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投稿コメント一覧 (2430コメント)

  • >>No. 17673

    こんばんは。
    腰はなんとか治まってます。

    『〆切本』、こちらの図書館では誰も借りてないようです。
    〆切が来ないと、なかなか何も出来ないのが人なんでしょうかね。
    今年の〆も、もうすぐですね。

  • いつまで寝てればいいのか…

    本は、
    ジョージ・オーウェル『一九八四年』をやっと借りてきて読み始めました。英国人の読んでないけど読んだふりしとこう本の第一位ではないかと言われてるこの本。まだ読み始めですが、結構面白いですよ。読んだ方がいいと思います。

    軽い本では、
    月村了衛『水戸黄門 天下の副編集長』。
    大日本史の編集が遅々として進まないのに業を煮やした黄門様が自ら原稿取り立てに諸国を行脚するという、某テレビドラマのパロディ。
    『〆切本』という本も少し前に話題になりましたが、作家さんにとって〆切は大変恐ろしいもののようです。
    海月も読書会会長から文章を書けと迫れています。しかしこれがなかなか纏まらない。物にはならないんですよ。
    対して会長は次の新聞の文芸賞の〆切が二日後なんで今から一作仕上げる。なんてのが平気なんだからこの人はすごいと改めて感心してます。
    ただ出来た作品は??なんですが。(笑)

  • こんにちわ。
    すごく久しぶりになってしまいました。
    “哲学カフェ”とか参加して遊んでました。

    廊下が話題ですか。
    あ、違う、老化でした。
    海月は一週間ほど前から腰に違和感があって、不味いなと思って気をつけていたんですが。
    一昨日、床から鞄を取り上げようとしてやってしまいました。ぎっくり腰。
    これも老化なんでしょうね。

    医者に行ったら、「痛み止め出しとくから、これでしばらく様子見て」と。
    ○キソニンって、初めて飲みましたが結構効きますね。
    でも痛みは無くなっても治った訳じゃないから…そのまま前と同じようにしてたら、何時までも治らない?
    特に海月の場合は、痛みがないとバンバン普通のように仕事してしまうぞ。(笑)
    なので、今日は痛みがあるつもりで、ずっと寝てます。

  • >>No. 17650

    >君の名は…
    文庫なら260ページほど。長すぎず短すぎず…かな。

  • >>No. 17645

    もう一枚、看板のないやつも。

  • 少し時期が遅れてしまったのですが、ススキの原で有名な砥峰高原まで行って来ました。
    毎年、地元の人達が山焼きをしてススキの原を守っているそうです。
    今日は穏やかな天気で、白銀の波を眺めながら思いっきり日向ぼっこしてました。
    日本の原風景やね〜。

  • >>No. 17642

    婚活の記事とか読んでると、難しいよねと思ってしまう。
    100%完璧な異性と出会うなどないもんね。

  • >>No. 17639

    うちもファンヒーターを用意しないと。

    しかし、仕事のない日は布団から出たくない。
    (。>﹏<。)

  • >>No. 17638

    「これまでで一番愛おしい男を描いた」桐野。
    「でもさ、ここまで愚かだとなんか憎めないんだよね」千早茜。

    以外にてんてんさんは好きなんじゃないですか、こんな男が。

  • 本は、岩波ジュニア新書の橋本武『<銀の匙>の国語授業』を再読してます。
    「大事なのは答えでなく過程です。早急に答えを求めてはいけない。すぐに役立つものはすぐに役立たなくなります」
    最近はインスタ映えとかが流行り。そんな写真を取るために観光客が押し寄せるとか。
    確かに写真はすぐ見てわかるし、楽しいのでしょう。でも飽きるのも早いのでは。
    しっかり立ち止まって、よく見てちゃんと考えるという、当たり前のことが大切なんだと思います。

    橋本先生の授業は「横道にそれる」というもの特徴でした。
    本も横道にそれながら読むと面白い。たとえば、こんな本も読んでます。安曇潤平『山の霊異記』。この本は登山の好きな安曇さんが山で見聞きした怪談を集めたなんということはない短編集。
    ではタイトルの「霊異記」とはなんでしょうか。調べてみます。「霊異記」とは、822年頃成立の『日本霊異記』のことで、因果応報の仏教思想を表した説話集だとか。安曇さんの本は説話的でもなんでもないのはちょっと残念。
    山の話なので「アルプス」も出てくる。もともとのアルプスはヨーロッパにあるマッターホルンやらモンブランやらのある大山脈。安曇さんの本では「煙」という短編で静岡の沼津アルプスが出てくる。最高峰でも400メートルほどの低山ばかりだが、五峰七峠あって全部縦走すると高低差が1000メートルを超えるとか。天気が良ければ富士山とかよく見えるんだろうなぁ。アルプスをネットで調べていたら、日本一低いアルプスなんてものありました。海月の住んでるすぐ近く「小野アルプス」。知りませんでした。足がもうちょっと良くなったら縦走しないと。

    こんなふうに横道にそれながら読むのも楽しいかと思います。時間はすごくかかりますが。

  • こんばんは。
    今年もあと47日ですよ。
    最近カウントダウンを数えてくれるページを見つけて遊んでます。そのページに過去の日付を入れれば、今日まで何日過ぎたかも数えてくれます。自分の誕生日を入れたら19000日ちょっとでした。そうなんや、そんなにクルクルと地球は回ってたんやと。
    今日も日が沈みました。

  • >>No. 17626

    こんばんは。
    蜂の方はほとんど治りました。捻挫のほうが未だに変なふうに足をひねると痛みがある。
    完全には治らないかもしれないですね。

    >大佛次郎さん
    猫に生まれ変わって、悠々と日向ぼっこしてる…そんな気がします。

    海月は性格的にも猫より犬のほうが好きです。
    もし忠犬ハチ公の待っている対象が、人間のご主人様ではなくて猫の恋人だったら…
    みんな、待たなくていいって…思わないですか?
    意味分かんないですね。(笑)

  • こんばんは。
    昨日は洗濯した制服を持って出勤し、ズボンを履き替えたら太ももに激痛が。
    干してる時にスズメバチ?が入っていたようです。蜂は窓から逃げられてしまった。
    スズメにしては色が黒かったので、もしかしたらクマバチだったかも。
    仕留めそこねたのが何より残念。
    しかし、今年はダメですね。捻挫に蜂に次はなんでしょう。

    本は岡倉天心『茶の本』。
    茶道は道教から禅を経由してその精神を体現しているとか。
    すごく面白い本だし、日本とはと考えた時読んでいなくてはならない本だと思います。
    悲しいのはほとんど忘れられていること。なぜ忘れてしまったのでしょうか。

    第六章「花」から。
    「原始人は、思いをよせる乙女に初めて花束を捧げた時、獣でなくなったのだ。自然界の粗野な本能を脱して人間となったのである。無用なものの微妙な有用性を知った時、彼は芸術家となった」

  • おはようございます。
    また台風ですね。

    高齢で動けなくなるとボケますね。
    海月も捻挫が今だに良くない。、
    近くのスーパーまで歩いていけるのは行けるのだが、そうすると足が痛い。
    こうやってだんだんと老いていくのかなと思う今日この頃。

    てんてんさん、「あらしのよる」楽しんでください。いい出会いがあれば…ん、ご主人さんも一緒かな。(^・^)

  • 西條奈加『猫の傀儡』

    猫好きって、猫に操られているのかもしれない。
    十五匹もの猫を飼っていた大佛さんも操られていた?
    確かに操られているんじゃないかという人もよくいるような気もします。
    たぶん、そんな発想からこの本も書かれたんでしょうね。

    江戸時代、猫町で暮らすミスジは、先代の順松が行方不明になったため、その後を次いで猫の傀儡師となる。ミスジは町内に住む猫たちが暮らしやすいように、人間を傀儡としていろいろな猫の悩みごとを解決していく。その中で先代順松の失踪の理由も明らかになっていく。

    たまに図書館でうろうろしていると猫の本に引っぱられるのは、海月も猫に操ら始めているのかもしれない。

  • >>No. 17594

    こんばんは。
    そうそう、トイレはキンモクセイ。
    最近の消臭剤には、キンモクセイなんてないですね。出始めがキンモクセイなんですか。
    海月の田舎では、トイレの外に金木犀の木そのものが植えてあるというイメージです。
    なんか一時代前の話ですね。

    年を取ったといえば、右足首を捻挫しました。
    約束の時間までに少し早かったので、車中で待っていたのですがその間に寝てしまい。飛び起きて出ようとしたら足が痺れていて、変な足の付き方をしたらしくて…
    足が痺れてるって感覚もわからなくなる。
    年ですよね。

  • >>No. 17592

    『あらしのよるに』
    アニメ映画は知ってましたが、歌舞伎でもやってたんですか。ちょっと落語っぽいところもあって楽しい作品でした。

  • きむらゆういち『完全版 あらしのよるに』

    図書館では、なぜか教科書コーナーの棚に分類されてる。海月はべつに教科書にしなくても思うのですが。もとは全七冊の絵本です。

    嵐の夜に、真っ暗闇の山小屋で出会ったのはヤギとオオカミ。
    オオカミは足をくじいていて気の杖をついていたから、足音が蹄の音に聞こえた。
    雨に打たれて、ヤギもオオカミも鼻風邪状態で臭いもわからない。
    設定が細かい。
    声だけしかわからない二人は心を通わせ友だちとなる。
    友だちとなっても、もとはヤギとオオカミ、食べられるものと食べるもの。
    オオカミが自分の食欲に負けて、友だちのヤギを…
    二話あたりまでは、このドキドキ感がおもしろい。
    三話以降は、設定が「恋の逃避行」みたいになってしまって、おかしくなる。
    最後までこの二匹(人?)の性別はないので、恋ではなくあくまで友情、なので教科書にされてるんが。

    海月は「ああ、食べちゃった!」「ああ、食べられちゃった!」のスリルだけを楽しむのでいいと思うのですが。
    そういえば、秋ですね。お腹が空きました…。

  • >>No. 17588

    おはようございます。
    ノーベル文学賞の選考基準はよくわかりません。昨年のボブディランなんか、なぜ?!ですが。

    哲学については学ぶことは大切だとは思います。
    少し前のことですが、大学の医学部に入ってくる学生が生物の勉強をまったくしないで入学してくるという話がありました。人の体は当然細胞からできていて、細胞が生きてるから病気にもなる。その細胞のことを学ぶのが生物学なのに、それを知らないで医者になろうとする。大学でもう一度医学の基礎の生物を教えないといけない。教授の先生方はやってられない。高校でちゃんと教えろ。

    その生物学のもうひとつ前、「生物とは何か」「生きてるとは、どういうことか」、この問題は哲学だと思うのですが、日本の子どもたちは、どこでこれを学ぶのでしょう。
    科学の基礎には哲学があるはずなんですが、それを飛ばしてしまう日本の教育はいかがなものでしょうか。

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