ここから本文です

投稿コメント一覧 (272コメント)

  • 【真実】
    私は真実は無いと、断定しています。
    もし、あるとしても、「人には真実を受止める器が無い」と思っています。
    ならば、誤解を招く言葉でしかなく、無いと断定して使わないようにしています。
    代わりに、真相を使い、事実と分けています。
    また、事実も断片しか知り得ず、できれば実相を使いたいのですが、難しいと思って居ます。
    物書きは「事実を断片的にしか把握できぬ」との常識を持って居ます。
    日常に正確な表現を持込むと、会話が円滑に進められないと、思って居ます。

    あるジャーナリストは「あらゆる角度から報道出来れば、真実に近づく」と、言っていました。
    しかし、それは「無」の概念を除いた、西洋的思考と思います。

  • >>No. 524

    【深層心理】
    シェークスピア・夏目漱石・芥川龍之介・太宰治・・・
    みんな深層心理を覗いた人達です。
    だから、評価されると思っています。
    そして、みんな精神の不調を訴えています。
    30年程前、兄に「漱石は下らん」と言うと、「それから」以降は読み応えがあると言われました。
    (それでも、「下らない」とその理由を語りました)
    その兄は高校時代、「ドストエフスキー(罪と罰)」に衝撃を受けていました。
    そんな見解を述べて頂きたく、願うばかりです。

  • 【生甲斐】
    人其々です。
    生甲斐とは?・・・「自己への存在証明」と解く、・・・その心は、「満足を得る」

    12歳までは遊びでした。(遊びを続けたく、遅くに帰り、親兄弟に叱られていました)
    遊びに飽きてからは夢中になる事はありません。
    不幸な事は仕事に夢中になれなかった事と思います。
    丁度、遊びに飽きた頃、自宅で、机に向かい宿題や予習をすると、
    「ムカムカ・イライラ」して困り、何故だと自問自答し、親兄弟、教師にも相談しました。
    私自身は「気が狂い始めているのでは?」との思いが湧いて居ました。
    つまり、「自制心を失っている」、それも、机に向かい勉強する時だけ起こる現象。
    「思考と感情のギャップ」に苦しんでいたのですが、解消できなかった。
    簡単な話、禁断症状です。
    遊びから仕事へ向かう転換期です。(発情期の初期症状)
    しかし、当時の私は「神でも仏でも良い、『何とかこの気持ちを解消してくれ』」と願いました。
    フロイトやユングの著書も読み、しかし、解決には至らなかった。
    結局、仏教に出会うまで、自分自身の心の動きを掴めませんでした。
    心理学も当時と比べると発達しています。
    それでも、学者自身が深層心理を掴めておらず、憶測でしか語っていません。

    麻原彰晃は一部深層心理を覗いています。
    誰も、そこの処を指摘していません。
    当然ですが、深層心理を覗いた事のある人しか分からぬ事です。
    失礼ながら、トピ主さんも分からぬと思います。
    未だに信者が居る、最も重要な理由です。
    犯罪理由をあれこれ語っても、真相には辿り着けません。

  • >>No. 507

    【きっかけは朝日新聞】
    南京大虐殺も、慰安婦問題も、きっかけが朝日新聞のデマ情報だとご存知ですか?
    通州事件(つうしゅうじけん)をご存知ですか?
    南京大虐殺とされる写真の多くが、通州で、日本人を虐殺した写真なのを・・・

    GHQが終戦直後に何万か、何十万かの公職追放が行われました。
    つまり、GHQに逆らう人達を公職から追放しました。
    東大を筆頭とし、GHQに逆らえぬ人達が要職を担い、今の偏向報道の礎になっています。

    自由党と民主党が結束し、自民党になった訳をご存知ですか?

    戦後教育を受け、私が混乱した理由です。

  • >>No. 505

    >生物は死を怖れる。それを和らげるため、その一つとして「宗教」を作った。
    生物は命懸けで、子孫を残しています。・・・子孫を残す為に生きている。
    人だけが例外と思います。
    死を怖れる感覚はおそらく、人ならではの表現で、死を避ける本能が驚きの感覚と繋がっていて、
    最大の驚きが恐怖と思います。

    「神道は宗教ではない」・・・祭祀を行うだけだから。
    「仏教は宗教ではない」・・・只管打坐のどこが宗教なのだ
    そんな人達が居ます。
    私はどちらも宗教的行為と思っていますが・・・

    >それ以外が宗教の領域とするから世の中混乱する。
    混乱の原因は様々で、迷い、無智、等が根本と思います。

    >「死を克服するためにあるのだから」
    キリスト教は神に天国へ行くことを願い、浄土宗は阿弥陀様に成仏を願いますが、
    普段の日常の中で死を意識する事は稀です。

    以上、
    人其々違った見解あると思います。
    偏見ではないかと思える相違を書き連ねました。

  • >>No. 497

    【オーム真理教】
    インドから帰って来た時、高校時代の友人に強調したのは宗教心です。
    宗教とは?
    私の見解は「思考の塊」です。
    人と言う動物の特長は記憶容量です。
    この記憶依って、思考が爆発的に広がっています。
    ところが、人は記憶を関連付ける過程で、錯覚を持つようになっています。(常識)
    同時に、必要な事以外、気付かぬようになっています。(処理の簡略化)
    よく、眼鏡を頭の上に乗せて、「眼鏡が無い」と言うのは不注意と言うより、
    思い込みの現象と思って居ます。

    さて、人生に迷いが生じた時、どうするか?
    私はインドへ行きました。「命の洗濯をしてくる」と言って出かけました。
    (後になって、龍馬は「日本を洗濯する」と言ったらしいのを、知りました)
    常々、戦前教育を受けた親達と、戦後教育のズレを感じて、葛藤していました。
    つまり、社会のない日本に社会を作ろうとしていた時期です。
    インドで仏教に出会い、なんと、社会と違い、「自分は正しかった」と・・・
    暫く、お寺で修行の真似事をして、帰国しました。
    宗教とは?、肌で感じる以外、分からぬと思います。
    欧米の政教分離は「司祭のトップが統治者になってはダメ」との事です。(天皇が首相に成る事)
    日本は「公共機関が宗教を教えてはダメ」との事、になっています。
    GHQの残滓です。
    オーム真理教を蔓延らす要因の一つと考えています。

  • >>No. 496

    【向心力】
    予測や予見をなんとなく、思い浮かべて、過去を振返っていると、「向心力」が浮かびました。
    外的衝撃に反するだけ、防御力が必要です。
    予測や予見は最大の防御力と思えます。
    そんな事ではないかと・・・

  • >>No. 492

    >平和での進化、進歩は「便利さへの追求」でしょうか。
    アインシュタインは原爆の威力を実感した時、「罪の意識」を持ったと聞いています。
    そうであれば、キリストの教えは原罪から始まっていますが、その意味を実感したのだと思います。
    私の見解では「便利さの追求」の果てには、破滅が待っていると思います。
    例えば、光化学スモッグや、異常気象がそうです。
    「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言いますが、今以上の便利さは不要と思います。
    しかし、危険を感じるまで止まらぬと思います。
    何故なら、欲望に制限を設けられぬ、と思うからです。(自由を重視)
    見切りができるのは、極わずかな人達と思います。
    とどのつまり、民主主義は衆愚政治となります。
    そう見切れる日が訪れる事を願っています。
    ただし、聖徳太子は民主主義が落ちる罠を塞いだと思います。
    世界に流布されるかどうか、甚だ疑問ですが。

  • >>No. 489

    私も似たような者です。
    20代後半から、プログラム請負業を始め(派遣のはしり)、
    需要が多かったので、気ままに暮らして来ました。
    ところで、トピ主さんの書かれて事の意味が分からず、掴みかねます。

  • >>No. 488

    【電算機】
    近頃使いません。
    50年程前、プログラムを習い始めた頃は至る処に電算室の文字がありました。
    コンピューターより、何をする道具か理解しやすく思います。
    AIに必要なのは情報です。
    AIの説明を簡略化すると、統計データの集合体です。(統計の取り方は様々です)
    しかし、膨大な情報量が必要な為、速度を必要とします。
    しかし、速度は発熱を伴います。
    そこで、発熱量が少なく処理速度が速い、量子コンピュータが登場しました。
    計算装置が、真空管からトランジスタへ、そしてコアへ、IC(集積回路)から量子へ
    プログラムを始めた頃には想像できない程、進歩しています。
    多くの基礎技術は米国からです。
    文明と文化、それを「発明」と「応用」と定義すると分かり易く思います。
    文化度の高い日本は発明された物を日本型に変化させます。
    しかし、現代には「特許権」があり、変化型の日本の価値は薄くなっています。

  • >>No. 487

    【間】
    「流行り廃れ」が時代にあります。
    しかし、変わらぬ事もあります。(必ず消滅する)
    また、変えてはいけない事もあると思います。
    その一つとして、「世界・世間」の概念があると思います。
    (私は既に、社会で考える癖がついています)
    間もそうですが、絵画や庭における空白等もあります。
    しかし、芸術的感覚は称賛されて、残念な事に、挨拶に置ける間は日本人も失いつつあります。
    「礼に始まり、礼で終わる」、人と世界を繋ぐ間の存在をそこにも感じます。

  • >>No. 484

    【思考の根底】2018/07/24
    >精神に進歩という概念を当てはめることはない。
    失礼しました。戯け者の発想と思います。

    西洋の思考の根底には「弱肉強食・力は正義・勝てば官軍負ければ賊軍」が横たわって居ると思えます。
    彼等が恥の文化を持てぬ所以とも思って居ます。
    また、形而上学は全てが現象でしかなく、命を宿らせない。
    謂わば、AIの結論しか出せない仕組みです。
    私はプログラマーを生業にしてきたので、たった’0と1’の組合せで、
    どれ程の事ができるか承知しています。
    ネットが複雑に絡み合い、色々活用されていますが、
    分析すると’0と1’の組合せに至る事を知っています。
    人の思考の素を辿ると、’有・無’に辿り着くかも知れませんが、そうとも思えません。
    例えば出発点が’有・無’であったとして、無の世界をどうのように表現できるのか?
    西洋的思考の欠点は無の概念を包摂できぬ処と思います。

  • 【十七条の憲法】
    トピ主さんに啓発され、改めて日本を鑑みました。
    「3つ子の魂、百までも」の喩があります。
    それにヒントを得て、日本を考えると、
    3歳までが縄文期ではないかと思えます。

    あるトピで、「科学は進歩しているのに、精神は何千年も進歩しないのは何故か?」
    その時、「継承できるかどうかの違い」と書込んだように思います。
    今なら、「理性と感情の違い」を加味すると思います。
    理性は後を辿れるが、感情の跡を辿るのは難しい。
    仏教に出会った時、驚いたのは「’感情の跡を辿る方法’が記されていた事」です。
    しかし、数学の公式と同じで、公式を自在に使いこなすのは難しい。
    まして、新たな発想で、公式を生みだす程のレベルに達する事は凡人にはできない。
    つまり、「感情を辿るのは、数学以上に難しい道がある」と思って居ます。
    聖書と仏典の大きな違いは「神の言葉と人間が辿り着いた処の言葉」と思います。

    さて、無意識は縄文で、表層意識に大きな影響を与えているのは何か?
    私は「十七条の憲法」ではないかと思っています。
    聖徳太子は、「公平・公正」な判断を下すには、感情の制御が必要不可欠と断定したように思えます。
    一言も「公平・公正」の言葉はありませんが、私は「公平・公正」の道筋と解釈しました。
    ところで、統治者達(現代に於ける公務に携わる者達)と非統治者を分けたのは?
    おそらく、情報量が多くなければ「公平・公正」な判断は難しいと思ったのでは?
    そうして、役割分担したのかと想像します。
    簡単に言えば、親と子の関係です。
    一家の長と子供達の関係で、天皇が家長で、補佐役が居て、一般民衆がいる。
    そんな役割分担を考えたのではと想像します。

    私は橋下徹、前知事を通して、初めて、政治家の姿を知る事ができました。
    彼は「2度と政治家になりたくない」と言っています。
    ところが、下司達は自分に照らして、勘繰っていますが。
    政治は滅私奉公でなくば務まらぬし、そうでなければ偽物の政治家と言えます。
    「私利私欲を押さえつける限界を感じて、政治活動を放棄した」と思って居ます。
    彼は「十七条の憲法」の第5条以降を実践しています。

    つまり、現代にも通じる政治の姿を既に飛鳥時代に記しています。
    日本の先見性をそこに見ます。

  • 【孤独】
    孤独感はどなたもお持ちでしょうが、
    「社会」という枠の中で暮らすと、一層孤独感が増すと思えます。
    ちなみに、私は孤独感とは無縁になりました。
    何故か?
    いつでも世界と繋がっている実感を持てるからです。
    私の場合は「胎内記憶が蘇った経験」がそうさせています。
    (腸扇動の痛みで気絶しそうになった翌日に経験)・・・腸と脳は密接に関係していると思います。
    その後しばらくしてから、自分の中に先祖が住んで居る実感を何時でも持てます。
    「社会」より、実態を感じる先祖との繋がり、
    生きとし生けるもの達と自分が深い所で繋がっていると、思えます。
    ところが、そんな状態だと厄介なのは、「ゴキブリ」を殺すのさえ罪障を感じる事です。
    うろ覚えですが、アイヌ民族は命の重みに差が無いと聞いたように思います。
    「頂きます」と唱えるのはそんな罪障を感謝に変える方便と思って居ます。

    イジメの被害者に顕著な傾向ですが、分かってくれないとの疎外感があります。
    しかし、自分自身をどれだけ分かっているのか?
    まず、自分の中にある闇(無意識の世界)を克服すべきで、
    つまり、自分自身が自分を疎外している事に気付くべきと思って居ます。
    子供には克服できる課題と思いませんが、
    せめてソーシャルワーカーは「イジメを成長の機会が訪れた」との認識が必要と思って居ます。
    私自身も被害者でしたが、今振り返ると、良くも悪くも糧になっています。(運よく自殺を断念)

  • 【社会のない日本】
    トピ主さんのテーマです。
    何故、「日本には社会がないのか?」を「世界と世間」で解説しておられる。
    私は別のアプローチで、納得しています。

    日本にはリバティ(自由)とフリーダム(自由)を分ける表現が無い(単語)
    また、平等慧は仏のみ持てる智慧で、明治維新以降、誤った使い方をしている。
    キリストが「神の下では平等」と言った事を根拠に平等主義が蔓延しています。
    平等を英訳するとイコールしかない。
    神(万能)であるキリストだから人々と平等に接する事ができる。
    卑しくも、人間を神と同列に考えるから、平等主義が蔓延る。
    少なくとも、明治以前の日本人は「平等慧」が仏の持つ智慧と弁えていた。
    では、何故、明治以降平等主義が受け入れられたのか?
    簡単な話、差別があるからです。
    「欧米人は如何に差別するか」の論理を組み立てて、雄弁を誇って居ます。
    (近年はディベートの単語が浸透しつつあります)
    例:アメリカの放送法には「公平・公正」の条文が無い。(偏向報道を容認)
    差別を是とする欧米と(支配権を奪う為には差別する)、差別を恥じる日本。
    社会には欧米の「自由・平等」の概念が不可欠です。
    しかし、日本は違った概念を育て、秩序維持してきた。
    私は、トピ主さんも含め、もっと「自由・平等」の考察を願いたく思います。

  • >>No. 471

    【制度改革】
    今、まず必要な事はマスコミを第4の権力とみなす事だと思って居ます。
    あらゆる争いの素に係わっています。
    選挙の行くへも、報道が大きな役割を担っています。
    韓国を見ると、民主主義の横暴が目立ち、マスコミの報道に従って進んでいます。
    3権分立でなく、4権分立、もしくは言論の自由とは?
    以前書きました、「自由は檻の中にある」と
    西洋はリバティ(制度からの解放)とフリ―ダム(動物と同じ)に分けて自由を表現しています。
    多くの場合、リバティの自由を使っています。
    そこの処を理解せず今の日本人は使っています。
    私はそれとも違って、「存在する事が不自由である」との意味に使っています。
    自分は何らかのお蔭で、存在していると自覚しています。
    極論すれば、自分を制御しながらしか生きられないと思って居ます。
    積極的に制御するか、無意識に制御しているかの違いはあっても、
    「制御しなければ生きられぬ」と思っています。
    秩序に従うかどうか?、自由であっても、「秩序を破る行為の責任を負うべき」と思って居ます。
    ところが、報道の責任を負う制度がない。
    大東亜戦争を扇動したマスコミは一切の責任を負っていない。
    情報が溢れ、それを整理し報道する責任を果たさせるべきと思って居ます。
    垂流しの情報源を整理整頓すべきと思います。

  • >>No. 470

    【インドの歴史】
    40数年前のインドでは驚きの塊で、それまでの常識を捨て、彼等の常識を拾うのに苦労しました。
    3ヵ月程経って、ようやく彼等の目線を追えるようになり、それ以降とても気楽な旅になりました。
    今の日本から失われつつある「分を弁える(カーストの上下も含め)」があり、
    彼等を傷つけない限り、日本人は尊敬の対象でした。
    残念ながら、初期の私は彼等の意図を汲取れず、旅行雑誌に書いてあった、誤解をしています。
    詳しい歴史は知りませんが、私が着目したのは「サドゥー(修行者)」でした。
    日本人にすれば無意味と思える事、
    例えば、「声を出さない」・「片足で立ち続ける」・「爪を切らない」・・・
    其々、様々な課題を設け、それを何十年も続けている様は驚嘆に値すると思って居ます。
    日本にも様々な修行僧がいます。
    木喰さんと呼ばれ、木の皮だけの食事に徹した人が居ました。
    しかし、違っている処があると思っています。
    インドでは難行であれば良い、日本では道理を求められます。
    いずれにしても、目指す処は悟りですが、サドゥーは方法が幼稚と思ってしまいます。
    しかし、「一芸に秀ずれば、多芸に通ず」との諺があります。
    おそらく、そんな考えが彼等にあると思えます。
    さて、トピ主さんの疑問ですが、
    私なら、どう解決するか?
    おそらく、ドラビタ人に着目します。
    南インドではスプーンを「しゃもじ」と呼びます。
    皇室のどなたか忘れましたが、
    南インドには平安期と同じ発音で意味が共通している言葉が数多くあるとの調査結果を出しておられます。
    少なくともアーリア人以前に暮らし、インダス文明を起こしたのはドラビタ人と思えます。
    縄文・弥生を辿った日本と似ているように思います。
    国家がなかった縄文、国家(統制)が始まった弥生。
    蛇足:
    インドは渾沌としている謂われます。
    おそらく、人種が混じって(婚姻する事無く生活した)の結果と思います。(アイヌ民族と同じかも?)
    カースト(西洋の呼び名)は人種の継続が生んだ結果と思います。
    民族同士の婚姻を重んじ、しかし、民族に権力の差が出て、今の状態になったと思えます。

  • 日本では、明治維新まで武人(軍人)と一般庶民を明確に分けて争ってきました。
    統治者は武人を養い、武人同士の戦いに限定して、施政してきています。
    日本以外の国と、明確な違いはそこにあると思っています。
    ただ、信長だけが例外と言えると思います。(僧兵の存在が例外を生んだのかもしれません)
    ところが、明治維新以降、その垣根が取り払われました。
    継承に重点を置き過ぎたが為、柔軟性が失われ、
    進歩発展の阻害要因になったとようやく気付いたからと思います。
    ところで、何故、キリスト教を禁止したのか?
    トピ主さんの指摘をキリスト教から読み取ったと思えます。
    一般には流布されていませんが、危険を感じたと思えます。
    極論すれば、「オーム真理教」の臭いがあったと思います。

    40数年前、東南アジアからインドへと、10数か月旅をした事があります。
    その時、衝撃を受けたのは、日本人は誇るべき民族であった事です。
    敗戦後の教育では、『戦前教育は「悪しき、時代遅れ」であり、「西洋を見習い時代遅れを取り戻せ」』でした。
    つまり、偏った教育を受けていました。(今もそうです)
    辛うじて、戦前の教育を受けた親達がいて、日本人らしさを保って居ただけです。
    「世界と世間」と「社会」の観点は素晴らしいと思います。
    40数年前から、「日本の社会構造を世界に浸透させるべき」と言っていましたが、
    社会構造でなく、「世界と世間」を浸透させるべきと思います。

  • >なぜ戦争は起こるのか?と喧嘩がなぜ起こるのか?は全く同じではない。

    【感情】
    違いを解説されていますが、私は、感情に重点を置いています。
    一般にはあまり考慮されませんが、先天的感情と、後天的感情があります。
    人が持つ好悪の感情がどう育てられて行くのか?
    一般の人はまず、そこ(自分自身)を考察する経験を持ちません。(トラウマでしかない)
    どなたも知っているのは、せいぜい「食わず嫌い」位です。
    食べてみてから、間違った感情(色々ある)に気付きます。
    それとか、第一印象での好悪の感情と、その後の変化などもそうです。
    問題はそんな経験を数多くしているにもかかわらず、内観ができぬ事です。
    それは当然で、自分を知るには奥深くにある記憶を辿り、自分を観察するしかないからです。
    余程訓練しなければ、過去の記憶には辿り着けません。
    (記憶を辿ると幾重もある障壁に気付きます。その障壁が何故存在するのか分かると、その先に進めます)
    だから、感情が背景によって変わると考察しながら、事実を受取る人は少ないと思います。
    事実の受止めは感情に左右されるが、その感情をコントロールできずにいる。(一般には)
    感情は先天的だけでなく、環境により育てられる自意識があり、
    社会は個の概念を増大させる装置を果たし、益々自省を促せなくなっています。
    社会に責任転嫁する風潮が激しくなってます。

  • 【何故、戦争が起こる?】
    同じく、何故、喧嘩する?、何故、虐めが起こる?・・・
    つまり、争いが起こる原因は?
    未就学の6歳の時の疑問でした。
    母の答えは「我慢ができないから」でした。
    つまり、我儘が原因との事。
    幼い私は、我慢ができない大人が居る事に違和感を覚えました。
    小学4年生の時、
    宮沢賢治の「雨にも負けず」が素晴らしい詩と聞かされた時も同じ違和感を覚えました。
    何故なら、大人は我慢し、世間の為に成る事をする存在だと思って居たからです。
    その原因は母の弟が19歳の若さで特攻で死んだと聞いていたからです。
    「お国の為に死んで行く」との遺言の手紙が来たそうです。
    それが、6歳の時でした。
    母にとって、唯一の兄弟で、頭が良く、仲が良かったそうです。
    そんな母も今年、99歳の天寿を全うしました。
    では、68歳になった今、「何故、争いが起きる?」と聞かれると、
    母と同じく、「我慢できないから」と答えを出します。
    では、「何故、我慢できないのか?」
    私の答えは「我儘を通す理屈が常識にあるから」となります。
    つまり、トピ主さんはそこの所を「社会と世間」で分析しておられるように思えます。
    その前に、私が思う我儘とは?を書いて置く必要があります。(常識外と思うので)
    自己中心的で、死んだら終わりと考え、法律を判断基準する・・・その他
    言い換えれば、「我思う故に我あり」に賛同する人達です。
    現代人の多くはそんな人達で満ち、満ちています。
    現代の日本では、「特攻精神」の心髄を幾人理解できるか疑問です。
    犠牲的精神を褒め称えても、戦争を忌み嫌う土壌では、理解不可能のようです。
    特攻は多くの人達の役立つ行為なのに、全否定されています。
    つまり、自己矛盾を起こしているのに、「戦争放棄」が、矛盾に気付かぬ楯と成っています。

本文はここまでです このページの先頭へ