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投稿コメント一覧 (2770コメント)

  • >>No. 7761

    生きとし生けるものが幸せでありますように♡
    と、念じ続ける易行もあるかも的な?

    今、仕事変えるかもで、チャレンジ中。
    面接、ドキドキです💦

    みんな幸せだといいですね🍀

    おやすみなさい😊

  • >>No. 7756

    和弘っち出た〜

    こんばんは😊

    私は、上座部と大乗を切ってるコメントを提出してるつもりはないですよ〜

    上座部のお坊さまの中にも、上座部と大乗をひと続きの仏教としてみてる方は結構おられると思いますよ。

    私は、みんながそれぞれに信じてる宗派の教えをそれぞれに実践して結果を出して、どこかの地点で出会えたなら素敵だな、と、思っています。

    昔ネット上で私に、最終的な心の在り方が一緒だからこそ、至る方法もそれぞれに異なるみたいなことを言ってくれた方がいました。

    私は全然実践できてないので、その方の言が真実か否かは検証できてないけど、でも、釈尊の教えによってたくさんの人の心が軽くなるといいな、って思います。

  • >>No. 7753

    ハトさんこんばんは

    > テーラワーダ仏教の長老のスマナサーラ氏は、「生きるということは、くだらない、無意味なことです。
    > 何をやって生きるかといえば、呼吸する、動く、そんな程度です。
    > 本当につまらないファンクションです」
    > (『仏教と科学が発見した「幸せの法則」』)
    >
    > スマナサーラ氏の言葉がどうしても、理解できません。 pipitさんはどのように思っていますか?
    > 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。(中略)
    > 善いことをした人は、このよで喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
    > (『ダンマパダ』)
    >
    > 合掌<

    めっちゃ私見なこと書きます。
    抜苦を狙った言葉かなぁ、との感想を持ちました。
    般若心経って、無〜、無〜、って削っていくでしょう?
    あれみたいに、現実から現実でないものを引いていくと、残ってるのが、呼吸とか動きとかそんなものしかないと身にしみて心から納得できると、苦しみという想念を自分で作ってた部分あるんやな〜とか、冷静に自分のことを振り返れるのかな、と、思いました。

    ポケモンカードに執着して、他人を殴る蹴るしてる人がいたら、その人が「ポケモンカードってただの紙」って気づいたら、執着してた時に発生していた苦しみは消え去るのかな、と、思いました。

  • >>No. 7749

    赤い実さん、こんばんは
    暑いですね〜、おつかれさまです

    > テーラワーダと釈尊の時代の仏教の違い、というのは、どういうところにあるとpipitさんは考えられますか?
    > 私が知る限りでは、両方とも輪廻は否定していないのだし、それ以外での違いというのはどこにあるのだろう、と。<

    私に衝撃的だったのは、最近起きたミャンマーでの仏教徒によるイスラム教徒への殺害も含む酷い弾圧行為の記事を読んだことです。
    (ミャンマーで主に信仰されているのはテーラワーダ仏教だと思います。)

    仏教僧がヘイトスピーチにより、民衆を扇動しているとする記事もよく目にします。

    初期仏教の精神からは出てこない行為だと私は思っています。

    パーリ経典では、釈尊は比丘に対して、
    例えノコギリで斬られてる時でも、「私の心は動揺しないのだ、悪しき言葉を私たちは発しないのだ、無量の、怨恨のない、無害な慈しみの心で、殺害者に対しても全ての生命に対しても接するのだ、と、自分に戒めなければいけません。」
    と教戒しています。

    だから、自分が殺されても相手を傷つけないのが初期仏教の精神と思っているので、テーラワーダ仏教も昔のテーラワーダ仏教から変質していってるのかな、と、思っています。

    いろんなことの真相はわかりませんけどね。

    パーリ仏典だって、真理が書かれてるのか否かは、わからない。
    自分でできる範囲で証していくしか道はないのではないかと今の所は思っています。

  • >>No. 7748


    > pipitさんは、なぜ、「南伝大蔵経」のような貴重な仏典が、長い間、無視され、昭和になるまで翻訳すらされなかったと思いますか?<


    全然重要なお経ではないとする先入観もあったせいかもしれませんね。

    どなたかがそう判断し、そう周りにも伝えると、読まなくてもいい経典と思われるのかもしれませんね。

  • >>No. 7746

    伝わってよかったです、ありがとうございますm(_ _)m

    > pipitさん、回答ありがとうございました。
    > はい、分かりました。
    >
    > 昭和初期に翻訳されたという「南伝大蔵経(スッパニパータ、ダンマパダも含まれる)」って、テーラワーダさんの所蔵されてた仏典だったのでしょうか?<

    そうだと思います。

    wikiの「パーリ仏典」についての記述として、
    『日本でも戦前に輸入・翻訳され、漢訳大蔵経(北伝大蔵経)、チベット大蔵経に対して、『南伝大蔵経』『パーリ大蔵経』(パーリ語大蔵経)などとしても知られる。』
    とあるので、
    南伝大蔵経は、テーラワーダが所属してきたパーリ仏典の翻訳なのだと私は思いました。
    (ただし、スリランカを植民地にしていたイギリスの団体が発行した本が底本かもしれませんけど)

    ちなみに、
    ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の記述によると

    『南伝大蔵経
    パーリ語によるセイロン上座部の伝えた仏教の重要な典籍を日本語訳した一叢書の名。高楠順次郎博士功績記念会によって 1935年に第1巻が出版され,41年に完成した。 65巻,70冊。律蔵,経蔵,論蔵が網羅されているばかりでなく,『ミリンダ王の問い』『島王統史』などの貴重な資料が翻訳されている。』

    だそうです。

  • >>No. 7738

    返信ありがとうございます。


    > 1994年にスマサーラを宗祖として出来た新興宗教だと、ぼくの認識ではそうです。<

    日本テーラワーダ仏教協会さんのことですね。

    まだ誤解されてる可能性があるので、説明してみますね。
    (でも私も誤解してたらすみません)

    『パーリ仏典』を代々、次の世代に引き渡してきた団体を【テーラワーダ】とした時、
    その団体【テーラワーダ】に所属する1人の僧(スマナサーラ長老)が来日されて、周りに人が集まって設立されたのが、日本テーラワーダ仏教協会さんだと思います。

    つまり、【テーラワーダ】の仏教僧が関わって、日本でできたのが、日本テーラワーダ仏教協会さんです。

    高原さんが新興宗教と思ってる団体である日本テーラワーダ仏教協会さんとは別に、【テーラワーダそのもの】はまだミャンマーやタイやスリランカに組織として存続してるんですね。
    (ちなみにスマナサーラ長老は、スリランカのテーラワーダ仏教シャム派に現在も所属されていて、日本大サンガ主任長老に任命されているそうです。)

    例え話で言いますね。

    みちおさんが日本の浄土真宗のお坊さまとします。
    みちおさんはアメリカの大学に国費留学した時に、周りに人が集まって、いいね!と浄土真宗を学ぶ人たちが組織を作って、アメリカ浄土真宗協会と名付け活動しはじめるとします。

    浄土真宗は浄土真宗として日本に存続しているのに、アメリカ浄土真宗協会のことを浄土真宗団体そのものとして、「浄土真宗はただの新興宗教だ。」と言っているのが、今の高原さんの構図かな?と思ったのですが、私の勘違いだったらすみません。

    ちなみに、昔のテーラワーダと今のテーラワーダは別物というのは私もそう思っています。
    諸行無常ですね。

  • >>No. 7734

    高原へ行らっしゃいさん、こんにちは。

    > テーラワーダは原始仏教を隠れ蓑にした、ただの新興宗教ですよ。<

    ちょっと誤解あるかも?と思ったので書き込みしますね。
    高原さんは、テーラワーダとは日本の宗教団体と思われてませんか?

    説明してみますね。

    🌿🌿🌿🌿

    スッタニパータやダンマパダがおさめられている『パーリ仏典』を聖典とし、その聖典に基づいた仏教を実践しようとする団体がいました。その団体は【テーラワーダ】と呼ばれました。

    諸説ありますが、口伝により伝えられてきたパーリ仏典が、飢饉や戦争のため口伝が難しくなり(仏典は大量のため記憶部分を分担制にしていたとされています)、紀元前1世紀のテーラワーダでの第四結集で初めて経をターラ葉に書写され、それ以降、文字によるパーリ仏典がテーラワーダ内で伝えられたとされているようです。

    今の所、三蔵として現存するのが、テーラワーダという団体が保持してきた『パーリ仏典』ということで、古い経典を読むときテーラワーダのパーリ仏典を参照する方が多いと思います。

    ショーシャンクさんがパーリ語で読まれているのも、テーラワーダが受け継いできた『パーリ仏典』からの経典だと思います。


    もちろん、『パーリ仏典』の恣意的な編集の可能性はあるので、数多くの方が、テーラワーダの仏教解釈や、パーリ仏典を聖典とすることを批判されるのは、個人的には理解できます。

    ただ、長い間一生懸命に経典を受け継いできたのに、その経典は参考に読むのに、
    誤解されているのは切なく思い、書き込みしました。

    説明が伝わるといいな🍀

  • 2018/07/15 18:16

    http://youtu.be/X5kQR92kYn0

    君の神様になりたい。

    カンザキイオリ

  • 2018/07/15 18:04

    >>No. 125087

    > amazarashiというバンドの曲目に触れてこい!<

    こんにちは、暑いです!🌞

    この曲は前から好きで聴いてました。

    http://youtu.be/fodRoRdDSug

    『月曜日』amazarashi

    カンザキイオリさんの曲でも好きな曲が何曲かあるんですけど、コメント欄にはamazarashiリスペクトを感じる、みたいなのをみたような気もします。

    根底に人への優しさが流れてるような曲は、いいなって思っています。

  • >>No. 3249

    こんばんは 🌌

    > 精進は、瞬間ごとにエネルギーを作り出して、主体的な意志を働かせる心所ですかね。忍耐や苦行のイメージはあまりなく、軽やかで自由な印象です。<

    〈主体的〉〈自由〉って、アビダンマ的精進のイメージにぴったりに思えます👀

    すごいですね、そういうイメージ書くの難しくて、私は先のコメントでは自分のイメージをお伝えするの断念してました(^^;;

    私は〈精進〉の記述読むと、カント哲学も思い出すんですよね。
    カント哲学では、欲望(傾向性)に流されずに自分の意志で行為を選択するのが自由って感じだからかもですね。
    (まあ、この場合、善心ゆえ精進も善心所になってるんでしょうけど。)

    oliさんが書いてくださった言葉で、より納得できました。
    ありがとうございます。

    アビダンマは、自分自身の内にその記述内容を見てみようとすると、面白いものになる気がします。し、実際に役に立つと素敵だなぁとも思っています。

    今日は暑かったです。
    oliさんとこも暑かったかな?

    おつかれさまです😊🌌

  • >>No. 2345

    大丈夫だといいですね。

    お大事にされてください

  • >>No. 3247

    気になってパーリ語辞典ひいてみたら、

    kusalaの項目は
    善き、善業;巧みな、善巧

    とありました。
    巧みという意味も辞書的にも入ってるんですね。

    a は、否定で

    akusalaは、〈不・善〉ということなのかなと思いました。

    それでは失礼します🐧

  • >>No. 3246

    oliさん、こんにちは🌞

    ハードカバー版「ブッダの実践心理学第3巻」p72「viriya 精進」の箇所などを読み返してみました。

    ついでに、善kusala、不善akusalaの記述も目に入って(p92)、
    〈俗的に言えば、善は「じょうず」「巧み」、悪は「へた」ということ〉ってあって、
    この軽さがいいなぁと思いました。
    解脱を目的に置いた言い方かもしれませんね。
    (これはアビダンマがそう定義してるのではなく、スマナサーラ長老の解説なのかもですけどね)

    アビダンマ、時々気になってるのですが、なんせカント哲学が私には難しすぎて。

    でも、できれば一生のうちにアビダンマを勉強する時間持てたらいいなと思ってます。

    久しぶりにアビダンマに触れれた感じがして嬉しいです😊
    ありがとうございます。

    おつかれさまです🍀

  • >>No. 2064

    f27さん、こんばんは🌟

    >今日も幸せな一日でありますように。😊<

    ありがとうございます!

    f27さんは、西洋哲学も東洋哲学も興味あるのですか?

    好きな哲学者とか教えてもらってもいいでしょうか?

    f27さんの今日も好日でありますように😊🌞

  • >>No. 3243

    長部経典22「大念処経」から八正道の正精進の記述箇所を引用します。

    『また、比丘たちよ、正精進とは何か。

    比丘たちよ、ここに、比丘は未だ生じていないもろもろの悪しき不善の法が生じないように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    すでに生じているもろもろの悪しき不善の法が捨断されるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    未だ生じていないもろもろの善の法が生じるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    すでに生じているもろもろの善の法が存続し、消失せず、増大し、拡大し、修習が成就するように、意欲を起こし、努力し、心を励まし、勤めます。

    比丘たちよ、これが正精進と言われます』

    『原始仏教11』片山一良先生訳、中山書房仏書林、p47より引用

    oliさんの投稿から、精進は心所的には雑心所と教えられ(私の記憶に残ってなかったので💦)、善悪ニュートラルゆえ、経典の「正」精進の記述が今までより鮮やかな印象で心に入った気がします。

    ありがとうございます😊

    おつかれさまです🍀🍵

  • >>No. 3240

    oliさん、こんばんは🌟

    本を読み直してから返信書きたいな、と、思ってたのですが、いろいろバタバタしてしまって、まだ、スマナサーラ長老の解説箇所読み直せてません💦

    oliさんの投稿で考えさせられて、「あ、面白い、私には役に立つ場所っぽい」って今思ってて、だからきちんと数日後でも解説本を読み直してみますね。
    きっかけをいただきありがとうございます。

    ちょっと数日バタバタ続きそうなので、解説本を読み直す前の、「あ、面白そう」と思った感想を書きますね。

    > この点、スマナサーラ長老によると、
    >
    > 六種類ある雑心所の中の一つに「精進」(ヴィリヤ)は位置づけられているようです。
    >
    > 心所としての「精進」は、認識対象を決める時にはたらく微細なエネルギーも含む、基本的な心のはたらきです。byスマナサーラ長老<

    すっかり忘れてましたけど、精進って、雑心所だったんですね👀

    雑心所だけでも調べてみました💦
    藤本晃先生の解説↓
    『雑心所6つの雑も、「善も不善もどちらでも雑多に」という意味ですから、雑心所6つ自体は善でも不善でもないという意味です。ただ、こちらの6つは心と共にいつもかならず生じるとは限りませんので、共一切心心所とは別に、雑心所としてまとめられています。』
    『『アビダンマッタサンガハ』を読む』藤本晃先生、p96

    アビダンマ的には精進は善悪どちらの方向へも向く心所で、だから八正道の《【正】精進》という単語も成り立つのかぁ、って思いました。

    経典(例えば「大念処経」)内に出てくる、八正道の正精進の定義は、、、字数制限引っかかりそうなので次の投稿で引用しますね

  • >>No. 3240

    oliさん、こんにちは!

    今書き込みに気づきました💦
    ありがとうございます😊

    また書いてくださったこと、本を読み直したりして返信しますね

    おつかれさまです🍀🍵

  • >>No. 7584


    ミャンマーのパーリ仏典原典が見れるサイト
    http://www.tipitaka.org/

    パーリ仏典の英訳が見れるサイト
    https://www.accesstoinsight.org/

    DNとかが、ディーガニカーヤ・長部のことだと思います。

    それでは失礼しますm(_ _)m🍀🌏

  • >>No. 7584

    こんにちは

    > いま、原典サイトにアクセスできないのですが、pipitさんはアクセスできていますか。<

    私もスマホからアクセスできなくなってるのですが、前に(スマホからアクセスできなくなってからでも)家のpcからはアクセスできました。

    でも、もうショーシャンクさんには必要ないのかも、って気もしますね😊

    それでもまた経典が必要になるときもあるかもなので、ミャンマーのパーリ原典見れるサイトと、パーリ仏典の英訳見れるサイトのアドレスを後でお知らせしますね。


    ショーシャンクさんなら、わかってもらえるかなぁと思ってしまうけど、

    経典がわたしを助けてくれますよね

    でも、そこに安住してては、きっと釈尊に叱られちゃいますよね。

    「さっさと、説いてること行え〜」って。

    ショーシャンクさんはいろんなことを知ってて、パーリ仏典のことにもお詳しかったので、共通の経典を題材にお話しするの楽しかったです。

    感謝していますm(_ _)m

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