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西洋哲学

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  • イクストラン君の哲学探求の結晶
    • 985
    • 2019/01/28 09:37
    http://www.eleutheria.com/ イクストラン君を好む人も、嫌う人も、彼の真剣さに心を打たれ、 驚嘆の念を覚えるだろう。
  • テキストリーム遂に終了!!!(涙)思い出をしみじみと語るスレ(^_^;)
    • 210
    • 2019/01/28 08:51
    突然終わりますね。薄々感じてはいたのですが、まだまだ先だろうくらいに考えていました。今年一杯ということです。なんとも寂しいカウントダウンになりそうですね今年は。まあとにかく、最後の3ヶ月、盛り上がっていくぞ!!(^o^)誰でも参加大歓迎!!!現役はもちろん、OBやロムの方も他カテの方もなんでもいいのでカキコお願いね♪
  • ふたたび哲学者はキティちゃんが大好き
    • 2373
    • 2019/01/28 08:49
    平和の使徒キティちゃんを愛好する自称哲学者kittydanielx再び登場です
  • カント先生について勉強してみる。
    • 2520
    • 2019/01/28 06:38
    カント先生の思想を、わかるところだけでも理解したいと願い、少しずつでも勉強していけたらなとスレッドたててみました。よろしくお願いします。
  • get953さんと語ろう!
    • 21440
    • 2019/01/27 23:41
    YAHOO哲学板の「知の巨人」、get953といろいろ語りましょう。getさん、よろしくお願いします。
  • 自然は厳しい
    • 203
    • 2019/01/27 18:42
    自然は厳しい。 人間だけでなく動物は自然と共に生きている。 この寒さでは暖かいところもないし食料もないんだろう。 それで民間に降りてきて食べようとしているんだろう。 かわいそうだ、自然は厳しい。 地震、噴火、水害、風、雨、雪 生きることは大切であるがまた大変なことでもある。 人間はこの自然にどのように対処してゆくべきなのか議論したい。
  • 機械で心はつくれるか?その2!
    • 4496
    • 2019/01/27 08:17
    ウデスパーさんがこのトピを立ち上げた頃が哲カテの全盛期やったかな。 心で機械はつくれるが、機械で心はつくれるか? 先月、ディープニューラルネットワークを組み合わせたアルファ碁がプロのトップ棋士を破ったとかなんとか大騒ぎになったので再び立ち上げてみますたが、まぁ、どんなテーマでもええんとちゃうかな。 立ち上げただけで放置することもありえるけど、つくるだけつくってみた。
  • ◆認識と記憶◆
    • 660
    • 2019/01/27 01:08
    音楽現象学
  • 中島みゆき は 神である
    • 117
    • 2019/01/22 16:48
    今朝、ラジオで「空と海のあいだ」を聞いていて、そう思った。間違いない。筆者は昔、彼女が卒業した高校に勤務していたことがあるが、帯広市内の産科医院のお嬢さんだそうだ。天理教のパトロンにもなっているらしいので、彼女の世直し的傾向がうかがわれる。神と言っても、インドのカーリー神のような、髪振り乱した破壊の神でもあろう。筆者は今後、彼女の精神を、可能な限り、世に広めることに努めよう・・
  • ARCANE 17
    • 1143
    • 2019/01/07 01:22
  • Let'sPensées!
    • 2537
    • 2019/01/05 17:15
    東哲で長く同タイトルのトピを立てていましたが ストーカーが多いのでこちらに移動しました。 話題は宇宙、芸術、エトセトラ・・・ どうぞよろしく
  • 哲学中図書館
    • 137
    • 2019/01/04 23:06
    あるいは新しい高校教科書編集のための資料室アメミナカ版西哲中央政府綱領案 綱領 (案) 2011/10/14 13:39 [ No.19 / 107 ] 投稿者 : ame_minaka 一、われわれは、哲学の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進する一、われわれは、哲学の歴史と伝統を尊重し、誇りをもってその天分を活かし、哲学による平和実現とカルト撲滅の先頭に立つ一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を実践する キティ版西哲中央政府綱領修正案 2011/10/21 6:25 [ No.109 / 199 ] 投稿者 : kittydanielx 一、ヤフー掲示板西洋哲学カテゴリーの主要メンバーたるわれわれは、哲学の歴史と伝統哲学の尊重の見地に立ち、その研究の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進することをここに宣言する一、われわれは、哲学が真理を目指しながらも多様で多面的な知の体系かつ営みであることを確認し、誇りをもって各自の天分を活かし、哲学による平和の実現とそれを妨げるカルト撲滅の先頭に立つ一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を構築し実践することを目標とする 一、われわれの政府は西洋哲学カテゴリーの無政府状態を終息させることをその目的とするが、ある特定の思想方針でもって構成員もしくは住民を統制することを目的としない。また独善や権威主義に陥らぬよう常に反省の意識を新たにするものである   西哲中央政府の基本政策 2011/10/27 9:25 [ No.7 / 29 ] 投稿者 : ame_minaka ・カルトの撲滅 人権及び自由を侵害するカルトを撲滅する。・哲学の普及 哲学を広く深く行き渡らせる。・哲学の教育 物事の根本を教える。本トピは形式上kittydanielx氏の所有であるが西哲中央政府の直系に所属するものである。本図書館は主に新しい高校教科書編纂のために必要となる中等教育・乃至大学教養課程レベルの文献ならびに情報を収集することを目的とする。
  • イアン・ハッキング 表現と介入
    • 199
    • 2019/01/03 18:44
    ちくま学芸文庫
  • 神の家
    • 361
    • 2019/01/01 00:54
    Ⅰペテロ 2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、 神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
  • 西哲中央政府財務省投資局 並びに 国策会社キティFX証券
    • 518
    • 2018/12/30 19:07
    アメミナカ版西哲中央政府綱領案 綱領 (案) 2011/10/14 13:39 [ No.19 / 107 ] 投稿者 : ame_minaka 一、われわれは、哲学の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進する 一、われわれは、哲学の歴史と伝統を尊重し、誇りをもってその天分を活かし、哲学による平和実現とカルト撲滅の先頭に立つ 一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を実践する キティ版西哲中央政府綱領修正案 2011/10/21 6:25 [ No.109 / 199 ] 投稿者 : kittydanielx 一、ヤフー掲示板西洋哲学カテゴリーの主要メンバーたるわれわれは、哲学の歴史と伝統哲学の尊重の見地に立ち、その研究の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進することをここに宣言する 一、われわれは、哲学が真理を目指しながらも多様で多面的な知の体系かつ営みであることを確認し、誇りをもって各自の天分を活かし、哲学による平和の実現とそれを妨げるカルト撲滅の先頭に立つ 一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を構築し実践することを目標とする 一、われわれの政府は西洋哲学カテゴリーの無政府状態を終息させることをその目的とするが、ある特定の思想方針でもって構成員もしくは住民を統制することを目的としない。また独善や権威主義に陥らぬよう常に反省の意識を新たにするものである    本トピは西哲中央政府の統括下にあります。腹が減っては戦はできぬ。飯を食わなきゃ哲学もできぬ。お待たせしました。構想から3年、また久々振りの西哲中央政府直系トピの設立です。
  • BC級グルメ哲学・味の美学
    • 371
    • 2018/12/30 12:56
    プロレタリア的勤労人民大衆的グルメ リニュアール新登場
  • 哲学大図書館
    • 3196
    • 2018/12/03 20:40
    蔵書目録
  • 天皇制が、ある限り
    • 16
    • 2018/12/03 20:13
    この国は良くならん
  • Yahootextream西哲OB連臨時政府集会所スレッド作成準備委員会
    • 10
    • 2018/12/01 00:51
    皆さん周知のことですが本年12月31日付けでYahootextream西哲トピが終了となります。旧掲示板時代から共に語らい、共に研鑽を積み、ときにはトムとジェリーのごとく仲良く?喧嘩してきたわたしたちでしたが、これも何かの縁、何かの浮世の腐れ縁なのかも知れません。そこで考え付いたのが5チャンネルに「Yahootextream西哲OB連臨時政府集会所」(仮称)なる連絡トピをつくり、本来の移住先を探すまでの連絡場所にするというものです。これにはまずリヴァイさんが賛成してくれました。現時点ではかの地にトピを作成するのは可能ですが、何せかつて(今も?)悪名をもってならした掲示板ですのでYahootextreamのぬるま湯の中でやってきたわれわれには困難な面も存在することが予想できます。もし実際に「Yahootextream西哲OB連臨時政府集会所」が作成されるとすればどのように運営されるべきか、Yahootextream西哲OB連の方々に大いに語っていただきたいということで本トピの開設の言葉と致します。
  • 宋書
    • 8604
    • 2018/11/22 20:50
    イヤー元書とは、甘かった。宋書と名乗る、悔しいが!
  • 神が存在すると考える方が、神が存在しないと考えるより
    • 83
    • 2018/11/21 11:40
    合理的である。 その方が、宇宙の成り立ちを合理的に説明できる。 その存在の仕方は、超越的か? それとも、汎神論的か? (スピノザ的) 答えは、超越的であろう。(私は、以前には汎神論を支持していた) ようするに、我々の宇宙の外部に、神 ( 創造者 )が存在するのである。 こういう立場に立つ時、必然的に起きる問題は、 その神 ( 創造者 ) を造ったのは、誰なのか? という無限連鎖の問題である。
  • 人類よ団結せよ、われわれの真の敵はエボラウイルスだ
    • 16
    • 2018/11/16 04:00
    アメミナカ版西哲中央政府綱領案 綱領 (案) 2011/10/14 13:39 [ No.19 / 107 ] 投稿者 : ame_minaka 一、われわれは、哲学の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進する 一、われわれは、哲学の歴史と伝統を尊重し、誇りをもってその天分を活かし、哲学による平和実現とカルト撲滅の先頭に立つ 一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を実践する キティ版西哲中央政府綱領修正案 2011/10/21 6:25 [ No.109 / 199 ] 投稿者 : kittydanielx 一、ヤフー掲示板西洋哲学カテゴリーの主要メンバーたるわれわれは、哲学の歴史と伝統哲学の尊重の見地に立ち、その研究の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進することをここに宣言する 一、われわれは、哲学が真理を目指しながらも多様で多面的な知の体系かつ営みであることを確認し、誇りをもって各自の天分を活かし、哲学による平和の実現とそれを妨げるカルト撲滅の先頭に立つ 一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を構築し実践することを目標とする 一、われわれの政府は西洋哲学カテゴリーの無政府状態を終息させることをその目的とするが、ある特定の思想方針でもって構成員もしくは住民を統制することを目的としない。また独善や権威主義に陥らぬよう常に反省の意識を新たにするものである    本トピは西哲中央政府の統括下にあります。久々振りの西哲中央政府直系トピの設立です。
  • カトリシズムと哲学とのリベラルなる交流
    • 2917
    • 2018/11/14 06:14
    正式トピ名 カトリシズムならび諸宗教と哲学とのリベラルなる交流luke vsop氏との108協定により本トピは開設されるトピ主 kittydanielx支配人・管理人 luke vsop2008 108協定?司令部トピの内容を見ていただけるとおわかりだと思うが、西哲カテにおけるあなたへの評価は極めて厳しいものがある。この小生とてあなたに完全に気を許しているわけでは無い。?新たに設立するトピはあくまでカトリックと西洋哲学のリベラルな対話あるいは討論を主旨とするものにしていただく。どちらかの優位あるいは宣教が密かに前提とされるものではない。?いわゆるはしにも棒にもかからない、水準の低い××教徒に対しては、相手に応じて優しくあるいは厳しく叱責して退散してもらう。これは共同作業です。?あなたに疑問な点がハッキリ顕在化した場合は、あなたに当カテからご退去いただく。?まずあなたが(失礼ながら)カルト系組織の人間ではなく、正真正銘のカトリックだということを誓っていただきたい。以上の条件(仮に108協定と呼んでおきましょう)を認めていただきたい。 ※108協定は2008年10月9日 午前0時0分 成立した。
  • ようこそ西哲へ
    • 377
    • 2018/11/14 05:39
    アメミナカ版西哲中央政府綱領案 綱領 (案) 2011/10/14 13:39 [ No.19 / 107 ] 投稿者 : ame_minaka 一、われわれは、哲学の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進する一、われわれは、哲学の歴史と伝統を尊重し、誇りをもってその天分を活かし、哲学による平和実現とカルト撲滅の先頭に立つ一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を実践する キティ版西哲中央政府綱領修正案 2011/10/21 6:25 [ No.109 / 199 ] 投稿者 : kittydanielx 一、ヤフー掲示板西洋哲学カテゴリーの主要メンバーたるわれわれは、哲学の歴史と伝統哲学の尊重の見地に立ち、その研究の命運を拓き、哲学徒の自由と繁栄と幸福を増進することをここに宣言する一、われわれは、哲学が真理を目指しながらも多様で多面的な知の体系かつ営みであることを確認し、誇りをもって各自の天分を活かし、哲学による平和の実現とそれを妨げるカルト撲滅の先頭に立つ一、われわれは、哲学の視点に立って衆知を結集し、哲学徒の協調心と自立心と公共心に立脚する本物の哲学を構築し実践することを目標とする 一、われわれの政府は西洋哲学カテゴリーの無政府状態を終息させることをその目的とするが、ある特定の思想方針でもって構成員もしくは住民を統制することを目的としない。また独善や権威主義に陥らぬよう常に反省の意識を新たにするものである   本トピは西哲中央政府の統括下にあります。本トピは外部からの来訪者の方に西哲トピの趣旨をお知らせするものです。また西哲中央政府の事務局も兼ねております。
  • 精神のアウシュヴィッツ
    • 31
    • 2018/11/11 15:02
    現代の精神は、死んだものとしてしか存在しない。 生きた精神の回復には、闘争と革命が必要である。 精神科医療の改革・責任追及を手始めとして現代における魂の再生を図る。
  • 元書
    • 2070
    • 2018/10/31 23:08
    基本ゆえ元書となずけてみる。
  • 死人に口なし
    • 25
    • 2018/10/29 07:52
    利権の笹井芳樹が殺された 自殺と報道されている 死人に口なしだ
  • 対カルト西哲防衛軍総司令部
    • 2348
    • 2018/10/12 00:25
    赤軍よりもベトコンよりも強く、断固徹底抗戦!!!!
  • ☆ 虚数の不思議 ☆
    • 6
    • 2018/09/25 10:44
    ☆ 虚数の不思議 ☆ 井出 薫  虚数は不思議だ。2乗して-1になる数など存在しないと初めは誰もが考えた。だが、今では、それは数学にはなくてはならない存在となっている。  虚数の存在は二次元上の半径1の円を考えると理解がしやすい。1に-1を掛けると-1、もう一度-1を掛けると1に戻る。-1*-1=1。これを半径1の円周上で180度の回転を二度続けて行なうと考えることができる。だとすると二乗して-1になる数を考えることは難しくない。円周上で90度回転させた数が-1の平方根と考えることができる。なぜなら、この操作を二度続けて行なうと180度の回転になり、それは1の対称的な位置にある-1になるからだ。  こうして虚数iが導入された。実数を横軸、虚数を縦軸と考えることで、二次元平面上で複素数の世界が展開する。  数を実数から複素数に拡大することで、数学の世界は飛躍的に拡大して、数学理論の内部だけではなく、様々な領域で数学の応用が広がった。電磁気学などで欠かせない道具である等角写像の手法などは実数の世界では展開できない。不確定性原理と、独立な状態の重ねあわせを基礎原理とする量子論は、その基礎からして複素数の世界になる。なぜなら、不確定性原理で表現される相補的な物理量(たとえば運動量pと位置x)が重ねあわされた量子状態は、1次元的な実数の世界では表現不可能だからだ。つまり量子論は複素数の世界でのみ展開可能で、複素数がなければ量子論を体系化することはできなかった。  ところで、これまでの説明を聞くと、複素数の世界は二次元のベクトル空間と同じではないかと感じる人がいるかもしれない。だが両者は違う。二次元のベクトル空間ではX軸とY軸は同等な存在であるが、虚数軸と実数軸は異質な性質を持つからだ。それはiの2乗が-1であり、1の2乗が1であることからも容易に想像できるだろう。複素数を表現する二次元のモデルはベクトル空間ではない。  虚数と実数を二次元で表現できることから、さらに、実数1でも、虚数iでもなく、第3の数(超数?)jが存在するのではないか、そういう数を導入することで、複素数が数学を拡大したように、さらに数学を強化できるのではないか、こう考える人がいるかもしれない。  だが、そういう数を導入することはできない。そういう数は実数と虚数の和で表現される複素数に還元されることが分かっている。複素数以上に数を拡大することはできないのだ。「虚実」という言葉はあるが、「虚実〇」の〇を埋める適当な文字がないように、第3の数はない。  私たちが暮らす空間は、(超弦理論など最新の物理理論ではいざ知らず)普通三次元だと思われている。ところが、私たちの思考の基礎的枠組みの重要な一部である数学では、二次元的な世界が数の世界になる。人間の脳は三次元の世界を二次元に変換して理解していると言われているが、もしかすると数の世界が二次元以上に拡張できないのは人間の脳の構造や機能と関連しているのかもしれない。虚数はやはり謎に満ちている。 (H19/3/18記)
  • 女たちの冷たく静かな空間
    • 503
    • 2018/09/24 01:52
    |ω・`)
  • 宇宙人は
    • 16
    • 2018/08/05 11:12
    絶対いない
  • 堂々僕美学
    • 170
    • 2018/07/05 01:50
    ???!!!
  • 《倫理学》
    • 2858
    • 2018/07/04 21:33
    倫理道徳について考えるトピ
  • 唐書
    • 11
    • 2018/05/18 09:44
    唐書と名付けてみる、ここに私の問題がある、切磋琢磨しましょう。
  • 隋書
    • 7
    • 2018/05/18 09:42
    無知の知、根本的無知。隋書から、先ず中庸。
  • 一票の格差
    • 5
    • 2018/04/27 20:43
    明らかな憲法違反でも、是正されない、おかしい
  • 意識などの物理的な説明と、観念の浮上
    • 32
    • 2018/04/15 09:40
    突然ですが、お邪魔をします。「小説家になろう」という小説の投稿サイトがあって、そこに「意識のはじまり」という小説が投稿されていました。タイトルや関係ありそうなキーワード3つくらいの組み合わせで検索できます。 読んでみたところ、ベルクソンの「無は存在しない」から始まって、それが、物質を経由して、意識や観念などの話にまでつながっているようでした。 たとえば以下のようなことについて書かれていました。まとめ方がへたなことや誤解の可能性のあることはこちらの責任です。お許し下さい。 ●無が存在しないとすれば、なにかがただ有であるばかりか? その有とはどんなものか? 有の開始点はあるか? どんなものか? ●有の開始点にゲーデルの不完全性定理は適用されるか? ●論理性はどこに存在するか? ●この宇宙に適用されている論理性や物理学とは別の論理性や物理学は存在しないか? ●虚数は存在と言えるか? ●思考実験:実効性をおびた物質の性質があれば、それは物質として振るまうか? 性質が実体に先立つか? ●なにが物質の性質を体現しているか? ●この宇宙での本当の存在と言えるのは、エネルギーだけか? 精々、無数のエネルギーで構成される量子の状態波動体までか? ここで、状態とは、そこに量子が存在するという状態。量子そのものは存在せず、そこに量子が存在するという状態がエネルギーによって醸しだされているだけか? 言わば、粒子(実体)とは、状態というなんとなく得体の知れないものによってもたらされる巨視的な幻覚のようなものであるとも解釈できるか? ●量子がこの宇宙に存在するには、相互作用を起こせないといけないか? 論理性は、この宇宙では量子が相互作用を起こせることを求めているか? ●量子が相互作用を起こすには、他の量子との接触で変化・検出・反応が必要か? (核分裂のような激しい変化ではなく) ●二つの量子の接触で、各々の量子に変化は生じるか? また、変化・検出・反応に順序はあるか? ●外界の検出は、相互作用によっているか? 外界の検出は、外界の変化に対応して生じる自分の変化の検出によっているか? さもなければ、外界の存在には気づけず、外界のことは知りえないか? ●思考実験:純粋な精神は物理世界のことを一切知りえないか? 意識が外界を認知できていると仮定すると、意識はその内に外界の変化を検出できるための物質性をそなえていなければならないか? ●物質のなかに意識になれそうなものは何かないか、意識と同質と感じられるものは何かないか、と探してみることは妥当か? 精神は、物質と統合できるか? ●生物でのエントロピの減少は自然なことではないか? 生物でのエントロピ生成速度は自然に減速するのではないか? ●生物ではエントロピ生成速度が自然減速するという推測の根拠はなにか? ●生命性とは、持続的可変性・可変的持続性・変化の残像性・変化の微分性のことか? ●次のようなことが意識のヒントにならないか? 1) 生命性 2) 物質性 3) 創発 4) 創発を起こすものである物質の性質 5) 生物でのエントロピ生成速度の減速性 また、観念というものがかなり重要視されているようで、観念についての新しいのではないかと思われる考えも展開されていました。たとえば、「観念」の出現頻度はきわめて高いのですが、「情報」の出現頻度は低いです。たとえば、10章「意識開闢」の、「認知開闢・観念開闢(知るということと観念の関係)」の節。 全体として、そう言われてみればそうかもしれないという気がしないでもないのですが、正直なところ、その真偽や正誤についてはよくわかりません。 皆さんはどう思われますか? けっこう色いろなことが書かれているので、的を絞るのが大変かもしれませんが、8章「性質実体一元二面論」と10章「意識開闢」には小見出しの詳しい目次がつけられています。これを頼りに興味が持てそうなところをまず適当に拾い読みしてみるという手もあるのではないかと思います。
  • ニーチェ*ハイデガー
    • 14
    • 2018/04/14 17:56
    くだらん
  • 有給休暇って
    • 4
    • 2018/03/31 07:12
    なんのために あるの?
  • 哲学して精神病になった人集合!
    • 41
    • 2018/03/15 18:38
    私は哲学のし過ぎ、というか考え過ぎで統合失調症になりました。 今は寛解していまーす。 あんまり哲学書は読まないで自力で考えるのが好きでした。 現在、読みたい本はシオランの崩壊概論でーす。 軽いノリで精神病になった経緯、好きな本を教えて下さい。 みんなで病気を克服して、より良い哲学ライフを復活させよう!
  • 天皇制を国民投票に掛けて、国民の審判を仰げ
    • 19
    • 2018/03/05 23:52
    そうして、 くだらん天皇制を廃止しろ。 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
  • カミュ
    • 21466
    • 2018/02/05 15:28
    カミュが好きで・・・・禅仏教者なんですが、かれのなんともいえぬ、ペシミズムというか、どうしようもない感じが好きで?、数十年アタマから離れませんでした・・ そうだな・・・異邦人でも、シジフォスの神話でもいいんですが・・・ 東洋哲学は、アラシのひとが多いんで・・・西洋哲学で、ゆったりと考える人たちが いらっしゃるのか、どうか、わかりませんが・・・ まあ、リアクションを期待しています ライナス.・愚・スペースエクスプローラー
  • ☆ 「事実」とは何か ☆
    • 5
    • 2018/01/26 11:18
    ☆ 「事実」とは何か ☆ 井出 薫  「事実」とは何か。この問いに答えるのは容易ではない。「私が昭和に生まれたのは事実だ。」、「事実、彼はこの時計を持ってきた。」、このように「事実」という言葉は様々な場面で使用され、それを理解することに苦労することはない。「事実」の意味は誰もが分かっている。それなのに「事実とは何か」と問われると答えに窮する。  「事実と規範」という区別がなされることがある。20世紀を代表する法哲学者の一人、ケルゼンは両者を峻別し、さらには規範を法規範と道徳規範に分け、法学の対象を法規範に限定する。ケルゼンによれば、それにより法学は(純粋法学という名の)科学として確立する。ケルゼンの考えは参考になるが、事実と規範の関係は明らかにはならない。規範が事実と異なるのは真実だとしても、如何なる規範も事実があって初めて規範として確立する。人々が、規範を守るのは、教育現場や生活の様々な局面で、その重要性を事実として認識することに基づいている。暴力行為に対する嫌悪感、嘘を吐くときの疾しさ、違反したときに受ける罰、こういう事実を体験することを通じて、規範を守るべきであることを人は悟り、日々、それを再確認する。規範を事実に、事実を規範に還元できないとしても、両者は独立して存在するものではない。だが、そのことは容易に理解されるにしても、事実が規範と一線を画することもまた真実で、依然として「事実」の意味とその位置づけは解明されないままに留まる。  ケルゼンと並び法実証主義の代表的な存在と目されるハートは、言語行為論のオースティンや言語ゲームのウィトゲンシュタインの哲学を参照しながら、法を一次ルールと一次ルールを制定・廃止・承認する二次ルールの統一体として捉える。そこでは、ケルゼンでは峻別されていた事実と規範の境界線は流動化され、事実と規範を共に言語ゲームという枠組みの中で捉えることが可能となる。だが、これにより新たに問題解明の道具が得られるにしても、それでも「事実」の意味が解明される訳ではない。  「事実」は、ときには「真実」と同じ意味で使用される。本稿で挙げた最初の例「私が昭和に生まれたのは事実だ。」の「事実」は「真実」に読み替えても意味は変わらない。だが常に「事実」を「真実」に等置することはできない。二番目の例「事実、彼はこの時計を持ってきた。」の「事実」を「真実」に置き換えるといささか違和感がある。この文の「事実」は、「彼はこの時計を持ってきた。」という出来事を強調するために使用されており、真実とか虚偽とかを意味する性格のものではない。また「事実と規範」という表現は、「存在と当為(なすべきこと)」という表現と同じ意味を含むものとされることもある。かと言って、「事実」と「存在」を同一視する訳にはいかない。(「事実」と「存在」については後述する。)
  • 明書
    • 523
    • 2018/01/13 22:31
    明が価値になり、明書と名付けてみる。元書の続きだ。
  • インターネット、って
    • 3
    • 2018/01/11 18:15
    便利だな
  • ☆ ニーチェの魅力 ☆
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    • 2018/01/03 01:11
    ☆ ニーチェの魅力 ☆  ニーチェは男女差別論者だ。「女に選挙権を与えるなどバカげている。」などという言葉を平気で口にする。だが、ニーチェは普通の男女差別論者とは違う。ほとんどの男女差別論者は、男が女より優れているから男性上位になるという論理を展開する。しかし、ニーチェは、男が女との戦いに勝ったから男が女を支配している、好きこんでその勝利を手放すことはないと主張する。ニーチェは男の優位性などを信じているわけではない。  だから、フェミニズムも案外ニーチェには寛容だ。ニーチェの考えはジェンダー論に繋がるところがある。闘争に勝った男が支配する社会体制を作ったというのがニーチェの考えであり、これは正にジェンダーとしての男の支配を意味するからだ。  ニーチェは、利他行為あるいは自己犠牲を嘲笑う。『そんなものは立派な行為でもなんでもない。人間は群れをなして生きる動物だから、集団のために自己を犠牲にするという本能を生まれつき持っている。自己犠牲、利他行為などはその本能の現れに過ぎない。寧ろ、課題はどうすれば本物の利己主義者になれるかということだ。』これがニーチェの主張だ。  真の利己主義者は、自分の優位を確信して、弱い者を平然と打ち倒す。そのような強者=真の利己主義者こそ、人類を高みへと導く者である。ニーチェは、だから、強者が弱者を抑圧することは権利であり義務である、それこそが人間を向上させるとすら主張する。  ニーチェは、強者が弱者を抑圧する権利と義務を有するという主張から、20世紀前半はファシズムやナチズムの指導的な思想として取り上げられた。  だが、ニーチェが、強者は弱者を打ち倒すべしという主張と同時に、集団のために自己を犠牲にする行為を笑うべきもの、人間の劣等性を示すものだと主張していることに注目する必要がある。これはファシズムなどあらゆる独裁思想に対する最大の挑戦だからだ。  要するに、ニーチェの思想を独裁思想と見ることもできるが、独裁思想への最強の敵と見ることもできるということだ。独裁は、体制と支配的思想への殉教を人々に強要することで成立する。だから、自己犠牲を笑うべきものと捉えるニーチェは独裁者にとっては最も厄介な存在だ。却って人民やプロレタリアート大衆への忠誠を求める共産主義者のほうが自分たちに遥かに近いことを独裁者は知るだろう。左翼から右翼へ、あるいはその逆の転向は珍しいことではない。その背景には自己犠牲を強いる精神、自己犠牲に酔いしれる精神が潜んでいる。  戦前とは逆に、戦後思想は主としてニーチェを反独裁の文脈から理解してきた。これを、右翼的ニーチェ像から左翼的ニーチェ像への変換として捉えることもできるだろう。だが、左翼的だとか右翼的だと言うこと自体が、ニーチェ的な視点からすれば、笑うべきドグマだということになろう。  ニーチェは実にアンビバレントだ。男女差別論者であると同時に、男女差別の根拠など存在しないことを明らかにする反男女差別論者でもある。強者が弱者を打ち倒す権利と義務を擁護して独裁へと人々を誘惑する思想家であると同時に、独裁体制への最強の抵抗者でもある。  いや、ニーチェは、男女差別論者を演じることで、男女差別論には何の根拠もないことを示し、独裁体制へと人々を誘惑することで、独裁は最も愚劣な政治体制であることを示そうとしているのかもしれない。  パロディスト・ニーチェ、それが本質なのだろう。ニーチェ本人が自分をどう評価していようと。そして、ここにこそ、凡百の思想家ではとうてい及びもつかないニーチェの魅力がある。
  • ☆ 作られる病気 ☆
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    • 2017/12/29 07:52
    ☆ 作られる病気 ☆ 井出薫  最近「社会不安障害」という言葉をよく耳にする。一昔前までは「対人恐怖症」と呼ばれていた病?を今はこう呼ぶらしい。あがってしまい人前でうまく話しができない、初めの人と会うのが苦手だという人は少なくない。だが、こういう症状を放置すると社会不安障害に陥り社会生活に著しい支障を来たすことがあると言われ、近年患者が急増していると指摘されている。だが社会不安障害は本当に増えているのだろうか。  私も子供の頃から人前で緊張して上手く話しができなかったり、人前で失敗をしでかすのではないかと不安になったりして、人との交わりに支障を来たすことが少なくなかった。8年ほど前にパニック障害とうつ病を患って以来、この傾向がさらに強まったという感じがする。専門家の目から見れば今の私も軽度の社会不安障害に該当するのかもしれない。  しかし、このような症状で困っている人は昔からたくさんいたと思う。小学校や中学校の頃、クラスに2人か3人くらいは、他の生徒や先生の前で、本を読んだり、歌ったりすることがとても苦手な子がいたと記憶している。でも子供達も先生も、そして本人も家族も、それを病気だ、病気の前兆だなどとは考えてはいなかった。人前で何かしなくてはならないとき、そういう子供達は、それは大変な苦痛だったろうと思うが、苦痛は一時的なもので、何も気に病むほどのことはなかったし、実際それで酷く苦しんでいたということもなかったと思う。周囲も、そういう子供に無理に人前で何かをさせようとはしなかった。人見知りをする、人前で緊張しておどおどしてしまう、顔が真っ赤になってしまう、こういうことはその子の性格、けっして矯正する必要もなければ、恥じることもない子供の性格だと考えていた。そういう子供を苛める子もいたが、先生は苛めっ子を厳しく戒めたし、叱られた子供は自分が悪かったと反省した。社会不安は病気などではなく個性に過ぎなかった。  だが時代が変わり、人々は、積極的に人前に出て、自分の意見を堂々と述べることができなくてはならないという強迫観念に支配されるようになった。それは何も児童の世界の話しだけではなく社会人にも共通する。以前は、人前で話をすることが苦手な人や初めての人と気さくに話しをすることができない人、そういう人にはその人に相応しい職場や仕事があり、そこで自分の力を発揮することができた。だが今ではほとんどどの職場でも、上手に自己PRをして、クライアントの前で弁舌爽やかにプレゼンテーションすることが要求されるようになり、そういうことが上手くできないと競争社会で生き残ることはできないと脅かされる。  その結果、元々は病気でも何でもなかったものが病気とされるようになった。そして、気の弱い人や人と競争することが苦手で自己PRの下手な人は、自分は病気で競争社会から脱落してしまうのではないかと恐れを抱くようになり、病気ではなく単なる性格に過ぎなかったものが本格的な病気となってしまうことが増えた。これが「社会不安障害が増えている」ということの現実なのではないだろうか。病気はそこに初めからあったのではなく、社会が作り出してしまったのだ。
  • ☆ 競争の光と影 ☆
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    • 2017/12/29 07:51
    ☆ 競争の光と影 ☆ 井出薫  知人に鬱病を患い退職した者がいる。幸いなことに病気や事故で収入を失った時に保障をする保険に加入していたので、辞めても以前の給与とほぼ同額の保険金を受け取ることができ当座の生活に困ることはない。とは言え病気は辛い。まだ若い彼には働いていないこと自体が苦痛だろう。  競争は経済発展を促し社会を豊かにすると信じられている。ソ連・東欧の共産主義が崩壊し、中国が市場経済に転換して成功したことからも、このような思想に一理あることは間違いない。だが競争激化の煽りで彼の職場では大リストラが行われ、それまで3人でしていた仕事を一人でやらなくてはならなくなった。深夜帰宅は当たり前、土日の出勤も続いた。そんな中で彼は発病した。  彼が競争の犠牲者であることは間違いない。ただその一方で彼が保険を受け取れるのは、ある意味で競争の成果と言える。30年前だったら、失業してもらえるのは期間限定の失業保険だけで、金額は給与よりずっと少なかった。競争で保険会社のサービス開発が促進され様々な新しい保険が登場した。彼が利用しているのもそういう保険の一つだろう。  競争には利点もあり欠点もある。今の彼にも両方が現れている。だがどう見ても欠点の方が大きい。競争の欠点よりも利点を享受している者もいるだろう。だが周囲を見回すと競争の犠牲になっている者が多いように感じる。社会の豊かさとは個人の豊かさを意味する。国や企業が幾ら権益や利益を得ても、それが全ての国民に還元されないようでは、社会は豊かになったとは言えない。パソコン、大画面テレビ、携帯電話、ゲーム機など膨大な新商品に取り囲まれて、人々は豊かになったという思いを抱いている。だが果たして本当にそうなのか。格差の拡大が目立つ今、競争神話から目を覚ますべきときが来ているように思われる。 (H20/4/8記)
  • ☆ 地球温暖化論に寄せて ☆
    • 3
    • 2017/12/29 07:51
    ☆ 地球温暖化論に寄せて ☆ 井出薫  気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次報告書が昨秋から逐次公開され、地球温暖化の想定されるシナリオ、その影響と対策が報告されている。しかし、IPCCの発表とそれを受けた報道には疑問を感じない訳にはいかない。  一番の疑問、違和感は2℃という数字にある。地球温暖化による悪影響を避けるには、産業革命前から21世紀末までの温度上昇を2℃以内に留める必要があると言う。だが2℃を超え、たとえば2.5℃になると壊滅的な状況になるという根拠がない。逆に1.5℃ならば大丈夫という根拠もない。色々と解説書を捲ってみても納得がいく説明がない。ただ現状を放置すれば、21世紀末までには4℃以上の温度上昇が起きる、せめてその半分である2℃以内に留めないと駄目だという程度の理屈しかないようにしか読めない。これでは、半世紀近くに亘って「東海沖で大地震が起きる」と言って、東北沖大地震のリスクを物の見事に見落としたどこかの国の地震研究家たちと大差がない。  さらに、「現状を放置すれば4℃の温度上昇が起きるが、2050年までに排出量を50%に削減し、21世紀末までにゼロにすれば2℃以内は実現できる。それができなければ2℃以上の上昇は避けられない。」などと報じられているが本当だろうか。この報告が正しいとすると、二酸化炭素排出量xと温度上昇yとの関係を示すy=f(x)の関数fが判明したことを意味する。この関数fが分からなければ、どれだけ温度上昇するか、どれだけ削減すれば2℃に収まるのか分からないはずだからだ。しかし、極めて複雑な気象現象で、関数fを正確に見積もることなどできるはずがない。地球温暖化と言っても、世界が均一に温度上昇する訳ではない。地球温暖化の影響で、海洋の中深層(数百メートル以深)の海洋循環(熱塩循環と呼ばれる)が現在と大きく変わり、北大西洋に流れこむ温かい海流が消滅し、欧州は温暖化どころか10℃の温度低下に襲われると予測されている。だがそれは本当に確実なのかというとそうではない。想定しうるシナリオでしかない。では日本はどうかと言われると実はよく分からない。おそらく平均程度に上昇するだろうと漠然と予想されているに過ぎない。現時点での地球温暖化の理解とはこの程度のものでしかなく、関数fの正確な形式は不明で、二酸化炭素の排出量をどの程度削減すればよいのかなどということは、本当のところよく分かっていない。  しかも、温室効果ガスは二酸化炭素だけではない。微量だがメタンは二酸化炭素の20倍以上の温室効果があり、こちらも大気中の濃度が上昇している。日本近海でメタンハイドレード(固化したメタン)が発見され大いに期待されているようだが、メタンの回収と適切な利活用に失敗しそれが全て気体(期待?)となって大気中に放出されることになったら、大変なことになる。日本は世界を滅ぼした元凶として歴史に記されることになろう(尤も人類が滅亡したら歴史もなくなるのだが)。他にも、強力な温室効果ガスである亜酸化窒素も窒素肥料の大量使用で大気中濃度が増加している。要するに、二酸化炭素排出だけを抑制すれば良いという訳ではない。人口増加に伴い食糧の増産が急務で、この先もメタンと亜酸化窒素の増加は避けられそうもない。二酸化炭素増加の影響が大きいために、今は隠れているが、二酸化炭素の削減に成功すれば、今後はこちらが重大な問題となる。  2℃という数字に大した意味はない。温暖化を警告するためのPR用数値に過ぎない。2℃が閾値だとしても、どれだけ二酸化炭素を削減すればそれを阻止できるのか分からない。二酸化炭素以外の人為的な要因である、メタンや亜酸化窒素の増加の影響やその抑制策は研究が進んでいない。要するに、現時点では、このままだとどうなるのか、どうすればよいのか、誰も分かっていない。それなのに「全ては明確であり、遣るべきことははっきりしている、あとは遣るか遣らないかだけだ」と言わんばかりの言動が罷り通っている。そして、それぞれの思惑で、2℃という象徴を勝手に援用して、原発を容認しようとしたり、シェールガス革命とやらで世界のエネルギー市場でイニシアティブを取ろうとしたりしている。こんなことで温暖化問題が解決できるはずがない。
  • ☆ 反・「反科学」主義 ☆
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    • 2017/12/29 07:50
    ☆ 反・「反科学」主義 ☆ 井出 薫  総じて、現代の哲学者は反科学主義(あるいは反科学技術主義)の傾向が強い。理学系の出身者である野家啓一氏や野矢茂樹氏なども、レッテル貼りをさせてもらえば、反科学主義の範疇に属することになろう。20世紀を代表する哲学者としばしば称されるハイデガーとウィトゲンシュタインの思想も反科学主義的な色彩が強い。 (注)反科学主義と反科学技術主義とは違う意味に使用されることもある。反科学主義だが反科学技術主義ではない、あるいはその逆ということもありえる。科学の技術に対する優位性という神話を批判するという立場もある。だが、通常は、両者は同じような意味合いに使われることが多く、野家氏やハイデガーの批判も両者をともに含むと言ってよい。だから、本稿では反科学主義とは反科学技術主義も含む概念として議論を進める。  単純な科学主義には筆者も反対する。単純な科学主義とは、「自然科学特に物理学に全学問は還元される(されなければならない)。」、「世界とは素粒子と場の複合体であり、素粒子の法則で原理的にはすべてが決定されている。従ってすべては素粒子論により説明される。」、「自然科学と数学、科学技術の発展が社会のあり方を決定する。」というような主張を含む自然科学主義と科学技術至上主義のことだ。このような単純な科学主義は社会と人生の切実な問題を曖昧にして、社会と人間に対する極めて偏った歪んだ視点を持ち込む不適切な思想だと言ってよい。この意味での単純な科学主義に反対する「反・科学主義」は十分な正当性を持つものだ。  尤も、上に述べるような単純極まりない素朴な科学主義に同意する者は実際にはほとんどいない。しかし、意識的に科学主義を採用していなくても、科学主義的・技術至上主義的なものの見方・考え方が社会の至るところで認められ、産業活動、医療現場、科学技術行政、科学技術教育など広い領域で現実社会に好ましくない影響を与えている。だから、反・科学主義的な思想は意義がある。  しかし、反科学主義の哲学者の思想には、「反」・「科学主義」ではなく、「反科学」・「主義」が見られることが多い。「自然科学の発展は存在論の変革なしにはありえない」、「技術とは(本来隠されているべき)存在を露わにするもの」と論じるハイデガーの思想などは、反・科学主義と言うより、反科学・主義という色合いが濃い。存在への静かな思考や眼差しこそが人と世界の本質を捉えるもので、科学や技術はその指揮下に入らなくてはならないと主張するに等しいからだ。野家氏の「科学を物語的な視点から捉える」というテーゼにも、科学主義を批判するという立場を超えて、科学とその応用としての科学技術そのものを批判しようとする意図が透けて見える。  だが、自然科学や科学技術はリアルな現実であることを忘れてはならない。人間は、原始時代から自然には存在しない複雑な道具を作り、使う動物として進化してきた。高度な人工的な道具を作り、それを使用するということは人間と人間社会の本質をなす。現代の科学技術は、その進化の延長線上に位置しており、公害や自然環境破壊など大きな社会問題を引き起こしているからと言って、それが人間社会にとって必須の構成要素であることに変わりはない。  最も抽象的で論理的厳密性を持つ学問とされる数学も、その原点は、測量術や商業での数や図形の活用にある。物理学や化学、生物学、地質学など諸科学も、その原点には人工的な道具(貨幣もその重要な一部だ)を使って社会生活を営む人間が位置している。この事実は、極めて抽象的な現代科学特に理論物理学でも変わることはない。素粒子論や宇宙物理学など一見浮世離れした研究領域でも研究者は常に実験で理論を検証することに心を砕き論理に終始することはない。そして、実験は、研究対象そのものは浮世離れしたものでも-宇宙の始まりはどうなっているかとか、ブラックホールはホワイトホールと繋がっているか、など-、現実的な技術(たとえば超伝導技術や精密測定技術)と結びついている。科学は常に現実生活と密着している。  しかも、AIDS、鳥インフルエンザ、BSE、オゾンホール、温暖化、環境ホルモンなど現代社会の重大問題を科学や技術と切り離して論じることは全く無意味だ。  これに対して、科学や技術そのものを批判する哲学的思弁は論理遊びに過ぎないものがほとんどで、現実的な意義に乏しい。確かに、ハイデガーや野家氏の主張には魅力を感じるが、現実的な重要性を持つとは思えない。
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