教化が進むのは 理の当然であった もちろん浄土真宗と日蓮宗がキリスト教によく似ているというのは いわば一種の結果論であって 
    どこかの時点でキリスト教を真似たのではない
    ただ 近年インド仏教史の分野で 阿弥陀信仰や法華経の成立に 西方の宗教 
    特にイランの宗教の影響を指摘する学説が登場してきているのも知っている
    その影響関係が証明されれば 元々一神教の要素があった事に成るが 
    現時点ではまだそこまでの検証は進んでいないらしい

    また明治維新以降の時点で浄土真宗の一部で 
    むしろ積極的に自らをキリスト教化しようとした見解もないではない
    この件に関して 寺院内にパイプオルガンを設置し 御詠歌を賛美歌風に変えたとか 様々な指摘がある
    何れにしても 近代の仏教界において 勝ち組になる条件の一つは キリスト教に近いタイプの宗教であった
    そうでなければ 決して勝ち組にはなれなかったのではないのか

  • 根本経典である。
    浄土真宗は無量寿経のみ 日蓮宗は法華経のみと徹底している 
    日本の仏教界で最もポピュラーな般若心経も この両者だけは全く用いない 
    この点も キリスト教が聖書のみを典拠とするのと共通する 
    また 無教会主義のキリスト教信者で知られる内村鑑三は その著書『代表的日本人』において 
    日蓮を宗教者として唯一選んで顕彰している
    理由の一つは 日蓮こそ 日本史上最大の宗教改革者だったからだと内村は言う
    さらに 日蓮が涅槃経の『依法不依人』の言葉にもとづき 法華経という経典のみを根拠にして 
    ブッタの教えを理解すべきと主張した事を指摘したうえで
    この態度はマルチンルターの聖書のみを介して神と向かい合うという態度と共通すると述べ 
    故に日蓮は素晴らしいと結論づけている

    じつは 日蓮宗がキリスト教と似ているという認識は 何も今始まった事ではないらしい
    江戸時代初頭 其れまでキリシタン大名だった大村喜前が幕府の宗教統制策により
    仏教への改宗を余儀なくされたとき 彼は日蓮宗を選んだ その背景には 
    熱烈な日蓮宗徒だった加藤清正の勧めもあったが 
    なによりも大村喜前が キリスト教に一番よく似ている仏教宗派は日蓮宗と考えた事が大きかったと
    此れは菩提寺の本経寺で伝承されている事である。

  • ここで注目すべきは日蓮が唯一絶対の聖典としてあがめる法華経が説く釈迦如来は
    人間釈迦ではないという事実だ 別の表現をするなら 歴史上に実在したブッタ(釈迦)ではない
    『久遠本仏』という特別な存在に他ならない 本仏とは分かりやすく言えば 根本の仏という意味であり
    万物の根源とされる 誤解を恐れずいうなら もはや一神教の神とほとんど変わらない
    ただ一つ違いがあるとするなら 世界創造をおこなわない点だけだ 
    仏教を始めとするインド型世界創造論では 世界は誰かが創造するのではなく
    自ずと生まれ出るとみなされるから さすがの本仏でも世界創造はしないのである
    『本仏』は『久遠本仏』と言うくらいだから 永遠不滅の存在である
    したがって 歴史上に実在したブッタは永遠の存在たる本仏の いわば時間限定 地域限定版とみなされる
    つまりブッタは 永遠の存在たる本仏が 今から二千四百~二千五百年前に八十年間だけインドに出現した事に成る
    この構造は キリスト教の『受肉』インカネーションという発想に非常によく似ている
    受肉ではイエスキリストは永遠不滅の絶対神がパレスチナの地に 今から二千年前 35年間だけ来臨した姿とみなされたからだ この点では日蓮宗は浄土真宗にも増してキリスト教的であるといっていい。

  • 浄土真宗と日蓮宗の共通性についてだが
    結論から言うと浄土真宗と日蓮宗は両方とも 日本仏教の宗派としては例外的に 一神教的
    取り分けてもキリスト教的性格を秘めていると前から思っている
    浄土真宗がキリスト教に似ているという指摘は以前からあるが 
    日蓮宗も浄土真宗に負けず劣らず キリスト教によく似た性格を秘めている
    例を上げれば 真宗は阿弥陀如来只一仏しか崇めない 日蓮宗も もっぱら釈迦如来の一仏しか崇めない
    他の仏菩薩は全て排除される 厳密に言うと日蓮宗では 一部の菩薩や守護を担当する天部 
    或いは天照大御神と八幡神なども 釈迦如来の配下とされる形で その存在が許され
    更に大黒天や鬼子母神も信仰の対象になって来たが 日蓮が築き上げた教理の中で中核を占めている訳ではない

  • 資料を見ると日蓮宗の現在の寺院数は5500とある 伝統仏教界の中ではけっして多い方ではない
    浄土真宗の総計2,5万はさて置いて曹洞宗も1.5万もあるから これらに比べれば 日蓮宗の寺院数はずっと少ない
    確かに伝統仏教としての日蓮宗を対象とする限り 勝ち組とはいいがたい 
    しかし視点を変えて 新宗教まで視野に入れると 状況は俄然変わって来る
    つまり創価学会 立正佼成会 霊友会など日蓮宗(もしくは法華経信仰)系の新宗教を加えると
    とてつもない大勢力になるのである 其の信者数は おそらく日本における仏教信仰者の過半に達するのではないか
    とすれば浄土真宗をはるかにしのぐ可能性が高い こういう事実を考慮すると日蓮宗は実は立派な勝ち組なのである

    ここで浄土真宗と日蓮宗という二つの宗派について 日本の近代化と言う視点から考えたい
    結論から言うと この二つの宗派は一般には互いに全く相容れないと思われがちだが
    実際はかなり似た性格を持つ 
    先ず両方とも 念仏と題目という しごく簡単明瞭でありながら 威力抜群とされる
    『唯一絶対の呪文 聖なる言葉』を駆使する この事に象徴されるように 浄土真宗も日蓮宗も純粋志向
    或いは原理的傾向が極めて強く 古代以来 日本仏教界の正統派を自負して来た真言宗や天台宗みたいに
    あれもこれもの路線とは 明らかに一線を画している しかも難行苦行とは無縁の 所謂易行だから 
    誰でもすぐ出来るという特徴を持ち 民衆への布教に向いている
    御存じのように 明治政府の宗教政策は 神仏分離や修験道廃止令に見る通り 多神教的な構造の拒否という側面を持っていた おまけに 知識人たちも純粋志向に走り 同じ傾向を持っていた 
    そういう傾向は浄土真宗にとっても日蓮宗にとっても 決してマイナスではなかったと思う

  • 日本の仏教宗派について少し掘り下げたい 面白い資料を見つけたので其の辺りから。
    江戸時代の中期 日本の人口は2500万人ほどで 現在の5分の一ほどでした
    にもかかわらず 寺院数は40万もあった 現在が7万だから驚異的な数だ
    むろんこの中には小さな道場程度のごく小規模なものも含まれている
    それにしても凄い数と言わざるをえない 
    それくらい江戸期には仏教が社会の隅々まで浸透していたと言う事だろう

    さて問題は40万の内訳である 浄土真宗系が10万 浄土宗も10万と同じだったが
    現在は2,5万と1万なので大きく差がついている 此処まで差が付いた理由は
    浄土宗が徳川家の宗旨だったので その反動で明治維新以降は冷遇の憂き目を見たらしい
    それにしても浄土信仰の強さは目を見張る 江戸時代も現代も 浄土真宗と浄土宗を合計すると
    日本の全寺院数のほぼ半数を占めている 如来像も阿弥陀如来像が一番多いそうだ

    明治維新以降の仏教界における 勝ち組 負け組という点で
    浄土系、つまり浄土真宗系は勝ち組筆頭と言ってよいだろう
    もう一つある 其れは日蓮宗であると思うのだが

  • この二つの大宗派は  他宗派とは連携を好まず単独で行動する傾向がすこぶる強い 
    そして共通する傾向 つまりキリスト教に通じる傾向こそ
    日本が近代化する過程で 他の仏教宗派が概ね衰退したにもかかわらず 
    浄土真宗と日蓮宗がどうにか成功者であり続けた理由だったと思われる
    明治維新以降の『文明開化』は 文字通り欧州化に他ならなかった 
    福沢諭吉の言葉を借りれば『脱亜入欧』である
    そもそも明治政府が旧来の天皇制を援用しつつ 近代化に対応する政治制度として築き上げた国家神道は 
    神道という名称を用いながら

    『近代の西洋で育てられた国家儀礼システムを参考にし 国民の忠誠心や団結心を鼓吹する方策を編み出して行く事によって 古代的な理想の再現と理解された祭政一致の体制』であった
    (島薗 進 「国家神道」岩波) 
     
    近代の西洋がキリスト教を基盤としている以上 国家神道の中にキリスト教的な要素が紛れ込むのは 
    もはや必然と言って良かった そうなれば宗教の領域でも 陰に陽にキリスト教化が進むのは 理の当然であった もちろん浄土真宗と日蓮宗がキリスト教によく似ているというのは いわば一種の結果論であって 
    どこかの時点でキリスト教を真似たのではない
    ただ 近年インド仏教史の分野で 阿弥陀信仰や法華経の成立に 西方の宗教 
    特にイランの宗教の影響を指摘する学説が登場してきているのも知っている
    その影響関係が証明されれば 元々一神教の要素があった事に成るが 
    現時点ではまだそこまでの検証は進んでいないらしい

    また明治維新以降の時点で浄土真宗の一部で 
    むしろ積極的に自らをキリスト教化しようとした見解もないではない
    この件に関して 寺院内にパイプオルガンを設置し 御詠歌を賛美歌風に変えたとか 様々な指摘がある
    何れにしても 近代の仏教界において 勝ち組になる条件の一つは キリスト教に近いタイプの宗教であった
    そうでなければ 決して勝ち組にはなれなかったのではないのか

  • しかし漢訳経典が難しいからと言って 現場でサンスクリット原典からの現代語訳を使うわけにはいかない
    現状ではサンスクリット原典からの現代語訳は いわばお勉強用でそれ以上ではない 
    じゃあ現場では意味が良く分からなくても漢訳経典を使い
    意味はサンスクリット原典からの現代語訳されたものを読んで把握すればよいのか 
    ところがそうは問屋が卸さない 漢訳とサンスクリット原典を比較すると 少なからぬ相違がある 
    こういう場合 大乗仏典は元々サンスクリット語で書かれているのだから
    原典の方からの訳の方が正しいと思われがちだが 実際はそう単純ではなさそうで 
    漢訳経典のほうが 大概のよりも原初の形を保っている可能性が高い 
    法華経で言えば漢訳は鳩摩羅什の訳で4世紀後半のものという
    其れに対しサンスクリット版はずっと後の時代の写本しかない 
    此れではサンスクリット版がいいとはとても言えない
    またサンスクリット原典からの現代語訳は とても分かりやすいとは言えない 
    その理由は学者や研究者の態度にある 彼等にとって最も避けるべきは 訳語や文法の間違いである 
    そこでともかく正確に正確にが 彼らの金科玉条となる
    厳密を期するあまり 出来上がった訳文は 大概の場合かたくて読みづらい 
    一応現代語には成っていても 意味が通らない箇所が沢山ある
    つまり正確かもしれないが よくわからないのだ 
    更に決定的なことは わが国では聖徳太子も伝教大師最澄も日蓮も 
    みな漢訳の法華経を読んであのような偉大な業績を残したという歴史的事実である 
    この点はどう転んでも無視できない となると 今必要なのは漢訳から現代語訳という結論になる 
    此れもまた『言うは易く 行うは難し』の典型だが 今すぐに成らざるを得ないことであるのは 
    疑いはないのである

  • ひとつお経に出て来る単語を一つ取って話しを進めますか
    法華経いうお経があります 日本において聖徳太子以来 今日まで重要なお経の一つですが
    日蓮宗はむろんの事 殆どの宗派で影響を与えている仏典であり 日蓮 法然 親鸞 道元 栄西など
    鎌倉仏教の宗祖の全てが学ばれた 天台比叡山の根本経典でもあります

    此の法華経には『受持』するという言葉が良く登場します 法華経を聖典とする日蓮宗では
    法華経を受持することが戒を保つ事とされるほどで 極めて重要な単語と言ってよい
    此の『受持』を現代日本語にするなら 何と言ったら良いのであろう 
    因みに解説書を紐解くと『たもつ』と書かれている場合が多い
    しかし法華経を受持することは法華経をたもつ事と言われても 意味が良く分からない
    そもそも『たもつ』とはどういうことなのか判然としない ただ単に『持っている』ではないだろう
    秘蔵する事でもないだろう 大事にすると言う解釈なら まだ少しは分かるが其れだけとも思えない
    法華経の全体を読み通すと なんとなくわかるのは 此の受持という言葉は どうやら法華経を覚えるとか記憶するとか
    そんな意味だと思う 其の証拠に法華経には『受持読誦解説書写』という表現が盛んに使われている
    この一連の表現は どう考えても『覚え 読み聞かせ 解き明かし 書き写せ』としか訳せない
    これから推測する限り『受持』は覚えるとか記憶すること以外の解釈は不可能であろう
    因みに読誦も多くの者に『読み聞かせる』ことであって ただ読んで唱えることではないはずだ
    要するにお経と言うものは経典を覚え 次に覚えたお経を人々に読み聞かせ 解き明かし 更に書き写して広めなさいと そう言っているのである

  • 根本経典である。
    浄土真宗は無量寿経のみ 日蓮宗は法華経のみと徹底している 
    日本の仏教界で最もポピュラーな般若心経も この両者だけは全く用いない 
    この点も キリスト教が聖書のみを典拠とするのと共通する 
    また 無教会主義のキリスト教信者で知られる内村鑑三は その著書『代表的日本人』において 
    日蓮を宗教者として唯一選んで顕彰している
    理由の一つは 日蓮こそ 日本史上最大の宗教改革者だったからだと内村は言う
    さらに 日蓮が涅槃経の『依法不依人』の言葉にもとづき 法華経という経典のみを根拠にして 
    ブッタの教えを理解すべきと主張した事を指摘したうえで
    この態度はマルチンルターの聖書のみを介して神と向かい合うという態度と共通すると述べ 
    故に日蓮は素晴らしいと結論づけている

    じつは 日蓮宗がキリスト教と似ているという認識は 何も今始まった事ではないらしい
    江戸時代初頭 其れまでキリシタン大名だった大村喜前が幕府の宗教統制策により
    仏教への改宗を余儀なくされたとき 彼は日蓮宗を選んだ その背景には 
    熱烈な日蓮宗徒だった加藤清正の勧めもあったが 
    なによりも大村喜前が キリスト教に一番よく似ている仏教宗派は日蓮宗と考えた事が大きかったと
    此れは菩提寺の本経寺で伝承されている事である。

  • ここで注目すべきは日蓮が唯一絶対の聖典としてあがめる法華経が説く釈迦如来は
    人間釈迦ではないという事実だ 別の表現をするなら 歴史上に実在したブッタ(釈迦)ではない
    『久遠本仏』という特別な存在に他ならない 本仏とは分かりやすく言えば 根本の仏という意味であり
    万物の根源とされる 誤解を恐れずいうなら もはや一神教の神とほとんど変わらない
    ただ一つ違いがあるとするなら 世界創造をおこなわない点だけだ 
    仏教を始めとするインド型世界創造論では 世界は誰かが創造するのではなく
    自ずと生まれ出るとみなされるから さすがの本仏でも世界創造はしないのである
    『本仏』は『久遠本仏』と言うくらいだから 永遠不滅の存在である
    したがって 歴史上に実在したブッタは永遠の存在たる本仏の いわば時間限定 地域限定版とみなされる
    つまりブッタは 永遠の存在たる本仏が 今から二千四百~二千五百年前に八十年間だけインドに出現した事に成る
    この構造は キリスト教の『受肉』インカネーションという発想に非常によく似ている
    受肉ではイエスキリストは永遠不滅の絶対神がパレスチナの地に 今から二千年前 35年間だけ来臨した姿とみなされたからだ この点では日蓮宗は浄土真宗にも増してキリスト教的であるといっていい。

    ちょいと此れも長くなりそうだな

  • 書きかけの浄土真宗と日蓮宗の共通性についてだが
    誤解を招くといけないから先に書いて置くと 我が家は代々浄土真宗の大谷派
    奥さんの実家はこれまた浄土宗と 家康の残していった物がゴロゴロある御当地で生まれ育ち
    浄土信仰以外は考えられないのですが 敢えてこの事は書いて置かねば 死ぬにも死ねない(笑)

    結論から言うと浄土真宗と日蓮宗は両方とも 日本仏教の宗派としては例外的に 一神教的
    取り分けてもキリスト教的性格を秘めていると前から思っている
    浄土真宗がキリスト教に似ているという指摘は以前からあるが 
    日蓮宗も浄土真宗に負けず劣らず キリスト教によく似た性格を秘めている
    例を上げれば 真宗は阿弥陀如来只一仏しか崇めない 日蓮宗も もっぱら釈迦如来の一仏しか崇めない
    他の仏菩薩は全て排除される 厳密に言うと日蓮宗では 一部の菩薩や守護を担当する天部 
    或いは天照大御神と八幡神なども 釈迦如来の配下とされる形で その存在が許され
    更に大黒天や鬼子母神も信仰の対象になって来たが 日蓮が築き上げた教理の中で中核を占めている訳ではない

  • 『スィートキャロライン』はニールダイアモンドの曲で 
    合衆国大統領ジョン・F・ケネディとその妻ジャクリーン・ケネディ・オナシスのあいだに生まれた
    長女で当時11歳であった前駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディを歌ったものである

    1997年にはメジャーリーグベースボールのボストン・レッドソックスの本拠地
    フェンウェイ・パークで流されるようになり、2002年から毎試合で8回表が終わった後に同曲が流されている。

    自分はMLBファンなので レットソックスに松坂がいたころBSで放送があると
    この曲が球場に流れると観客が肩を組んで歌い盛り上がるシーンを何度も見ている
    ケネディの娘って物凄い人気あるなぁと思ったものだ それが駐日大使で来るとはなぁ


    https://www.youtube.com/watch?v=c24Hvv2TNtU

  • >>No. 23904

    資料を見ると日蓮宗の現在の寺院数は5500とある 伝統仏教界の中ではけっして多い方ではない
    浄土真宗の総計2,5万はさて置いて曹洞宗も1.5万もあるから これらに比べれば 日蓮宗の寺院数はずっと少ない
    確かに伝統仏教としての日蓮宗を対象とする限り 勝ち組とはいいがたい 
    しかし視点を変えて 新宗教まで視野に入れると 状況は俄然変わって来る
    つまり創価学会 立正佼成会 霊友会など日蓮宗(もしくは法華経信仰)系の新宗教を加えると
    とてつもない大勢力になるのである 其の信者数は おそらく日本における仏教信仰者の過半に達するのではないか
    とすれば浄土真宗をはるかにしのぐ可能性が高い こういう事実を考慮すると日蓮宗は実は立派な勝ち組なのである

    ここで浄土真宗と日蓮宗という二つの宗派について 日本の近代化と言う視点から考えたい
    結論から言うと この二つの宗派は一般には互いに全く相容れないと思われがちだが
    実際はかなり似た性格を持つ 
    先ず両方とも 念仏と題目という しごく簡単明瞭でありながら 威力抜群とされる
    『唯一絶対の呪文 聖なる言葉』を駆使する この事に象徴されるように 浄土真宗も日蓮宗も純粋志向
    或いは原理的傾向が極めて強く 古代以来 日本仏教界の正統派を自負して来た真言宗や天台宗みたいに
    あれもこれもの路線とは 明らかに一線を画している しかも難行苦行とは無縁の 所謂易行だから 
    誰でもすぐ出来るという特徴を持ち 民衆への布教に向いている
    御存じのように 明治政府の宗教政策は 神仏分離や修験道廃止令に見る通り 多神教的な構造の拒否という側面を持っていた おまけに 知識人たちも純粋志向に走り 同じ傾向を持っていた 
    そういう傾向は浄土真宗にとっても日蓮宗にとっても 決してマイナスではなかったと思う

    ここはもう少し深く書いてもいいかな 明日も休みだから。

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