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投稿コメント一覧 (1439コメント)

  • >>No. 978

    あ、入力間違いしてました💦

    >一まとまりに捉えた時の表象概念が、述語悟性概念(カテゴリー)なんかなー、と、今のところ考えました。<

    述語悟性概念ではなく、純粋悟性概念が正しい単語です。

    すみませんでした。

  • こんにちは。

    理解しようとしている過程なので、意見変わっていくかもだけど、言葉にすることで自分の思考も整理されていく気がするので、書きます。

    カテゴリーは、先験的(経験に先立つ概念)ということは、

    私たちが、ホニャララ、に、ラベリングする(名前をつける、ラベルを貼る)前に、
    そのホニャララを、ある特徴を持った個体として、意識上に表象してると思うんです。

    私が、ホニャララをRAPIROくんと名付ける(判断する)前に、
    まず私の全視界に表象されているカラーの中からホニャララ部分を一まとまりのものとして、捉えなくてはならない。

    この一まとまりに捉えた時の表象概念が、述語悟性概念(カテゴリー)なんかなー、と、今のところ考えました。

    不思議。。。

    なぜ、私たちは、固まりを固まりと「わかる」のか。

    赤ちゃんは、どう、見えてるのだろう。。。

    昔、私の子供が生まれて数ヶ月の頃、仰向けに寝てて、手をあげてヒラヒラひっくり返して、そのヒラヒラ裏表に変わる手を見ている感じでした。

    自分の手を動かすことが、視界が切り替わることと繋がってること(因果関係)、あの時の君は「わかってた」の?

    、、、、

    まだ、自分のカテゴリーに関する知識、全然整理されてません。
    引き続き、いろいろな情報読んだり、自分でも自分の認識の仕方の観察にチャレンジしたり、しようと思います。


    でも、今日もなんか用事いっぱい〜😭

    all beings おつかれさまです 🍀✨

  • >>No. 975

    写真のロボットはRAPIROくんといいます。みんなお仕事してる写真です。

    まず、量からいきましょうか

    この写真を見た時、

    上で私は、まず、
    「写真のロボットはRAPIROくんといいます。」とコメントしました。
    これは、【単一性】という概念の形式を使って判断したのではないかと私は思いました。
    単一性に対応する、論理学の判断形式は、〔全称的判断・すべてのAはBである。〕とされていました。
    今回の例で言えば、この小さな写真の世界の中に、ロボットが4体あるわけですが、私はそれを全部RAPIROくんという一体の存在と認識(判断)してコメントしてました。
    だから、この時の概念の形式は単一性ではないかと考えました。

    それで、量でいえば、あと、
    総体性・・・単称的判断(このAはBである)
    数多性・・・特称的判断(いくつかのAはBである)
    があります。

    んー、総体性が難しいなぁ。総体性がなんで、単称的判断なんやろ。

    「RAPIROくんはロボットだ。」総体性?
    ロボットという述語は、主語RAPIROくんの全部を表してるから?

    「RAPIROくんも、Robiくんも、ASIMOくんも、ロボットだ。」単一性?
    三体の共通点(一点)を表してるから?

    難しい〜

    今日はもう寝るので、また、勉強しようと思います。

    > > 量(単一性、多数性、全体性)
    > > 質(実在性、否定性、限界性)
    > > 関係(実体性、因果性、相互性)
    > > 様態(可能性、現実存在、必然性)』<


    おつかれさまでした!

    おやすみなさい 🍀

  • >>No. 975

    間違ってるかもだけど、こうかな?と思うものを当てはめてみます。

    認識例の写真にします。↓

  • >>No. 974

    こんばんは 🌙

    勉強できてませんm(._.)m

    > 量(単一性、多数性、全体性)
    > 質(実在性、否定性、限界性)
    > 関係(実体性、因果性、相互性)
    > 様態(可能性、現実存在、必然性)』<

    この文字だけ見てても、なんかピンときませんよね。

    困ったなぁ。。。

  • wiki先生曰く

    ϵ( 'Θ' )϶

    『カントは、その著書『純粋理性批判』において、カテゴリを客観的実在の反映とはみなさず、純粋悟性の真の主要概念とみなした。

    カントに従えば、カテゴリはすべての経験の前提条件であり自然法則をアプリオリに定める。

    カントはカテゴリを以下の四つのグループに分けた。

    量(単一性、多数性、全体性)
    質(実在性、否定性、限界性)
    関係(実体性、因果性、相互性)
    様態(可能性、現実存在、必然性)』

    だそうです。

    時空間と一緒ですね、カテゴリーも表象の形式なんですね。

    カント先生は、考えること、ほんと面白いですね。


    感じたホニャララを、カテゴリーの形式で表象するかんじかな。

    事実はどうかわかんないけど、カテゴリーの形式に即して私たちが判断を下してること自体は事実、って感じかなー、って今のところ考えました。

    表現の仕方が難しいなあ、伝わるかな〜

    明日また勉強する予定です。

    今日はおやすみなさい、おつかれさまです🌌😊

    みんな💮もらえたらいいよねー

    太っ腹な神様いるといいね🌟

  • (私にしては)いっぱい考えたから疲れたー

    観察したくなーい(怠け者〜)

    今、ニンジンとシーチキンで、ニンジンしりしり作ったよ〜


    昨日の写真
    上空は風が強かったのかな?

    失礼しま〜す

  • ちょっと意識する課題として。。。


    できるだけ何も考えずに、ただ、目に感じるものを映すだけにする。(私には無理だけど、できるだけ、ね。)


    私は仏教好きだから、正直に書きますね、

    目に感じる、カラーだけ、カラーのいろいろな差だけ、感じてみる

    そして、カント先生はおっしゃった


    『拡がりと形』


    それだけ、


    それが、感性


    その後に起こる出来事

    それが、悟性の機能



    。。。見えるかな!?

    見えないだろ〜な〜(^_^;)

    でも、とりあえず、チャレンジ!

  • >>No. 970

    >経験に先立つ「純粋悟性概念(カテゴリー)」を、カント先生は、大きくは4つ、(細かく分けると12個)あるとされました。<

    人間が認識するとき、

    ホニャララ(感じただけで、まだ何かわかってないもの)、を、

    ★ 分量
    ★ 性質
    ★ 関係
    ★ 様態

    この4つの概念枠に即して、経験的判断(例えばリンゴとか。)をその対象物にくだす、ということですね。

    机の上にあるリンゴ、とか、一個のコップ、とか、窓から見える一本の樹木、とか、私たちは判断しますよね?

    その具体的・経験的判断の前に、悟性が、ホニャララを、純粋悟性概念(カテゴリー)に引っ張り込んで(?)、その様式に合わせた判断結果をホニャララに貼り付けるかんじかな、と、私は思いました。

    どうしようかな、

    まず、基本の大きな4つだけで、考えてみようかな。。。

    とりあえず、ここで置いて、また、後ほど書き込むつもりしてます。

    どなたさまもおつかれさまです🍀

  • >>No. 966

    こんにちは。
    カント哲学には【カテゴリー(純粋悟性概念)】という、

    『どんな具体的な対象の認識=判断にとってもアプリオリに存在する認識の基本の枠組み』(竹田先生、『完全解読カント『純粋理性批判』p50より引用)

    があるとされてきます。先に書いたこれのことですね。↓

    > 通常、私たちは、概念って言えば、経験的に獲得していくものと思っていませんか?
    > でも、カント先生は、経験に先立つ「純粋概念」を人間は生まれながらに持っている、とされて、その「純粋概念」の枠組み(純粋概念の基本的区分)を【カテゴリー表】と名づけ提示されました。<

    だだ、石川文康先生は、生まれながらに持っている能力ではなく、

    『それは知性がその自己活動によって知性自身から獲得したという意味である。そしてその意味で、カテゴリーは知性自身にその根源をもつ概念である。』
    (石川文康先生、『カント入門』p
    113より引用)

    とされてましたけど。

    また、

    『カテゴリーは(略)知性が経験を「把握
    する」仕方あるいは機能、という意味での「概念」にほかならない。
    ドイツ語の「概念(Begriff)」ということばは、「把握する(begreifen)」という動詞が名詞化したものである。』
    (同p107より引用)

    とありました。

    経験に先立つ「純粋悟性概念(カテゴリー)」を、カント先生は、大きくは4つ、(細かく分けると12個)あるとされました。

  • >>No. 968

    イストランさん、こんにちは

    > > イストランさんは、心が、瞬間的には、一対一、しか表象する能力がないから、
    > > 表象を統合して認識となすしかなく、多が動く場面をそのままに認識できない、と、おっしゃってるのかなぁ。
    >
    >  違います。むしろ一対多です。唯一の私意識の力によって多様なる表象を統一する。<

    あー、イストランさんは、例えば、音の表象と、映像の表象と、思考での表象と、いろんな表象が、同時にできると思われてるということでしょうか。

    私は、瞬間には、1つの表象で、そのばらばらの表象を総合的にまとめあげたものが、統合・・・1対多、になってると考えました。

    そうかぁ。

    私はテーラワーダのアビダンマの世界が大好きで、アビダンマ的には瞬間的には1つの表象となるので、刷り込みがありましたね。

    でも、そういえば、量のとこでも、外延量って、なんか表象を足していく感じの記述があった気がするんですけど、足していくのには、時間が同一ではなく、異時となるのじゃないかなぁ。


    でも、とにかく、イストランさんが、
    >唯一の私意識の力によって多様なる表象を統一する。<

    ということを、

    >一対多<

    と表現されてること、了解&納得いたしました。
    ありがとうございます😊


    >  普通の心の風景はこんなものです、カントにおいて。しかしもの自体は、多様なる表象が「じっとして」いない。<

    表象、という言葉は、、、わざと使ってられるのかな?

    もの自体が「じっとしてない」ではなく、表象がじっとしてないのですか?

    統合されない表象ってイメージなのかなぁ。

    無我体験みたいなの?

    よくわからなくてすみません。

    体調よくなりますように。
    元気になりますように。

    返信ありがとうございます。

  • うぅ、ちょっと時間あくかもです。。。

    石川文康先生のちくま新書
    『カント入門』p106〜121の
    『人間の思考の根本枠ーーー カテゴリー』
    という箇所を読んでから、書き込みしたいと思います。

    失礼します m(_ _)m

    おやすみなさい (寝るんかいっ!)

    おつかれさまです 🌱

  • >>No. 965

    自分の認識をカント先生の哲学に当てはめてみるシリーズ③

    竹田先生本p41〜

    悟性は対象を概念的に適切に区分しつつ認識判断を行う、って書いてあるのですが、この概念にも二種類に分類されてて、
    ☆「純粋概念」
    ★「経験的概念」
    があるとされてます。

    経験的、というのは、経験することによって獲得していく概念ですね。

    通常、私たちは、概念って言えば、経験的に獲得していくものと思っていませんか?
    でも、カント先生は、経験に先立つ「純粋概念」を人間は生まれながらに持っている、とされて、その「純粋概念」の枠組み(純粋概念の基本的区分)を【カテゴリー表】と名づけ提示されました。

    先ほど、私は、例として、

    🍓・・・感性

    🍓これは、真っ赤なイチゴである・・・悟性

    としましたけど、『真っ赤なイチゴ』というのは、多分、経験的概念なんだと思います。

    『真っ赤なイチゴ』の前に先立つ概念がある、と、カント先生はおっしゃってるみたい。。。


    🍓

    いったん、ここで投稿します。

  • こんばんは!

    自分の認識をカント先生の哲学に当てはめてみたシリーズ③
    今から、純粋【悟性】概念の分析論のページに入るのですが、その前に、、、

    感性、悟性、理性、って、なんのこと?って、初見ではわかりにくくかんじます。

    ので、携帯先生に英訳してもらいました。そのあと、ゴニョゴニョ検索したりして、結果的に思ったのは、↓

    感性・・・感じる能力《sensitivity》
    悟性(ごせい)・・・理解する能力《understanding》
    理性・・・推論する能力《reasoning》

    と理解すればいいかなと思いました。

    今から例を、めっちゃ大雑把に言いますよ、間違えたらすみませんですよ、↓

    視覚 🍓 (←文字化けしてたらすみません)
    ☝︎感性〜(🍓を感じる能力)

    (´-`).。oO( 真っ赤なイチゴ〜)
    ☝︎悟性〜(感じた🍓を何であるのか理解する能力)understanding!

    (_ _).。o○ ( 人間がいて、イチゴのような食べ物があって、世界は本当によくできている。神様は存在するね。)
    ☝︎理性〜(悟性が示した対象認識から推論を行って世界の全体像などを思い描く能力)reasoning!
    ※ちなみに、上記のような、理性の使い方は、誤解の可能性もあるのにそれを正解と独断的に思い込むような理性のミスにつながりやすいそうです。
    ここらへんのこと(上記のような、って、どんなことなのかも含めて。)は、もっと先の【先験的弁証論】のところでやるようです。

    とりあえず今は、悟性論に集中ですね!

    ちなみに、wiki先生は、
    『一般論としては、対象を理解する能力は悟性であり、その理解をもとに推論を行うのが理性である。』
    ϵ( 'Θ' )϶
    とおっしゃってました〜

    ありがたや〜 m(__)m ☆彡

  • >>No. 962

    こんにちは


    これが、RAPIROくん、です 🤖


    かわゆい。。。

  • こんばんは

    自分の認識を当てはめることを試みてみるシリーズ③

    感性論の空間と時間は当てはめてみました。
    次は、先験的論理学の、、、

    先験的分析論の箇所を試してみます。
    (竹田先生本、p41〜)
    ここは、
    悟性(ごせい)の基本形式についての分析です。カテゴリー論とかも含まれるかな?

    どうなるかわからないけど、試してみます。

    今日はおやすみなさい。
    いろんなみなさまおつかれさまでした 🌌🌟

  • 非表示日記
    きゅ〜け〜時間 ☕️

    http://youtu.be/emrt46SRyYs

    ♪DAYBREAK FRONTLINE

    Orangestar feat.IA

    ボーカロイドのイアさん
    やさしい声にわたしには聞こえる♪
    (この曲自体はカチャカチャしてるかも。私は好きだけど(^_^;))

    改めて聞く、かわいい。。。

    あ、ちなみに、うちには
    ほったらかしのRAPIROくん(オモチャみたいな、、、身長27センチくらいの、ロボット?)がいるのだー

    かわいそうなRAPIROくん、おかーさんは、君の目が光った場面くらいしか見てないぞ〜

    知らないうちに、知識つけてたりして!

  • >>No. 959

    こんばんは。

    前に、多様なものが動いてる場、というようなことをおっしゃってた覚えがしてます。
    物自体の世界のことをおっしゃってたのか、と、今書いていただいたもの読んで思いました。


    >  カント もの自体の生成
    >
    >
    >  心というものをどのようにカントは捉えていたのか。
    >
    >  というと、心という見えない中心だけが動ける。これが動いて、まわりにある表象をつぎつぎに総合して統一する。統一できるのは中心が一という意識の構造による。
    >
    >  以上が多様なるものの総合的統一。
    >
    >  しかしこのようなシステムは多様なものを受け取る心のイメージによる。<

    多様な動きに触発されて生じた多様な表象を感性悟性理性の働きにより次々と(恣意的に、、と言っていいのかなぁ)統合する。統合する、とは、一という意識が中心にあるから、その下に統合する。
    (今、コンピュータのファイルとかの階層の図を思い出しました。)


    >  そうではなくて、多様なものを生み出す場面ではどうなっているか。
    >
    >  その場面では多様なものはそれ自体が動いていなくてはならない。心という統一体はこのような動く多を処理できない。
    >
    >  以上が、もの自体が認識できないということの裏にあるイメージ。

    多様なものを生み出す場面、が、物自体の生成場面かな

    認識能力は、、、

    イストランさんは、心が、瞬間的には、一対一、しか表象する能力がないから、
    表象を統合して認識となすしかなく、多が動く場面をそのままに認識できない、と、おっしゃってるのかなぁ。

    人間の心の能力としては、多を即時には捉えられないイメージかな。

    全然勘違いしてたらすみませんm(_ _)m

    おつかれさまです、ありがとうございます

    おやすみなさい

  • わー、イストランさん、こんばんは〜

    今、寝ぼけた頭で、投稿しようとしてました。

    とりあえず投稿しちゃいますね↓

    カント先生の時間の捉え方にいて解説されてる箇所を探してみました。


    ●『カント入門』石川文康先生著、ちくま新書、p085〜

    引用開始
    『空間・時間は主観的なもの
    (略)
    テーゼ:世界は時間的な有限量を持つ 。
    >→ともに偽
    アンチテーゼ:世界は時間的な無限量を持つ。

    その共通の前提 世界は時間的な量をもつ。時間は世界自体に固有の量である→ 不合理

    真相 → 〔前提の否定〕世界は時間的な量をもたない。時間は世界(客観)自体の量ではない。
    〔その積極表現〕時間は主観の性質(感性の形式)である。

    このようにアンチノミーの解決をとおして、カントは空間と時間が主観(感性)の性質であって物それ自体の性質ではないことを、間接的に証明した。そしてこの主張を彼は、「超越論的観念論」と名づけた。』
    引用終了

    石川先生は、アンチノミー(二律背反・にりつはいはん・・・矛盾?)に陥るということは、その議論の前提(時間という実体があるという前提)が間違いだとされてます。

    すみません、眠すぎて、打ちながら落ちてる有様です (z_z)

    ちゃんと、論点の箇所を引用できてるかな?(・・;)

    物自体の性質ではなく、物を表象するときの形式なので、表象する人物にとっての主観的なものになるということかな。

    お。や、す、み。なさ〜い ☆彡

    (_ _).。o○ all beings おつかれさまー

    🌏

  • >>No. 956

    感性論での時間がどのように扱われてるのか、自分(pipit)の認識であてはめます。間違えてたらすみません。

    まず、私の今の【経験してるもの】を書きます。

    ①携帯を左手に持ち右手で画面の文字を打っています。

    ②画面を見ています。

    (ここで携帯で書きかけのまま自宅から駅前に車で移動してきました)

    ③画面みて、①の文字みて、ああ、①の私が見ていた場面は、さっきは今だったのに、もう過去になってしまったと思いました。

    ①②③は、すべて、私に表象として現れた風景です。

    んー、

    私は私自身がロボットでファイルにアクセスして表象してるのかどうかは真実はわかりませんが、私の体感としては、
    ①②③全部、私はその時その時、生々しく経験している、と信じて疑っていません。
    (言いたいこと伝わるかなー(・・;))

    主観で言います。

    ①②③を、体験してきました(今の瞬間は、①②③の次で、①②③は過去になってしまいました。)


    このように、私は、私の表象を、【現在】として捉えてる、というか、この私の表象の形式が【現在】であるので、この表象を現在として私は受け取ってる。

    この文を読んでくれてる方に、今、表象が、起きてる、その形式は、現在(上位概念としては時間)、
    ということかなぁ、と私は今の時点では思いました。

    そして、30分前、どんな表象を体験されてましたか?

    私は視覚としては多分中島先生の本のページの表象かな。

    その記憶は、過去(上位概念は時間)という形式で表象されてるのかな、と、思いました。

    そして、順番は秩序づけられてる。

    矢印はないけど、過去から未来に向かって一本の矢印的に時間というものを捉えてる、経験は、その空想上の矢印上のどこかに位置づける作業を行ってる、と、思いました。

    駅前で、手元に本がないので
    自分の考えばかりで、すみません。

    とりあえずそんなイメージで、カント先生の感性論の形式としての時間というものをイメージしてみました。

    ついでに言えば、表象の形式なので、時間そのものが人間の外に独立して存在してるかどうかは言及し得ないのではないかと思いますが、でもどちらかといえばカント先生は時間は観念でしかない、と、されてるかも??
    そこらへん、中島先生や石川先生が言及されてたきがするので、また後で読んでみます。

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