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投稿コメント一覧 (13コメント)


  • 『志願兵申出で百五名に達す 沸る半島同胞の熱血』

    「暴戻支・那を討つべしと朝鮮同胞の義憤の血はいやが上にも沸ぎり、朝鮮憲兵司令部の調査によれば七日現在志願兵を申出たものの数は京畿道の二十五名を筆頭に全鮮で百五名に達している」(『大阪朝日・南鮮版』1937年9月8日付。)

     このような世情を反映して、1937年に東京府4区選出の朴春琴衆議院議員は、「朝鮮人志願兵制度」を請願した。

     実際に志願兵制度が公布されたのは、1938年1月23日だったが、それを如何に朝鮮人が待ち焦がれていたかが報じられている。

    『反響呼ぶ志願兵制度 忽ち志願者殺到 応接に転手古舞いの憲兵さん 微笑ましい朗景展開』

    「朝鮮人志願兵制度実施が発表されるや半島同胞の間に一大センセイションを巻き起こし、十六日夜から十七日にかけて熱誠溢れる志願者がどつと繰出し京城憲兵隊、京城憲兵分隊、龍山憲兵分隊の受付は問合せの電話や志願者との応対でほかの仕事は全然手がつけられぬ有様だ(略)」(『大阪朝日・南鮮版』1938年1月18日付。


  • 民主党の山下八洲夫参議院議員が代表を務める政治団体「政治経済研究会」の名前を借りて、領土問題や公安を扱った高額書籍を脅しまがいの手法で販売し、山下のもとには1億3000万円が振り込まれたとされる。2005年までの7年間、エス・ビー・ビー社(当時社長、柿原邦人)から山下には印税名目で毎年150万円から2500万円前後が支払われ、主にここから研究会の人件費や事務所家賃、民主党サポーター会費やパーティ券代などが支払われた。

    また、同社から刊行された書籍の1冊には、同社の社外監査役である吉永祐介元検事総長が推薦文を寄せていた。「同和文献保存会」に関しては、小さなビルの同じフロアに「日朝友好資料センター」「日本朝鮮学術教育交流協会」「朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会」「日本朝鮮農業農民友好交流協会」「日本金正日花愛好会」「日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会」と同居していたことが確認されている。

    社長の柿原邦人(当時)と専務の伊藤賢(当時)が、政治・経済研究会や同和文献保存会を名乗り「うちの若い衆を行かせようか」などと脅して企業などに1冊5万円から6万円の書籍を売りつける行為を繰り返し、2010年に恐喝で逮捕され、2011年に岡山地裁で懲役5年の実刑判決を受けた。2012年、破産。

    ハミングヘッズ はエス・ビー・ビーの元社長大江尚之の会社。山下はこの会社の取締役に名を連ねる。
    コンピュータセキュリティ対策ソフトウェア開発の会社。
    当初はキヤノン電子が販売していたものの、現在ではハミングヘッズに移行。
    キヤノン電子はいまでもハミングヘッズの大株主で、ハミングヘッズをバックアップしている。

  • ハミングヘッズという会社をご存知ですか???



      資本金3.8億円のコンピュータセキュリティ対策ソフトウェアの会社です。



    民主党、北朝鮮、似非同和、企業恐喝屋を結びつけるネットワーク会社です!!



              そして、キャノン電子までもが・・・



      深く追求するとあなた、明日東京湾にコンクリート詰めで沈められますよ!!



    株式会社エス・ビー・ビーとは、日本に存在した出版社の一つ。別名、SBB出版会。株式会社SBBとも表記。SBBとはStrategic Business Beautyの略である。旧社名は本邦書籍。東京都北区に自社ビルを持ち、同じフロアで「社団法人国際労働運動研究協会」(国際労研)と同居していた。

    「政治経済研究会」(東京都中央区)、「政治・経済研究会」(東京都千代田区)、「経済研究会」(静岡県静岡市)、「北方領土問題審議会」(北海道根室市)、「同和文献保存会」(東京都大田区)などの関連団体を通じ、えせ同和書籍のほか、えせ北方領土返還運動書籍をも販売。約3年間で約30億円を荒稼ぎしていた。

    なお、ビルで同居していた「社団法人国際労働運動研究協会」についても外国人研修生の受け入れに関して不正行為が指摘されている。

    朝鮮新報によると、エス・ビー・ビー社長の大江尚之(当時)らは2001年4月、北朝鮮を訪れた際に親善勲章を授与されたという。2001年10月25日、大江尚之らは東京の朝鮮総聯を訪れ、『全真相 朝鮮民主主義人民共和国』(エス・ビー・ビー編、政治経済研究会発行、2001年、3万9000円)の特製本を金正日総書記に贈っている。

    民主党の山下八洲夫参議院議員が代表を務める政治団体「政治経済研究会」の名前を借りて、領土問題や公安を扱った高額書籍を脅しまがいの手法で販売し、山下のもとには1億3000万円が振り込まれたとされる。2005年までの7年間、エス・ビー・ビー社(当時社長、柿原邦人)から山下には印税名目で毎年150万円から2500万円前後が支払われ、主にここから研究会の人件費や事務所家賃、民主党サポーター会費やパーティ券代などが支払われた。

    また、同社から刊行された書籍の1冊には、同社の社外監査役である吉永祐介元検事総長が推薦文を寄せていた。「同和文献保存会」に関しては、小さなビルの同じフロアに「日朝友好資料センター」「日本朝鮮学術教育交流協会」「朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会」「日本朝鮮農業農民友好交流協会」「日本金正日花愛好会」「日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会」と同居していたことが確認されている。

    社長の柿原邦人(当時)と専務の伊藤賢(当時)が、政治・経済研究会や同和文献保存会を名乗り「うちの若い衆を行かせようか」などと脅して企業などに1冊5万円から6万円の書籍を売りつける行為を繰り返し、2010年に恐喝で逮捕され、2011年に岡山地裁で懲役5年の実刑判決を受けた。2012年、破産。

    ハミングヘッズ はエス・ビー・ビーの元社長大江尚之の会社。山下はこの会社の取締役に名を連ねる。
    コンピュータセキュリティ対策ソフトウェア開発の会社。
    当初はキヤノン電子が販売していたものの、現在ではハミングヘッズに移行。
    キヤノン電子はいまでもハミングヘッズの大株主で、ハミングヘッズをバックアップしている。

  • まさか??



              こんなことが・・・・




                       日本中に激震が走った!!




                              今、暴かれる驚愕の真実!!




                 これが、強制連行の実態だああーーー!!!




    これは、今年の3月1日(2013年)、三・一独立運動を記念して、韓国の大手マスコミである中央日報が、特集した記事と写真であります。

    国家規模で進められる、歴史の捏造と歪曲を示す好例といえるでしょう!!


    >>
    連行される韓国人…生々しい日帝強制占領期の写真
    2013年03月01日17時05分
    [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
    写真拡大

    http://japanese.joins.com/article/913/168913.html?servcode=A00&sectcode=A10

    日帝強制占領期にタラワ島に連れて行かれた韓国人労働者の姿。(写真=国家記録院提供)
    安全行政部国家記録院が三一節(独立運動記念日)を迎え、日帝強制占領期当時の写真を公開した。

    写真の中には当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれた韓国人労働者の姿、学徒補給隊動員の姿などが見られる。

    今回公開される資料は英国国家記録院(TNA=The National Archives)が保管していた資料のほか、米国国家記録管理庁(NARA=National Archives and Records Administration)が保管していた日帝の抑圧・収奪現場が入った写真も含まれている。

    <<


    独立運動記念日を迎え、韓国安全行政部国家記録院の公開した写真である。「日本軍に連行される韓国人労働者」の写真とされているが、映っている軍人は米国人にしか見えないのだが・・・

    この写真について、韓国中央日報日本語版は3月1日、「当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿、学徒補給隊動員の姿などが見られる」などと報じた。新聞紙上に掲載された写真には、ヤシの木が植わった浜辺で、担架で人を運ぶアジア人の姿が写っている。

    背後には、迷彩服にヘルメット姿の軍人も見えるが、その顔立ちは明らかに日本人ではなく、欧米系だ。さらに軍人の腕章を拡大すると、「MP」の文字がハッキリと読み取れる。

    そこから、MP=ミリタリーポリスから、“日本人警察”なる注釈文がついたのかな?・・・


    中央日報の記事によると、今回発表された資料は、英国国家記録院や米国国家記録管理庁などが保管していたもので、日本軍の抑圧・収奪現場が撮影された写真も含まれるという。

    今回、資料を公表したのは、民間ではなく韓国の国家記録院である。発表前に少し疑いの気持ちを持って確認すれば、「日本軍」が写っていないことは確認できたはずだ。竹島問題や従軍慰安婦問題など、日韓で見解の分かれる問題は数多い。韓国側が出してくる資料の精度がどの程度のものか、皆さん!大体、察しが着きますよね!!

    歴史認識に,ことさらうるさい韓国ですが・・・
    この程度の歴史検証しかできない、韓国政府機関や韓国大手マスコミを、皆さんはどう思われますか???・・・・・・

    韓国政府機関や韓国大手マスコミにして、かくのごとし!!(米軍と日本軍の区別もつかない!)
    いわんや、韓国人慰安婦の証言たるや・・・

  • 「この子達の親は悪人です!」



                  警察官、自衛官は悪人だあーー!!



    思想教育について感銘!!



                   最も尊敬する人物は、金日成!!




    ○自衛官や警察官の子供に対するいじめ教育
    日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への差別意識を持つ者、彼らの子供を差別的に扱う者がいたとして、組織としての日教組の体質と結び付けた批判もある。

    佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという。

    また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている。


    日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった。

    1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した。同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた。槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている。

    晩年、拉致を知ってからは、家族が北朝鮮の話題をふっても乗らなくなったという。息子の一臣は「あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。

    北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めており、2006年には福島県教組委員長、日教組副委員長を歴任した同会の清野和彦会長一行が朝鮮総連中央会館を訪問し、朝鮮総連の徐萬述議長から同会の主催で行われる「日朝友好親善を深めるための第30回全国交流集会」に送られてきた朝鮮対外文化連絡協会名義の祝旗を伝達されている。

    ○北朝鮮による日本人拉致問題への対応
    2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した。

    日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた。日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している。

  • モンキーハウス=猿の小屋とは???



                猿と呼ばれた慰安婦達の悲痛な叫び!!





    在韓米軍慰安婦問題は、韓国の元慰安婦のグループが、1960年代から1980年代にわたり、米兵との性的行為を強制されたとして、当時の政府指導者、韓国政府、米軍をアメリカの裁判所に告発、損害賠償を求める訴訟を起こした問題です。2009年1月7日(現地時間)、『ニューヨーク・タイムズ』(電子版)が報じました。


    『ニューヨーク・タイムズ』とのインタビューに応じた、元慰安婦の原告女性(Kim Ae-ran)は、韓国政府は米軍の一つの大きなポン引き(one big pimp)だったと主張しているのです。当時韓国は貧しく、外貨が不足していたため、韓国当局者は慰安婦たちを称賛し、また売春行為を奨励していたとも主張しています。原告女性は韓国当局者から「もっと体を売りなさい。あなたがたはドルを得る愛国者だ」と称賛されたとも、インタビューで語っています。


    「モンキー・ハウス」は、性病を患った在韓米軍相手の慰安婦(売春婦)を強制収監した施設。韓国警察が管理した施設とされています。性病を患った売春婦を在韓米軍憲兵と韓国当局が捜し出し、身柄を韓国警察に引き渡した上、モンキー・ハウスに収監したのです。施設の窓は鉄格子が施され、ドアはロックされました。施設では性病の治癒行為が行われ、性病が完治するまで、施設を出ることができなかったと、原告の女性は主張しています。


    この問題で、済州島四・三事件、保導連盟事件、国民防衛軍事件、麗水・順天事件、ライタイハン問題などと同様、韓国政府は被害者への補償を行っていないのです。

  • あなたは、絶対に本当の事を言えない!!






           なぜなら、本当の事を言うと、“差別者”だと糾弾されるから!!






                 かくて南関東から、牛はいなくなった!!




    東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
    当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。

    永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。

    そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。
    かくて南関東から、牛はいなくなった。

    家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
    川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。

    翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、

    「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。

    それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
    幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷、顔面挫傷で、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

    年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
    孫共はこれを知らんのだろう。

    直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
    いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。

    闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。

    今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。

    たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。

    終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。

    東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。

    当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。

    これを受けて述べたのが、マッカーサーの
    「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。

    1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。

    その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
    不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。

    すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
    「我々は戦勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。

    警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました

    警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。

    この戦後初の戒厳令(正確には非常事態宣言)が敷かれた朝鮮人動乱(阪神教育事件)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。

    死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)

    逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
    勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
    抗議としてであると述べています。

  • ほとばしる真実の吐露!!




               狂気と幻覚で満たされた歴史のダムから




                  真実のしずくが漏れ出てくる!!





    ◇韓昇助教授=政治学界の元老で、韓国政治を専攻。 1955年に高麗大を卒業
    し、57年に高麗大大学院で修士、71年にUCバークレー大で政治学博士学位を取
    得した。 高麗大政経大学長、平和研究所長などを務めた。 01年からは自由市民連
    帯の共同代表も務めている。 著書に「朴正煕(パク・ジョンヒ)ブーム、偶然か必
    然か」「人類歴史と世界文明」などがある。

    <インタビュー>韓昇助氏「所信を書いた、後悔は全くない」

    韓昇助(ハン・スンジョ)高麗(コリョ)大名誉教授は4日、「日本の植民支配は
    むしろ民族意識が強化されるきっかけになった」と述べ、寄稿は所信を書いたものだ
    と明らかにした。

    --「正論」寄稿のきっかけは。
    「最近、真相究明などと言いながら親日行為をした人たちを反民族行為だと責めた
    てているが、それは当時の状況に対する無知から出てきたものだ。 親日を無条件に
    反民族行為とすることに意見を表明すべきだという考えで寄稿した。 崔南善
    (チェ・ナムソン)先生、李光洙(イ・クァンス)先生のように民族文化のために努
    力した方をもっと理解しなければならないという意味だ」

    --日本の植民地支配は幸いだったと書いているが。
    「当時、日本が朝鮮を併呑していなければ、ロシアが併呑していた。 この場合、
    むしろ共産化され、スターリンの民族分散政策で韓民族はばらばらに散らばったはず
    だ。 したがって日本の植民支配は悪かったのではなく、民族意識を強化するきっか
    けになったと考えた」

    --とはいえ、国民感情を考慮していないのでは。
    「冷静に、公正に、客観的に評価しよう。 帝国主義時代は生存競争と弱肉強食の
    時代だ。 当時の日本も‘弱肉’よりも‘強食’を望んだ」

    --「反民族行為真相究明に関する特別法」を左派の論理が入った悪法だと評価し
    ているが。
    「最近の左派の行動はとうてい理解できない。 寄稿文を書いたのもこれに反対し
    たためだ。 過去をただすのをやめようというのではなく、ただしてもそれを通じて
    反省することに意味を置かなければならない。 世論集め式の人民裁判は国を滅ぼす
    亡国の道だ」

    --寄稿に後悔はないか。
    「少しも恥ずべきことはない。 ハングルで送った文が日本語に翻訳されたはずだ
    が、ハングルの全文を読んでほしい。 所信に基づいて書いたものであり、むしろこ
    の問題が公論化されることを望む」

  • テレビドラマなどでおなじみの鉄道公安官は、よくご存知ですよね!!



       では、その鉄道公安官が、拳銃を所持していたことをご存知でしたか??



         ダーティーハリーのキャラハン刑事と同じ、必殺の45口径!!



           なぜ、鉄道職員が、拳銃を所持するようになったのでしょうか???




    鉄道公安職員(てつどうこうあんしょくいん)は、日本国有鉄道が存在した時代に司法警察権を持っていた国鉄職員。現在の鉄道警察隊の警察官の前身にあたる特別司法警察職員である。正式名称は「鉄道公安職員」だが、「鉄道公安官」と俗称されることも多かった。

    在日朝鮮人が起こした直江津駅リンチ殺人事件を教訓に、1947年(昭和22年)に、鉄道内の犯罪に対応する為に創設された。当時、全国各地で朝鮮進駐軍と名乗る悪逆非道の無法者が、徘徊・跋扈していた。その後1949年(昭和24年)の日本国有鉄道発足に伴い、「鉄道公安職員の職務に関する法律」(昭和25年法律第241号)により鉄道公安制度が確立された。鉄道公安職員は、鉄道管理局及び主要駅に置かれた鉄道公安室に所属し、統括部署として日本国有鉄道本社の中に公安本部が置かれていた。人数はおおよそ3000人規模であった。

    1950年(昭和25年)に定められた「鉄道公安職員の職務に関する法律」施行後は司法警察職員としての権限も強化され、武器(拳銃・警棒)の携帯・事件事故の捜査・令状の取得・被疑者の逮捕・証拠品の差し押さえが可能となった。しかし、現行犯人又は被疑者を逮捕した場合には、これを検察官又は警察職員に引致しなければならないとされ、留置できなかった(従って留置施設も存在しなかった)。

    戦後、多くの日本人を激怒させた直江津駅リンチ殺人事件とは・・・
    1945年12月29日午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄(現:JR)信越本線黒井駅に到着した。3人組の在日朝鮮人の男が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客(当時29歳のセールスマン)に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。

    列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「戦争に負けた六等国の日本人が、二等国の朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!」と叫び、その男性を直江津駅のホームに引きずり降ろした。

    3人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。

    犯人は3人とも在日朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。犯人の在日朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった。

    拳銃の携帯は法律上は認められていたものの、GHQの指導のもと導入された機種がコルト社製のオフィシャルポリスで日本人の手に余る大型なものであったが、日本の警察官が所持する22口径拳銃より、殺傷力は数十倍高かった。この45口径拳銃の射撃で、衝撃・反動のあまりの激しさのため、手首を傷める公安官がかなりの数に上ったといわれる。

    無法の限りを尽くした朝鮮進駐軍問題が一段落すると、実際の拳銃の携帯は「第1種警備」と呼ばれていた天皇や皇族の警衛、国賓の警護、日本銀行券(お札)の輸送警備時(積卸時の構内警備・輸送中の専用荷物車への添乗)などの際に行われていた。

    なお拳銃の訓練は委託を受けた警察学校で行われていたが、鉄道公安職員の中には国民体育大会のけん銃競技に出場し、警察官よりも高い得点を取って金メダルを獲得した者も存在した。
    また、鉄道公安職員で編成する集団的警備組織(警察の機動隊に相当)として、鉄道公安機動隊が全国で5隊(東京・大阪・札幌・新潟・門司)編成・配備されていた。

    1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、民間企業のJR社員が司法警察権を持つのは適当ではないとされ、鉄道公安職員はJRから離れて警察組織に組み込まれた。

  • 死んでも、半島には帰りたくないんだ!!






    お願いだ!



    とにかく“強制連行”ということにしといてくれ!!





           矯正も、共生もできない連中なのに・・・







    「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)にて、当時の総理大臣である吉田茂は戦後の在日朝鮮人に対して以下の見解を出しています。
    • 彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国。
    • すべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待する。
    その理由は次の通り。
    • 現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能。 
    • 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献していない。
    • さらに悪いことには、朝鮮人の中で 犯罪分子が大きな割合を占めている。
    • 彼らは日本の経済法令の常習的違反者 であります。多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態である。

  • 韓国が鳴り物入りで、



    強烈に主唱した韓国併合再検討国際会議!!





                  そこで出された結論は???






              
                  日韓併合は、違法ではなかった!!!





    韓国併合再検討国際会議(A Reconsideration of the Annexation of Korea)は2001年の1月、4月、11月に開催された、韓国併合(日韓併合)の合法性・違法性を巡る議論を扱った一連の国際学術会議である。

    大韓民国(韓国)側の強いイニシアティブにより、韓国側の主張する違法論を国際的に認めさせようという政治的意図の下に主導・開催されたものであったが、違法であるとする国際的なコンセンサスは得られなかった。むしろ、違法性が否定されることになった。

    日韓併合について、韓国では「違法であった」と主張するのが一般的であり、「合法であった」と主張する側との間に論争が起きており、学会では「日韓併合合法不法論争」と呼ばれている。1965年の日韓国交正常化の際も激しく対立したが、合法・不法の結論は出さず、最終的に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)において「もはや無効であることが確認される」との表現で国交正常化にこぎつけた経緯がある。

    この問題について、岩波の『世界』誌上で日韓の学者が争ったが決着が着かず、本国際会議が韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもと韓国の学者達の主導により準備された。韓国側は国際舞台で不法論を確定し、日本への謝罪と補償の要求の根拠とする意図であったとされる。また、今後行われるであろう日本と北朝鮮との国交正常化交渉の場で韓国が曖昧にしか処理できなかった「過去」の問題に対して日本にその責任を認めさせようという強い政治的意図を帯びたものであったともされる。

    こうした経緯により、日本側の報告者が合法、違法にかかわらず個々に持論を展開したのに対し、韓国側報告者の見解は一致して入念な準備によって構成された「違法性」を主張するものであったという。

    第1回会議
    2001年1月にハワイにて開催。日韓米の学者が参加。

    第2回会議
    2001年4月に東京都多摩市にて開催。

    第3回会議
    2001年11月にハーバード大学にて開催。第1回、第2回を引き継ぎ、締めくくりの役割を持つものとして開催。日韓米のほか、英独の学者も加え結論を出す総合学術会議だった。日本側からは5人が参加したが、海野福寿明治大学教授の「不当だが合法」論や笹川紀勝国際基督教大学教授の不法論など見解が分かれていた。

    韓国側は4人が参加し、「条約に国王の署名がない」ことなどを理由に不法論を主導している李泰鎭ソウル大学校教授を始め、全員が不法論で会議をリードしようとした。しかし日本の原田環広島女子大学教授は併合条約に先立ち、大日本帝国が大韓帝国を保護国にした日韓保護条約(第二次日韓協約)について高宗皇帝は条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し、注目された。


    国際法の権威ジェームズ・クロフォードケンブリッジ大学教授は、当時の国際慣行法からすると英米を始めとする列強に認められている以上、仮に手続きにどのように大きな瑕疵があろうとも「無効」ということはできないと指摘した。

    第二次世界大戦後の日本側は韓国併合に関しては韓国併合ニ関スル条約の締結自体合法であったと考えている。

    第二次世界大戦後に大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国として成立した両政府とも、「韓国併合ニ関スル条約は大日本帝国と大韓帝国の間で違法に結ばれた条約であるとして、同条約とそれに関連する条約すべてが当初から違法・無効であり、大日本帝国による朝鮮領有にさかのぼってその統治すべても違法・無効である」と主張している。

    英ケンブリッジ大学の国際法学者J. クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年(大正3年) - 1918年(大正7年))以降のもので、当時としては問題になるものではない」としている。

  • “日本の内なる国際化のためには・・・”




         “日本社会には60人に1人の割合で外国人が居住しており・・・”




        “在日韓国人が韓国の国政参政権と日本の地方参政権を有しても



    矛盾することはない“




           迫りくる外国人参政権問題!!




             あなたは、どう対応するか??




    白 眞勲(はく しんくん、백진훈、ベック・ヂンフン、Baek Jinhoon、1958年12月8日 ‐ )は、日本の政治家。民主党参議院議員(2期)。元朝鮮日報日本支社長。

    • 2003年(平成15年) - 1月、日本国籍取得。
    • 2004年(平成16年) - 朝鮮日報退社。菅直人に抜擢され、第20回参議院議員通常選挙比例区に民主党公認候補として立候補。立正佼成会の応援も得て初当選する。
    • 2010年(平成22年) - 第22回参議院議員通常選挙参議院比例区において再選。
    • 2012年(平成24年) - 野田内閣 (第3次改造)で内閣府副大臣に就任。

    ○永住外国人地方参政権付与
    • 2004年7月12日、初当選直後に民団中央本部に挨拶に訪れ、「これからがスタート。在日に勇気と希望、元気を与えたい。在日も韓国系日本人も結集し、みんなの力で地方参政権を獲得しよう」と述べると、民団の呂健二副団長は「ねじを巻き直して在日の参政権運動にともに邁進しよう」と応じた。

    • 2008年2月27日、韓国ソウルで行われた李明博大統領の就任式祝賀会に川上義博と共に参加。李大統領の「地方参政権実現へ強い熱意がある。皆さんの長年の思いに応えることはもちろん、韓日関係の成熟化と相互発展のために、ぜひ実現にこぎつけたい」との発言を披露した。

    • 2008年5月30日、民団栃木県本部で末松義規と共に講演し、「皆さんの参政権獲得の思いを、これまで以上に政治家の出身選挙区でぶつけることが獲得への近道だ」と呼びかけている。また「帰化推進」策については、「参政権と同列に扱う問題ではない」とした上で、「帰化しない者に対する新たな差別が起きる。帰化するかしないかを踏み絵にすべきではない」と一蹴した。

    ○第22回参議院議員通常選挙
    第22回参議院議員通常選挙が公示された2010年6月24日、新宿駅小田急百貨店前に於けるたちあがれ日本の街頭演説開始数分後、白眞勲陣営の宣伝カーが100メートルも離れていない京王百貨店前位置に止まり、演説を始めたため演説を終えた与謝野馨から「公党間の約束で決めた場所に勝手に入ってくるな」と抗議を受けた。

    白陣営の民主党・末松義規衆院議員は「公道でやって何が悪い。(聴衆の)動員をかけているのに、どけと言うのか」といい拒否。末松義規はこれに抗議した与謝野の胸ぐらを掴むなどし激しい口論に発展した。また、白陣営は同席していた石原慎太郎都知事が地方参政権付与に反対の演説をすると大声で抗議をおこない、石原は「うるせえな、お前ら。どこの何人だ。日本人ならルールを守れ」と激怒した。たちあがれ日本比例代表の中畑清は「アスリートとして、モラルのない行動は許せない。腹が立ちました!」と批判した。

    これに対して、白真勲陣営の選挙対策本部長を務める末松義規は、「(たちあがれ日本の)代表の演説が終わるまでは待ったが、我々も支持者を待たせていたので、仕方なく演説を始めた。私も長年選挙戦を戦っているが、最初と最後は乱立する。演説をやっているところであとから始めるのは何度もあった」と反論している。(実際には共産党、たちあがれ、公明党の順で街頭演説をすることになっていた)。

    ○家族
    • 韓国人である父方の祖父は、父と日本人の母との結婚を最後まで反対していたため、白が祖父に初めて会ったのは祖父がこの世を去る3時間前だったという。
    • 娘は準ミスソフィアでタレント活動をしている宮崎麗香。

  • 驚愕の真実!!




            大発見の真実!!







                   今、解き明かされる歴史の真実!!






              迷子の朝鮮語は、どこから来たのか???







                  これが、最新の言語学会の定説だあああーーー!!!




    歌詞に歌われているアリラン峠は伝説上のもので、朝鮮半島各地にある同名の峠はこの歌にちなみ、後から地名としてつけられたものと考えられています。アリランという単語の語源説は、キム・ジヨンの『我離郎・我離娘、我耳聾、我難離、阿娘、兒郞偉、閼英』の6説が基本説といわれていますが、現在も多くの語言説が発表されており、未だ決定的な説はありませんでした。

    しかし、近年、歌詞に含まれる「アリラン」、「スーリ」は北方民族であるエヴェンキ族の言葉ではそれぞれ「迎える」、「感じ取る」という意があることが明らかになっており、にわかに関連性が着目されています。


    それ以外でも、

    韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると考えています。根源が同じではないかと主張しているのです。
    ●エベンキ語のデョルは韓国語のドルで「石」
    ●デュルはドゥルで「2(二)」
    ●デュル-レはドゥル-レで「周り」
    ●ムはムルで「水」
    ●アミはアビで「父」
    ●エニはエミで「母」
    ●アシはアッシで「若い女性(アガシ)」
    ●アキはアチで「おじさん(アジョシ)」
    ●べイェはべで「輩」
    ●~ンイは~ウイで「~の」を意味する。


    エヴェンキ族というのは、中国の古代の歴史書にも登場します。“鄂温克族”として。
    「諸夷の中で最も不潔である。」と。
    理由は、人尿で顔を洗う習慣があるからです。これには、中国の巡撫使者も腰を抜かすほどびっくりしたそうです。

    檀君神話で有名な檀君も、人尿で手足を洗っていたそうです。

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